第三十一話:悔いる者と憤る者とその先の諦観
〇廃棄都市 地下坑道
シノブのゴーグルモニターに映るのは、人戦機のひざ下まで浸かる水面とその上に佇む、隻腕の鬼武者。
片腕を無くしたシドウ八式の頭部がこちらを見据える。無機質なはずの視覚センサーに、怨念の炎が灯っている。
「斬る……。俺の贖罪の邪魔をする大人は……みなだ」
唸り声と共に、シドウ八式が歩み寄る。片腕を無くしているが、その足取りはしっかりとしていた。
自身が片腕のないサーバルⅨの操縦に四苦八苦した事を考えれば、おののくほどの制御精度だった。
視界端のリアビューを見れば、二機のシドウ一式が水面に横たわる。弟妹のような二人のため、ここを抜かれる訳には行かない。
気圧されかけていた意志を奮い立たせ、アサルトライフルを構えようとする。その時、シドウ八式が唐突に膝を崩した。
「痛い! 熱い! あぁぁぁ――」
木霊す絶叫は、火あぶりになった罪人のようだった。
増強された聴覚がタケチの苦痛を十全に伝える。同時に、スラムで拳大の建材が当たっても呻き声一つあげなかったタケチを思い出した。
その、頑強な戦士であるタケチが叫ぶほどの苦痛を想像し、冷や汗が垂れる。
「なん……なんだよ……。あいつ、何を、どうしてんだよ」
思わず漏れた恐怖に、腹の底から絞り出すようなタケチの声が応えた。
「積み上げて、積み上げて、積み上げて死にたい」
声から、厳しさが消えた。
「死にたいんだ。それが僕の、贖いなんだ……」
タケチの低い声のまま、口調はいやに子どもっぽくなった。その変化が不気味さを助長した。
「おまえ、どうしちまったんだ……?」
膝をついた八式が頭部を上げる。無機質なはずの視覚センサーに、怨念が籠って見えた。
「許せない……。子どもの死が……。助けてくれない大人が」
思い出すのはタケチの贖罪の言葉。
(コイツも、アタシと同じ……)
一人ぼっちで歩いてきた暗く長い人生だった。
苦しみを分かち合える誰かが欲しかった。思わず湧き上がった手を取りたくなるような衝動に、吐くような嫌悪を覚える。
(アタシはバカか!? こいつがパパとママを! それに今は……!)
だが、後ろで倒れている弟妹のような二人の映像が、視界に映っている。
(アタシは何を考えてやがる!)
暴走する鬼武者を鎮めなければならない。それが今の急務。妄執に、現実をつきつけなければならない。ギリと歯をならして、無理矢理に声を絞る。
「……人は死ぬ! 死ぬときは死ぬ」
続く言葉を認めたくなかった。口から吐き出したくはなかった。だが、言わねばならなかった。
「死んだら、もう戻らないんだ! だから――」
タケチが言葉を遮る。低い声のまま、口調は子どものように。
「知っているよ。生き返らないことなんて、知っているよ。許せないのは」
ギリと、奥歯を食いしばる音。
「何も残せないこと。何も変わらないことなんだ」
タケチが暗く、重い息を吐いた。
「意味も無く生まれ、なにもできないまま死ぬ。周りの大人は、平気な顔で生きている。それが。それが……」
八式が立ち上がった。
「それが、燃えるように、憎いんだ」
声に覚悟が籠もる。
「僕が、悪い大人を殺す。そうすれば、子どもは奪われない。そんな国を作りたい。それが、僕の夢」
晴れやかな笑い声が響いた。低い声のまま、子どものように無邪気な笑いだった。
「だから、一回、悪い大人は殺すんだ。全員」
リアビューモニターには横たわる二機のシドウ一式が映っている。加えて、自機はまともに戦えない。ならば、何が何でも説得するしかない。
(くそ! くそ! とにかく思いついたことなんでも!)
頭の中をひっくり返し、とにかく言葉を紡いでいく。
「前を向けよ! 後ろを向いてばっかりじゃなくて、前を向けよ!」
――自分ができてないクセに
暗い目をした、幼い自分が呟いた。
「アタシたちには、運が無かった! それだけなんだ!」
「違う。あの時、もっと強ければ。あの時、周りの大人を殺せるくらいの力があれば」
アタシだって。そう言いかけた言葉を飲み込む。
「もうどうしようもないだろ!? 今、どんなに頑張ったって、どれくらい自分を痛めつけったって!」
―― 自分じゃん、そうやっているのって
幼い自分が冷笑する。
「でも、今の僕には、その力があるんだ。だから、他の僕を救うんだ」
――もう一度、姉になろうとした自分、そのまんまじゃん
幼い自分が、肩をすくめた。言葉が、出なかった。
(なんとか……! なんとしても……! 何かを言わないと……!)
