46 さらば愛しき人よ
男装姿で、鞘に収まったサーベルを腰に差したマキナは、最初は廊下の壁に背を預けていたが、僕たちと目が合うと同時に、こちらに向き直った。
「カケルさん、それからスペンサー伯も」
マキナは、固い表情で軽く頭を下げつつ、こう言った。
「どうか、私にも持ち場をお与えください……必ずや、お役に立って見せます」
「マキナ……君は」
「カケル」
「え?」
ユリアは、唐突に僕の言葉を遮って、こう言った。
「先に行っててくれるかな」
「え、でも……」
「いまのマキナの主人は私だ。この話は私がするべきものだ」
「……」
ユリアの声の硬さに、僕は不穏なものを感じたが……ここは言われた通りにするしかなかった。
僕は後ろ髪を引かれる思いをしつつも、黙って先に行き、その場を立ち去った。
会議室に入ると、定刻より少し早めだったせいか、まだ誰も来ていなかった。
手持ち無沙汰になった僕は、ちょっと予習をしておこうと、壁に貼られた資料を、何気なく読み始める。
だがその時、僕は気づいた。
「これは……!」
◇
「マキナ」
空いていた部屋にマキナを招き入れると、ユリアは言った。
「いまの君は、私に雇われたメイドだ。冒険者ではない……君が戦う必要はないんだ」
「恐れながら、伯爵閣下」
マキナは固い声で言い返す。
「いま市内にいる者で、ドラゴンと白兵戦ができるのは、私しかいないと自負しております……きっと、お役に立てる場面があるはずです」
「必要ない。君がいなくても、エイデンス市の守りは完璧だ。カケルも同じことを言うだろう」
「しかし……」
「マキナ……」
その時、目の前で起きた出来事に、マキナは驚愕を隠せなかった……ユリアが、神妙な面持ちで頭を下げたのだ。
「なっ……」
絶句するマキナに対して、ユリアは頭を上げずに言う。
「頼む……身を引いてくれ」
「もし、ドラゴンとの戦いで君が傷つくのを見たら……きっとカケルの心は揺れてしまう」
「カケルは、未来の伯爵となるべき逸材だ……」
「私にとって、これは一生に一度しかないチャンスなんだ」
「頼む……」
「カケルのことは、私が必ず幸せにする」
「だから……」
「……………………………………………………そうですよね」
長い沈黙の後、マキナは一言そう言って、目を伏せた。
「私みたいな人形じゃ……本当の意味で、カケルさんを幸せにすることはできないですから」
そのまま部屋を出て行くマキナを、ユリアは黙って見送った。
「……マキナ!」
「えっ?」
肩を落として市庁舎から出てきたマキナの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んでくる。
マキナが驚いて振り返ると、そこには、柱の陰に立っているカケルの姿があった。
「ちょ、カケルさん、何をやってるんですか……会議に出なくていいんですか?」
「う、うん……会議用の資料に目を通してたら、気づいたことがあって……ちょっと、これから出かけるところなんだ」
「はあ……何か、お手伝いしましょうか?」
「いや、いいよ、大したことじゃないから……マキナの方こそ、大丈夫? ユリアにキツイこと言われたりしなかった?」
マキナは首を振ってこう答えた。
「全然……ユリアさんは、やっぱりすごく良い人ですよ。私なんかじゃ、とても叶わないです……私はシティハウスに戻って、大人しくしていることにします」
「うん、そうだね、それがいいよ……」
「それでは」
「ああ……」
そう言って、マキナが背を向けた、その時だった。
「……元気でね、マキナ」
「……え?」
カケルのその言葉が、どういう意味か聞き返そうと思って、マキナが振り返ると……カケルの姿は、忽然と消えていた。
「どういうことなんだ!?」
一時間後、会議室にいたユリアは、彼女らしくもなく、役人の男に向かって怒声を浴びせていた。
「一体どうして、住民の避難がこんなに遅れている!?」
「わ、わかりません、伯爵」
役人の男は、恐縮しきった様子で言った。
「いま伝令を出して、状況を確認させておりますので、しばしお待ちを……」
「そんな猶予はない! もうそろそろ、ドラゴンがいつ領内に現れてもおかしくない頃だ……このままでは……」
「伯爵閣下!」
「今度は何だ!?」
「い、いえ……カケルさまから、一時間後にこの手紙を渡すようにと言われまして……」
「な……カケルはいまどこに? さっきから姿が見えないが」
その場には大勢の役人やユリアの家臣たちがいたが、みな戸惑ったように顔を見合わせていた。誰もカケルを見た者はいない。
「まさか……!」
ユリアは引ったくるように手紙を受け取ると、すぐに開封して読み始めた。
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ユリアへ
時間があまりないから、簡潔に書きます。
資料に記載されていた避難計画は、何十年も前に作られたもので、最近の人口増加を反映していません。
僕の計算では、橋の部分で深刻な渋滞が起き、渡し船も足りず、大勢の人が逃げ遅れるはずです。
この事実をすぐに君に教えなかったのは、もし教えていたら、君が一生後悔することになるだろうと思ったからです……心から人々の幸せを願う君にとって、大勢の領民を見捨てざるを得なかった経験は、一生残る傷になるだろうと思ったからです。
僕のことは忘れてください。
カケル
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「な……」
読み終えたユリアは、顔面蒼白になって、思わず手紙を握りつぶす。
「私には、逃げ遅れた人は見捨てろと言ったくせに……なんてことを……」
だが、ユリアはすぐに正気を取り戻して、こう叫んだ。
「……マキナだ。マキナをここに呼べ! 大至急だ!」




