第二十三話:先輩と社長と傷の男
〇紫電渓谷 トランスチューブ建設現場 作業員共同休憩所
一時間ほど前までは宴会で込み合っていた休憩所だが、既に人気はない。そこにいるのは、シノブと机に突っ伏しているアオイだけだった。
休憩所にトモエが入った。シノブの席へ近づき、隣へ腰を下ろした。
「また酒ばかりか」
「トモエさん」
トモエが、視線を落とす。その先には、ほとんど汚れていないシノブの取り皿があった。
「食べずに飲むと胃を痛める……は老婆心がすぎるな。シノブはそんな歳でもないか」
トモエが苦笑した。
「私も歳を取ったな。シノブと最初に遭った時から、随分と経った」
「そっか。もう、結構ですよね」
そう言って、シノブはコップに注がれた酒をあおった。トモエの視線が、ほとんど汚れていないシノブの取り皿へ移る。
「食べたらどうだ。味がしなくても」
「ついつい、脳みそに効く酒ばかりになっちゃって」
シノブがグラスを上げながら、言い訳じみた笑顔を浮かべた。
「脳の再配置による聴覚向上の代償……か。あんときゃ、よくわからなかったんですけど」
「イナビシの研究所に来る時の話か」
「研究員の人が話してくれたんですよね」
シノブが、説明を諳んじる。
シノブの聴覚向上は脳の再配置と言う現象を利用している。使わない器官に繋がった脳の領域が、他の器官を司る領域に取り込まれる現象だ。
犠牲にしたのは味覚。味覚を殺すことによって、余った脳のリソースを聴覚に捧げる。後は電極を埋め込み、頭部マイクと結合すれば超人的聴力の完成だ。
「今だったら、脳みその使える場所を共食いする……ってわかるんですがね。あんときゃよくわからなかった」
「仕方あるまい。スラムの子どもに理解は酷だ」
「ま、なんとなくヤバいことは分かってましたし」
シノブが猫耳帽を指す。
「これのおかげで人並以上にやれてます」
そう言ってシノブが頭上の耳を指す。
「スラムのガキが、イナビシみたいなすげぇ会社で働けたのも、耳のおかげです」
そして、俯いたシノブの瞳が、どろんと暗くなった。
「……それに、少し救われています」
「救い……か」
シノブは、空の皿を見ながら俯く。
「アタシだけが、食事を楽しむ訳には行かない」
そう言って、シノブはアオイをさする。
「こいつらを見ていると、思い出します」
甲斐甲斐しいシノブを見たトモエの口元が、寂し気に歪んだ。
「亡くなった弟と妹か……」
「成り行きでスラムに身を寄せ合っていただけだから、義理ですけどね。まぁ、アタシにとっちゃ、血が繋がってようがいまいが弟と妹です」
シノブが遠い目をした。トモエがバイザー型視覚デバイスを向ける。
「似ているのか? ソウとアオイに」
「頭をいじったせいか、あんまり思い出せなくて。写真とかがあれば……。今なら、撮影機能付きの情報端末なんて端金なのに。骨すら残ってない」
「まぁ、仕方あるまい。今の自分なら……なんて後悔はあるさ」
トモエが、バイザー型視覚センサーからはみ出た傷跡を掻く。
「誰にだってな」
実感が籠ったトモエの一言に、シノブが振り返る。今も痛々しいトモエの傷跡が見えた。
「トモエさんもですか」
「ああ。それなりに生きているからな」
親を見つけた子どものように、安堵が顔に浮かぶ。
「あいつらの雰囲気は覚えています」
しかし、安堵の笑顔が後悔に蝕まれていく。
「いつも危ない事ばかりだった弟と、身体が弱くて大人しかった妹と――」
そして、食いしばりそうになった歯を無理やりに開く。
「血は繋がって無くても、家族でした」
手に持ったコップを勢いよく振り上げ、何かを押し込むように飲み干した。
「イナビシの手術さえ受けなければ、そう考えない日はないですよ」
「仕方あるまい。聞いていた限りでは、受けるのは道理だ」
「初めはおいしい話だと思ったんですけどね。被検体になるの」
「スラムでは得られない報酬。社会復帰の足掛かり。選択肢などあるまい」
「そんな難しい事なんて考えてなかった。みんなで美味い飯を食いたかった。それだけですよ」
シノブの拳に力が籠り、そのまま俯いた。
「アイツらが笑って送り出してくれて、アタシが手を出せない所で死んでいく。何回も何回も何回も夢に出てきます」
堕ちた煉獄の有様を、シノブが吐き出す。
「ずっと傍にいれば。ちゃんと守り抜いてやれれば。そう考えない日はないですよ」
そう言って、シノブが酒の残りを飲み干した。トモエがその様子を見届けて、硬い声を口から吐いた。
「……だからか。救出作戦での不合理な行動は。気づいているだろう?」
その言葉に、シノブの動きがピクリと止まる。
「装甲の薄いサーバルが前に出る場面ではない。囮役は中量級で装甲が比較的厚いシドウ一式。それは分かっていたはずだ。アオイの技量を考慮してもな」
シノブは何も言わない。ただ、ジッと空になったコップを見ている。
「シノブは分隊長だ。役割は何だ? 作戦目的の遂行と、損害の最小化だ。あの場面でお前が戦闘不能になる事は、損害の最小化か?」
シノブは何も言えない。
「資源採取戦でかばった件。あれは咄嗟だったのだろう。だが、今回は違う。考えた末にそうした」
