第二十一話:少女と先輩と幻影の誰か
〇紫電渓谷 トランスチューブ内 深部
静寂の薄暗がり、その中をサクラダ警備の三機が進む。人戦機が真っ直ぐ立てるギリギリの高さ。横幅も同じ様に狭い。
息苦しさを感じていると、通信ウィンドウに切れ長の三白眼が映る。
「随分と窮屈だな」
「そうだね。それに暗いし、脆そう」
支持材も照明も最低限しかない。メガトレイン用のトンネルとは明らかに異質だった。
「ここはなんなんでしょうか?」
「さあな。避難用かも知れないし、ハイパーなんとかっていう、人が乗る方のトンネルかも知れねえな」
その後もあたりを見回しながら進むと、壁が崩れている個所が見えた。ひしゃげた骨材が、不穏な空気を醸し出す。
「何が……? 嫌な感じ……ですね」
「戦闘だな。人戦機が攻性獣を追ってきたのか、その逆か」
サーバルⅨが戦闘痕を一瞥しながら進む。
攻性獣の群れに出くわさない様に。そう祈りながら頭上を見れば、眼前のゴーグルの直ぐそこに天井が見えた。
(閉じ込められたみたい……)
三機が進む先のトンネル床に、黒い穴。凝視して拡大された視界に映るのは、半分ほどの幅が崩落した床だった。
「と、とおれない?」
どうしようかと二の足を踏んでいるとサーバルⅨが前に出る。
「壁に寄れば何とか行けるか?」
「い、いくんですか? シノブさん?」
アオイの声にあからさまな不安が籠る。穴の底は見えないほど暗い。だが、シノブの瞳に揺らめきはなかった。
「わずかだが血痕がある」
「と言う事は……」
「要救助者がいる可能性が高い。ついてこい」
サーバルⅨが壁に貼り付くよう、機体を寄せた。そのままの姿勢で、すり足気味に前へ向かう。
ソウ機が前に出た。
「よし、行くぞ」
「ほ、本当に? 平気なの?」
「任務遂行が困難なら置いていくが? 減給になると推測されるぞ?」
「う……。仕事だもんね」
大穴の脇を通り抜ける。視界端に映る大穴の底は暗く見えない。恐怖を紛らわそうとして、シノブへ話しかける。
「なんでこんな大穴が?」
「何かの拍子に、抜けた感じだな。戦闘か?」
「そんなに簡単に?」
「この下に空洞があるのかもな」
「そんなものが地下に?」
「昔、地面の下にトレージオンが沢山埋まっていて、それでトレージオンの噴出が起きるんじゃないかって説があったんだ。それで、そこかしこを掘り返した時期があったらしい」
それを聞いて、ふと疑問が浮かぶ。
「でも、今も資源採取戦やっていますよね。ってことは」
「結局見つからなかった」
「もしかしたら、そう言う穴が原因で崩れたかも……って事ですか」
その時、機体が足元の小石を蹴った。
「あ」
小石はコツン、コツンと穴の壁に当たりながら落ちていく。その音は存外長く続いた。僅かばかりに緊張の乗ったシノブの声が聞こえた。
「相当深いな。気を付けろよ」
シノブの注意につられて大穴を覗いた時に、仄かな光と何かの影が見えた。
はっきりとしないが、見ようによっては人影にも見える。
背筋にうすら寒い物が走るのを感じた。
「何か……、いや、誰か……いる?」
未開の土地のど真ん中でそんなことがあるのだろうか。目を細め、その深淵をのぞき込もうとした時、シノブの声に引き戻された。
「前を見てみろ!」
「人戦機?」
一同の前に、人戦機が倒れていた。サーバルⅨが駆け寄る。
「おい! 大丈夫か!? ……これは」
シノブの息を呑む音が聞こえた。
サーバルⅨの肩越しに胸部、つまりコックピットがある部分が、何かに殴られたように大きくへこんでいる所が見えた。その惨状に声を漏らす。
「ひどい……」
操縦士に必要な空間が無い。漏れ出る声に痛々しさが乗った。
「これは……もう……」
「救助を優先するぞ。……間に合わなくて、ごめんな」
感傷に浸る中に、場違いなほどの冷静なソウの声。
「攻性獣を確認」
慌てて視線を上げる。薄暗いトンネルの奥に、僅かながらに影が見えた。
「あの形。何? もう少し……」
凝視すると、画像がズームアップされる。そこには盾を持ったシャコのような攻性獣が居た。
「初めて見た……」
片腕に分厚い甲殻を纏わせており、さながら盾を構えた重装歩兵のようだった。しかし、幽鬼のように虚無な赤い瞳が、人ではなく攻性獣であることを物語っている。
鉄壁を彷彿とさせる姿に気圧されていると、シノブの声。
「くそ……。トモエさんと繋がれば、どんなやつか分かるのに」
「通信ウィンドウは……、やっぱりノイズだらけですね」
「ここまで進んじまったからな」
