少女と監督と開拓者の誇り 前編
〇紫電渓谷 トランスチューブ 工事基地 坑道休憩室
開拓星ウラシェの夜は暗い。
曇天は星空を隠し、地上に文明の光は無い。真夜中の闇にパチリ、パチリと紫電が煌めき、不毛の渓谷を照らす。
暗闇の只中の先に、明るく浮かび上がる一帯が見えた。バルーン照明がいくつもの並び、周囲の工事現場を照らしている。
照明が反射する地面の上を、いくつもの人型重機と自走トロッコが濃い影を引きながら動いていた。その一角に、巨大な簡易ドームが膨らんでいる。
空気圧差で膨らんだドームの中には、プレハブを積んで作られた巨大な休憩所が立てられていた。プレハブ同士が簡易廊下で繋がれて、巨大な三次元パズルを思わせる。
プレハブの窓から、アオイとソウとシノブが顔を覗かせていた。昼間は賑わっている休憩室も、今は閑散としており三人以外の人影がない。三人が休憩所の椅子に腰掛けて対面に座っている。
「それでな、その工員は背中がひやっとしたらしく、真っ暗な洞窟を振り返ったそうだ」
シノブがうつむき加減の神妙な表情でアオイに話しかけている。対するアオイは顔色を青くして、カタカタと震えていた。
シノブの声が一層低くなり、おどろおどろしさを増す。
「――で、そこで見えたのは」
「……見えたのは?」
アオイの震えが一層ひどくなる。それを見たシノブがニタっとした不気味な笑みを浮かべた。
「人戦機も重機も無しに洞窟へ消える、薄らぼんやりとした人影だったらしい」
「ひぃぃ……!」
アオイが音を立てそうなほど震える横で、ソウは身じろぎもせずに腕組みをしていた。
「装備なしとは、不用心だな」
「どう考えても幽霊でしょ!?」
その後もあれこれ言い合う二人の横で、シノブがつまらなそうに頬杖をついていた。
「ソウ。お前は本当に脅かし甲斐がねえな」
「ある場合の具体的な利点が思い浮かばないので」
「本当にソウはソウだな」
「当然では?」
論理と効率主義の塊。それがソウだった。
何を言っても無駄だと改めて悟ったのか、シノブがアオイを向き直す。
「じゃあ、この話はどうだ?」
シノブが猫目を輝かせて、声のトーンを一段下げた。
「どうも最近、整備場に夜な夜な妙な歌が聞こえるらしい」
「……ひぃぃ」
「影だけは見えるらしいが、頭から極太のしっぽが生えた化け物だって噂だ」
「……ん?」
そこまで聞いて、アオイが首を傾げる。
「それ、リコちゃんじゃ?」
シノブが猫のような瞳を丸くして、毒気を抜かれたようにあんぐりと口を開けた。
「……あり得るな」
「なんかマシャシャーとか変な歌を歌ってましたし」
「アイツ、歌いながら徹夜するからな」
「いつも元気ですよね」
リコは工事現場についてからも、とにかく元気だった。
いつも整備場で見かけるし、夜中遅くまで仕事をしているともっぱらの評判だった。元気にわちゃわちゃと動き回り、奇声や自作の歌を欠かさない、ある種の有名人と化している。
シノブが呆れ顔でため息をこぼした。
「ありゃあ、仕事中毒ってやつだ」
「その分、上手みたいですね。みんな褒めていますし」
三次元加工機用へ入力するデータの作成がとにかく早いことで有名だった。加えて、アイデアは実用的かつ独創的と評判だ。
シノブが、腕組みしながら椅子にダラリともたれ掛かる。
「リコ、操縦士が何したいか、ちゃんと分かってるからなー」
「ワタシが言ったことが伝わったか自信ないですけど……。シュギュンな感じっスね! みたいな返事だから」
「アオイ、モノマネ上手いな」
「え?」
「なんでそんなに嫌そうな表情なんだよ」
リコの言うことを理解しようとしているうちに、知らず知らずに言動が似てきたのだろうか。嫌な事実から目を背けるために、話題を変える。
