26 高貴な人
その時、法廷の壇上から、僕に向かって声をかけてくる人物がいた。
「おい、カケル・アーウィン!」
裁判長だった。
「なんですか、裁判長」
「すぐに私の執務室に来なさい」
「え? すぐにですか? 派手にやり合ったせいで喉が乾いたんで、ちょっと休憩を……」
「バカかお前は。茶ぐらい出してやる。すぐに来なかったら、判決を取り消して逆転敗訴にするからな」
「ええええええええええええええっ!?」
良い人なのかと思ったけど、そうでもないぞこの人!?
……そういうわけで、数分後、僕とマキナは裁判長の執務室のドアをくぐることになった。
「「失礼します」」
裁判長の執務室は、それほど広くなく、造りも至って簡素なものだった。本がぎっしり詰まった本棚に、執務机、机の向こうの大きな窓。本当にそれぐらいしかない。まあ、床や壁、それに天井に使われてる木材はけっこう高級そうだったし、寝そべったら寝心地の良さそうな絨毯もあったけど。
僕たちが入室した時、裁判長は椅子ごと窓の方を向いて、僕たちに背を向けていた。
「来たな」
裁判長は、僕たちの方を振り返らずに言った。
「あの……ご用件は、なんでしょうか?」
「そうだな。用件は二つ、かな……まずは、謝らせて欲しい」
「謝る?」
「ああ。私はね、報告書を読んで、どうせどこの馬の骨とも知れぬ輩が、たまたまレアアイテムを引き当てたのを良いことに、調子に乗っているのだろうと思い込んでいたのだ」
「長年にわたって領民を悩ませてきたあのトレントを討伐した件については、素直にありがたいと思ったが……それだって、マグレか何かだろうと思った」
「しかし……今日の法廷での君の振る舞いを見て、私は完全に考えを改めた。私はまさか、君があのような勇者だとは思いもしなかったのだ。非礼を許して欲しい」
「勇者……ですか?」
「ああ、あなたは勇者だとも……同じ女として、一生に一度はあんなことを言われてみたい……本気でそう思ったよ」
「……え?」
僕が言葉の内容に引っかかりを覚えたその時、裁判長は僕たちに背を向けたまま、人差し指を顔の横あたりで上に向け、クルリと円を描きながら、こう唱えた。
「<解除>」
瞬間、どこからともなく黒くて長い髪の毛が現れて、謎の人物の頭から垂れ下がった。女性らしい、ストレートの艶やかな黒い髪。
変化は、それだけではなかった。男性らしくがっしりとしていた裁判長の身体のラインは、女性らしい丸みを帯びた細いものに変わっている。
続いて聞こえてきた声は、言葉遣いこそ男のままだったが、若い女性の、高い声色だった。
「君は魔法使いだから、変装系の魔法というものが存在することは、知っているね?」
「ええ……」
もちろん、知っている。
そして、杖を使わず、指一本で魔法を扱うというのがけっこう大変だということも、よく知っている。この謎の女性は、相当な使い手だった。
「騙していたことを許して欲しい。私は時々、こうして領内の様子を調査しているのだ……まあ、今回に限っては、私が自ら出張ってきたのは、特別な事情によるものだけどね」
そう言って、彼女が立ち上がって振り返り、素顔をさらした時、僕は思わず息を呑んだ。
僕と同い年ぐらいの、まだ少女と言ってもいいような、美しい女性。
すっきりと整った目鼻立ちに、意志の強そうな黒い瞳。
ピンと張った背筋や、ブレのない優雅なたたずまいは、彼女の育ちの良さをよく表している。
僕は、この人に見覚えがあった。冒険者ギルドの隣にある衛兵詰め所に、男装したこの人の肖像画が掲げてあるからだ。
……この国では、地方の裁判は基本的に領主たる貴族が行い、その領主が必要に応じて、自分の代理として裁判官を任命する仕組みになっている。
だから……だから、この人が裁判長として、自らここに出てくることは、ある意味、何も間違っていなかった。
その女性は言った。
「大変申し遅れたね、カケル」
「こ、これは恐れ多い……」
その時、僕の斜め後ろにいたマキナが、そっと僕の袖を引っ張って耳打ちする。
「誰なんですか、この人?」
「領主だよ……この街と、その周辺の土地一帯の、領主だよ!」
「偉いんですか?」
「ものすごく偉いよ!」
「そうかしこまらないでくれ」
その女性は、手の仕草だけカーテシーをするように動かしながら、膝を折り、軽く頭を下げた。
「いかにも……わたくしはスペンサー伯爵家当主、ユリア・スペンサーと申します」
姿勢を正してから、ユリアは続けた。
「カケル。この姿で、もう一度言わせていただきたい」
「同じ女として、一生に一度はあんなことを言われてみたい」
「……私は、本気でそう思いました……勇者さま」
そう言ってユリアは、僕に向かって、朗らかな笑みを投げかけた。
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