35 二つの奇襲
僕の指示で、兵士たちは、森の中を流れる川の中州に遺体を安置した。
川幅は数メートルほどで、深さは足首ぐらいまで。流れはとても穏やかな、小さい川だ。
だが、そんな小さい川でも、立派な風の通り道。
川を中心にして、死体の強烈な匂いが森中に広がっていくはずだ。
僕たちは、川の周囲の茂みに潜んで、ベヒーモスを待ち伏せした。
果たして……数十分後。
最初は僕の気のせいかと思ったが、周囲の兵士たちがソワソワし始めて、互いに顔を見合わせたり、マキナがいつでもサーベルを生成できるよう手を構えたりするのを見て、僕はそれが錯覚ではないと知った。
地面を伝わってくる、微かな振動。
ベヒーモスの足音だ。
振動は、下流の川原沿いを、僕たちがいる上流に向かって近づいてくるようだった。
木や茂みが邪魔で、姿は見えない。
……いや。
茂みの奥を、確かに、何か黒い影が動いているのが見えた。
一歩、また一歩。
こっちに近づいてくる。
その影が、新たな一歩を踏み出した瞬間……茂みの先から、角が見えた。
二本の、禍々しくねじ曲がった、太く長い角。
続く数歩で、ベヒーモスはその全容を露わにする。
硬質の、茶色い皮膚。
筋肉によって、はち切れんばかりに膨れ上がった四肢。
人間の前腕ほどの大きさがある、巨大な爪。
太い顎から垂れ下がるように伸びる、もっと太い牙。
そして……これ以上ない憤怒を宿した、大きな目。
『グルルルルルルル……』
ついに姿を現したベヒーモスは、獲物を奪われた怒りも露わに重く大きなうなり声を上げながら、警戒などする必要もないとでも思っているのか、堂々と川の中に足を踏み入れ、遺体が安置されている中州に上ろうとしていた。
そのタイミングで、ドミニク隊長が視線を送ってきたので、僕はうなずいた。
「取り囲めっ!」
ドミニク隊長の号令一下、抜刀した衛兵たちが一斉に茂みから飛び出して、あっという間にベヒーモスの周囲を取り囲んだ。
「化け物め!」「覚悟しろ!」「もうこれ以上の悪事は許さん!」
士気は極めて高い。
『グアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
ベヒーモスは雄叫びを上げつつ、遺体を背にして振り返って、兵士たちと真っ向から対峙した。だが、兵士たちは怖じ気づく素振りを一切見せなかった。
「狙われた者は防御と回避に徹しろ! 側面と背面から攻撃するんだ!」
ドミニク隊長が指示を飛ばしながら、自らも包囲網に加わる。僕とマキナは、彼らの少し後ろの位置について待機した。
「カケルさん」
サーベルを持ちつつ、僕の後背を油断なく警戒しながら、マキナが言う。
「あいつはおそらく陽動です。もう一体が奇襲をかけてくる。そいつの位置がわかるまで、詠唱は控えてください」
「わかってる……マキナッ!」
僕が言うより早く、マキナは反応していた。
森の中から飛び出して来て、その巨大な爪を振り下ろしてきたベヒーモスを、マキナはサーベルで受け止める。
『グウウウウウウウウウウウッ!』
「……瞬間ダメージ、1342ですか。なるほど。こいつはなかなかのものですね」
マキナはサーベルを振ってベヒーモスを払いのけるが、ベヒーモスは後ろ足の爪で地面に踏ん張り、地面に大きな爪痕を残しつつ、軽く後ずさりした程度で耐えきった。
明らかに、強い。
……だが、抑えられない相手ではなかった。
兵士たちはドミニク隊長の指示通り、狙われた者は防御や回避に徹し、その隙に他の者が攻撃するという連携戦術で、ベヒーモスと互角以上に渡り合っている。
一方のマキナは、一対一ではあるが、冴え渡る剣技によって、ベヒーモスの爪を弾き、牙をかわし、角を使った攻撃を、上手くいなしている。
……後は、僕が魔法を撃って、どちらかのベヒーモスを素早く落とせば、実質的にはそこで戦闘終了だ。
僕はマキナと兵士たちの間に挟まれた、安全な位置に陣取ると、手早く魔法の詠唱を開始した。
……だが、その時だった。
斜め後方。死角になる方向。
何もないはずの場所から、重い地響きの音と振動がするのを不審に思った僕は、咄嗟に詠唱を中断して、振り返った。
瞬間……僕の視界いっぱいに、正面から突進してくる、ベヒーモスの巨体が映っていた。
そのベヒーモスの角が、僕の胸へと……
「カケルさんっ!」
次の瞬間、マキナが真横から体当たりしてくる。僕たちはそのまま地面を転がるような格好になったが、どうにかベヒーモスの一撃を回避した。
獲物を取り逃したベヒーモスは、そのまま行きすぎて、巨木にぶつかってようやく止まる……その巨木は、最初は少しずつ、やがて急激に、メキメキと音を立てて倒れていった。巨大な音と振動。
だがベヒーモスは、こんなこと何でもないという風に、あっさりと木の幹から角を引き抜くと、こちらに向き直り、両腕を広げて咆哮した。
『グアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
「な、なんだ?」
土に手を突いて立ち上がりながら、僕は言った。
「どこから現れた?」
「そんなことはどうでもいいですよ、カケルさん……!」
マキナは油断なくサーベルを構えながら、苦々しい顔でこう言った。
「こいつら、双子じゃありません……三つ子だったんです……!」
マキナの言う通りだった。
気がつけば、僕らは三体のベヒーモスとの、混戦状態に陥っていた。




