少女と監督と開拓者の誇り 中編
〇紫電渓谷 警備場所
アオイが気絶した翌日、雲越しの控えめな陽光があたりを照らす。紫電渓谷特有の不毛な地面に三体の人戦機が立っていた。
肩と腰の大型装甲板がブシの大鎧を思わせるシドウ一式が二体。大耳を備えたサーバルⅨが一体。それぞれが盾に桜の社章を肩部装甲にペイントしている。
シドウ一式のコックピット内で、アオイがうつらうつらと瞼を上下させていた。アオイの意識が眠気で暗くなりかけた時に、視界端に通信ウィンドウが開かれる。
半透明ゴーグル越しに映っていたのは切れ長の三白眼だった。
「アオイ。集中しろ」
「ご、ごめん。ちょっと寝不足で」
「何をしていた。動画視聴か? 転売対象の検索か?」
どれも、過去に寝不足になった原因だった。後ろめたさに、思わず息をつまらせる。
「い、いや。今回は違くて。その……。怖くて寝れなくて」
「何がだ。宿泊施設に攻性獣襲撃などの危険はなかったぞ」
「なんていうか……。おばけとか、幽霊とか」
「理解不能だ。効率的な任務に睡眠は不可欠。時間になったら意識を落とせ」
「できないよ!? だって、怖いものは怖いし」
その時、通信ウィンドウが開き、猫のような瞳が半透明ゴーグル越しに見えた。ソウとのおしゃべりを止めて、小隊長からの伝令を待つ。
「よーし。そろそろ、アタシらの担当区域だ。前の班は……。お、いたいた」
サーバルⅨの耳のような頭部センサースロットがピクピクと動く。
「まだ見えないですけど、聞こえました?」
「おう。もうすぐだな」
しばらく歩いていくと、渓谷中でも一層幅が狭まっている岐路に佇む三体の人戦機が見えた。
お互いに手を上げて交代が終わると、シノブから通信が入る。
「じゃあ、警備開始。アオイ、寝るなよ」
「は、はい!」
釘を刺されて、アオイがビクリと背筋を伸ばす。それを見たシノブがニシシと悪戯な笑みを浮かべていた。
それからしばらくたった。
三機が渓谷に佇む間、動くものは砂塵と流れる雲だけだ。攻性獣の気配は微塵も感じられない。茶けた不毛の大地を彩るのは、時折弾ける紫電だけ。
ただただ退屈な風景だった。
(ダメ……。寝ちゃダメ……)
そう自分に言い聞かせながら、何度あくびをしたところだったろうか。
とうとう眠気の限界がきた所に、シノブからの通信が入った。
「攻性獣、来ねえなー」
ハッと垂れ気味の丸目を開いて、インカムをオンにする。
「この前は、すごい数が来たんですけどね」
「まぁ、普通ならこんなもんだろ」
「そうなんですか?」
「あれが普通だったら、給料が三倍じゃないと割に合わねえよ」
武装警備員の給料は比較的高いが、それでも列強国で就きたがる者はいない。その程度の給料で命の危機に毎度のように晒されては、フソウ国民といえども敬遠するだろう。
任務の大半は、時たま現れる軽甲蟻のような脅威の少ない攻性獣の撃退である。
今日も比較的平和な任務に安心していると、ふとした疑問が湧いてきた。
「そう言えば、ワタシたちが守っているのって洞窟の入口だけですよね」
「そうだけど?」
「地中を掘る攻性獣っていないんですか?」
「見たことねえな。いない前提で任務を組んでいるし。テキストに書いてあったろ?」
「はい。覚えてます。でも、不思議なんですよね」
「なんでだよ?」
これはキチンと説明しなくてはならない。内なる情熱が舌と唇を湿らせて、いつもよりも動きを弾ませた。
「土を掘るなどの行為で住処を作るのは生物としてはそれなりに見られる生態であって、これだけ高度に進化した攻性獣でそういった進化を遂げた種が一つもいないと言うのは――」
たぎる情熱に、冷ややかな声が浴びせられる。
「アオイ。早口になっているぞ」
どこか遠くに行っていた意識を目の前に戻すと、口を半開きにして少し困ったような顔をしたシノブの顔が見えた。
半透明ゴーグル越しに見える猫の瞳は、生温かな視線を送っている。
「まぁ、掘ったりするヤツは見た事がねえな。人が掘ったトンネルには入ってくるから、油断はできねえけど」
「この前の任務だと、いつ埋まるか冷や冷やしました……」
トランスチューブ建設作業員を助けるために、トンネルへ潜った時のことを思い出す。
支持材を大きく損傷すれば生き埋めになると言われ、身体をがちがちに緊張させながら戦った。
一発を撃つ前に勇気を振り絞る、神経をすり減らす任務だった。
終わった後に座り込みたくなるほどにつかれたものだと、ため息が出る。
シノブも似たような思い出だったのか、苦笑いを浮かべていた。
