第三十二話 小隊長と弟妹と蘇る亡霊
◯廃棄都市 地下坑道
地下坑道に開けた巨大空間には、無数のコウモリ型攻性獣が飛んでいた。その黒い大群が、視界の大半を覆う。
「くそ! 見えなくなったじゃねえか!? おまけに音も乱反射しやがる!」
見えず。聞こえず。
一方の攻性獣は的確にタケチたちを襲っているらしい。次々と上がる悲鳴が惨状を知らせた。悲痛な断末魔が焦りを掻き立てる。
「どうやって位置を!? いや、それよりも!」
エレベーターゴンドラへ、サーバルⅨを駆けさせる。
「ソウ! アオイ! 今のうちに!」
後ろについてくる気配に安堵を覚えながらエレベーターを目指す。
「気づかれないか!? どうなんだ!?」
もう少し。逸る気持ちを抑えながら水音を立てている時、視界中の黒点が一気に散った。
「何!?」
黒い点群を割って、レドームを背負ったシドウ八式が姿を表した。淑やかで、穏やかで、それ故に場違いな女性の声が聞こえてきた。
「あら、その社章は……。アオイさんとレモン君かしら?」
(誰だ、コイツ。アオイはともかくとして、レモンって誰のことだ?)
何者かと身構える後ろで、アオイが息を呑む音が聞こえた。
「ヨウコさん……!? 生きて……!?」
「やっぱりアオイさんだったのね。逢えて嬉しいわ」
シドウ八式の操縦士はヨウコというらしい。
「元気にしていたかしら? ちゃんと二人揃っている……。うふふ」
何がおかしいのか、ヨウコという女性はくすくすと笑っていた。
「少し遠くから見てたけど、工事現場でも息ぴったりだったわね。心の底から信頼してるって感じ。キラキラしていたわ。だから」
段々と、声が冷たくなってく。
「最後まで見届けたい。バラバラになる、最後まで」
威嚇にも似た強い圧が、耳から入ってきた。
(なんだ。なんでこんなに)
ぶつけられる感情の強さに、酔いそうになる。
「今回も試してあげるわ。もっと、もっと激しく」
直後にヨウコの苦悶の声が響いた。
「くぁぁぁ……」
何事かと思っていると、後ろのアオイが焦りの声を上げた。
「大きいのが来る! まずいです!」
リアビューのアオイ機が横を向く。その方向を向くと、いつの間にかコウモリ型攻性獣は散り散りになっており、巨大空間の向こうに黒い甲殻を纏った大海龍型攻性獣が見えた。
暴れ狂っていた巨獣が、今は動きを止めている。
「くそ! まさか!?」
口に咥えたタケチの部隊員の残骸を吐き出して、巨大な鎌首をこちらに向けた。生き残ったタケチ機には目もくれない。
こっちを狙っている。その事だけは分かった。
「アイツ、何しやがった!?」
「シノブさん! 早く逃げないと!」
「アオイ! なんか知ってるのか!?」
「あの人、攻性獣を操れるんです!」
「はぁ!?」
「本当なんです!」
アオイの声が、一層の緊迫感を帯びる。
(チッ!? どうする!?)
目の前のレドームを背負ったシドウ八式を倒すか、そばに在る横坑へ逃げるか。突きつけられた二択に惑う。
(どっちならこいつらを守れる!?)
前方のシドウ八式は頭を抱えつつもガトリングガンを持ち直し、側方の大海龍型攻性は迫りくる。今からエレベーターに乗ったとしても起動するまでにやられる。
視線を傍の横坑に向けた。
「逃げるぞ!」
脱出の手段が遠ざかる。
もしかして、更に失敗を重ねただけかも知れない。その不安を押し殺しつつ、シノブはサーバルⅨを駆けさせた。
〇廃棄都市 地下坑道
暗い坑道の中を、三機が駆ける。その先頭はサーバルⅨ。胸部のコックピット内で、シノブの猫の様な瞳が焦りに歪む。
(頼むから、追っかけてくんなよ……!)
