30 放蕩少女の帰還
石畳の上に降り立った僕は、歩いて馬車の前に回った。
すると、御者が呆れ顔をして、路面にうつ伏せで横たわる人物を見下ろしているところだった。
酔っ払いの行き倒れか……そう思った僕は、直後に、その酔っ払いに見覚えがあることに気がつく。
白いローブに、金髪の若い女……。
もしやと思って、僕が酔っ払いの頭を手で転がして顔を見ると……ぐてんぐてんに酔っ払って眠りこける、ローラの顔がそこにはあった。かなり酒臭い。
やれやれ……放っておくわけにもいかないな、と思った僕は、御者を下がらせると、ウォーターボールの魔法を、最小出力でローラの顔にぶっかけた。
水の弾が破裂し、飛び散る音と同時に、ローラの
「うわああああっ!?」
という悲鳴が周囲に響き渡る。
「……え? な、何が起きたの? ここはどこ? 私は誰?」
「よっぽど飲んだらしいな……」
僕は呆れかえって言った。
「もしかしてヤケ酒か? 裁判に負けてから、ずっと飲んでたのか?」
だとすると、6時間近くということになる。よく死ななかったな……いや、もう少しで馬車に轢かれて死ぬところだったのか。
飲み過ぎはダメだ。よい子は真似しちゃいけない……僕の昔の知り合いも、アル中で一人死んでるから……。
「ああっ!?」と、ローラは僕の顔を指差して言った。「お前はカケル・アーウィン!」
「そんな、大声で言わなくてもわかってるよ……」
「ううっ……」
うつ伏せから起き上がって、路面に座り込む体勢になって、ローラは言う。
「そんな高いところから、私のことを見下ろしやがって! 嫌なやつ!」
「いや、見下ろす姿勢になってるのは、君が座ってるからだよ?」
「なにその嫌みったらしいツッコミ! ムカつく! マジでムカつく! 人の人生を破滅させたのがそんなに楽しいのか、この悪魔め!」
「誰かと思えば、ローラさんですか……」
その時、馬車から降りてきたマキナが、僕の後ろに立って言った……ついさっきあんなことがあったばかりだが、ローラの醜態を見せられて、そういう空気ではなくなっちゃった感じだ。
マキナは呆れ顔で言う。
「破滅だかなんだか知りませんが、どうせあなたの自業自得でしょう。ざまぁですよ」
「うーん、確かにざまぁだなあ」
ユリアが助けてくれたから良かったものの、かなりえげつなく酷いことやろうとしたからね、ローラは。
「うわああああああああっ!」
と、悪女は泣き叫んでいた。
「ざまぁって言われたあああああああっ! それ私のセリフのはずだったのにいいいいいいいっ! 悔しいいいいいいいいいいいいいいっ!」
「……」
自業自得……とはいえ、そのあまりの荒れっぷりを見かねた僕は、ちょっと話を聞いてやることにした。
「……おい、ローラ。何があったんだ。話してみろよ」
「ぐすっ……私はあの裁判に勝って、ギルドのみんなから信用を得て、伯爵とのコネも作って、冒険者として最高のスタートを切るはずだったのに……それが、全部ダメになって。信頼を失った私は、この街のギルドから追放されちゃって……」
「……」
裁判に負けたと知った途端、あっという間に手のひらを返した冒険者たちの姿が、目に浮かぶようだった。
「もう、私は破滅ですよ……破滅……ハハハ……私の人生、おーわりっ♪ ハハ……アハハ……」
僕は続けて聞いた。
「……なあ、ローラ。お前、家族はいないのか?」
「……いますけど……仲が悪くて。魔法学校に通いたかったのに、女だからって通わせてもらえなくて……それで私、家を飛び出してきて……」
「はあっ?」マキナが声を上げる。「じゃあ、あなたはただの家出少女ってことですか? 呆れた。やってらんないです」
「ローラ」僕は言い聞かせるように言った。「家族が生きてるなら、そこへ帰れ。きっと、心配して待ってるよ」
「で、でも、いまさらどんな顔で帰ればいいのか……」
「……なあ、ローラ」
僕はちょっと、気になることがあったので聞いてみた。
「君は、魔法学校に通ったことがないって言ってたな。魔法はどれぐらい使えるんだ?」
「え? 初級魔法なら、一通りは……」
「独学で?」
「ええ、本で読んで……」
それを聞くと、僕はちょっと真剣な顔になって、かがみ込んで、ローラに視線を合わせてから言った。
「……ローラ。大事なことだから、よく聞け。君には才能がある。魔法が使えるだけじゃなくて、法律の知識もあったし、あの短期間でギルドやユリアと交渉して話をまとめるだけの交渉力もあったし、法廷であれだけの弁舌を披露するだけの度胸もあった」
「え? ……何言ってるんですか。あれぐらい、普通でしょう?」
「普通じゃない。全然普通じゃない……君なら、今からでもやり直せる。悪いことは言わないから、実家に帰れ」
それを聞いても、まだキョトンとしているローラに向かって、僕は言った。
「そもそも、何が破滅だよ。何が人生の終わりだってんだ。君は、まだ生きてるじゃないか。家族も生きてて、帰る家だってある。僕なんかと比べりゃ、よっぽど恵まれてるよ」
「……まあ」と、これはマキナが言った。「カケルさんを、あそこまで追い詰めたんです……才能は、あるんじゃないですか?」
「……」
口々にそう言われたローラは、しばし呆然として、僕の顔をじっと見つめていた。
……かと思っていたら、突然、
「……ペッ!」
などと、僕の顔に向かってツバを吐きかけてきた。
「うわっ!?」
僕はのけぞって立ち上がり、手で顔を拭う。
「何すんだよ!」
僕が顔を上げると、ローラはすでに立ち上がっていて、数歩後退しつつ、僕のことをにらみつけていた。
だが、その目からは何となく、敵意が感じられなかった。
「ケッ!」とローラは吐き捨てるように言った。「自分がちょっと優秀で運にも恵まれてるからって、調子乗って人のこと見下して、エッらそうに人生のアドバイスなんかしてんじゃねーよ! バーカバーカ!」
「な……な……」
口をパクパクさせる僕に向かって、ローラは人差し指を突きつけた。
「覚えてろよ! ……いつか戻ってきて、今度は私がお前たちに『ざまぁ』って言ってやるんだからな!」
そう言い捨てると、ローラは踵を返して、酔っ払いとは思えないしっかりした足取りで走り去り、夜の闇へと消えていった。
「なんか……」
足音もすっかり遠ざかった後で、マキナが言う。
「ものすごく、元気出たみたいでしたね」
「そいつは良かった」
僕は取り出した布で顔を拭いつつ言った。
「……ローラは、自由でいいな」
「……え?」
キョトンとするマキナに対して、僕は向き直ることをせず、独り言のようにこう続けた。
「ローラには、無限の可能性がある。彼女のこれからの人生には、どんなことだって起こりえるだろう……伯爵の仕事だって、やりがいはあるんだろうし、地位も安定しているんだろうけど……あんな自由は、ないだろうな」
「……」
「元気が出たのは、ローラだけじゃないかもしれない……なんてね」
それに対して、マキナも何も言い返さなかった。