「そう言えば怖い人影の話ですけど、前回の任務でも人影を見ましたね」
「そうなのか?」
「ええ。取り残された人たちの救出任務の時です」
「あの時かぁ」
シノブが頬杖をつき、溜息を吐いた。その様子を見たソウが、切れ長の三白眼をピクリと動かす。
「なぜ溜息を?」
「色々やらかしちまったからなぁ」
シノブは、前回の任務で私情を優先して、最適なフォーメーションを取らなかった。シノブの顔に反省の苦笑いが浮かぶ。
それを見たソウが、背筋を正した。
「過去の事は変えられない。そうだったはずでは?」
「ん。そうだな」
驚いたシノブが、少しだけ目を見開く。
「……そのとおりだ」
しみじみと感じ入った、晴れやかな笑みを浮かべた。
暖かな空気の余韻が消える頃、アオイがシノブへ垂れ気味の丸目を向ける。
「前回の任務で見たタケチさんとヨウコさんですけど」
「トモエさんの言うとおり、アタシたちでは調べない方がいいだろうな。どう考えてもヤバい。知っている事を出す所に出して、あとは待っておこう」
既に記録などは公的機関に提出している。そうすれば、わざわざサクラダ警備を襲う理由もない。こちらから探る動きを見せなければ、であるとトモエから教わっていた。
得体の知れない集団が蠢いている気味悪さを感じつつも、自分は一介の会社員でしかない事を、アオイは思い出した。
「ですよね……」
「という訳で、この話もおしまいだな」
「分かりました」
そこまで話して、アオイが何かに気づいたように、顎先に指を添えた。
「そういえば、どうしてシノブさんは噂話に詳しいんですか?」
「これだよ、これ」
シノブがニット帽についている猫耳を指す。一見するとただのファッションだが、その中には集音マイクとは脳へ聴覚信号を伝えるデバイスが内蔵されている。
それを思い出し、あぁ、と声を上げた。
「なるほど。聞こえてくるんですね」
「ああ、だから今も幽霊たちのうめき声が――」
「や、やめてくださいよぉ」
アオイが周囲をキョロキョロと見まわした。膝はガクガクと震え、全身が震えている。
「そこまで怖がると、脅かし甲斐があるな」
その様子を見たシノブがニシシと八重歯を出しながら笑う。その後も照れるアオイを、シノブがからかい、ソウが興味なさそうに飲み物を口にしていた。
しばらくして歓談が終わると、シノブが両膝をパシンと叩く。
「んじゃ、宿泊部屋に戻るぞ。明日、寝坊すんなよ」
「分かりました」
「了解」
三人が休憩所を出る。
宿泊部屋はバラバラだったので、三人がそれぞれに挨拶して解散となった。
一人になったアオイが、薄暗い廊下を歩く。あたりを見回し、普段よりも内股気味でそろそろと歩いていた。
「うぅ……。あんな話をした後だから……」
時折誰もいない方向を振り返っては安堵を浮かべ、少し進んでは不安に怯える。更に進むと曲がり角が見えてきた。その奥からボソボソと話し声が聞こえてくる。
「声……!? いや、ただの人のはず。幽霊なんかじゃない」
誰に話すわけでも無く、アオイが自分に言い聞かせ続ける。
「何もいない、何もいない、何もいない――」
そう言って曲がり角を飛び出して目を開けた。こちらを見ていたのは、この世のものとは思えない凶悪な人相の男性だった。ガッチリとした体つきの壮年で、瞳に籠もる迫力が常人のそれではない。
血走った瞳が、暗闇の中でこちらを睨みつけている。
「ひぃぃ!」
アオイは思い切りのけぞった。後ずさりながら尻もちをつき、そのままガタガタと全身を震わせる。
仄暗い廊下の向こうから、悪魔のような形相がこちらへ近づいてくた。
(の、呪われる……! もうダメだ!)
