少女と仲間と満腹の不幸 前編
○フソウ ドーム都市 商業区画
ドーム都市特有の半透明の天井。その際まで伸びる摩天楼は、光と影が混ざり合う。無機物から作られたとは思えない、美しさがそこにあった。
摩天楼の中層と下層には、空中道路が縫うように幾重にも巡らされている。その上を流れる配車ポッドの群れが、行儀よく等間隔で進んでいた。
その中の一台に、白パーカーを着込んだアオイ、ブルゾンを羽織ったシノブと合成革のジャケットを着たリコの三人が向かい合って座っていた。
アオイがソワソワとしながら、窓の外から配車ポッドの行き先をしきりに確認している。
「ボ……じゃなかった、ワタシ、食べ放題は初めてなんです。そんな贅沢を今までしたことなくて」
三人は食べ放題の店へ行く途中だった。アオイの苦労を偲んだシノブが、猫のような瞳を細め柔らかい笑顔を浮かべる。
「アオイ、苦労してんな……。とりあえず今日はいっぱい食え」
「ありがとうございます」
リコが丸目をクリっと輝かせながら、シノブを向いた。
「今日行く所、自分も初めてっス。名前を聴いただけだから、ギュンギュンっス」
「なんか人気の店っぽいぜ。食べ放題だけど、味もいいらしいぞ」
「……あれ? シノブさん。味がしないって言ってなかったスか?」
「ま、店についたら大丈夫。そういや、アオイには言ってなかったな。アタシ、耳を良くした代わりに舌がバカになってるんだ」
「あ、はい。それなら――」
そこまで言ってアオイは、その秘密を寝たふりをしながら聴いていた事を思い出す。知っていてはまずいと、危機察知センサーが警報を上げた。
「ハジメテ キキマシタ」
あからさまな棒読みだった。当然、シノブが眉をひそめた。
「変な喋り方だな?」
「い、いえ……。だから、梨も食べなかったんですね」
「覚えてたんだな。まぁ、そういう理由だ」
そこへ、リコのつるりとした額が割り込んだ。
「シノブさん。お金払ってくれるのはありがたいっスけど、シノブさんが美味しくなかったらシュニューンな感じっス」
「まぁ、アタシも楽しむから大丈夫だ」
「よく分かんないっスけど、了解っㇲ」
そう言って雑談を続けていると、配車ポッドが速度を緩めた。そのまま、摩天楼大通り交差点に止まる。サクラダ警備がある隔離区画とは異なり、華やかな広告や看板が並ぶ商業地区では、人々が楽しげに談笑していた。
三人が配車ポッドを降りて、道行く人々に溶け込んでいく。その中で、アオイがシノブに頭を下げた。
「ありがとうございます。奢ってもらって」
「そういう気分だったからな。味気ない食事ばっかりも飽きていたところだったし」
「普段は何を食べてるんですか?」
「カネがかからないように、ミドリムシとオキアミのペーストだな。アタシは味がしないからきにならないけど、普通なのにアレばっかりってヤツはキツイだろうな」
普通なのにオキアミペーストばかりなアオイは、乾いた笑いをこぼすしかなかった。
「ははは……。そうですね」
その後も雑談を続けながら大通りを歩く三人。商業地区らしい華やかな賑わいを抜けると、目の前に行列が見えた。そこが、三人の目的地だった。
「結構並んでますね」
「一応アプリで予約はしているけど、それでも人気みたいだな」
「楽しみです」
「美味しそうな予感がギュンギュンするっス」
最後尾に並び順番を待つ。しばらく話し込んでいるが、アオイの足元がふらつく。そして、段々と上体の傾きが大きくなった。
「うぅ……」
倒れかけたアオイを、リコが受け止めた。
「アオイさん!? って軽!? ほっそ!?」
「アオイ! どうした!?」
アオイが腹を抑えながら、弱々しい声を絞り出した。
「いや、いっぱい食べられるから……ご飯……抜いてきて……」
シノブがアオイをしげしげと見る。アオイの白い肌は、栄養不良でますます血色を失っていた。顔も、若干こけているように見える。シノブが心配と呆れの混じった眼差しをアオイに向けた。
「バカ。倒れるまでメシを抜くなよ」
「節約……できるかなって……」
シノブが特大のため息をついた。
「もう少しで順番だからな。肩、貸すか?」
「いえ……気力でなんとか……」
「大人しく甘えとけって」
「すみません……」
そう言ってシノブがアオイに肩を貸す。一回り小さいシノブに支えてもらうのを、心から申し訳無さそうにアオイが眉をハの字に曲げた。
○フソウ ドーム都市 スイーツビュッフェ
アオイたち三人が店員に案内されて扉の中へ入る。目に入るのは白と黒の対比が鮮やかな壁と天井。そこを柔らかなオレンジの間接照明が照らしている。
店内中央にある机には、彩り豊かな器と料理が花畑の様にならんでいた。いかにも美味しそうな料理に生唾を飲み込みつつ、アオイが店内を進む。
リコが丸い目をキラキラと輝かせながら、店を見回している。
「キルルンな感じの、いい店っスね。シノブさん、いつもこういう店に来てるんスか?」
「いや、アタシも店で食べるのは久しぶりだな。普段は配達で済ませちゃっているし。リコはどうしてるんだ?」
「自分の場合、家族分をまとめて作ることが多いっス」
「意外だな。キッチン付きの物件、高くないか?」
「この頃は地下プラントの拡張も済んだみたいだから、野菜とかバイオミートもだいぶ安くなってきたっス。シュギュギュっとすれば、自炊の方が食費を安く済ませられるっス」
