47 遅ればせながら気づいた今となっては、私たちは認めるしかない
◇
どんよりした曇り空が不吉さを漂わせる中、馬を走らせていた僕は、橋の手前で手綱を引いて急停止した。
「……やっぱりそうだ」
そこに広がっていた光景を見て、僕は予想通りと思う反面、このままでは最悪の事態を迎えることを確信して、戦慄を覚える。
川幅数十メートルの大きな川には、石造りのアーチがいくつも連なる立派な橋が架かっていた。だが、橋の道幅はそれほど広くない。
普段の交通量はそれほどでもないので、それで十分だったのだろう。
ところがいま、避難のために大勢の人が一斉に押しかけた結果、橋の上は人でごった返していた。人だかりの中ではみんなが殺気立っていて、あちこちで押し合いが起き、罵声が飛んで、それも避難を遅らせている一因のようだった。
「おい、押すな!」「早く歩け! ドラゴンが来ちまう!」「子供が! 子供が転んだの! みんな踏まないで!」
「……」
渋滞がそれほどでもなかったら、荷物を捨てて走るよう呼びかけるだけで済むかもしれない、と思っていたのだが……この様子では、その程度では避難し切れそうもなかった。
僕は想像する……目の前の人だかりに、後ろからドラゴンが襲いかかり、血しぶきが舞い、死体が次々と折り重なる光景を。
僕は覚悟を決めて馬を走らせ、近くにある船着き場に向かった。
◇
マキナが市庁舎に到着すると、ユリアは会議室から人払いをして二人きりになり、カケルがたった一人でドラゴンに戦いを挑みに行ったことを告げた。
「え……?」
驚くマキナに向かって、ユリアは苦しげな顔で言う。
「マキナ……状況が変わった。いま私の手元にいる人材で、ドラゴンと白兵戦ができるのは君だけだ……どうか、カケルを連れ戻して欲しい」
「……では、避難民は」
「責任は私が取る。先ほども言ったように、私はカケルを失うわけにはいかない」
「……御意」
そう言って頭を下げ、マキナはすぐにでも部屋を出て行こうとする。
「待て!」
だが、ユリアはマキナを呼び止めた。
「……どうかなさいましたか、伯爵」
「なあ……マキナは、こう思ったことはないか……カケルは、少しおかしいと」
「……」
「この手紙……」
ユリアは、右手に持ったしわくちゃの手紙を見つめる。
「自分のことが、何も書いてない……避難民を思う言葉や、私を気遣う言葉ばかりで、カケル自身のことは何も……彼には私心というものが、自分の欲望というものがないのか? おかしいではないか! そんな人間がいるものか!」
マキナが真剣な目で見つめる中、ユリアは混乱した様子で言っていた。
「あともう少しで……あともう少しで、カケルには幸せな生活が待っていたのに……なのに彼は、それをいとも簡単にかなぐり捨ててしまった! ああわかるさ! そんな自己犠牲の精神こそ、カケルが勇者たるゆえんだ……でも……でも、私はどうしても、こう思ってしまう……私が彼に約束した幸せは、彼にとってその程度のものだったのだろうか? 見知らぬ大勢の人々のために、簡単に捨ててしまえるものだったのだろうか……? ……後に残される私の気持ちを……少しも……考えてくれなかったのだろうか……?」
その時、マキナはユリアに向き直って言った。
「あなたに……」
感情を大爆発させて。
「あなたにそんなことを言う資格があるんですか!?」
「なっ……」
マキナの大声に、いつも毅然としているはずの、あのユリアが怯む。
だが、マキナは言った。
「私心がない? 自己犠牲の精神が行き過ぎてる? それは全部、あなたも同じことでしょう、ユリアさん」
「ど、どうしてそんな……」
「これまであなたの口から、カケルさんを讃える言葉を何度も聞きました。勇敢だとか、聡明だとか、優しいとか……でも」
「でも、あなたはただの一度も『愛してる』と言ったことがない!」
「あ……あ……」
何か言おうとして口を開けたまま、しかし何も言えなくて固まっているユリアに向かって、マキナはさらに続ける。
「あなたは愛していない男と結婚しようとしたんです。そうでしょう?」
「あなたが領主としての責任を果たそうとするのは、とても立派なことです……でも、あなたは自分を道具にするのと同時に、カケルさんのことも道具にしようとした。愛のない結婚をすることによって」
「最初は私も、それで良いと思っていました……ユリアさんもカケルさんも、決して悪い人じゃない。愛はなくても、二人には思いやりと責任感がある……そんな二人が長い時間を一緒に過ごせば、きっと本物の愛が生まれる。だから、たとえ最初のうちはギクシャクしても、長い目で見れば必ずカケルさんのためになると……」
「でも……それは間違っていた」
「カケルさんにとっては、ユリアさんとの結婚よりも、大勢の見知らぬ人たちを救うことの方が大事だった」
「そう、そうなんです……あの人にとって、保身なんてなんの価値も無かった。安定した生活なんてどうでも良かった。ユリアさんの気持ちでさえ、カケルさんにとっては二の次だった」
「……私たちは、もっと早くそれに気づくべきだった」
「そして……遅ればせながら気づいた今となっては、私たちは認めるしかない……」
「認めるって……」声を震わせて、ユリア。「何を?」
マキナは叫んだ。
「この結婚が間違いだったことをです!」
叫んで、マキナは走って部屋を出て行く。
それを見送った後、ユリアは全身の力が抜けて、机に寄りかかるような姿勢でしゃがみ込んでしまった。
「……完敗だ」ユリアは言った。「私の負けだよ、マキナ……君は私なんかよりも、ずっとカケルのことを理解している」