ふと、イナビシの実験を引き受けた日を思い出す。本当に、この選択で合っていたのか。同じ様な失敗を繰り返してはいないのか。
不安が重圧となって、肩を押しつぶそうとする。
(アタシは……今も間違えているのか?)
リアビューに映る暗闇に、幼い二人の子どもが見えた。顔色に生気はなく、ただ闇に沈んだ瞳でこちらをじっと見ている。
(この頃は、見えなかったのに……!)
それは、殺された弟妹だった。怨念に満ちた目でこちらを見ている。
(どうして! どうして!? いや――)
怨嗟の理由には、心当たりがあった。
(あいつの、タケチの言うとおりなんだ)
これは、アオイとソウが自分の下についたときから、煉獄の夢を見始めていた。弟妹のような二人だと、心のどこかで思っていた罰だと分かっている。
(アタシは贖いきれなかった。だから、アイツらに呪い殺されても)
暗闇に浮かぶ亡霊が、一層濃く見える。幼い手を向けて、こちらに来いと言っているように見える。
(でも! アタシは! こいつらは生かして返さないと!)
シノブのヘッドホンと拡張聴覚用信号から構築される三次元情報。その中に、背後から水を切る音が混じった。
(畜生! 追われている! しかも速え!)
とにかく、情報を各員に伝える。
「来る! 後ろ!」
「どうします!?」
「仕方ねえ! 坑道を埋めるぞ!」
「でも! 昇降機は!?」
「今死ぬ気か!?」
迫る攻性獣を確実に撃破する手段は無い。ソウが呟いた。
「手榴弾は残り一発です」
「いいからやれ!」
ソウ機がコンテナから手榴弾を取り出した。
「時限信管、三秒後」
直後、シドウ一式が腕を振り抜いた。
手榴弾は、狙いに違わずトンネル天井で爆発した。続く轟音でトンネルが半壊する。その様子をリアビューで眺めながら、アオイの叫びが耳を打った。
「これで大丈夫ですか!?」
「安心はできねえ! ぶっ壊してくるかも知れないからな!」
「ど、どうしましょう!?」
「先を急ぐぞ!」
更に先に進む。続く坑道はどこまでも闇に包まれていた。
「崩落は終わった。やつも追ってこねえ」
人戦機の勢いを、歩くほどに落とす。直後に至近距離限定通信を開いた。
「二人とも、弾薬の残りは?」
「その……、落としてしまって……」
タケチとの戦いの最中に、アオイの軽機関銃もソウのアサルトライフルも落としてしまった事を思い出す。
「じゃあ、残りはハンドガンだけか……」
「……はい」
その事実が、ひたすらに重い。
(くそ。龍みてぇな奴は来る。弾薬はない。アタシは……)
通信ウィンドウに映るアオイとソウの顔を見る。それが湧き上がりかけた弱音を押し下げた。
「前、見てかなきゃな……」
「はい?」
「なんでもない。いくぞ」
そうやって、サーバルⅨを歩かせた。モニターに相変わらずの暗闇が映る。そこには幼い亡霊が、怨めしげな眼差しを向けている。
(分かっている。アタシを憎んで死んだだろうと分かっている。それでも、進むしかねえ……か)
冷静さを取り戻した頭で、やるべき事を形作っていく。
(何をどうする? もう何回も間違えられねえ)
シノブの答えが出ないまま一同が進んでいく。
「あのうっとおしい奴はもういないみたいだな……」
周囲を飛び回っていた黒い点群はない。
「探査音を使う」
サーバルⅨが放った甲高い探査音が瞬時に坑道を翔けた。
「分岐点があるな……。とにかく進むか」
呟きに返事はない。それが後輩二人の疲労を物語っていた。人戦機の脛まで使った水を蹴り上げる音だけが坑道に響いていた。
ゆらゆらと揺れる水面から照り返すか細いライト。それだけが儚げに壁面を浮かび上がらせる。
何もかもが頼りない行軍をしばらく続けると分岐路に出た。
