3.公爵が小説家になった経緯
編集者のブライアンは言う。
「エヴァン様が恋愛小説を書くようになったきっかけは私の放言のせいですから、こちらもサポート不足の責任を感じてはいるところなんですけれども」
エヴァンは頷いた。
「そうだ。ブライアンが私に〝恋愛小説〟を書くようそそのかしたから、私は今もこうして書いているのだな」
「ええ、ええ。案外行けるかもなどと、あなたを散々そそのかしましたね」
「私は作家になりたかった。哲学要素を盛り込んだ純文学。近未来を警告するサイエンスフィクション。神話になぞらえたファンタジー……そんなものを書く作家に」
「しかしそれらの作品はどれも小難しくて読者がついて来ず、駄目でしたね」
「君に全てを否定され、残ったのがまさかの〝恋愛小説〟だったというわけだ……」
エヴァンはくいっと眼鏡を直した。ブライアンはにやりと笑う。
「先生の初めての恋愛小説は、本当に〝戯れに書いた〟という雰囲気が良かったんですよね。お話全体が気負いなく、のびのびしていた。でも、よくあることなんですよ。書きたいものと書けるものって、一致していない人が多いんです」
「まさかとは思ったが、売り上げを見るに本当だったということが驚きだったな」
「恋愛しないくせに恋愛小説書いているようなあなた以外にも、似たようなパターンの作家はたくさんいらっしゃいますよ。気弱なハードボイルド作家、貧乏な経済ハウツー本作家、運動不足の健康指南書作家……」
「なるほど」
「でもね、最近の先生はそろそろ恋愛小説に関しても弾切れなのでは?と、編集者としては思うわけなんです」
エヴァンは真顔になった。
「弾切れ、だと?」
「はい。新たな経験を積むか、別のジャンルをお書きになった方がよろしいと思います」
「別ジャンルは君にあらかた否定され尽くしたんだが?」
「まあ、そうですね。オルムステッド先生は人気作家でいらっしゃいますから、こちらとしても出来ればもっと恋愛ジャンルを書いていて欲しいという気持ちはございます」
「……」
「つまり、私の言いたいのはですね。やはり先生が今後も恋愛を描き続けるおつもりなら、ストーリーパターンのバリエーションを増やすか、リアリティを追求すべきです。今回失敗した四巻は、新しいことに挑戦しようとした結果であることは分かっています。先生は努力なさった。ただ、その努力が筆に追いつかない、または今後もそれを書き続けるには想像力や経験が不足しているということです。先生は最近書き過ぎているところがありましたから、ここは一度書くのを休んで、インプットの時間を確保するべきと思いますがいかがでしょうか」
エヴァンは訝しんだ。
「インプット……?」
「例えば、他作品を読んでみる」
「今まで書いていた恋愛小説は全て他作品からの切り張りだ。はっきり言って、恋愛小説なら君より量を読んでいる」
「うーん。ならば切り張りはもう限界ですからよしましょう。せっかく結婚なさったのだから、奥様を観察して女心の研究でもしてみてはいかがですか?そうやってオルムステッド先生なりの個性やオリジナリティを追求してみては」
エヴァンは腕を前に組んだ。
「なるほど。観察なら得意だ。私は植物学者だからな」
「〝見る〟能力は作家には必須です。描写と言うのは、まさに〝描き写す〟ことなのですから。植物のスケッチを生業とする先生なら朝飯前ですよね」
エヴァンは悪い気はしなかった。
「……一理ある」
「まあそういうわけですから、五巻こそ力を入れて行きましょう。ここで読者を引き戻せない場合、続刊は考えさせてもらいますので」
「そ、そうか……」
「ここからどう立て直すのかが腕の見せどころですよ、先生」
「……」
エヴァンはようやく、じっと新妻のことを考え込んだ。
確かに、いい観察対象が身近にある。
「女心……ねぇ」
「では、次は図鑑の方の話に入らせてもらってもいいですか?シェンブロ先生」
せっかく新しいストーリーが軌道に乗ったのだ。
エヴァンは、続刊打ち切りだけは何としてでも避けたかった。
一方その頃。
アンナの部屋には大工が来ていた。
壁の大きさを測り、造りつける本棚の大きさを決める。
アンナは壁一面が小説で埋まる日を夢見た。
「ああ、素敵……実家は狭かったから、本棚も小さかったの。シェンブロ邸の壁ならとても大きい本棚が出来るわね」
「そうですね。では旦那様によろしくお伝えください、アンナ様」
その言葉で、アンナは現実に引き戻された。
ろくに夫に相談せず、家具の搬入を決めてしまったからだ。
大工が引き上げて行くのを見送ってから、アンナは慌てて書斎の方へ駆けて行く。
と、ブライアンとエヴァンが出て来るところに出くわした。
アンナは緊張しながらエヴァンと顔を合わせる。
間に入ったブライアンは、興味深そうに夫婦の顔を見比べた。
「では、私は帰ります」
「あらブライアンさん。お茶でも……」
「いえいえ、私は新婚家庭に居座るほど無粋な男ではないですよ。では」
まるで逃げるように去って行くブライアンを見送って、アンナは恐る恐る夫に向き直る。
エヴァンは植物の観察でもするように、じーっとアンナに見入っている。
アンナはどきまぎし、冷や汗をかいた。彼は悪事を見破ろうとでもしているのだろうか。
「あ、あの……私、本棚を」
早速夫に本棚の相談をしようと思った、その時。
急にエヴァンの手が伸びて来た。
そして、アンナの金糸の後れ毛を手に取る。
彼女は固まった。
「ふむ……」
エヴァンは呟く。
「女の髪というのは、意外とこしがあって固いのだな」
「……は?」
彼はしばらく眼鏡の奥でアンナを見つめると、何事もなかったかのように自室に引っ込んで行く。
アンナはしばらく呆然としていたが、急に羞恥心が沸き起こってふらりと壁に背をついた。