「家族だとそんなもんか。一人暮らしだと配達の方が楽だし安上がりだから、手ぇ抜いているわ」
やがて、店内の一角にあるテーブル席に案内される。三人が席につくと、店員が礼儀正しく頭を下げた。
「では、ごゆっくりどうぞ」
それを見送って、三人が一斉に席を立った。心なしか鼻息も荒い。
「じゃあ、取りに行くか」
「はい」
そして、三人が席に帰ってくる。
先に席についていたリコが、アオイの皿を凝視する。視線の先には山盛りに料理が乗っていた。
「アオイさん。カレー、ドギュンドギュンじゃないっスか」
「そんなに多いかな? 前に奢ってもらってから、すっかり好きになっちゃった」
「好きなのしか食べないシュシュンな所、ソウさんみたいっスね」
リコの言葉を聴いた瞬間、アオイが信じられないとばかりに目を見開く。
「え?」
「なんでそんなにシニャーンなんスか」
「そんな顔してた?」
「もうシャニャーンでシュニューンな感じっス」
「そんなに? だって、ソウって良い所も悪い所もはっきりしてるし」
「でも、自分からするとアオイさんとソウさんって、ギュンギュンなコンビだと思うっスよ」
「まぁ、なんだかんだで頼り頼られって感じだし」
「アオイさんもシュビビーンって思ってるんじゃないっスか」
二人の会話を聴いていたシノブが、ぽかんと口を開けていた。
「アオイ……よく言ってることが分かるな……」
「え、普通じゃないですか?」
「普通はポンポンと返せないんだよ」
そうなのだろうか。相棒だけが異常に物わかりが悪いのではないか、と考えているとリコが親愛の笑みを浮かべてアオイの肩を抱いた。
「アオイさんと自分、ジュジューンな仲間っスから」
「リコちゃんと仲間になったっけ?」
「スヌンっとした返しも、自分的にはニュフフフっスよ」
「そ、そうなんだ」
ネットリとした笑みを向けられたアオイがブルリと震える。その様子を見ながら、シノブが取ってきた料理へ次々と調味料をかけた。シノブの皿のフライドポテトは様々な調味料が混じり合った虹色のソースに埋もれていた。
「し、シノブさん。フライドポテトに色々かけてますけど……」
驚愕で震えるアオイを見ながら、シノブはさも普通にポテトをつまむ。
「調味料だよ。ケチャップにマヨネーズにマスタードにタバスコにあと色々だな。こうしないと、味が分かんねえからな」
「その量はちょっと、ギビンギビンすぎるッス……」
皆があふれる中、調味料まみれのフライドポテトをフォークに刺して頬張るシノブ。
「かぁー! 味がするメシなんて久しぶりだぜ!」
「た、確かにその量の調味料を普段からは無理ですね……」
まぁ死ぬだろうな、とアオイが思っている所に、涼やかな声が聞こえた。
「あ、シノブちゃん!」
振り返ると、そこには別格の美女たちがいた。
一人は凛とした形の瞳には、可愛らしさを印象付けるクルっとしたまつ毛。鼻はほどよく通っており、唇の艶も愛らしい。可愛さと美しさを掛け算した、輝くほどの美女がいた。
魂を抜かれるほどの造形を天から授かった美女である、チドリ=チサトだった。
「チィチィさん! と後ろにいるのは?」
もう一人の美女は、抜群のシルエットを誇っていた。細身のパンツが際立出せるスラリと伸びる足。程よく鍛えられた者に特有のメリハリのあるプロポーションを、細身のカジュアルスーツが強調していた。
何度見ても惚れ惚れする美女である、サクラダ=トモエだった。
「あ、トモエさんも」
「シノブか。偶然だな。お前たちも来ていたのか」
トモエたちが隣のボックス席へ腰掛けようとしていた。
「はい。みんなで来ようってなって。そちらはチドリさんですね? こんにちは。アオイです」
「こんにちは。二回ほど担当させていただいていますね」
「お世話になりました」
二人が頭を上げた頃合いで、トモエが口を開いた。
「チドリさんとは昔の仕事仲間だ。前に話したが」
「はい。覚えています」
チサトがクスリと笑う。
「今日はオフだからチサトでいいですよ。トモエさん」
「しかし、部下の前では」
「それでどうにかなるような人をトモエさんが採ったりはしないですよね?」
そう言われて、トモエが頬を掻きながらふーむと唸る。
「……お前たちを信じるか」
「大丈夫ですよ」
「わかった。無用な心配だったな」
その後、隣のボックス席ということで、アオイ、シノブ、リコ、チサト、トモエの五人で会話がはずんだ。
「へえ。トモエさんがチドリさんの指導担当だったんですか」
「はい。そうですね」
「トモエさんの教え方、優しいし分かりやすいですよね」
「え? 優しい?」
「え? 優しいですよね?」
チサトが途端に顔を曇らせる。なんのことだろうと困惑していると、チサトも困惑気味にトモエを見た。それに気づいたトモエが首をかしげる。
「どうした? チサト?」
「トモエさん、私のときはあんなに厳しかったじゃないですか」
「ああ、チサトに対してはな」
「怒涛の戦闘訓練に、何回も受け直した学科試験に……」
その後も、チサトがブツブツ暗いつぶやきと共に、記憶の一ページを語り続ける。そのたびに、チサトの身体がカタカタと震えていた。顔色も悪く、冷や汗も止まらない。
尋常ではない様子にアオイが思わず声を掛けた。
「だ、大丈夫ですか? 震えていますけど」
「だ、大丈夫。た、たまに夢に出てきたり、ふ、震えが止まらなくなるだけだから」
アオイが頬を引きつらせる。
(そ、それは大丈夫じゃないと思うのはボクだけ?)
