第三十三話 偽りの姉と偽りの妹と関係の終わり
〇廃棄都市 地下坑道
どこまでも暗い地下坑道に、微かに光る三つの光。それがゆっくりと上下に揺れながら、進んでいく。
シノブが、脚部に絡みつく水を蹴り上げる。戦闘服が生身の脚へ返す感触はどこまでも重い。
だが、それでも進む脚に力は滾る。
(きっと、この先に! アタシが、二人を生きて返す!)
その言葉を何度も自分に飲み込ませ、暗い道を進む。
(前を、前を見ねえと)
その時、ライトが何かの模様を照らした。隣から喜色に満ちたアオイの声が響いた。
「見てください!」
「なんだ?」
その喜びようを訝しむ。
アオイ機の指差す先を凝視すると、地図のような看板が拡大された。
「あれは?」
「近くによってみましょう! きっと!」
歩み寄ると看板に書かれている文字が見えてきた。
「これは……案内図?」
人型重機に乗っていても読めるようにするためか大型の看板だった。三機の明かりに照らされて、その詳細が浮かび上がる。
アオイが興奮気味に話続ける。
「今いる場所はこの赤い点だとすると、すぐ先の曲がり角に排出用の出口があります!」
「何!? マジだ……。」
出口。その文字を見て、思わず力が抜けた。
「ふ……。ふは。ふはは。長かったぜ……」
変な笑いともに安堵の息が漏れた。どっと肩に疲労が圧し掛かる。
「お前ら、苦労掛けたな。もうすぐだ」
案内図に従って角に差し掛かった。そこには出口と光が見える。その期待を胸に角を飛び出した。
「え!?」
視界に飛び込んできたのは、通路いっぱいに立ちふさがる巨大な岩の塊だった。
「そんな……。ワタシたち……何のためにここまで……」
アオイの声がどこか遠くで聞こえるようだった。
(畜生。どうして……! どうしていつも邪魔ばかり……!)
今までの人生が蘇る。自分を弄ぶ、悪趣味な誰かの手を幻視した。
(違う。邪魔が入ったせいじゃない)
頭を振って、膝をつく。
(アタシが失敗したせいだ)
自分の罪深さに寒気がした。暗闇を見れば、直ぐ側まで亡霊が迫っている。
(そうか、そこまで恨んでいるのか。当たり前だよな)
蝿がたかる腐った残飯を口から突っ込まれたような吐き気がする。こみ上げる酸っぱいものを抑えながら、ガタガタと震える手を抑えた。
(そのせいで、こいつらまで……)
アオイのシドウ一式が膝をつく。サーバルⅨも後に続いた。
静寂が戻った闇の世界で、耳につくのは微かな波音のみ。水面が生む音すらも嘲笑に聞こえて腹立たしい。だが、怒る気力も徐々に失せていった。
(もう……、何をしても……全部無駄に……)
しかし、一機だけは違った。ソウ機が壁に近づき土を掻く。
「ソウ……。何してんだ?」
「掘ってます」
「掘るって……、そんなことしたって――」
「最後まで諦めるなと教わりました。それを実行中です」
アオイが呟いた。
「そうだよね」
そして、アオイのシドウ一式が立ち上がり、それに続いた。
「ワタシも教わりましたから」
呆気に取られるあまり、口が開いていたことにしばらくしてから気づいた。同時に、不思議な笑いが内から込み上げる。
「へ……。へへ……。教えたのはアタシだったな」
吐く息と一緒に意識を込めれば、拍子抜けするほど簡単にサーバルⅨは立ち上がる。
隣の二機と一緒に掘り続けた。悲壮感に浸る訳でもなく、淡々と掘り続ける。
「かってぇなぁ。削岩機でもつかえりゃ、いいんだけどな」
「途中あったと記憶しています。取りに帰りますか?」
「エネルギーなんて、とっくに切れてんだろうが」
「あのタイプは重機からの供給式だったはずでは」
「知ってる。人型重機の事を言ってんだよ」
「人戦機に付け替えられればいいんですが」
「重機と戦闘機だぞ。んなわけ――」
刹那、通信ウィンドウに映る垂れ気味の丸目が見開らかれた。
「いえ……。待ってください!」
「ど、どうした? アオイ?」
アオイの声に力が籠る。
「使えるかも知れません。シドウ一式なら」
