少女と監督と開拓者の誇り 後編
◯紫電渓谷 警備場所
不毛な紫電の渓谷で、サーバルⅨに乗るシノブが遠くを見た。
「ん、来たな」
「攻性獣ですか?」
「いや、車の音とかも混じっているから、たぶん作業員たちだろう」
渓谷の向こうをじっと見ると、画像が拡大されていく。最高倍率に到達したころ、人型重機とトレーラーの列の小さな影が見えた。
スピーカーで会話できるくらいに近づいていた頃、一番前の人型重機が手を挙げた。
「よう! その社章は、嬢ちゃんにツンツン坊主に、ちっこい姉ちゃんか」
渓谷に響く厳つい声に覚えがあった。
「あ、クドウさんだ」
こちらも人戦機を使って手を振る。人型重機とトレーラーの列が警備地点の前を過ぎるのに合わせて、人戦機の頭を下げた。
「こんにちは」
「こんちわっす」
となりのソウ機は、なにもせずに突っ立ったままだった。サーバルⅨがソウのシドウ一式を向く。
「おい。ソウも頭下げろ」
「なぜです?」
「社会人マナーってやつだよ。ほらあれだ。効率的な業務遂行のためだ」
「了解」
ソウ機がモノノフの鉄兜のような頭部を下げる。コックピット内でも、ソウが頭を下げているのだろう。
こちらの挨拶に応じて、クドウやその部下たちも頭を下げた。
「サクラダ警備さんは、内側の警備かい?」
「はい。この洞窟から攻性獣が出てこないかの警備です」
「あんがとよ。おかげで外周からの帰り道も安心だ」
通り過ぎる列の後ろのトレーラーにカバーがかぶせられている人型重機が載せられていた。
なんだろうと、クドウに声を掛ける。
「後ろの重機、故障ですか?」
「いや、違う」
「ぅえ? じゃあ、いったい?」
「工事現場で見つかった、行方不明者だよ」
「誰かはぐれてたんですか?」
工事現場でそんな事があるんだろうかと首をかしげる。どういう状況かとあれこれ考えているところに、クドウの声が割って入った。
「うちの会社じゃない。ずっと前のだろう」
「ずっと前の行方不明者って事は……」」
「死んでる。外からチラっと見た感じだと、骨だった」
死の気配を放つ姿を隠すためのカバーなのだろう。殉職者をくるむ荼毘のようにも見えた。
「どうして、そんな事に」
「分からねえ。開拓事業中にがけ崩れに巻き込まれたのかもな。工事中に掘り出されただけだから、埋まっていたことしかわからない」
「……そうなんですか」
生き埋めになった最後を思い浮かべる。暗闇、飢え、渇き、そして孤独の中で死ぬ。
その苦しさと寂しさを想像すると、ぎゅっと手に力が入ってしまった。
「ちゃんと、お葬式をしないとですね」
「その前に、家族がいれば返してやらねえと」
クドウの返答に、またも首をかしげる。
「ずっと前だったら、家族は生きていないんじゃないですか?」
「子どもがいたら、生きているかも知れないだろ?」
「あ、そっか」
「もしかしたら誰かの父ちゃんか、母ちゃんかも知れねえ」
母は物心ついた頃からいなかった。唯一残った父が帰ってこなかった日を思い出す。何もかも変わってしまった日だった。
この遺体にも家族がいたのだろうか。そして、残された家族にとって話す相手が心の準備も無く消えてしまったのだろうか。
「開拓事業って、命がけなんですね」
「新天地ってのは、甘くないからな」
「新天地……ですか」
新天地であるウラシェに着いてからの日々を思い出す。
いるはずの姉は行方不明で、どうしようかと右往左往する日々だった。夜は不安で中々寝付けず、朝起きるごとに、財布も心も追い詰められていく。日々進む道はどんどんと細くなり、それでも後戻りはできない。
ソウと出会ってからはマシになったが、それでも大変なことには変わりなかった。
「そうですね。新天地は、甘くなかったです」
「その言い方からすると、嬢ちゃんは渡航組かい?」
「はい。ただ、ウラシェだけじゃなくて、武装警備員になったのも冒険でした」
「確かに、嬢ちゃんのイメージじゃねえな」
「今も全然しっかりできていなくて」