「右側は……なんだこれ?」
「出入り口が中途半端に埋まってますね」
右の分岐路には土砂が中途半端に堆積していた。それでも人戦機は余裕で通れるスペースが残っている。
天井をみると壁材が崩落していた。
「いったん崩落した?」
「それで詰まったところを、何かが壊した……って感じでしょうか」
「ちょっと待て。何かいないか聞いてみる」
チッチッチという甲高い探査音が脳内で結像する。浮かび上がるのは坑道よりも大きな空間だった。
音を立てる動体はない。
「この先、広いな」
「攻性獣は?」
「音は無い。大丈夫だ。何か脱出の助けになるものがあるかもな」
ソウ機とアオイ機が合図で進む。ライトが暗闇を照らした。
「これは……、工事の?」
僅かに照らされたのは、土砂を積んだ自走トロッコたち。時を止めたまま放置されていた。
しげしげと見つめていると、画像が拡大される。ライトに照らされて映し出された機械の表面には土埃が堆積していた。
「長い間、ほっとかれたんだろうな」
風雨に晒されてはいないせいか、土埃の割に形はキレイだった。それなりに動きそうではある。
アオイ機が、その山を観察していた。
「これ、土木現場で見たのと同じタイプですね」
「そうだな……。ここでエネルギー切れか……」
自然と警告メッセージへ視線が移った。絶望的なエネルギー残量が表示されている。
(下手すれば……。いや、よっぽど上手くやらないとアタシたちも……)
自分の手が震えている事に気づいた。
(止まらない……。畜生。怖え)
闇に浮かぶ亡霊が、一層笑みを深めたようだった。だが、アオイのシドウ一式が自走トロッコの周囲で何かを探している。動かすのも億劫な口を何とか開ける。
「……何をしているんだ、アオイ?」
しかし、アオイは答えない。それほどに集中して何かを探している。そして、アオイ機の手が止まった。
「……これなら!」
その声には、希望が満ちていた。ほんのわずか、か細いものではあるが、それは確かに希望だった。
「トラッカーラインです!」
「何?」
アオイ機が指す水面を見つめる。水の底に一筋のテープが見えた。ソウが問いかける。
「説明意図が不明だ」
アオイの興奮は冷めやらない。伝わらない事がもどかしいばかりにまくし立てる。
「ソウ! このトロッコ、石を積んでる! これから捨てに行くはずだったんだ!」
「今度は意味が不明」
ソウの返事は淡白だった。後輩二人のやりとりを聞いて、ふと考える。
(いや、待て……。アオイが言っているのは)
建設現場の光景がフラッシュバックする。次々を浮かびがる工事現場の場面に、岩を積みトラッカーラインをたどって残土置き場へ行く自走トロッコの群れ。
「いや……分かった! このラインを辿れば!」
「ええ、地上への道へつながるかもしれません」
土を捨てるのは当然外だ。ならば、トロッコは外への経路を辿るはず。
「今はこれに賭けるしかねえか」
「ですが、合理的です」
「ワタシもそう思います」
「なら、急ぐぞ」
機体を起こし、水面を見つめながら歩を進める。声を上げないように至近距離限定通信を繋げる。久しぶりに明るい調子の会話だった。
「やるじゃん。アオイ」
「散々足を引っ張ったので」
「仕方ねえ事ばっかりだったじゃねえか。気にすんなよ」
そこからソウの平坦な声。
「途中で坑道が崩れている可能性は?」
「ソウ。そう言う事を口に出すんじゃねえ。不吉だろうが」
「非論理的です」
「うるさ……。まて、何か聞こえた」
止まれのハンドシグナルを送る。行軍の音が消え、沈黙があたりを包む。
その奥に、ほんの少しの異音。
「水を切る音……! さっき通った分岐を曲がってきた!?」
