第十九話:少女と小隊長と戦術の勝利
〇紫電渓谷 採掘現場 防衛限界地点
草木も皆無な荒涼とした渓谷に、土煙が立ち込める。十機程度の人型兵器たちが谷底に布陣して、土煙の奥にいる何かを警戒していた。
その中に、モノノフを思わせる肩部大型装甲板を纏うシドウ一式がいた。肩には盾と桜をあしらった社章がペイントされている。
そのコックピット内にいるアオイのゴーグルモニターには土煙だけが映っている。だが、土煙の奥に潜む脅威をビリビリと感じ取っていた。
「何が……。来た!」
爆破攻撃とともに巻き上げられた砂煙が晴れ、見えてきたのは数体の巨影だった。
「軽甲蟻……? いや、分厚い?」
更に砂煙が薄くなる。
軽甲蟻の甲殻を一回り大きくしたような見た目の攻性獣だった。幾重にも重なり合ったと甲殻は、重装甲型の人戦機よりも堅牢に見えた。
直後、通信ウィンドウに切れ長の三白眼が映る。
「猿人馬もいるな」
ソウの言うとおり、重装甲型攻性獣の奥に腕長のケンタウロス、つまり猿人馬がいた。
引きずるほどに長い腕部の先に、目一杯の土塊が握りしめられていた。猿人馬が上半身をひねる。ギリギリと音が響くような筋肉の隆起が、遠方からでもはっきりとわかった。
脳裏に大砲と見紛う投擲が浮かぶ。いくつもくぐり抜けた危機が、悪寒を走らせた。
「伏せなきゃ!」
伏せる最中、猿人馬が腕を振り抜くのが見えた。ぴゅうという無数の風切り音が聞こえたと思ったら、無数の礫が装甲を叩く。
途端に装甲残量の低下警告が灯った。
「まるで銃撃!?」
だが、怯んでばかりはいられない。立ち上がり軽機関銃を構えた。
「この!」
銃口から光の束が飛び出る。だが、手前の重装甲型が装甲板のような前脚を広げ、猿人馬がその陰に隠れる。
甲殻に弾き飛ばされて、弾丸は八方へと散っていった。
「硬い!?」
焦りで鼓動が早くなると同時に、他の警備員の声も聞こえてきた。
「ダメだ! 手前のが邪魔だ!」
「爆発物は!?」
「とっくに使い切った!」
「後ろの奴に近づいて倒せないか!?」
「あの間を抜けろってのか!? ごめんだ!」
聞こえてくるのは悲鳴に似た叫びだった。断片的に聞こえる情報はどれも状況の悪化を示すものばかりだ。シノブの声にも余裕が無い。
「どうする!? どうする!? 引いていいのか!?」
サーバルⅨが背後を振り返った。つられて背後を見る。工事機材と人型重機がそこかしこに在った。
「近い……!」
工事現場は間近にまで迫っていた。
下手に引いて、その瞬間に突撃されれば、もはや立て直しが効かない。アオイにもその事が分かるほどの近距離だった。
シノブの声に葛藤が混じる。
「退くか……。いや、追撃があるかも……! くそ! アイツに足があるか分かれば――」
軽甲蟻のように突撃を武器とするならば、退いた瞬間に追撃される。相手の機動力によって取るべき策が変わる、と理解した。シノブはそう悩んでいるはず。
ならば、とインカムをオンにした。
「大丈夫です! アイツは足が遅いはず!」
「どうしてわかる!?」
「足です! ゾウみたいにぺたんこで、ワニみたいに胴体の横に足がついてます!」
「ゾウ!? ワニ!? なんだそれ!?」
シノブの声に迷いが混じる。
(ボクがもっと話すのが上手だったら!)