「でも、頑張ってんだろ? 胸を張りな」
「運もありましたけどね」
「運か……」
クドウの乗る人型重機が、カバーをかぶせられた不運の被害者を見る。
「運が無けりゃ埋まっちまう。それも新天地の現実だよな」
上手く行く絶対の保証などない。それが前人未踏に挑む者に課せられた定めだった。
クドウがぼそりと呟く。
「俺の父ちゃんも、どこかに埋まっているのかもな」
「クドウさん……」
「子どもの頃、どうして父ちゃんが帰ってこないんだろう、って母ちゃんに言った日を思い出す」
その言葉の重さに、作業員一同が人型重機の足を止めた。
静まり返った雰囲気に気づき、クドウが少しおどけたように声の調子を上げる。
「おっと、辛気臭い話で申し訳なかったな」
「いえ。そんな」
「じゃあ、頑張ってくれよ」
「はい」
クドウたちが去り、ふたたび渓谷が静まり返る。相も変わらず、攻性獣の気配は感じられなかった。
モニター端の時刻表示を見て、そろそろ交代の時間に差し掛かっている事に気づく。
「今日も無事に終わりそうですね」
「ああ、そう――」
不意にシノブの言葉が途切れた。何事かと思い通信ウィンドウを見ると、シノブが目を閉じている。それは聴くことに集中している合図だった。
(シノブさん、何か聴いている?)
数秒後、シノブが猫の様な瞳を開けた。
「なんだ? 洞窟から、人の声?」
サーバルⅨが洞窟を見る。洞窟、人の声と聴いて、頭に浮かんだのは前日に聴いた怪談だった。
「え? え? 洞窟から?」
「うめき声のようにも聞こえるけど……、あまりはっきりとは」
「そ、それって昨日の怪談そのままじゃないですか」
「人の声みたいってだけで、人がいるって決まった訳じゃないけどな。とにかく確認が必要だ」
通信ウィンドウに映るシノブが手元を操作する。トモエの顔が通信ウィンドウに現れた。
「どうした? シノブ?」
「実は――」
事情を説明すると、トモエが悩まし気に眉を曲げた。しばらく、ほっそりとした指を形のよい顎に添えて、うつむいた。
「人がいる……とは考えづらいが、万一もある」
「ということは」
「確認に行ってくれ」
「了解」
シノブの返事と同時に、目の前の洞窟を見る。
奥は見えず、闇が口を開いていた。とても人が奥にいるとは思えず、声の主は幽霊のたぐいではないかと、思わず唾を飲む。
「こ、この中に入るんですか」
「アオイ。怪談の事は忘れろ。これは任務だ」
怪談を話したのはシノブなのに、と心の中で文句を言いかけた。だが、武装警備員として真剣なまなざしに戻ったシノブを見て、居住まいと正す。
カタカタと肩を震わせながら、闇しかない洞窟へ入る。手元の仮想スイッチでライトをつけるが、それでもあたりは暗かった。
「暗いですね」
「まあ、照明もなんもない、普通の洞窟だからな」
「こんなところに、本当に人が……」
「今も少し聞こえるし、段々と近づいている」
「ほ、本当ですか?」
「こういう時に、冗談は言わねえって」
いっそ嘘であってほしいと願いつつ、暗闇を進む。何も照り返さないはずの暗闇にライトを当てた時だった。
「ん?」
ぼんやりと光を返すものがある。揺らめく光の霧のようなものが、人のような形を成したように見えた。
「ひぃぃぃ!」
絶叫が洞窟にこだまして、天井からぱらぱらと砂が落ちた。ソウ機が銃を構えて横に立つ。
「アオイ! どうした!?」
「あ、ああ、あそこ! 見た! 見ちゃった!」
「何を!?」
「人! 人影!」
顎がガタガタと震え、まともにしゃべれない。その恐怖を読み取って、人戦機が洞窟の奥を指した。
ソウ機も洞窟の奥を見る。視覚センサーに内蔵されたモーター音が聞こえた。
「ズーム完了。こちらでも光源を観測」
「や、や、やっぱり――」
「いや、人ではない」
「ぅえ?」
ソウはきっぱりと断言した。相棒の冷静な分析のおかげで身体の震えは止まり、落ち着いて見回す余裕が出てきた。
「粉塵だな。風によって巻き上げられたものと推測」
