第二十八話 少女と大海蛇と奥に待つもの
〇廃棄都市 地下坑道
アオイのゴーグルモニターに映るのは、上下二列の大きく鋭い牙。その牙が自分を喰らおうと待ち構えていた。
人が捕食獣に狩られていた頃の本能が、特大の警告を上げる。
「うぁ!?」
悪寒を読み取って、シドウ一式が身を引く。バチンと大あごが虚空を噛んだ。そして、目の前に赤い三つ目が眼前に映し出される。
三つ目の後ろにあるのは、特大の大あごから伸びる細長い胴体。全身に纏う白磁の甲殻が、幻想世界の大海蛇を思わせる。平たいヒレは、浅瀬でも活動を可能にする。海龍にも近い。
それは、まさしく資源採取戦で見かけた大海蛇型攻性獣だった。
「あ、あの攻性獣!?」
「どけ!」
シノブが叫び、サーバルⅨが銃を構える。攻性獣はとぐろを巻いて、ずるりと暗闇へ滑り消えた。
「ど、どこへ!?」
「なんで、こっちの事が分かる!? くそ! 全員固まれ!」
シノブの下へ集まり、各機が大海蛇型攻性獣の行方を追う。シノブ機があたりを見回す。
「くそ! 見えねえ! 聞こえねえ!」
コウモリ型の妨害で、完全に敵を見失った。
(どこ!? どこなの!?)
その時、極太の鞭がピュンと視界を抜けた。
「な――」
前から衝撃が襲い掛かる。
「がぅ!」
「耐衝撃体制」
システムメッセージが聞こえた直後、操縦服の人工筋肉が関節を固定した。水面に叩き込まれた轟音と、突き上げる衝撃が襲ってくる。
「ぐぅ! かぁ……」
操縦服のお陰で気絶はしなかったが、痛いものは痛い。苦痛にうめきながらも、機体を起こそうとする。隣のソウ機は既に立ち上がっていた。
「アオイ! 無事か!?」
「う、うん。なんとか」
「クソ。状況が理解できない。何をされた?」
「尾が見えたよ!」
「尾を使った薙ぎ払い? それで、この威力か!?」
「あの攻性獣、強い。早くシノブさんの所へいかないと」
何とか立ち上がり、ソウ機の隣に寄る。
「早く立て直さないと」
「ああ、その通り――」
だが、次の瞬間、目の前のソウ機が不意に倒れ込んだ。
「ソウ!?」
そのまま、水面を滑るように暗闇に引きずり込まれた。
「何が!?」
直後の銃火。明滅する閃光と共に浮かび上がるのは、引きずりまわされるソウ機の姿。片足には巨大な牙と顎が嚙みついていた。
「離せ!」
ソウの怒声。噛みつかれていない方の足で、大海蛇型攻性獣の頭部へ蹴りを入れた。直後の銃撃が、闇を照らす。
「抜けた!」
ソウ機がくるりと立ち、銃口を大海蛇型攻性獣へ向ける。が、攻性獣は闇に消えていた。急いで相棒を呼ぶ。
「ソウ! こっち!」
ソウ機が駆け寄ってきた。死角を埋めるように二機で背中合わせになりながら、じりじりとシノブの元へ合流する。
「シノブさん!」
「アオイ! ソウ! 大丈夫か!?」
「ワタシは大丈夫でしたけど……。ソウは?」
「オレは異常ありません」
「よし……。警戒しつつ、出口へ向かう。アタシについてこい」
三機で壁伝いに移動する。お互いに背を向けて死角を補い合いながら慎重に歩を進めた。それでも、コウモリ型が邪魔して視界が悪い。
右左と警戒をしている時だった。視界の下から、ぬるりと大あごの影が浮かび上がった。
「うわぁ!?」
特大の牙が機体を貪ろうとする直前、前に割り込むシドウ一式の背中が見えた。
「吹き飛べぇ!」
ソウ機が大アゴへ横蹴りを入れた。攻性獣が暗闇の中へ消える。
「アオイ! ソウ! ライトを消せ!」
シノブの声だった。
「ライトが目印かも知れねぇ!」
「でも! 見えなくなりますよ!?」
「壁くらいなら聞ける!」
「分かりました!」
手元を操作し、あたりに完全な闇が訪れる。だが、バチンと装甲を弾く音が聞こえた。