カタカタと震え続けていたチサトだったが、大きく深呼吸をして震えをおさめた。そして、トモエへ向いて不思議そうな眼差しを向ける。
「でも、トモエさんがそんなに優しいだなんて」
「相手によって指導方法を変えているだけだ」
そうだな、とトモエが呟く。
「チサトは優等生タイプだ。厳しくしてオーバーワーク気味に詰め込んだ方がやりがいを感じる気質だな」
「な、なるほど。たしかに暇よりも忙しい方がやる気が出ますね」
「アオイはそうではない。まずは自信をつけるのが先決だった。だから優しく丁寧に励ますように教えるのが効果的と判断した」
トモエの答えにリコが尊敬の眼差しとともに口を大きく開けた。
「はえー。シュビビっと切り替えてるんすねぇ」
「私が尊敬する上司たちが口を揃えていっていたからな。部下の育て方に決まった方法はない。唯一決まっているのは、相手に合わせる事だけだと」
「カッコいいっス! 激しくキュンキュンするっス!」
リコの言葉遣いに、チサトとシノブが半笑いを浮かべた。
(たぶん、わかっているのは、トモエさんとボクだけなんだろうなぁ)
思わず苦笑いが浮かんできた。ぬるい雰囲気に包まれるなか、ふとトモエたちの過去に興味が湧いた。
「皆さんがいたところって、どのイナビシになるんですか? イナビシって名前の付く所、いっぱいありますよね」
「御三家だと、イナビシ金融、重工、鉱業だな。私たちがいた所は鉱業直下の警備部門だ」
「鉱業って事は、何かを掘ったりする会社ですか?」
「資源全般だ。トレージオンを含むな」
「なるほど。だから、戦う必要があるんですね」
トレージオンを確保するには、攻性獣や同業他社を武力で押しのける必要がある。トモエたちもそこで戦っていたと思い至る。だが、イナビシと戦った事がないと気づく。
「あれ? でも、資源採取戦って武装警備員がやりますよね?」
「イナビシ直轄部隊は後方の貯蔵施設の防衛などが主任務だな。たまに強奪しようとする不埒な輩もいる」
「でも、向こうも人戦機を持っているんじゃ?」
「それを捻り潰すのが任務だ」
そう言い切ったトモエが凄みを放つ。何の誇張もないトモエの過去が、アオイやシノブを圧倒していた。チサトの涼やかな声が、張り詰めた空気を和ませた。
「あとは、私みたいに資源採取戦の指揮を担当する部門もあります」
「そういえば、戦闘訓練をトモエさんから受けたって言ってましたよね? どうして指揮部門なのに?」
チサトがちらりとトモエを向く。トモエがすぐにその意図を察した。
「現場を知らなければ、ろくに指揮はできないからな。機微への解像度が違ってくる」
「私、その、あまり操縦は得意でなかったのですが……」
「指揮に関しては適正があったからな。最終的にはそこを目指して鍛えていた訳だ」
シノブが調味料まみれのポテトを飲み込んで、羨望の眼差しをチサトに向けた。
「花形だもんなぁ。すごい給料いいし。ねぇ、トモエさん」
「イナビシの利益に直結するからな。当然だ」
トモエへ向かい、チサトがペコリと頭を下げた。
「推薦まで書いてもらって……。本当にありがとうございました」
「才能と努力に見合うキャリアパスを用意するのも、上司の役目だ」
その時、アオイたちが座っているボックス席のすぐ後ろで、ガタリと物音が響く。振り返れば、女一人と男二人の三人組が立ち上がっていた。
「な、なんていい上司なんだ……」
三人が声を揃えて呟いた。アオイが振り返り、三人の顔をまじまじと見た。
「あれ? 確か……?」