「どうします……って、引けないですよね」
「どんなやつか、探るしかねえな」
攻性獣を改めて見ると、盾を構えた重戦士の如き屈強さが伝わってくる。
「見るからに近接向きですね……」
「突っ込みたくねえけど、時間もない。……ん?」
サーバルⅨの耳が前方を向いた。
「あの奥から人の声がする。間違いない」
攻性獣も気づいたように後ろを向いた。シノブの顔に焦りの色が浮かぶ。
「まずい。奥に向かい始めた」
「各機! 注意を引きつけろ! すぐに撃て!」
先頭を行くソウ機がいち早くショットガンを構えた。
「了解。攻撃開始」
発砲。閃光と轟音が壁から返る。
散弾は、巨大な甲殻の盾に弾かれた。甲殻にはヒビ一つ入っていない。それを見て、シノブが舌打ちを一つ。
「この距離じゃ無理か」
「接近して仕留めます」
通信ウィンドウに映るソウが、淡々と答える。
「これで」
一、二、三発と子気味良くショットガンを連射しながら、ソウ機が距離を詰める。背後を見守るが、どうしても不安が拭えない。
(確かに近づけば威力は増すけど……)
先ほど見た破壊された人戦機の惨状が、脳裏にちらつく。
「ソウ! 気を付けて!」
「時間が無い! 一気に行く!」
恐怖に竦まない事は相棒の長所だ。だが同時に、短所でもある。
(分からない……! 止めたほうが? でも、要救護者の確保を先に? どっちなら失敗じゃないの?)
頬に冷や汗が流れるのを感じていると、ソウの舌打ちが聞こえた。
「まだ弾かれる。詰めるか」
ソウ機が奥へ一層踏み込んだ瞬間、破裂するような轟音が響く。
ソウ機が、吹き飛んできた。猛烈な勢いで。
「ソウ!?」
サーバルⅨがソウ機とぶつかり、ガキンと硬い音が響いた。しかし、勢いは止まらない。
「クソ!」
「シノブさん!?」
咄嗟に手が出た。
「ぐぅ!?」
ソウ機ごとサーバルⅨを受け止める。勢いを殺しきれず、三機そろって倒れ込んだ。鈍い衝撃が背後から突き上げる。
「うぅ……、いつ」
視界が揺れる中で機体の状態を起こすと、自機の上にソウ機が倒れていた。
「ソウ!? 大丈夫!?」
返事がない。見れば、前腕装甲が砕け散っていた。ソウは気絶かそれに近い状態なのだろう。
「くそ。何が起きた」
シノブがそう呟いて、機体を起こす。シノブに続いて、自機を立たせた。
「あの攻性獣と、ソウが戦って……」
視線を攻性獣の片腕へ集中させる。盾のような甲殻は剥がれ落ち、攻性獣特有の黄色い血肉がむき出しになっている。
「多分、殴ったんだと思います」
サーバルⅨも前を向いた。通信ウィンドウに映る、猫の瞳が険しく歪む。
「あれは盾じゃねえな。ハンマーだ」
「しかも、相当に伸びます」
甲殻が剥がれ落ちて露になった腕は、何重にも折りたたまれていた。
(シャコに近い腕の構造? それならこの威力も納得か。ただ、折りたたみ方がシャコよりも多い。だからリーチも長いのか……)
リーチと威力の両方で凶悪なパンチだった。下手をすれば、操縦士の命に届きかねない一撃だ。
(さっきの壊れた人戦機も、アイツが……!)
迂闊には近づけないと戸惑っている間に甲殻は再生をはじめ、黄色い血肉を覆い隠す。
(なんて再生速度……! もう、ほとんど元通りに……!)
狭い一本道で回り込むこともできない。救護のために脇を抜けようとすれば、致命の豪打が飛ぶ。
「よりによって、こんなところで、あんな敵と……!」
相性と状況は最悪だった。
「電源を落とすのはどうでしょう?」
「ここに来るまでなかったな。探している間に奴は救助対象へ行く」
「どうしましょう……」
だが、時間は刻々と過ぎていく。
「クソ。早く考えないと……」
シノブの声が焦れる。
(これなら……。これしか……)
危険ではあるが策はあった。意を決してインカムを入れる。
「十秒です」
「何?」
「甲殻が再生するまで十秒。あのパンチ、連発はできません」
それを聞いたシノブがアオイの意図を察する。
「なるほど。縦隊」
「はい。そうです」
「前が囮。後ろがアタック……てことか」
即座の理解に胸を撫でおろす。
(軽量で装甲の薄いサーバルと、中量で装甲があるシドウ。ならボクが)
そう思って機体を前に出そうとする。だが、その先にサーバルⅨが出た。
「行くぞ。アタシが前だ」
「え? でも、シドウの方が――」
シノブは語気を強める。
「アザミに危ない真似はさせられねえ。絶対にダメだ」
自分では無い誰かに、シノブが話しかけていた。
(え? 言い間違い? でも、誰の名前?)