口下手がもどかしい。もう一度説明しようかと口を開きかけた時に、ソウが割って入る。
「シノブさん。攻性獣に関して、アオイの見立ては正しい」
確信を込めた一言だった。
「ああ、トモエさんから聞いている。だが――」
「信じてください」
「そこまでか」
「命を預けられるほどには」
「……分かった!」
シノブの声から迷いが消えた。
「お前たち! 退くぞ!」
シノブの号令に合わせて、他社も含めた各機がさらに退く。
防衛目標がさらに近づいた。退避する人型重機と防護服を着た人々がリアビュー用のウィンドウに映る。
慌てふためく息遣いすら把握できる距離に、冷や汗が自然と流れた。
「ここで失敗したら……」
それでもシノブを信じて退き続ける。しばらくしてサーバルⅨが立ち止まったのは、狭路を抜けた広場だった。何かがある。縋るような信頼が声に乗る。
「シノブさん! これからは!?」
「機動戦の応用だ!」
シノブが吠える。
「重量級のやつは正面に固まれ! それ以外は後ろだ!」
気迫の指揮に各機が従った。
陣形を整え切って、今なお攻性獣との距離は残っている。恐れていた追撃は無かった事に、シノブの声に安堵が濃く混じった。
「トロい奴で助かった……! アオイの言うとおりだったな」
「よかったです。もし違ってたら……」
「今頃は……。考えたくもねぇ」
直後、重甲殻型攻性獣が前脚をたたむと、奥に守られていた猿人馬たちが投擲を始めた。
「各機、防御姿勢!」
礫の嵐が襲いかかる。
散弾に撃たれたような轟音が響くなか、前面に立つ重量級機体の装甲が徐々に剥がれていく。離れた分だけ威力が弱まっているのが救いだった。
威力低下を察知したのか、重甲殻型攻性獣と猿人馬がじりじりと距離を詰めてくる。
「いつまで守ってりゃいいんだよ!?」
前列の武装警備員の一人が叫ぶ。
「アイツら、寄って――」
再び礫が襲いかかる。バチバチと装甲を叩く音が少し強くなった。各機が前を見る。
「また近寄ってきた!」
盾となる重装甲型の人戦機たちも、無限に耐えられる訳ではない。装甲が少なくなるにつれて、雰囲気が重苦しくなる。
一人が叫べば、さらにもう一人、二人と不安が漏れ出てくる。
「どうするんだ!?」
そのどよめきを、シノブが一喝する。
「引き付けろ!」
「そのあとは!?」
「合図したら飛び出す!」
しばらく待った。
全員が固唾を飲んで耐え忍んでいると、攻性獣たちが渓谷の狭路を抜けて、こちらへ寄ってきた。つまり、今待ち構えている開けた平地へ、攻性獣を引き釣り出せた。
その瞬間、シノブの瞳に捕食獣の猛りが灯る。
「よし! 飛び出すぞ! 続け!」
重量級人戦機の列が攻撃に耐え続ける最中、シノブが駆るサーバルⅨが横陣の脇を抜けて飛び出した。
「遅れるなよ!」
機械仕掛けの捕食獣が渓谷を駆ける。その後を、死ぬ気で追いかけた。
「速い! でも、付いてかないと!」
シノブを先頭にして縦隊が進撃する。攻性獣たちの側面に躍り出たサーバルⅨがグレネードランチャーを構えた。
「残り全部!」
小気味良く投射された擲弾が、攻性獣手前の中途半端な位置に次々と着弾した。それを見て、思わず不安が声になる。
「外した!? まずいんじゃ――」
「大丈夫だ!」
「シノブさん!? 何が大丈夫なんで――」
「壁ができたろ!?」
ハッとして、横を向く。猿人馬は煙に隠れた。
「目隠し!? これで、投擲が!?」
「邪魔できる! 今のうちに回り込め!」
シノブを先頭にして、突撃組が群れの側面へ肉薄する。
「止まれ! ……よし。回れ左!」
左を向いた先には、攻性獣を包む煙が見えた。盾として布陣していた重量級人戦機部隊と、群れを挟み込む形となっている。
「これって……! 確か!?」
重装甲の引き付け役を金床、高機動の突撃役を金槌に見立てた戦術を思い出す。
「テキストの、金床戦術だ……!」
見本どおりの布陣に感心していると、シノブの声。
「アタシが撃つところを狙え! 煙が晴れるまでが勝負だ!」