「うお!」
シノブの声も聞こえた。恐らくは体当たりを受けたのだろう。
「こいつ! 光を見てるんじゃねえのか!?」
「どうしますか!?」
「アタシらだけ見ないんじゃ仕方ねえ! ライトをつけろ!」
再びわずかな灯りが戻る。薄暗く広がる壁の先に、暗闇の穴が見えた。
「出口です!」
「よし! 突っ込め!」
銃口を暗闇に向けながら、歩を進める。部屋の出口を通過した直後に、シノブの声。
「戻れなくなるかも知れないが……、仕方ねえ!」
サーバルが後ろを振り返り、グレネードランチャーを発射した。カシュ、と気の抜けた音がして数秒後、一瞬の閃光がトンネルと照らし、爆発と轟音が坑道を埋める。
続いて天井の崩落が始まった。亀裂と落石の音が駆ける背後まで忍び寄る。
「走り続けろ!」
とにかく前へ。少しでも前へ。それだけを考えて十数秒。背後に付きまとっていた轟音が徐々に遠ざかっていく。
「あれで潰れているといいんですが」
「そう言うのは期待しない方がいい。アタシの経験上な。とにかく急ぐぞ」
三機は暗い坑道を進む。相変わらずのコウモリ型が視覚センサーの邪魔をした。群がる小さな斑の影。その向こうに揺らめく幽鬼の如き赤い瞳。
「やつか!?」
「構え!」
現れたのは軽甲蟻たちだった。
「違った……」
「さっさと殺すぞ」
幾秒か銃口が明滅したのちに、軽甲蟻が全滅する。弱い攻性獣でよかったと一息ついた。
「違ってよかったですね。シノブさ――」
「警告。残弾十パーセント。補給推奨」
安堵はシステム音声によってかき消された。
冷たいものが背筋に走る。知らずに鼓動が早く成りかけた時、シノブの声が意識を逸らす。
「早く行くぞ」
「わ、分かりました」
おそらくはシノブの気遣いなのだろう。そして、それは強がりで何の状況改善にも繋がらない事は分かっている。
それでも暗闇の中を、進まなければならなかった。
〇廃棄都市 地下坑道 深部
足音を重ねるたびに、雰囲気が重くなる。機械の脚がバシャリと水を蹴り上げる音が、耳障りだった。
(もう……。ずっとこう)
弾薬切れの警告を受けてから、随分とさまよった。一発の弾丸も、一歩を踏み出すエネルギーすら惜しい。
普段なら気にしなくても良い小さな照準ミスに、細心の注意を払い続ける。それが、重く、重く心に降り積もる。
(だめ。集中。でも、もう……)
徐々に砂に埋れていくような圧迫感が、体中を苛む。何か変化が欲しい、そう思った時だった。暗いトンネルの向こうに、ほんの小さな光が見えた。
「明るい!」
恐らくは地上に通じる穴から地底へ届いた光。そう信じたい。
「今度こそ昇降機があるといいんですが」
「とにかく行ってみるぞ!」
弾む様なシノブの声が、こびりついた疲労感を拭い去る。徐々に大きくなる出口から漏れる光は揺らめいていた。
さらに近づくとその正体が明らかになる。
「水?」
三機の目の前には水のカーテンが掛かっていた。水を突き抜けて見えたのは、三百六十度の滝。昇降装置は見られない。
「違ったか……」
シノブのため息が重かった。
周囲を見ると瓦礫が散乱している。水面と瓦礫にそそり立つ、ひしゃげた骨材に目が留まった。何かが握りしめたように、真ん中がひしゃげている。
「ここってもしかして……」
頭の中で繋がる記憶たちに導かれ、上を眺める。
「どうした?」
「シノブさん。この骨材、ギュって握りしめた跡があります」
「それが?」
「これ、猿人馬の手と、サイズが似てませんか?」
「奴がいるって事か? やっかいだな」
「いや、もしかして、この前の資源採取戦で水上型と戦った場所なんじゃないでしょうか?」
「じゃあ、さっきのは……」
「やっぱり、前に戦った個体たちだと思います」