「な、なるほど」
幽霊でないと知ってほっとしていると、シノブの顔が通信ウィンドウに映る。
「声っぽい音もあそこら辺からだな」
「え!? じゃあ、やっぱり幽霊!?」
「いや、風でうめき声の様に聞こえるんだと思う」
「な、なるほど」
「念のために確認するか。なんかがあったら、早めに潰しておきたい」
風のせいだと言う事にしてさっさと帰りたかったが、仕事だと自分に言い聞かせる。
洞窟を更に進んでいくと、崩れかかった石くれの山が見えた。それを見て、ふと首を捻る。
「これ、誰かが積んだ?」
石くれは洞窟へ蓋をするように積みあがっていた。まるで、何かから隠れるための壁のようだと思う。
シノブがそれを見て、何かに気づいたように目を見開いた。
「これ、奥に誰かいるな」
「どうしてです?」
「たぶん、攻性獣から隠れようとしたんじゃないか?」
「あ、なるほど」
「崩れてない所を見ると、隠れたまま救助を待って……」
「そのまま……ですか」
この向こうに死者がいる。思わず唾を飲み込んだ。
「よし、いくぞ」
石壁をどけて中に入る。ライトが映し出したのは、一機の人型重機だった。
操縦席には、果たして人影があった。
「う」
思わず顔を背けて目をつむる。ぎゅっと力を込めて目を閉じていると、シノブの声が聞こえた。
「あたりか。ソウ、アタシと二機で担ごう。アオイは先行して警戒」
「すみません。ワタシが見ないようにですよね」
「それくらいの配慮はするさ」
「ありがとうございます」
言われたとおり、来た道へ向けて銃を構えさせる。
画面端のリアビューで、シドウ一式とサーバルⅨが人型重機を担ぐのが見えた。
この建設員は死に際に果たして何を思ったのかと想像しながら、来た道を戻った
〇トランスチューブ 工事基地 宿泊用コンテナ群内部の廊下
薄暗い廊下を、作業服の少女が一人で歩いている。しきりにあたりを見回しては、カタカタと震えていた。
それは、任務を終えて宿泊部屋へ帰るアオイだった。
「うう。シノブさん、また怖い話をするから……」
後ろから何かがついてこないか、どうしても気になり確認してしまう。振り返るたびに黒髪のショートヘアが揺れた。
ぺたりぺたりと慎重に歩いていた時、後ろからずかずかと急ぎ気味の足音が聞こえてくる。
「な、なに!?」
だらだらと冷や汗が流れ出た。
「い、いや。きっと泊まる部屋が近いだけで」
そう自分に言い聞かせている間にも、足音はどんどんと近づいてくる。足音が自分を追い越すと思った瞬間だった。
肩をしっかりとつかまれる。
「え!?」
ビクリと背筋を伸ばして、恐る恐る振り返る。
薄暗い廊下に浮いていたのは、血走った瞳がギラつかせた世にも恐ろしい強面だった。
「ひぃぃぃぃ!」
思わず悲鳴を上げて、へたり込む。ひざはガクガクと震えて、ろくに力も入らない。大きな影が、そんな自分を覗き込むように近づいてくる。
もうダメだ。呪われる。
そう覚悟して頭を抱え込んだ時だった。
「嬢ちゃん、どうしたんだ?」
少し酒焼けした中年男性の声には、聞き覚えがあった。
「え? クドウさん?」
見上げれば、世にも恐ろしい事には変わらないが、見覚えのあるクドウの顔が見えた。
「嬢ちゃん、毎回倒れ込んでいるなぁ」
「ちょ、ちょ、ちょっと驚いちゃって……」
「ちょっとどころじゃなさそうだけどな」
クドウの顔のせいだと言いたかったが、そこはぐっと我慢した。
クドウから差し伸べられた手を取って立ち上がる。まだ膝がガクガクと震えているが、廊下の壁を支えにしてどうにか立った。
生暖かい雰囲気の中でいつまでも怯えているのは恥ずかしかったので、とりあえずの話題を考える。
「二日連続で同じ時間に上がりなんて奇遇ですね」
「いやー、その。偶然じゃなくてな、実は嬢ちゃんに用事があったんだ」
「ぅえ?」
クドウが強面に似合わない、随分と可愛げのあるしぐさで頬を掻いた。
「父ちゃんを見つけてくれて、ありがとうな」
「父ちゃん? なんのことです?」
