表エンディング 姉と弟妹と最後の別れ
〇フソウドーム都市内 居住区画 スラム街
狭い道路のすぐそこにそびえたつ、安全を無視した壁のような高層建築。スラム街の底をシノブが紙袋を提げて歩いている。
淀み、倦み、それでも人が生きているスラム。その光景は、シノブが子どもの頃からずっと変わらない。ふと、そこらの角から、あの頃の自分達が飛び出してきそうな気配すらする。
子どもがはしゃぐ声に、シノブがふと振り向く。
昔の自分を幻視するが、飛び出してきたのは知らない子どもたちだった。
「そんな訳ないか」
ある所で立ち止まり、寂し気に笑った。
「よう。お前たち。今日もいっぱい持ってきたぞ」
そこには何もない。その場所に何かを見出す者はいない。土産を詰めた紙袋を、そっと置いた。
「後輩に、アタシはお姉ちゃんじゃないって言われちまったよ。まったく自分が嫌になっちまう。お前たちはお前たちで、代わりはいないってのにな」
紙袋から菓子箱を出して並べていく。
「……お前たちが居た意味。まだ見つけてやれてねえ。頑張っているつもりなんだけどな。空回りしてばっかりだ」
ため息と、自嘲の笑みを抑えられなかった。
「……って、アタシのせいで死んじまったお前たちにそんなこと言っちゃいけないよな。骨すら残せなかった、このアタシが。ごめんな」
声が震える。
「ごめん……。ごめん……」
本当にそこにいるのか分からない。最後の死に場所も、死に様も分からない。言葉や菓子箱が届いているかも分からない。そんな不安に押しつぶされながら、静かに目を閉じた。その時。
「あの!」
「うあ!?」
いきなりの大声で思わず飛び退いてしまう。パシンと小気味よい音が響く。
「バカ兄貴。声がでかい。すみません」
「驚かせんなって。……たしか、お前たちは?」
ダイチとナナミがいた。
最近の共闘で顔は知っている。だが、ここにいる理由が分からない。さらに、ダイチとナナミの後ろにも、見知った顔がいた。
「アオイ。ソウ。なんでお前たちが?」
尋ねられたアオイが、困惑気味に応える。
「ワタシたちは付き添いと言うかなんと言うか……」
「オレたちは、二人に懇願されて同行しました」
「なんでだよ」
何を懇願されたのだろうか。理由は分からない。戸惑っていると、ダイチが口を開いた。
「俺たち、謝らないといけない事があって」
「アザミさんとコウさんって知っていますよね」
その名前を聞いて、頬が僅かに引きつった。そして、黙祷を捧げるかのように、ほんの二、三秒だけまぶたを閉じる。そして、遠くを見て答えた。
「忘れもしねえよ。アタシの弟と妹だ。血は繋がってねえけどな」
「その人たちを死なせたのはウチらなんです」
「何……?」
ナナミが話したのは、スラム近くを視察しに来た政治家を狙った爆破テロのことだった。次々と巻き起こる爆発が幼かったナナミたちを襲う最中、覆いかぶさる影があったと言う。
それが弟と妹だったらしい。
「俺たちの身体に覆いかぶさって、二人が血まみれになって……」
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
ナナミが顔を覆って嗚咽を漏らす。震える肩に、そっと手を置く。
「……謝る必要なんてねえ。たぶん、アイツらの好きにやったんだ」
すっと出た言葉に、自分で驚いた。
(忘れてた……。あいつら……そうだった)
苦しい生活でも人を思える。そんな心根の二人だった。
「そうか。……そんな最後だったのか」
初めて知ったその最後が、すっと腹に落ちていく。
(いつだかの資源採取戦でのアタシと一緒なんだな)
アオイとソウと行った始めての資源採取戦で、爆発から二人をかばったことを思い出す。 しかし、シノブの言葉を聞いてもなお、ナナミは肩を震わせていた。
「……それだけじゃないんです」
「……言ってみ」
「ウチら、食べ物を盗んでいました……」
「俺たちの恩人のために持ってきたっていうのに」
その時、シノブが持ってきた供え物をスラムの子どもたちが持ち去っていった。その顔とダイチとナナミの面影が重なる。武装警備員を始めて、供え物を持ってきた時によく見た顔だった。
「お前たち……、あの時の」
ダイチとナナミの肩が跳ね上がる。そして、言葉を詰まらせながらも、答えを吐き出した。
「……そう……です」
「あの時のウチら、本当に死に掛けていて……」
二人の顔に罪の意識がありありと浮かぶ。まるで、悪夢にうなされた次の朝、鏡を覗き込むたびに目にする自分の顔だった。そんな顔をした人間を責める気にはなれなかった。
「別に構わないさ。無駄にするより、ずっとずっとマシだ。それでお前たちが生きているなら、特にな」
救いを求める償いも無駄ではなかった。ほんの少し、胸のつかえが取れた気がした。ソウが、珍しく口を開く。
「つまり、オレたちを救ったのはアザミさんとコウさんと言う事ですか」
疑問に顔をしかめた。
「どういうことだ? ソウ?」
「あの任務で、助けに来たのはダイチさんとナナミさんでした。そして、二人を助けたのはアザミさんとコウさんです。因果関係としては間違っていないはず」
思わず動きを止める。次いで、アオイが口を開いた。
「お姉ちゃん思いだったんですね」
ソウが怪訝な顔してアオイを向いた。
「発言の内容が不明だ。アオイ」
「そこまでしてシノブさんを助けようとしたって事だよ」
「やはり意味不明だが」
「そういうと思った。だいたいソウは――」
続く二人のやりとりも、どこか遠くに聞こえる。
(恨んでは……いないのか……?)