戸惑いを他所に、ソウの平静な声。
「どういうことだ? アオイ?」
「ソウ。覚えてない? お祝いの席でクドウさんが言っていた事」
「食事に集中していた」
「もう……」
呆れ半分のアオイ。訳も分からず、思わず答えをせがむ。
「アタシにも教えろ」
「はい。人戦機はもともと重機から発展したロボットです。出たばかりの頃は、シドウ一式を使って工事を手伝う武装警備員もいたと聞きました」
「だからどうしたん――」
痺れるような閃きが脳漿を駆ける。フラッシュバックする工事現場の光景がピースとなり、次々と嵌っていく。
「……いや。いやいや!」
そこにソウの声。
「アオイ。どういうことだ。結論を頼む」
「つまり、シドウ一式並みに古い人戦機は重機の装備を使えるかもってこと」
「互換性がある、と言う事か」
切れ長の三白眼と眉尻が僅かに吊り上がる。それを見て、自分も思わず声が上がった。
「よく覚えてたな。アオイ」
「いえ。迷惑をかけてばかりなので……」
事態の好転に喜ぶ中、ソウの諫める声が響く。
「だが、水上型攻性獣の対処法は? 一体いたと言う事は、侵入経路があるはず。その他個体に遭遇するケースも考えられる」
「それについては――」
アオイが話す推察には確信が込められているように聞こえた。だが、内容自体はよく分からなかった。
「聞いたこともねえぞ。そんなの」
「多分、習わないでしょうね」
「なんで知ってるんだ?」
言い淀むアオイに、ソウが割って入った。
「攻性獣について、アオイの見立てが間違う事はありません」
ソウの断言に、紫電渓谷での戦いを思い出す。
シノブの決断を後押ししたのは、アオイが足の形状から敵攻性獣の機動力を推測したからだった。
「そうだな。アオイはすごいんだったな」
守るはずの後輩に、いつの間にか導かれている。心地よさと戸惑いと、申し訳なさ。小隊長になったつもりだったのに、まだ半人前以下だったと自嘲が漏れる。
「アタシこそが小隊長未満だったか」
もう、ワナビーは卒業する。その決意をこめて、サーバルⅨを闇へ進めた。
〇紫電渓谷 地下坑道 人型重機遺棄場所
暗い坑道に光る三機の明かりが、揺れる水面に頼りなく照り返る。足元に重く絡みつく水は、水龍型攻性獣のテリトリーである事を示していた。
ゴーグルモニターに映るのは闇。耳に聞こえるのは水面を蹴り上げる音。
その音の奥に何かいないか、サーバルⅨの聴覚センサーから伝わる信号に、全神経を集中する。
(よし。何もいねえ。今のところ……だけどな)
どこにもなくて、どこにでもある攻性獣の気配。自分の緊張が伝わったのか、通信ウィンドウに映るアオイの顔にも緊張が走る。
(っと。コイツらを不安にさせちゃ、ダメだよな)
手のひらで顔を覆い、不敵そうに見える笑みを貼り付けた。
「今のところはいなさそうだ」
「そうですか……。よかった」
アオイの顔に安堵が戻る。
(よし。大丈夫そうだな)
脱出が最優先と思い直し、ソウへ状況を確認する。
「ソウ。さっき削岩機を見つけたのは」
「もうすぐです。……ありました」
ソウ機が光を向ける方向に、削岩機を付けた人型重機が倒れていた。改めて見ると、地下にあったせいか、風化はほとんどしていない。
「これか。シドウのコネクタと一緒だといいんだが」
視線が、削岩機、コード、接続部へ移る。その形は見慣れたものだった。
「パッと見、一緒だな」
「接続してみます」
「頼む。ソウはアタシと警戒だ」
アオイ機が慎重に削岩機のコネクタを人型重機から外した。人戦機に付け替える途中、アオイのかすれるような声が聞こえた。
「大丈夫。きっと大丈夫……」
聴覚増強された自分だけに聞こえる、微かな声だった。
(アオイ……)
荒くなったアオイの息遣いも、自分の耳なら拾えた。自身が不安でたまらない中でも、こちらを不安にさせないように気を遣っているのだろうと思う。
「待機中……。接続中……」
か細い声が続いた後に、その調子が一転する。
「認識しました!」
思わず声が上がってしまった。