アオイが逡巡する間に、シノブが武装を差し出す。
「これ。持っていけ」
ショットガンと電撃ナイフがサーバルⅨの手に有った。それを受け取るという事は、囮役をシノブに押し付けるという事だ。
「でも、これを受け取ったら――」
「時間が無い」
モニター越しでも分かるほど、シノブの瞳に意志の力が込められていた。
判断は絶対に変えない。その決意が伝わってくる。
「……分かりました」
差し出された武器を受け取る。
|電撃ナイフ《ハイメッサーは左前腕下部のハードポイントに格納し、ショットガンを手に持った。
背面には武器マウンターの代わりに救護者搬送用バックパックを背負ってきたため、予備の銃を収めるところはない。サブマシンガンはソウの機体の傍に置いておく。
それを見届けたシノブが号令をかける。
「じゃあ……、行くぞ!」
サーバルⅨが駆け出し、その後を追う。
サーバルⅨ越しに見えるシャコ型攻性獣が、片腕をこちらへ向けた。その間にも、狩る者と狩る者の距離が徐々に無くなっていく。
不安に駆られ通信ウィンドウを見るが、シノブはその視線に気づかぬほどに集中していた。
「来るか。来る来る来るくるくるくる……」
シノブがうわごとのように呟く。その気迫に唾を飲んだ。
(ボクもしっかりしなきゃ)
自分も意識を眼前に戻す。直後、シャコ型攻性獣の大型腕部がブレた。
「来やがった――!?」
サーバルⅨが腕部を十字に構えかけたと同時に、轟音が坑道に鳴り響く。
「つぅ!?」
シノブのサーバルⅨが吹き飛ぶ。天井をかすめ、こちらへ迫る。
「避けなきゃ!?」
そう念じると、シドウが上半身をひねった。眼前をサーバルⅨが掠め、肩装甲から火花が散る。そのまま、後方へ吹き飛ぶサーバルⅨの片腕は、原型もないほどぐしゃぐしゃだった。
(シノブさん……!)
姉のような存在が、もしかしたら重傷を負っているかも知れない。ドクドクと脈打つ鼓動を、唇を噛み締めて押し殺す。
「無駄にするか!」
甲殻が剥がれた腕に弾道予測線を重ね、コックピットのトリガーを絞る。
「ここ!」
閃光が暗いトンネルを照らす。散弾が、むき出しの黄色い血肉を吹き飛ばした。だが、決定打ではない。
「もっと!」
更に詰め寄り、撃つ、走る、撃つ。それを繰り返した。
「ヒビが! よし!」
とうとう胴体の甲殻にヒビが入り始める。だが、シャコ型攻性獣は、もう片方の腕を前に構えた。
「そっちも使えるの!?」
肥大化していない方の腕に視線を向ける。甲殻が二回りほど小さい。だが、甲殻を纏った凶器である事には変わらない。
「この距離だと!?」
危険を感じ、後退へ転じる。後ろ歩きをしながらも、ショットガンを浴びせ続ける。甲殻と黄色い血肉が舞った。
「止まらない!?」
だが、シャコ型はこちらへ向かってくる。
「まずい。そろそろ」
視界端のリアビューにソウとシノブの機体が映る。双方ともまだ起き上がっていない。戦闘不能の二機を守れるのは自分だけだ。
「ここが限界。もう下がれない」
身体が震えた。
それが悪寒か武者震いか分からない。だが、意味はどちらも同じ。ここからが死地だという警告だ。
「ボクが押さえないと!」
腹を括るため、大きく息を吸い込む。その間に彼我の距離が詰まる。
「この距離なら」
精一杯の気合と共にトリガーを引く。
「いけぇ!」
散弾が甲殻に叩きつけられ、破片が大量に舞い散る。近距離ゆえの強烈な一撃が、シャコ型攻性獣を怯ませる。
「このまま!」
次々と銃撃を浴びせる。一発ごとに攻性獣が怯み、甲殻のヒビが広がっていく。
「いける! いける!」
そう確信した時だった。トリガーを絞っても、銃火が灯らない。
「た、弾切れ!?」
次にどうするべきか、人戦機が操縦者に問う。だが、咄嗟に答えられなかった。
「リロード? 突っ込んで格闘? ど、どっちが早い!? って――」
悩んでいる暇はない。そう気づいた時には、シャコ型攻性獣が残った片腕で殴りかっていた。
「しまった!」
轟音の直後、ショットガンがはじけ飛び、機体も倒される。背後からの衝撃が胸を抜けた。
「くぅ!?」
シャコ型攻性獣がそのまま圧し掛かる。続いて、振り上げられたのは甲殻のハンマーだった。
「あ、まず――」
強烈な打撃音と衝撃が真正面から突き抜ける。積層装甲がバキバキと音を立てて砕け、身代わりとなった。それでも残った衝撃が、全身をゆらす。
「ぐぅ!?」
装甲が生きていても強烈な打撃だった。何回も殴られれば、積層装甲の機能は薄れ、衝撃を直に受ける。その威力を想像すると、肌がちりちりと警告を上げた。
「まずい! まずい!」
コックピットを、つまり操縦士の命を狙っている。だが、抗う術がない。
先程に見かけた、胸部の潰された人戦機が目に浮かぶ。
(こ、このままじゃ、死ぬ!?)