トモエの言葉は、全て事実だった。
「なぜ後輩を信じてやらない。大事にする事は、任せない事ではない」
「ですけど、まだこいつらは――」
「信じろ。そうでないなら任務が上手くいくはずもない」
シノブが唇をかむ。その様子を、トモエがじっと見ていた。
「その結果がサーバルの中破だ。腕の再建までまともに動かせない。連日の強襲で、予備部品は底をついた。リコが三次元加工機をフル稼働させているが、それでも次の任務には到底間に合わない」
「それは……」
「我々はクライアントに最善を尽くす義務があると言うのに……だ。これ以上、私情で評価を歪め、利益を損なうならば、次の契約は更新しない」
「アタシはただ!」
シノブが腰を上げる。トモエも合わせて、ゆっくりと立ち上がった。
「猛り、悔しさ、意地。それらが力をくれる事は私も知っている」
そして、シノブの肩にそっと手を置く。
「だが、振り回されるな」
シノブが思わず視線を下げる。その目を、トモエの視覚バイザーが見つめていた。
「昔。シノブがイナビシに入ったばかり。その時の目を覚えているよ。世を、運を恨んだ、どこまでも暗い目をしていた」
猫のような瞳がトモエを見返す。
「だが、変わった。だから、これからも変われるんだ」
立ち尽くしたシノブが、力なく座る。突っ伏したアオイが身じろぎしたため、咄嗟にその背中をさすった。
トモエが優しく微笑む。
「甲斐甲斐しいな……」
口から出る言葉に、先ほどのまでの固さはない。
「プライベートまでは口出しはしない。仕事に支障がなければな。私は先に行くぞ」
トモエは立ち去り、再び部屋に静寂が戻る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
突っ伏したまま話を聞いていたアオイが、うっすらと目を開ける。
(シノブさん。やっぱり。こんなの……)
罪悪感に思わず眉が歪めてしまう。シノブが冷静になれないのは、自分がいるせいだと。
(でも……、でも)
だが、背中を摩る温もりを、アオイは手放したくなかった。
(でもボクだけじゃなく、シノブさんだって)
自分がいることで、シノブの渇きも癒される。そう思い込もうとした時だった。突っ伏するアオイを覗き込むように、もう一人の自分が冷笑する。
――ボクはそうやって甘えちゃう。そうやって迷惑をかけちゃう。
アオイは、音の無い言葉を、ただ聞くしかなかった。
(違う……! いや、違くは……)
もう一人の自分から視線を逃すように部屋の奥を見ると、頬に傷を持つ厳めしい男がこちらを見ていた。
(あれは……。タケチさん?)
その目を見て驚く。
いつもは気迫の籠った双眸が、まるで仲間外れにされた子どもの様に今にも泣き出しそうだった。
困惑と、寂しさと、悔しさと。それが奥底に渦巻いている。
(なんで……?)
疑問は晴れることも無く、タケチは姿を消した。アオイにはその事がどうしようもなく不安だった。
〇紫電渓谷 メガトレイン基地建設現場 居住用簡易ドーム内
頭上を覆う白い幕のドーム。それは休憩および宿泊用スペースに設けられた防疫用簡易ドームだった。その中に、居住用および休憩用のプレハブ部屋がいくつも積まれている。
積み上げられたプレハブの谷間を行きかう作業員と武装警備員。流れから一歩外れたところに、頬に傷を持つ剣呑な男、タケチが立っていた。一見すると何もせずに佇んでいるだけのように見えるが、口元がかすかに動いている。
「移動ルートは? 手に入れたんだろう」
「ああ。だが、まずい。やはり重なる」
「爆破による進行妨害は?」
「連中の機材から考えると多少の時間稼ぎだけだ。恐らく間に合わない」
「では」
「襲うしかないな。頼む」
「分かった。仕込みは無駄にはならなそうだ」
襲撃を頼まれてもなお平然するタケチ。その後ろから、くたびれた男たちの声。
「おい。カネの話は?」
「まさかここまで来て無かったことになんて――」
タケチが泰然と振り向く。
「心配はない。カネは払う。追って連絡する」
それだけ言って、タケチがその場を去ろうとする。残された男たちの顔に不安と疑念。それが声に乗った。
「お前はどこに行くんだよ」
「お前たちには関係ない」
はっきりとした口調には、それ以上の問答は許さないと言う意が込められていた。戸惑う男たちを一瞥することも無く、タケチは情報端末を確認する。そこには今回の護衛に参加した武装警備員のリストが載っていた。
「信用スコアが低い参加者は……。やつか」
信用スコアは秘匿されるべき個人情報で、しかるべき企業がしかるべき管理体制で取り扱うものだ。それを非合法的に用意できるのが、タケチの所属する組織の実力だった。
「名前はシノブ……か。奴は無理か」
シノブの経歴が並ぶ。
「スラムで聞いた話と一致しているな。志を共にできると思ったが……」
固く目を閉じるとともに、舌打ち。再び見開かれたタケチの瞳には、怒りが燃えていた。
「過ちは、贖わなければならない……! だと言うのに……!」
そう言って、タケチは人ごみへ消えた。