他社の武装警備員が声を上げた。
「それで当たる証拠は!?」
「聴きゃあ分かんだよ! グダグダ言ってんじゃねえ!」
有無を言わせぬ勢いだった。
シノブが先陣を切って撃った。サーバルⅨが放つ銃撃をマーカー代わりにして他の人戦機も銃を向ける。その先から、甲殻と血肉に銃撃が当たる音が響く。
「次だ!」
号令とともにシノブが狙いを変えた。各機の銃撃が後を追う。
「本当に当てられるのか!?」
「サーバルのねーちゃんを信じるしかねえ!」
「だが、本当に!?」
「いいから撃て! 手応えはあるんだ!」
確かに手応えはあった。甲殻と肉が砕ける音が今も響いている。
それを数度繰り返すうちに、煙が風に流された。徐々に視界が晴れる。
「やった……!」
思わず感嘆が漏れた。煙の向こうには、猿人馬だった残骸が散らばっている。
シノブが歓声混じりの指示を叫んだ。
「よし! 残りはトロいやつだけだ! 囲め!」
取り残された重甲殻型を各機が囲む。重甲殻と言っても、体躯全面が甲殻に囲われている訳ではない。背後から撃った銃弾は、攻性獣の甲殻を砕いた。
「背面からは脆いな! 一気に殺せ!」
重甲殻型も反撃するためか、盾のように重厚な頭部を振る。同時に、重い足音を響かせて歩を進めるなり、転進するなりを試みているようだった。
だが、シノブの指示は余裕に満ちていた。
「こんなトロいやつに、やられんなよ!」
重甲殻型の挙動は鈍い。各機が付かず離れずの距離を保ちつつ、銃撃を加え続ける。各機の連携に危うさはない。
重甲殻型の関節は徐々に砕かれた。脚部の黄色い血肉が露出し、追加の銃弾で飛び散っていく。
「あともう一歩だ! きっちり殺せ!」
重甲殻型の太かった脚部は弾丸に削られ、重量を支えきれなくなり、黄色い血肉をまき散らしながらへし折れた。
まだ生きているらしく、黄色い血を滴らせながら折れた足を動かしている。しかし、既に戦闘能力はない事は、誰の目にも明らかだった。
ゴーグルに映る曇天を仰ぎながら大きく息を吐く。すると、通信が回復したか、通信用ミニウィンドウに視覚バイザーを付けたトモエが映った。
「シノブ。状況は?」
シノブが、いつもの不敵な笑みとは異なる、随分と疲れた笑みを浮かべた。
「何とか撃退しました」
「よくやった」
「ようやく一息――」
「では、追加の任務だ」
その瞬間、シノブの顔が引きつる。アオイも修羅場はまだ去っていないと知って、思わず頬が引きつるのを感じた。
〇紫電渓谷 トランスチューブ建設現場 仮設指揮所
トモエがシノブへ連絡する数分前のことだった。
十数人がコの字に並べられた机に向かって座っている。仮設指揮所に座る面々は昨日と変わらない。だが、明るかった空気が、今日はとてつもなく重苦しい。そこへ裂くような怒声が響いた。
「何が私たちに任せてくださいだ!? 現場まで攻性獣に来られているじゃないか!?」
声の主は工事総括だった。武装警備会社の面々に向かい、青筋を立てて怒鳴り散らしている。武装警備会社の代表者たちは気まずそうに歯切れの悪い言葉を並べた。
「だから、私は反対したんだ」
「あんたは反対してなかっただろうが。今更知ったような口を聞くな」
「責任の所在なんてどうでもいいが、どうするか決めないとまずいんじゃないか?」
「他人事のつもりか? あんたのところの警備範囲を抜かれたんだぞ?」
「責任転嫁はやめてもらいたいですな」
業を煮やした現場総括が、警備会社の代表者たちに向かい怒声を浴びせる。
「くだらない言い訳はうんざりだ! さっさと救出に移ってもらう!」
「救助は契約外だよ。別途発注してもらいたいね」
「元々はあんたたちの不手際が原因だろ!」
「ヒノモト建設さん、あんたの所の指示も原因だと思うがね」
「ふざけるな! 警備区域を広げても問題ないと言っていたのはお前たちじゃないか!」
うんざりした様子のトモエが、情報端末を片手に持ちながら立ち上がった。