「……くそ。資源採取戦のとき、ぶっ殺しておけば」
シノブが押し黙る。考えている事は分かった。
(シノブさん、多分、責任を感じて……)
ふと、画面端のエネルギー残量に目が行った。弾薬と同様、可動限界までもう一時間もない。
「あそこに、奥へ続く横穴がある。とにかく進むぞ」
シノブの声から張りが無くなっていた。操縦士も、エネルギーも弾薬も、余力はもう幾ばくも無い。
〇廃棄都市 使途不明の地下トンネル 横坑
暗く続く坑道をサクラダ警備一同がとぼとぼと歩く。その雰囲気は暗く重たい。
「いつの間にか、コウモリみたいなのがいなくなりましたね」
「ああ。住処を抜けたのか? とにかく、エコーロケーションが使えるようになったな」
チッチッと甲高い音を発し、サーバルⅨの耳型センサーアレイが反射を拾う。
シノブの脳裏にはトンネルの形状が聞こえていた。跳ね返りによって、壁面の形が次々と浮かび上がる。
そして、前方からの音の返りが小さい事に気づいた。
「抜ける感じがあるな……。前に大きな空間がある。縦穴が?」
「今度こそ出口があるといいんですが……」
「分からねえ……。とにかく行ってみるか」
トンネルを抜けると視界が開け、明るい空間が広がる。シノブはあたりを見回し、戸惑った。
「ここは? なんだ?」
そこには格段に大きな空間があった。加えて、床や壁が新しい。幾つか照明も残っている。今までの坑道とは明らかに毛色が異なる場所だった。
シノブの顔に不審が浮かぶ。
(最近まで使われてた? 何かの倉庫? こんなところで? 誰がなんのため?)
途中で、横からアオイの大声が響いた。
「シノブさん! あれ!」
アオイ機が指さす先。そこには、人戦機も載れる大型のゴンドラがあった。ゴンドラは上方へ伸びるレールに繋がっている。
レールに導かれシノブが視線を上げると、天井に空いた穴へと続いていた。穴からは光が差していた。思わず声が弾む。
「おお! やったぜ!」
隣から聞こえるアオイの声も弾んでいた。
「あれ! 建設現場で見た、ゴンドラですよね!? やった!」
アオイ機がゴンドラへ駆け寄ろうとする。直後、カチャリという金属音。それは資源採取戦、つまり対人戦で何百回も聞いた音だった。
前を行くアオイへ向かって吠える。
「アオイ! 伏せろ!」
「え!?」
アオイ機が伏せた直後に、高速の殺意が機体直上を翔ける。
サーバルⅨと改造脳が発砲音の源を割り出す。そこには、シドウ八式がコンテナから半身を乗り出してサブマシンガンを構えていた。
「あれ! タケチさん?」
「チッ! あいつ、別ルートから来たのか?」
迷路のような坑道で彷徨っていた自分たちの道程は、最短経路とは程遠い。追い抜かれた可能性は十分にある。
視線をタケチの乗るシドウ八式の横、つまりゴンドラへ移すと通信ウィンドウが画面に開いた。そこには切れ長の三白眼が映っている。
「速やかな排除を」
疲労を感じさせない淡白な提案とともに、ソウ機がアサルトライフルを構える。しかし、サーバルⅨがそれを制止した。
「ソウ。位置を考えろ」
「意味が不明です」
「リフトの近くにいるだろうが。ライフルでリフトを撃っちまったら、どうすんだ」
弟のような危なっかしい後輩を制すると、今度はアオイの不安げな声。
「どうしましょう」
「話し合ってくれりゃいいんだが、ここまで追っかけてきたやつだ。そう甘くは――」
わざわざ穴に落ちてまで追跡してきた。その事実を甘く見るべきではない。
(くそ。どうする……。ここはアタシがしっかりしないと――)
だが、その思考は芯の強い男性の声に遮られた。
「話をしよう」
予想外の言葉の意図を、だれも把握できなかった。