悩む間に、随分と幼い口調になったタケチが、呟いた。
「一番悪いのは、僕だけどね。こうなると分かっていたら、もっとどうにかできた。僕が、駄目だったからなんだ」
詰まりそうになる言葉を無理やりに吐き出す。
「……そんなもん、わかるはずねえだろ」
分かるならやらなかった。分かっていればと、いくつもの夢で自分を責めた。でも、段々と分かってきた。そんな自傷は無意味だ。
「後から何とでも言えるけどよ。無理なんだよ」
「でも。でも。あの時」
ギリギリと怨念と後悔が軋む音が、シドウ八式から鳴り響く。
「結局、骨しか残らなかった。あの子は、骨しか。それ以外、何も。僕が、この国を変えなきゃ、他には何も残らない」
シドウ八式の視覚センサーに、怒りが灯る。
「だから、悪い大人は……全部殺す」
風圧を感じるほどの怨念だった。
「それが、骨しか残せなかった、僕の贖いだ」
だが、鬼武者の慟哭に呑まれるわけにはいかなかった。
「こっちは骨だって残ってねえよ。アタシなんか何も。何も贖えてねえよ」
「僕たちは、間違えたんだ。幼かったから、弱かったから」
水面に映るサーバルに叫ぶ。
「仕方ないだろ! んなもん、子どもなら仕方ないんだよ!」
水面には片腕を失ったサーバルが変わらずに映っている。
(もしサーバルの腕があれば! こんなやつを今すぐ殴り倒せるのに!)
後悔でぎりぎりと歯がなる。
(どうにか! どうにかならないのか! どうにか腕をやっちまった、アタシのバカをなかったことに――)
この腕の損傷がなければ。
もっと冷静になれるように訓練していれば。
そもそも、あのとき自爆テロの片棒を担がされた親を止めていれば。
いくつもの、もしもを積み上げて、積み上げて、積み上げて――。
そこで、当たり前に気づく。
(いや、そんなの無意味だって、自分で言ったじゃないか)
あまりに当たり前な真理だった。
(知っていただけで、こんなことも分かってなかったんだ……)
吐き捨てるような笑いとともにタケチへ呟く。
「アタシは、本当にバカだな」
「何? 何を?」
「アタシはバカだから、今更気づいちまったんだけどよ」
過去に囚われた鬼武者を向く。
「過去は、もう、どうしようも」
そして、水面に映るサーバルを見た。
「どうしようもないんだ」
呆気に取られたように、タケチ機が動きを止めた。
「過去は、忘れってこと?」
低い声のまま、随分と幼い口調の問いかけだった。
「……違う」
「顧みないの?」
「違う」
「君は、贖わないの?」
「違う!」
「何が違う……? 何が違うの?」
「わかんねえ! わかんねえよ!? けど!」
サーバルⅨが哭いた。
「どうしようもないんだよ! 今を巻き込むなよ!」
「どの口で」
シドウ八式が振った切っ先がアオイ機を向いた。思わず目を逸らしそうになるが、アオイ機とソウ機を目に焼き付ける。
(そうさ、アタシにそんな義理はねえ)
だが、刺すような罪悪感の痛みを堪え、腹で練り上げた息を声にした。
「確かに言えた義理じゃねえ……。だけど義務がある」
静かに機械仕掛けの鬼武者を向いた。
「アタシの仕事は、今を護る事だ。昔は関係ねぇ」
タケチが鼻で笑った。
「ごっこ遊びをしていたくせ。……じゃあ、僕を撃ってみろ」
「何?」
「避けないよ。ただし、撃たれた後にエレベーターを壊す」
そういってタケチ機がエレベーターにじり寄る。
「さっきの怒鳴り方からすると、僕は仇? 復讐ができるよ? さあ、どうする?」
小馬鹿にするような、挑発するような、駄々っ子のような、幼い口調が神経に障る。さざ波が胸中にざわつく。
(んなもん、決まっているさ)
一呼吸で、さざなみも収まった。怨念にとらわれた鬼武者を、ゴーグルモニター越しに見つめる。
「言ったよな。アタシがオマエに頭を下げればエレベーターを使わせてもらえるって」
色々と聞こえてしまう耳が、今はとても静かだった。機械仕掛けの捕食獣が牙をしまう。
「アタシの答えは」
じっと、過去を見つめる。出てきたのは、自分でも驚くほどの静かな声だった。
「過去は、諦める。これからは、今を取る」
タケチが息を呑む。その音が、鮮明に聞こえた。
「いやだよ。そんなの――」
ずるいよ。超人と化した聴力が、奥底のつぶやきを拾った。水面のさざなみだけが、音を立てる。静寂の空間で、鬼武者は佇んだままだった。
「なら、お前も――」
