第二十話:少女とトンネルとその先の暗闇
〇紫電渓谷 地下トランスチューブ内 降下地点付近
地下に広がる静寂のトンネル。巨大円筒空間が、人戦機を優に超す幅広のレールが、どこまでも続いていた。側面には工事作業のためのライトが等間隔で連なっている。空間の果ては見えない。
トンネルの中を三機の人戦機が小走りで駆けていた。
その最後尾には、肩に桜と盾をあしらったペイントを塗ったシドウ一式。モノノフの鉄兜に似た頭部装甲と大鎧を思わせる大ぶりの肩部装甲が、駆け足とともに上下する。
そのコックピット内部には、アオイが居た。
目の前に広がるトンネルの巨大さに、アオイは圧倒されるばかりだった。
「このトンネル。すごい大きさ」
つぶやきをシノブが拾う。
「メガトレイン用だからな」
「都市の間で荷物を運ぶ、大きい列車でしたっけ?」
「ああ。とにかくでかい。荷物どころか、建物ごと運ぶ場合もあるみたいだ」
「すごいなぁ……」
「ただ、このトンネル。照明が作りかけなのか、暗いな。二人とも傍にいろよ」
「了解」
応じた声がいつまでも木霊した。
未完成の人工物が醸し出す頼りなさと、それに頼り切らざるを得ない不安に怯えながら、機体を進める。
そんな中、トモエからの通信が入った。
「フォーメーションを確認する。シノブ機は前衛、ソウ機は中衛、アオイ機が後衛だ」
シノブのサーバルⅨは元から索敵に長けている。加えて、腕部にカメラチューブを装着していた。廃棄都市と同様に、本体を隠しながらのカメラ確認を可能にするためだ。最前衛で索敵を務めることによって、不意の邂逅を阻止するのが役目だ。
ソウは突撃兵装を装備しており、会敵時には一気に距離を詰めてショットガンで相手を撃破する。
アオイは要救助者搬送用のバックパックを背負った特殊装備で、ショットガンよりはやや射程の長いサブマシンガンを装備している。
気を張り詰めながら行進している三機の元に、トモエから通信が入る。
「アオイ。気をつけろ、支持材を壊したら生き埋めになると思え。銃弾は、貫通力の低いタイプに変えているが、それでも万一はある」
「わ、分かりました」
念を押すようなトモエの声から、どれほどの危険が待ち受けているか知る。
(でも、ボクたちが遅れたら……!)
当然、救助者がいる以上、立ち止まる訳には行かない。
備え付けられたライトが後ろに抜けて暗闇が訪れた後、新しいライトが視界を照らす。明滅を繰り返す視界が、時間感覚を狂わせる。
(ボクたちが入ってから、まだ一分か。長く感じるな)
意識をモニターに戻した時に、サーバルⅨの耳のようなセンサースロットが動いた。通信ウィンドウに映るシノブの瞳に、鋭さが灯る。
「トモエさん。敵、見つけました」
「来るぞ! 立ち止まるな! 誤射へ細心の注意!」
「了解! ワナビーども! 間違っても支持材を打ち抜くなよ!」
シノブの発破に、改めて気合を入れる。
「りょ、了解!」
「了解」
ソウの平静な応答の後、シノブが号令を飛ばす。
「ソウはアタシと足並みを揃えて突撃。一気に潰す」
「了解。カウントを」
「三、二、一、今!」
二機のアサルトウィングが煌めきを増し、急加速で軽甲蟻に近づいた。
駆けるままに、二機が同時にショットガンを向ける。通信用モニターに映る切れ長の三白眼が、冷酷に光った。
「終わりだ」
攻性獣に触れるか否かのタイミングで放たれた散弾が、盾のような頭部を吹き飛ばす。リスクをギリギリまで見極めた代わりに、銃弾の威力を十全に伝える精緻な射撃だった。
通信ウィンドウに映るシノブが、愉快気に口角を上げた。
「上出来! 残りもやっちまうぞ!」
二機が攻性獣の死骸を飛び越え、後続へと肉薄する。
ショットガンが咆哮を響かせて牙を向く度に、黄色い肉片が撒き散った。
「他は聞こえねえな。急ぐぞ」
シノブの瞳が、空腹の捕食獣のようなギラつきを放つ。息つく間もなくサーバルⅨが駆け出し、ソウと一緒に後を追う。
しばらく駆けると、通信機越しのシノブの声に、戸惑いが混じった。
「行き止まり? いや、少しだけ……」
「なんです? シノブさん?」
「……多分行ける」
そのまま先頭のサーバルⅨは駆けていく。やがてトンネルいっぱいの隔壁が立ちふさがった。
「行き止まり……ですかね? シノブさん?」
「いんにゃ、よく見ろ」
シノブに言われて隔壁をよく見ると、人戦機が一機通れるだけの扉がある。
「あそこから中へ?」
「ちょっと待て。アタシが確かめる」
サーバルⅨが扉の横に付けた。腕からカメラチューブが伸びる。
「さて。鬼が出るか蛇が出るか。待ち伏せだけはご勘弁っと」
チューブが扉から奥を覗く。同時に、シノブが苦々しげに吐き捨てる。
「嫌な奴がいたな。アオイ、ソウ。画像転送するから」
「了解」
そこには建材をつかんだ腕長のケンタウロスがいた。
甲殻に覆われた醜悪な体表は、虫を彷彿とさせる。しかし、頭部はハンマーヘッドシャークのように横長く、赤い三つ目は幽鬼のような暗い灯りを宿している。
「猿人馬……。やっかいですね」