「ここら辺は、特に脆いみたいだからな」
「トンネルの中に大穴が空いていましたからね」
「作業員も命がけだろうな」
「ワタシたちみたいに、ですか」
「そうそう。いつも絶対安全な仕事なんてないんだよ。どんなに準備してもな」
シノブの雰囲気が穏やかになった。
腹の底から出すような、それでいてゆっくりと流れる大河のような、そんな声色に変わった。
「しょせん、アタシたちが見通せる事なんてほんのちょっとさ。起きること全部を、起きる前に分かりきれるなんてことはねえ」
猫のような瞳は、どこか遠くを見ているようだった。
自分やソウではなく、誰も見ていないようにも思える。
(シノブさん、あの任務依頼、雰囲気が変わったな)
坑道脱出以来、シノブの目や声が、随分と穏やかになるときが度々訪れる。何かがあったと思うが、きっと大切なものであるとも思う。
その変化には、あえて触れなかった。
「後からだと、なんでー、って思うんですけどね」
「後知恵ってやつだよ。後からなら、なんとでも言える」
「シノブさん。流石先輩って感じです」
「アタシだって、腑に落ちたのはつい最近だよ」
シノブが照れ笑いのような、苦笑いのような控えめの笑いを浮かべた。
それから、通信ウィンドウに映る猫のような瞳が、あたりを見回す。通信ウィンドウのシノブと一緒に、メインモニターに映るサーバルⅨが景色を見やった。
「クドウのおっちゃんに聞いたけどさ、昔は開拓者がいっぱい死んだそうだ」
「ヒノミヤさんとミズシロさんっていう人たちの護衛でも、死んでいる人を見つけました」
開拓星ウラシェは、まさしく前人未到の危険地帯だ。
地表にはトレージオンが作り出した、人知を超えた物質が転がっている。中には有用な物質もあり、一攫千金のチャンスとなっていた。例えば、攻性獣除けと呼ばれる希少かつ有益な結晶クラスターを見つければ、数年は遊んで暮らせる。
一方で危険な出会いも多々ある。
「やべえ物質や攻性獣もウヨウヨしている」
「いつもびっくりしますからね」
ウラシェは、母星とは全く違う、まさしく新天地だ。
人類が蓄えてきた知識をあざ笑うような、奇想天外な存在が地表に蠢ている。
今では少しずつ対処方法も分かってきたが、入植当初は不幸な事故も多かった。
「アオイが乗っているシドウ一式ができるまで、色々な人戦機モドキが作られて、ぶっ壊されて、操縦士が死んだ」
シドウ一式は、いまやポンコツと呼ばれる旧式だが、かつての傑作機であった。
対攻性獣に必要な性能をバランスよく取り込んだ設計と、作りやすさと整備しやすさを高次元で併せ持っている。兵装システムや拡張アプリによる、柔軟な対応力を打ち出したのもシドウ一式だ。基本設計は国を超えて共有されて、事実上の標準となった。
裏を返せば、それまではその場その場で対応するしかなかったと聞いている。
「人型重機で攻性獣と戦っていた時もあったみたいですね」
「操縦席は今と同じで装甲なんてねえ。今じゃ考えらんねーよな。アタシだったらビビっちまう」
人型重機の操縦席は視認性を考慮して透明だ。無屈折繊維強化プラスチックとはいえ、装甲で包まれた人戦機とは紙と鉄ほどの差がある。
当然ながら危険度は段違いだ。
「もし、攻撃が当たったら……」
「一発で死ぬ」
初めて軽甲蟻と戦った日を思い出す。
ドジをして死に掛けたが、それでも胸部装甲が完全圧壊までの猶予を作っていた。そのおかげで、ソウが助けに来る時間があった。
(もしあの時、ボクが乗っていたのが重機だったら)
鉄槌のような極太の攻性獣の足を、透明な操縦席に振り下ろされた末路を想像する。それだけで、思わず頬がひきつった。
(きっと、ぺしゃんこで、命はなかった)
だからこそ、開拓初期メンバーの勇敢さに胸が熱くなった。不十分な装備、不十分な知識でも、開拓のために戦ってきた。
それが、自分たちの生活の礎となっている。
「凄いですよね。昔の人たちって」
死闘の日々に思いを寄せると、背筋をピンと伸ばしたくなる。
シノブの口調も厳かなものになっていた。
「頑張ったんだろうな。死ぬ気で」
「ワタシたちも、警備を頑張らなくちゃですね」
寝不足ゆえの眠気はどこかに吹き飛んでいた。
いつ何が来てもいいように身構える。
幸いな事に、その後は何も起きず任務の中頃が終わる頃だった。
サーバルⅨの耳がピクリと動き、渓谷の向こうを見た。
「なんだろう?」
アオイの見る先には、いくつかの人の形をした影が見えた。