一撃、また一撃と轟音と衝撃が響くコックピット内で、必死に思考する。前腕に付け替えた希望のナイフが目に入った。
「これで!」
シノブから受け取った電撃ナイフを抜き取り、シャコ型攻性獣のひび割れた胴体へ刃先を刺す。
「いっけえええ!」
体内へ侵入する異物から逃れようと攻性獣が暴れ回る。だが電撃ナイフは着実に刀身を攻性獣の体内へ沈めていく。
格闘はとてもできないが、この姿勢で刺すだけならばなんとかできる。
「これならボクでも!」
もう少しで、電撃が有効になる。
「いける! 電げ――」
電撃用にトリガーを引こうとした瞬間、攻性獣がその身を大きくよじらせた衝撃で電撃ナイフは弾かれた。
「あ!?」
ナイフは遠くまで飛び、ソウ機を当たる。カンという音と共に弾かれて、大穴へと姿を消した。
「し、しまった!?」
その行方を追う間に、攻性獣が乗りかかった。
「まずい! まずい!」
殴打が再開され、コックピットに警告が響く。
小さい方の腕で殴られても、ダメージは甚大だった。そして、もう片方の腕もあと少しで再生する。
「おっきな方が来たら!?」
打開策は見つからない。無情にも、甲殻の再生は終わった。
「お、おねえ――」
「どけ!」
相棒の声と共に、機械仕掛けの戦士が攻性獣に飛びかかる。
「ソウ!」
ソウ機が片腕でシャコ型攻性獣を羽交い絞めにした。間髪入れず甲殻のヒビに、サブマシンガンの銃口を突っ込む。
「終わりだ」
くぐもった音が坑内に響くのと同時に、黄色い血肉が生々しく飛び散った。シャコ型攻性獣が暴れ回る。
「離すものか! 死ぬまで!」
ソウ機は締め付けて離さない。その間にも銃弾が鈍い音を立てて肉へと潜り込む。そのたびに、攻性獣の抵抗から力が抜けた。とうとう、弾丸が打ち込まれるのに合わせて、ビクビクと痙攣するだけになった。
「撃破完了」
ソウ機がこちらを向くと同時に、通信ウィンドウに切れ長の三白眼が映った。
「アオイ。無事か?」
「な、なんとか……。そうだ! シノブさんは!?」
「気絶だけだ。バイタルは正常」
「良かった……」
胸を撫でおろしていると、ソウの疑問の声が聞こえた。
「なぜサーバルⅨだけが被害を? 片腕は再建が必要なレベルだ」
「それは、シノブさんが囮になって――」
状況を説明するが、ソウの声に乗る疑問は濃くなった。
「理解不能だ。装甲の厚いシドウが囮に適している。それに、格闘能力を持っているシノブさんが攻撃役を務めるべきだ」
「それは――」
その時、サーバルⅨがゆっくりと体を起こした。続いてシノブの声が坑道に響く。
「お前たち。無事か?」
「シノブさん!? ワタシたちは無事ですけど、シノブさんは!?」
「アタシは無事だ」
「よかった……」
「ただ、サーバルは完全にやられちまったな」
サーバルⅨの片腕はだらりと下がったままだった。歩き方も、今にも転びそうな程ぎこちない。
「動き方が変ですけど……」
「基本ソフトウェアは、五体満足が前提だからな……。それよりも……」
サーバルⅨが攻性獣の死骸を向いた。
「きっちり仕留めたか」
「でも、もらった電撃ナイフが……、穴に落ちてしまって」
「気にすんな。生きてるのが一番だ」
「シノブさん……」
気遣いに涙が出かけたが、すぐにシノブが場の空気を締める。
「まずは救助だ。急げ!」
「了解!」
攻性獣の死骸を乗り越える三機。やがて、作業員が手を振る姿が見えて、トンネルに喝采が響いた。