タケチたちに追われての経路を思い出す。
「小さい。デカいのとは別個体? だがハンドガンで……? 確実とは……」
舌打ちだけをして水路を駆ける。
「逃げるぞ!」
号令と共に、後ろの二機も駆け出した。しかし、直後にアオイの悲鳴が響く。
「あ!? しまった!?」
リアビューに映るアオイ機が転倒した。その間も大海蛇型攻性獣の水音が迫る。機体に焦りを込め、フラフラと揺れながらもアオイ機の前に飛び出た。
「あぶねえ!」
何とか間に割って入れた。構えようとするが反応したのは片腕のみ。衝撃がそのままコックピットに伝わる。
「くっ!?」
吹き飛ばされる最中に、水音がすぐ横を駆けた。モニターにはソウ機の背中が映る。
「離れろ!」
ソウ機が攻性獣へ肩口からカチ上げた。大海蛇型攻性獣が細長い体をくねらせて、壁まで弾き飛ばされる。
直後に坑道全体が震えた。パラパラと小石が落ちる中で、アオイの声が響く。
「崩れるよ!」
「アオイ! 手を貸す!」
ソウ機がアオイ機を引っ張って立たせた。
「シノブさんも!」
ソウ機に引っ張られなんとか退避する。
崩落する土砂が後ろに見える。崩落はすぐにおさまり、坑道の一部にとどまった。アオイ機から安堵の声が聞こえた。
「う、埋まった? 助かった?」
度重なる戦闘の重圧を、すべて吐き出すような声だった。しかし、忍び寄る攻性獣の水切り音を拾った。
「アオイ! 来る!」
闇の中にある微かな気配が目前へ迫る。
その時、アオイ機と攻性獣の間に天井が落ちてくる。天井と土塊に紫電結晶が混じっているのが見えた。直後、網膜が焼かれる。
「まぶし――」
雷光が、機体目前まで迫る大海蛇型攻性獣を照らす。
「くそ! 来る!?」
しかし、大海蛇型攻性獣はのた打ち回るだけで襲ってこない。アオイ機の外部スピーカーが坑道の空気を震わせた。
「攻性獣が!? どうして!?」
「考えても非効率だ!」
そう言って、ソウ機が駆ける。
細長い躯体の懐に飛び込み、もみ合いになった。甲殻と装甲が削れ合う音があたりに響く。大海蛇型攻性獣がソウ機に絡みつこうとした時、細長い動体がビクリと痙攣を起こした。
そして、大顎が力なく水面に墜ちた。
「何が……? いや、それより!」
ふらつくサーバルⅨをなんとか歩かせる。
「アオイ! 無事か!?」
「え、ええ」
次いで、死骸の傍らに佇むソウ機へ歩み寄った。
「ソウ。よくやったな」
「いえ」
「でも、どうやって攻性獣を? まさか格闘だけで?」
「これが土砂の中にありました」
ソウ機が差し出した手のひらにはナイフが収まっていた。サメの歯を削りだしたような形状には見覚えがある。
「これ……。アタシの?」
「恐らくは。返却します」
ソウ機から渡されたナイフを改めて見る。作業員救出作戦の際に、アオイがトンネル内の穴に落としたはずの物に違いなかった。
「どうして……? 有り得るのは……、天井の崩落?」
思わず上を仰ぐ。そこにはぽっかりとした大穴が空いていた。
「ここ、もしかしてトンネルの下か?」
「かも知れません」
「明かりはついていない……。くそ。作業員はいないか」
「では、待っても無駄と」
「そうだな。ツイてねえ――」
遭難、会敵、弾切れに武器の紛失。ぼやいた後に、ナイフが目に入った。失くしたまま、戻ってこないと思ったナイフだ。
「……いや、たまにはツイている事もある……か」
それでも手に戻ってきたナイフを見ると、ふと口元が緩んだ。
「前、進んでいかなきゃな」
目の前に広がるのはどこまでも続く闇。そこに浮かぶ幼子たちの亡霊。それでも覚悟は出来た。どこまでも続く闇の向こうへ、シノブはサーバルⅨを進める。