ギュッと目を閉じた時だった。
「嬢ちゃん。どうした?」
その呼び方には覚えがあった。恐る恐る目を開けると、相変わらずこの世のものとは思えない、それでいて見覚えのある顔が目の前にあった。
「……え? クドウさん?」
悪魔の正体は工事監督のクドウだった。そして、クドウの背後から気だるげな声が聞こえてきた。
「アオちゃん、どうしたの?」
クドウの背後にはナナミが、眠たげな瞳をこちらへ向けていた。
ナナミを認めると、アオイの気弱そうな垂れ気味の丸目に一層の疑問が浮かぶ。
「ナナミさんも? どうして?」
「いや、普通に話してただけ。……大丈夫? 足、ガックガクだけど」
「ちょ、ちょっとだけ、驚いて」
「全然ちょっとっぽくないけど……。ほら、手」
「ありがとうございます」
ナナミの手を取ったアオイが、ガクガクと膝を震わせながら辛うじて立った。壁に手をついてもたれかかったまま、冷や汗がダラダラと流れる顔をナナミとクドウに向けた。
「……そういえば、ナナミさんとクドウさん、どうしたんです?」
「まだ、足ガクガクしてるけど……。どうしたって、どういうこと?」
「二人で話しているイメージが無くて。知り合いなんですか?」
「ああ。それはね――」
ナナミたちの親とクドウは知り合いだった。
同じ会社に務めた時期があり、一緒の現場で働いた事もある仲だった。クドウは、ナナミたちの親の後輩で、随分と良くしてもらったとの事だ。その後、別の現場に離れてからは顔を合わせた事が無かった。
「――という訳なんだ」
説明の全てが過去形なのは、ナナミたちの親が既に亡くなっているからだ。嫌なことを思い出させてしまったかと、思わずうつむく。
「そうだったんですね。その……、すみません。色々と」
「前も言ったけど、もう受け入れているし良くある事だから」
ナナミは眠たげな瞳のまま、手をひらひらとさせた。その顔色をジッと伺う。
(多分、本当に気にしていない)
長年をかけて磨いてきた顔色センサーを持ってしても、取り繕うような機微は見つけられなかった。
心の中でホッと安堵の息をついていると、クドウがしみじみと顎を撫でた。
「俺の親も仕事中に行方不明になったまま、帰ってこなかったからな」
「それは……、その」
「気を使わなくてもいいぜ、嬢ちゃん。開拓にはよくある事だ」
ナナミもクドウも、開拓中にはよくある事と言ってのけた。感心で、いつの間にか口が開いていた。
(ボクはどうだったかな。ずっと、お姉ちゃんに甘えていた気がする)
自分の両親がいなくなってから、姉が親代わりだった。ほんの少しだけ早く生まれただけなのに、随分としっかりものだったことを思い出す。
自分と瓜二つで、それでいてしっかりとした顔つきだった姉を思い出していると、クドウが言葉を続けた。
「危険がウヨウヨしているから、どこに行くにも命がけ。それがウラシェで、だからこそ俺たちの仕事がある」
「鉄道ってすごいですよね。それを作っているクドウさんたちも」
「ありがとうな。やりがいがあるよ。今回は本当に助かったぜ。おかげでそろそろ紫電渓谷を抜けられる」
紫電渓谷を抜ければ、流転氷原という別の地形に差し掛かる。難航に難航を重ねた工事も、ようやっと次の地域へと移るということだ。
「前回は色々あって大変でしたね」
「本当にそうだったよなぁ。なんかぱぁっとやりたいけどな」
「ああ、その気持ち、わかりますね」
「宝くじに当たるなり、なんか臨時収入があるとガツッと気分が上がるんだけどな」
「本当にそうです……! カレーをまたお腹いっぱい食べたいのに……!」
紫電渓谷での苦闘を思い出していると、クドウが携帯型端末で時刻を確認した。
「こんな時間か。という訳で、明日も工事だからよ。しっかり頼むぜ」
「分かりました」
「じゃねー、アオちゃん」
三人が別れて、再び一人になった。
しんと静まり返る廊下で、再びカタカタと震えながら歩き始める。
「うぅ……。なんか出てこないね」
その時、背後からの気配を感じた。うなじから背中にチリチリとした感覚が駆け下る。
(な、何がいるの!?)
振り返って何かがいたらどうしよう。このまま気づかないようにやり過ごそうか。
(いや、何もいないはず!)
重圧と恐怖に耐えかねて、バッと後ろを振り返る。
この世を恨むような恐ろしげな目が暗闇に浮かび上がっていた。
「ひぃぃ!」
切れ長で極端な三白眼が悪魔を思わせる。怨念を込めたような瞳が、じっと見つめていた。
「あぁぁぁ……、あ?」
アオイは恐怖のあまり、グルンと白目を向いて倒れた。
十秒ほどたってから、人影が倒れた現場へ通りかかる。
「あー、ウチの部屋、こっちだった。ホント、分かりづらい……」
通りかかったのは、迷ったナナミだった。廊下に寝そべっているアオイを見て、気だるげな顔を傾けた。
「アオちゃん? ……って」
そして、傍にいた人影に声を掛ける。
「アオちゃん、どうしちゃったの? ソウくん」
アオイの背後にいたのはソウだった。
「不明です。目があった途端に倒れました」
「えぇー。どういうこと?」
「不明としか。オレはリンゴジュースを買いに行く途中でした」
「うーん。疲れちゃったのかな? とりあえず、ウチらが部屋まで運ぼっか」
「了解」
「じゃあ、ソウくんはそっちの肩持って……って、軽」
二人がアオイを肩に貸し、そのまま廊下の暗闇に消える。アオイの恐怖の災難はまだ続く。