「よし! 来たな!」
「操縦用ソフトウェアのインストールも完了。人戦機からの電力供給も正常……。操作画面に切り替わりました!」
「やったぜ!」
安堵の雰囲気が包んだ時、耳が闇に潜む動体を捉えた。
「来たぞ! ……くそ! 三体もいやがる!」
「ど、どうします?」
「アオイ! 削岩機を外せ! そいつがやられたらおしまいだ!」
「分かりました!」
その直後、攻性獣が中途半端に埋まった入り口の土砂を吹き飛ばし突入してきた。
闇に溶け込む三体の黒龍。一体は規格外の巨躯だ。
「撃て!」
「でも、残りの弾薬が!?」
「ここで死んだら終わりだ!」
三つの銃火が坑道を照らす。当たる銃弾は少なく、火花は弾かれて遠くへ消える軌跡を描いた。
「くそ! ハンドガンだと!?」
非力なハンドガンでは、攻性獣は弱らない。仄暗く光る赤い瞳が、アオイ機の前に滑り寄ってきた。
「しまっ――」
攻性獣が尾を巻き、振り払おうとする。軋んだ筋肉が、矢を放つ前の弓のような不穏さを放った。
「アオイ!? やらせねぇ!」
サーバルⅨをアオイ機の前へ割り込ませる。
(よし、これで)
これで、弟妹のような二人を護れる。そう、安堵した時だった。アオイ機が前に飛び出した。
「これじゃ! ダメなんだ!」
そして、十字に腕を組み身構える。空気の破裂音が響いた直後、シドウ一式が吹き飛んだ。
「ぐぅ!」
アオイの苦悶の声が聞こえた直後、派手に着水する音が耳につく。振り返れば、ヨロヨロとシドウ一式が立ち上がろうとしていた。
「離れろ!」
ソウ機がハンドガンを発砲するたび、坑道の暗闇が明滅する。攻性獣は滑るように闇へと溶けた。その間、ようやっとサーバルⅨをアオイ機に寄せる事ができた。
「アオイ! なんてことを!?」
通信ウィンドウに映るアオイの瞳には、負傷の苦悶と共に力が満ちていた。
(なんだ……? アオイ、何を考えている?)
アオイが、荒い息遣いの中で声を絞り出す。
「ゲホ……。これで……いいんです」
「何言ってる!?」
「装甲を残しているのも、攻撃が下手くそなのもワタシ。なら盾はワタシです」
アオイ機が立ち上がり、攻性獣へ向かおうとする。当然、それを引き止めた。
「そんなこと、させられる訳――」
「サーバルのダメージはもう限界です」
「アタシがそれくらいしなきゃ――」
「させられません」
「どうしたんだよ! いつものアオイじゃないだろ!?」
その言葉を聞いて、アオイの瞳が泣きそうに歪む。
「……いえ。いつものアオイですよ。アザミさんじゃなくて」
なぜ、知っている。
心臓にナイフを付きたてられたと錯覚するほどに、鼓動が乱れた。
「……どうしてその名前を」
「前に言っていましたよ。気づいてなかったですけど」
いつ、いつだ。
そんな事を考えていると、ほんの僅かの空気の振動をサーバルⅨが拾った。
「ご……さい」
ごめんなさい。聴覚改造を施した自分にしか聞こえない懺悔に、頭を揺らされる。通信ウィンドウに映るアオイが唇を噛み締めた。血が滲むほどに。
「……姉妹ごっこは終わりです」
何を言っている?だって、自分たちは。特別で。そんな言葉が頭蓋でガンガンと反響する。
(なんで、なんでそんなことを言うんだ)
なんで、苦しそうで、悲しそうで、それでも燃えるような瞳でそんな事を言うのか。まるで意味が分からなかった。
アオイが泣きそうな瞳を真っ直ぐに向けながら、わなわなと震えながら、それでも声を絞り出した。
「ワタシは、シノブさんの妹じゃありません」
唇が勝手に上下に揺れる。だが、無音しか出せなかった。相対するアオイは、唇から血を滴らせながら、懇願をハッキリとした音に形作った。
「シノブさんが、おねえちゃんとして無茶ばっかりして、いなくなっちゃうの……嫌なんです」
遠くで攻性獣の噛み付きを躱したソウが叫ぶ。
「アオイ! 早く!」
「分かった!」
そうして、アオイ機が戦線へ戻る。自分は、サーバルⅨは、立ち尽くす事しかできなかった。