砲撃じみた投擲を行う、厄介な攻性獣の名前を呟く。
「クソ。他の所から入ってきやがったのか」
シノブも苦々しげに呟いた。自分が近づく姿を想像し、思わず顔を顰める。
「近づく前に投擲される……。そうなっちゃったら……」
その呟きをシノブが拾う。
「ありそうだ。壁をやられると生き埋めで詰み」
シノブが手元を操作した。
「どうします? トモエさん?」
「煙幕筒投射機を用意するべきだったか。交換に戻りたいが……。時間が惜しい」
トモエの煩悶に割り込んで、シノブへの通信を開く。
「シノブさん、あの」
「どうした?」
「猿人馬って、見えないと狙えないですよね?」
猿人馬の投擲を邪魔するために煙幕グレネードを使った事を思い出す。通信ウィンドウに映る猫のような瞳が、不思議そうにこちらを見つめた。
「ああ。……なにが言いたい?」
「暗くしたら?」
ウラシェの大気は可視光域外の電磁波を吸収する作用が強い。人戦機も含めて暗闇で相手を視認することは困難だ。
シノブが手を口に当てて俯く。
「ウラシェの大気じゃ暗視は無理だな。なるほど……。トモエさん。照明電源の場所、依頼元からもらえます?」
「少し待て」
その間、ソウが問いかけてきた。
「アオイ。どういう事だ?」
「真っ暗にしようってこと。こっちにはシノブさんがいるからね。それでも戦える」
しばらくすると、通信ウィンドウにバイザー型視覚デバイスが映った。トモエの凛とした声が耳をくすぐる。
「……よし。取れた。転送する」
送られてきた三次元マップを確認すると、その中で目立つ赤い点。おそらくは電源の位置を示しているのだろう。
「うっし。こっち側にあるな」
シノブの声に安堵が混じる。
「ソウが電源確保、アタシが突っ込む。アオイは電源を落とす前に敵が来たら一緒に対応。これでどうですかね? トモエさん?」
「上出来だ。頼む」
「じゃあ、それで」
ソウのシドウ一式が何も言わずに来た道を戻っていった。機影がトンネルの果てに消えてしばらくすると、ソウから通信が入る。
「電源前確保」
「じゃ、カウントよろしく。五秒前からな」
「カウント了解。五、四、三、二、一」
照明が一斉に落ち、あたりに闇に包まれる。
同時に、静寂の中をチッ、チッと言う音が木霊する。
(シノブさんが聞いている)
その音が段々と小さくなった。
(そういえば、お姉ちゃんが寝ている間にどこかへ行っちゃった日も……)
脳裏によぎるは恒星系基地にいる時の記憶。
一緒に手を握って寝ていたはずの姉が、夜中にふと起きるといなかった。随分と泣いて、ようやく戻ってきた姉に呆れられた事があった。
その不安が蘇り、コックピットの中で小さく祈る。
(上手くいって……)
猿人馬が気まぐれを起こしたら、生き埋めは確実だ。いつ天井が抜けるかも知れない。そんなプレッシャーで息を詰まらせながら、決着の時を待つ。
ショットガンの音が坑道に響いた。シノブから通信が入る。
「よし。電源をつけてくれ」
トンネルの明かりが戻る。隔壁の扉を抜け、サーバルⅨのもとに駆け寄る。
横たわっている猿人馬には、頭部がなかった。
「一発で……」
「ま、これくらいはな。ソウが来たらすぐに行進を再開する」
「わ、分かりました」
合流後、三機は先を急ぐ。
いくつもの照明が前から後ろに流れ、モニターが明滅を繰り返す。流れる単調な景色に混じる攻性獣をそれなりに倒した後、トンネルの一角に休憩所のような詰所が見えた。
「シノブさん、あれ」
「事前に渡された位置情報と一致してる。……けど」
最後に作業員たちが確認された場所だが、その様子を見たシノブは顔を歪めた。
「クソ!」
「ど、どうしたんです?」
「アオイ。お前も拡大して見てみろ」
意識をモニターに戻し、トンネルの奥に見える豆粒ほどの仮設詰め所を凝視する。その視線を内向きカメラが読み取ると、見つめる先が急拡大された。
「あれって……!」
大きく潰れた詰所の残骸が見えた。惨状を想像し、目元がこわばる。
「これって……」
「決めるのは早い! サクラダ警備です! 救助に来ました!」
シノブは詰所に向かって呼びかけるが、応答はない。
「返事が……。やっぱり――」
「ちょっと待て。いちいち降りる時間も惜しいな……。カメラチューブで確認する」
サーバルⅨがしゃがんで腕を入り口につけると、伸びたチューブが詰め所の残骸内部へと伸びた。
ミニウィンドウに映るシノブの顔が曇る。
「要救助者は見られない。どこかへ行った……?」
「シノブさん。この穴。それに血痕が」
周りを見張っていたソウがトンネルの横道を見つける。
「小さい……。避難……用?」
横道は人戦機が這いずってようやっと通れるかと言ったサイズだ。その中へ続く血痕が見えた。
「攻性獣から逃げるために、ここを通ったんだろう。まずいな。怪我してる」
シノブの顔に浮かんでいた戸惑いが、決意に変わった。
「くぐれるか……。いくぞ」
転送された画像は、真っ暗だ。その闇に何が潜むか、何一つ分からない。だが、アオイたちは進むしかなかった。