煉獄の夢に浮かぶ二人の顔はあいまいだった。最後の最後、弟妹はどんな顔をして逝ったのだろうか。思いを馳せている時、ナナミがおずおずと近寄ってきた。
「あと……、これを」
ナナミがお守りのような袋から、小さな白いものを取り出した。それを摘まみ、しげしげと見る。軽くてザラザラした、小さな塊だった。
「……骨? 指?」
ナナミが答えを述べる。
「アザミさんとコウさんの物です」
「どうしてこんなものを……」
「落ちていたものを見つけて」
「落ちていたって……。骨になる前の、生の指だろ? それなのに拾って……。ここまでに……」
指の肉片を拾って骨にする。子どもには余りに辛い作業だ。
「……どうして、そこまで?」
「あの人たちが、シノブ姉ちゃんって言ってて……。この人たちにも家族が居て、と思って」
「何かを残して渡さないと。そう話し合いました」
「ごめんなさい。怒られるのが怖くて……。本当はもっと早く――」
ナナミが声を震わせた。しかし、今は気になる事があった。
「これ、小指か」
子どもの大きさの小指が二本。
「ずっと、骨すら残せなかったと思ってた……」
指切りに使う骨を見る。すると、霞がかっていた指切りの記憶が、どんどんと晴れてきた。
「……思い出したよ。アイツらとの約束」
幼い日の記憶。それが鮮やかに蘇る。
――絶対に帰ってきてね
忘れていた、もう叶わないと思っていた約束だった。
「お前たちとの約束を……」
形見を握りしめる。ぎゅっと、大事に、もう離さないように握りしめる。
「こんな……。こんなになるまで……、アタシが帰って来られるように……。指切りを守れるように」
届いているか届いていないか分からない、路傍への祈りではない。正真正銘、二人の形見への祈り。いっそう強く、それでいて優しく遺骨を握る。
「お前たちが二人を連れてきてくれたおかげで、帰ってこれたんだな」
記憶の中の二人にかかっていた霧が晴れる。
「そうだよ。お前たち、いつもアタシの事ばっかりだったよな」
いつも自分を気遣ってくれた。三人で助け合った日々が蘇る。
「ごめん。ごめんな。アタシが、お前たちを勝手に歪めちまって」
怨霊は最初からいなかった。背中が嗚咽で揺れる。それをアオイがそっと摩った。
「いい人たち……だったんですね」
「そうだよ。そうだったんだよ」
グイっと涙を拭った。
「自慢の弟と妹だったさ」
そして、アオイとソウの方を振り返り、いつもの不敵な笑みを浮かべる。
「おい。新人ども」
「ルーキー? どういう意味ですか?」
「なりたがりは、卒業ってことだよ」
きょとんとするアオイとソウを見つめる。
「生還祝いだ。奢ってやる」
「え!? 助かります! 今月は厳しかったので……」
「有難く」
「いっぱい食え。自慢の後輩だからな」
そして、ダイチとナナミの方を向いた。
「ダイチとナナミも来い。礼がまだだった」
「いいんですか!?」
「声がでかい……。ありがとうございます」
盛り上がる場の中で、シノブは嬉し気に呟いた。
「味気ない食事には、ならなさそうだ」
その呟きをアオイが拾った。
「どういうことです?」
「楽しいって事さ。さぁいくぜ」
そうやって、歩き出そうとしたときだった。
――いってらっしゃい
「ん?」
背後から弟妹の声が聞こえた。そんな気がした。
(いってくるな)
ひらひらと手を振る。もう煉獄の夢で逢うこともない。確信があった。
(もうアタシを待つ必要もないぜ)
振り返ると幻影の二人が段々と薄くなる。口元は穏やかに笑っていた。
(じゃあな。お前たちも心安らかに)
これからは別の道を歩く。その寂しさを耐え忍び、シノブは今日も不敵に笑う。