「ほら、洞窟で人型重機を見つけたろ?」
「あ……」
今日持ち帰った人型重機が、クドウの父の機体だったのだろう
家族の元へ返してあげられたという安堵と、父の死を告げてしまった気まずさがまぜこぜになる。
どう返事をしようかと悩んでいると、クドウからの続きがあった。
「そういえば、操縦席に工具でひっかいた跡があったんだ」
「ひっかいた?」
「遺書ってやつだよ」
「遺書……」
「俺たちへのメッセージだな。後はあるものを俺に譲渡するっていう事も書いてあった。法律AIに相談して、正式に受け取ったよ」
「何を受け取ったんです?」
「口座の中身だ」
「口座?」
「とうちゃん、株を買ってたみたいなんだ。これからのウラシェに必要で、みんなの役に立つ会社だから、きっと伸びる。手放すに持っておくんだぞって書いてあった」
「へぇ。どんな会社なんです?」
「それがよ……」
クドウが照れくさそうにはにかんだ。
「俺の、俺が働いている建設会社だった。父ちゃんが……、俺の仕事を……」
そこまで言ってクドウが目頭を押さえた。頬にはきらりと光る思いが伝っている。
「おれぁ、この仕事、何度も嫌になった事がある。子どもの頃に父ちゃんが死んじまったから、仕事を選ぶ余裕なんてなかった。正直、成り行きでなっちまったところもある」
その心境は痛いほどわかる。武装警備員なんて、成り行きでなければ選ばない職業だろう。
「嫌になった時は誰かの役に立つって、俺ぁは俺に言い聞かせてきた。でも、心のどこかでは怖かった。そんなの言い訳じゃないかって」
クドウが顔を上げる。涙の跡が輝きながらも、その顔には爽やかな笑顔が浮かんでいた。
「でも、父ちゃんが認めてくれたんだ。俺の仕事を」
思わず、自分も笑顔になった。
「クドウさん。よかったです」
「しんみりして悪かったな。そういやびっくりしたことがあったんだ」
「なんですか?」
「父ちゃんの持っていた株、すげえ値段になっていて、しかも配当もたまりにたまっていた」
「え! それは、すごそう……」
株の事は良く分からないが、儲けられる時は本当に儲けられると聞いている。きっと自分には想像もつかない額なのだろうと、ため息をついた。
「じゃあ昨日話したみたいに、ぱぁっと使えますね。いいなぁ」
「いや、この金は」
クドアが浮かれていた強面を引き締める。
「うちの坊主たちのために取っておこうと思う。父ちゃんがそうしてくれたように。あとは……」
「あとは?」
「嬢ちゃんへのお礼だな。今日、何かを奢るぜ。好きなもんを食いな」
「え。悪いですよ」
「若いのが遠慮すんなって。これだって、ある意味投資なんだよ」
「投資?」
なんの事だろうと首をかしげていると、クドウが愉快そうに話を続けた。
「嬢ちゃんみたいに一生懸命な若い衆が頑張ってくれれば、この国だってもっとよくなる。つまりは未来への投資ってやつよ」
「……分かりました。でも、ワタシからもお願いが」
「なんだ」
「クドウさんも何か好きなものを食べませんか?」
「俺が? なんで?」
「クドウさんだって、頑張っているじゃないですか。一人より二人で頑張れば、もっと良くなりますよ」
クドウがきょとんとした顔から、徐々に笑みを深めていった。とうとう愉快そうにゲラゲラと笑いだす。
ひとしきり笑った後に、クドウがこちらを向いた。
「ああ、そうだな。俺もなんか食うか」
「クドウさんが好きなものってなんです?」
「色々あるが、カレーが一番だな。贅沢するとなったらカレーの気分だ」
「え! ボ……、じゃなかったワタシもカレーが好きなんです」
「嬢ちゃんもか。じゃあ、一緒に食いに行くぞ。腹いっぱい食いな。俺も腹いっぱい食う」
二人で意気揚々と廊下を歩く。
相変わらず暗く長い廊下だったが、いまはちっとも怖くない。
暗い廊下を抜ける頃には、何かご褒美が待っているから。
日々の務めを果たした者たちのささやかな労いの時間が、今日も始まろうとしていた。