「埒が明かないな。上へ繋がせてもらいますよ」
トモエの一言を聞いた現場総括の顔が曇る。
「それは横紙破りじゃないか」
「いつまでも決められないんじゃ、我々も動けない。人命を考えれば当然の対応です」
「連絡先も知らないだろう?」
「あいにく、上司さんとは昔仕事した事がありましてね」
トモエが情報端末を使って連絡を取る。通信状況が悪いながらも、状況を説明できた。だが、徐々にトモエの顔が曇っていく。
「まだ知らせてなかったんですか?」
「……次の業務連絡会で報告予定だった。それまでに解決するかも知れなかったからな」
それを聞いた現場監督のクドウが立ち上がり、声を張り上げる。
「人の命がかかってるんだぞ! 悠長にやってる場合じゃないだろ!」
「クドウさん。こっちだってそれなりにやってるんだ」
「それなりじゃ困るんだ! アイツらを何だと思っているんだ!?」
「協力会社の社員だろ!? 言われなくてもわかってる!」
「……分かってない。あんた、まるで分かっちゃいない」
重く唸るような声だった。
「アイツらは家族を持った人間だ。万一死んだら、泣く人がいる、人間だ」
クドウの気迫に呑まれ、その場の全員が黙り込む。だが、それで解決に向かう訳ではない。その静寂を、トモエが破る。
「とにかく、救助の依頼を正式にもらわないことには、武装警備員側も動けない」
「……上司から連絡が来た。この金額ならすぐに発注できる」
工事総括が情報を転送した。画面を見た警備会社の代表たちは全員が顔をしかめる。
「こんなカネじゃ無理だ」
「そこまで強いやつらじゃないだろう!? 知らないと思ってぼったくるつもりか!?」
「あの坑道は地盤が脆い。銃をぶっ放したら生き埋めだ」
「うちも辞退だ。丸腰でつっこむリスクに見合う金額じゃない」
次々とギブアップが宣言された。クドウは、普段の強面とはまるで違った、覇気のない顔で呆然とするばかりだった。
その様子をトモエが静かに見ていた。そして、襟元の社章を握りしめた後、手を上げる。
「サクラダ警備が引き受けよう」
クドウがゆっくりとトモエを向いた。
驚きに、歓喜に、感謝でくしゃくしゃとシワが強面に刻まれる。
そして、ようやっと一言絞り出した。
「頼む」
一方、武装警備会社の面々は渋い顔を見せる。
「サクラダさんよ。いいとこ見せたいのは分かるが、無茶じゃないか?」
クドウの顔が一転、悲し気なものに変わった。だが、トモエは冷静に答える。
「確かに困難だが勝算はある。まず、我々はショットガンを持ってきている」
現場総括が、合点がいかないと言った顔をした。
「ショットガン? 強力な火器は坑道を崩すって言ったろう?」
トモエは至極冷静に答える。
「確かに、ショットガンは強力というイメージが一般的です。しかし、散弾の貫通力は低いので、支持材破損のリスクは減る」
他の警備会社が訝し気な顔をした。
「だが、大群が来たらどうする?」
「用意しているのはオートアサルト18だ」
「フルオートマチック式……それも最新式か。随分と値が張る物を用意しているな……。確かにそれなら問題ないだろう」
別の警備会社の代表が質問を投げた。
「だが、かなり狭いところもあるぞ? 取り付かれたらひとたまりもない」
「格闘戦ならハイメッサーとそれを使える操縦士がいる。その危険も対応できるな」
「そこまで……。なるほど。評判は伊達ではないか」
武装警備会社の面々から嘆息が漏れた。だが、トモエは得意げになる事もなく、時間が惜しいとばかりに話を続ける。
「当然、攻性獣が入ってこないようにするのが前提だ。それは、他の会社にやってもらう」
工事総括が警備会社の面々を向いた。
「まぁ、それは通常の契約範囲内だからな」
「カネの分は、仕事をするさ」
渋々と言った風情で、代表たちが答える。トモエは、携帯端末を取り出した。
「では、社員を呼び戻す」
電話口から聞こえるシノブの疲れた声に苦笑いをしながら、トモエは任務を伝えた。