何かが降りてくるような、ギャリギャリと擦れる音が意識に割って入る。何事かと思うと、エレベーターのゴンドラ付近に幾筋ものロープが垂れていた。
「なんだ!?」
直後、五機のシドウ八式がロープを伝い降下してきた。手慣れた着地のあと、素早くアサルトライフルをこちらに向けた。一機から、低い男の声。
「同志。迎えに来ました」
アサルトライフルを構えながら、人戦機たちが取り囲む。
同時に背後のアオイ機とソウ機が起き上がった。アオイ機があたりを見回し、操縦士が戸惑い気味に声を上げた。
「シノブさん……。この数は……」
タケチ機が再び、水面へと膝をついた。それを見た敵増援の一機が駆け寄る。
「ど、同志……!?」
「ぐぅ……。解除……!」
息を荒げるタケチ。再び立ち上がろうとするが、機体はバランスを取れずにふらついていた。先ほどまでの冴えは影もない。しかし
「状況は? 俺が足止めしている間、どうなった?」
口調は荒武者の如く硬いものに戻っていた。つかの間の幼さは消え失せていた。荒々しい息遣いと共に、タケチが声を絞り出す。
「どうした。答えろ」
「撤収は完了。妨害対象のルートも範囲外に」
「目標は達成されたか」
「同志。こいつらは?」
「妨害対象の武装警備員だ」
「では」
合流した各機がピタリと立ち止まり、狙いを定めた。空気が張力を増す。
アオイ機とソウ機をかばうようにサーバルⅨを動かす。手はないかと頭の中を混ぜ返すが、何も思いつかない。
鼓動の高まりと共に意識が白くなる。そこへタケチの声が割って入った。
「待て」
張りつめた雰囲気が乱された。敵の一機が疑問の声を上げる。
「……同志? 何か懸念が?」
タケチ機が俯く。そして、大きく息を吐く音が響いた。
「……なんでもない。……処分しろ」
「は」
ほんの数秒だけ伸びた危機。再び意を決しようとした時、強化された聴覚が迫りくる異常を知らせた。
誰も気づかない、だが自分には確実に聞こえる脅威だった。
「水を切る音……? これは!」
振り向いた先、横坑の闇から白磁の甲殻を纏った水龍が姿を現した。
資源採取戦で叩き落とした大海龍型攻性獣だ。その場の全機が、純白の巨龍に目を奪われる。
「同志! どうします!?」
「弱った警備員はどうとでもできる。あちらを優先」
「了解!」
「撃て!」
タケチの号令と共に始まる銃撃。白波に弾丸が飲まれる。
だが大海龍型攻性獣は、止まる事もなくタケチたちに滑り寄った。勢いをそのままに、一機へ目掛け飛びかかる。
「ソルジャークラスごときが――」
銃を向ける間もなく一機の姿が白波に呑まれる。白い飛沫からチラリと見えたのは大顎に挟まれた人戦機だった。
「こ、このはなせ! はな――」
直後、圧壊音と引き裂くような悲鳴が坑道に響く。
「ど、同志。どうすれ――」
戸惑う機体へ、白波から影が投げつけられる。
それを咄嗟に受け止めた機体には、上半身だけになった人戦機が収まっていた。ひしゃげた断面から、毒々しい緑色と赤色の液体が滴っている。
「く、食った!?」
絶叫が坑道に響いた。戸惑いが空気に乗って伝染しそうな時だった。
「怯えるな! 攻性獣は捕食しない! ただの攻撃だ!」
タケチの喝が空気を割った。
「甲殻にひびが入っていた! 続けろ!」
断言と共に銃撃が再開される。事の推移を見守っていると、アオイの声が後ろから聞こえた。
「シノブさん。ど、どうしましょう。今のうちに」
「待て。下手にはぐれて、攻性獣がこっちに来たらひとたまりもねえ」
タケチたちが、攻性獣を倒す直前が好機だ。そう思いながら推移を伺っていた時だった。視界を黒い点群が横切る。
「な! 蝙蝠型まで!?」
気づいて上を見上げれば、坑道に蝙蝠型の攻性獣が天井を埋め尽くしていた。
蝙蝠型が大海龍型攻性獣へ目掛けて一斉に突撃し、力尽きていく。
狂気の集団自殺にしか見えない行為だった。
「なんで、あんな? いや」
白磁の甲殻が黒く染まる。巨躯が暗闇に溶けていく。
「どんどん見えなく――」
それを察して背筋が凍った。
「迷彩!? 自分を殺して!?」
神の使いを思わせる白龍が、邪悪さを滾らせる黒龍へと変貌していく。漆黒の坑道に、巨影を忍ばせる邪悪な巨龍。それはまさに仄暗い水の底へ、万物を引きずり込む大海龍だった。
そのやっかいさは、地上で戦っていたときの比ではない。
「くそ! 資源採取戦の時に殺しておけば!」
最大の失敗は、いつだって思いがけない過去からやってくる。シノブは、身をもってそれを贖わなければならない。




