第十八話:社長と依頼主と危機的現場
〇紫電渓谷 地下大輸送鉄道建設現場 仮設会議室
工事現場の一角の仮設会議室の中で、建設会社とその下請け、そしてトモエをはじめとする警備会社の代表者たちが、情報端末に映された画像を見ている。
こざっぱりとしている、痩せ型の三十手前の男が立ち上がる。神経質そうな顔つきが印象的で、首から下げた社員証には工事総括と書かれていた。やや疲れた雰囲気がこびりついていた。
「明日の工事予定と、皆さんの警備割になります」
各人の画面が一斉に切り替わり、見取り図のようなものが表示された。一部の者が怪訝な顔をする。武装警備会社の代表者たちだ。
「これはまた、ずいぶんと……」
「契約内容よりも担当が広くなっていますが?」
それらの不満に対して、工事総括はあくまでにこやかに答えた。
「工期の遅れの都合で、複数個所を同時着手することになりました」
「追加料金をお願いしますよ。まぁ、フソウを代表するヒノモト建設さんにいう事でもないですが」
「ええ、承知していますよ」
カネの要求にも工事総括は笑顔を崩さない。そこへ、トモエの薄い唇から疑問の声。
「依頼料が増えるのは結構だが、攻性獣に抜かれるリスクも高くなります。今からでも、もう一社雇った方がいいのでは?」
その発言を聞いて、他の武装警備会社の会議出席者が不快そうに顔を歪めた。トモエに聞こえるか聞こえないかの音量で、不平を零す。
「わざわざ分け前が減るようなことを……」
工事総括の顔も渋かった。
「業者の増員は、私の裁量だと難しくて……。承知していただければ」
言葉遣いは丁寧だったが、表情と口調に分かるほどのいら立ちが混じる。そんな様子を察してか、会議の面々が助け舟を出した。
「まぁ私どもも懸念が無いわけでは無いですが、努力で補えるとは思います」
「ええ。やりがいのある仕事ですし、社員の士気も高い」
「サクラダさん。社員が減って弱気になるのは分かりますが、ここは我々もいますので」
「ここは民主的に多数決と行きましょう」
そうして行われた多数決では、トモエ以外のメンバーが手を上げた。何も言わないトモエを横目に、工事総括は幸いとばかりに、その場を締めに掛かる。
「では、明日もよろしくお願いします」
トモエは呆れ混じりのため息をつく。ストンと綺麗にまとまっていたショートヘアを掻き上げながら空を見上げるが、バイザー型視覚デバイスには相変わらずの曇天しか映らなかった。
〇紫電渓谷 地下大輸送鉄道建設現場内 合同休憩室
建設現場の一角に、薄い半透明の膜で出来たドームがあった。それは作業員と警備員の休憩用エリアに設けられた簡易型防疫用ドームだった。
ドーム内にはプレハブが幾重にも積み重ねられており、小さな町の如く人工物が林立している。その中の一個の窓から、ソウとアオイが外を眺めていた。
「ふう。応援ばっかりで疲れたなぁ……」
アオイはボトルに入った水を飲む。隣のソウも買ってきたジュースを飲んでいる。ソウの手元をちらりと見ると、包装に描かれた林檎のイラストが目に入った。
「ソウ。また林檎味のジュースだね」
「本当は梨がいいんだが、見つからない」
ソウは、ほぼ毎日の様に林檎ジュースを飲んでいる。
「ヒノミヤさんの梨を食べてから、ずっと言ってるけど……。そんなに気に入った?」
「悪いか?」
「別に悪くはないんだけど、ソウって極端だなぁって……」
「常に自分にとって最良の物を選択し続けるのは合理的だ」
一理はある。しかし
(なんか、ただ子どもっぽいだけの気もするけどなぁ……)
じっとりと相棒を見ていると、三白眼がこちらを見返した。
「アオイもいつも水だが?」
「前も言ったとおり、ボクは節約しているだけだよ」
その時、背後から声。
「おー、ここにいたか」
振り返ると子どもサイズの人影がこちらによってきた。顔を見れば、猫の様な瞳が印象的だった。
「あ、シノブさん」
シノブはホッとしたように近寄ってきた。だが、途中で立ち止まりあたりを見回した後に首を傾げる。
「なんでそんな端っこにいるんだ?」
十数社合同という事で、建設業者が用意したのはかなり広い休憩所だった。席も多い。それでも、アオイたちは隅にいた。
「隅の方が落ち着くので……」
やっぱりハムスターみたいだな、とシノブが呟いたが、努めて聞こえないふりをした。シノブが、ふうと息を吐く。
「隣いいか? ずっと歩き回って疲れた……」
「シノブさんも迷子に?」
「この歳で迷子になるとは思わなかった。ここ、全然端末が繋がらないのな……」
「シノブさんも繋がらなかったんですか」
「も、ってことはアオイたちもか」
「はい」
「小さなトラブルが続いている時って、やばい事の前振りだったりするからなー」
「確かにそうですね」
土壌販売業者であるヒノミヤたちの事を思い出し、苦笑いをする。
あの時も大変だったと思っていると、シノブが神妙な顔をした。
「なんでも、ここら辺は魔の三角地帯ってことらしいぜ。良く分からない故障が起きたりするんだと」
「なんか怪談みたいですね……」
「それっぽい話も聞くぜ。有り得ないところで人影を見たりするらしい」
「ワタシ、そういう話は苦手なんですよね……」
シノブが興味津々といった風に瞳を輝かせる一方で、背筋にうすら寒い物を感じた。
外縁基地に居た頃も、宇宙船組み立て中に行方不明になった子どもの霊が出るなどという噂があった。ダクトの中で怪しい影を見るたびに、怯えていた事を思い出す。
その隣でソウが頷いた。
「未開拓地に不審者。ヨウコを思い出すな。あれは危機的状況だった」
相変わらずズレた相棒に、呆れ混じりの視線を送る。
「それも怖いけど。幽霊とかさ、ソウは怖くないの?」
「干渉不能な存在に恐怖する理由がない」
「すごい割り切り方……」
少し皮肉を混ぜたため息の横で、ソウは至極真面目に答えた。
「警戒するべきは人間だ」
「今回は、怖い人がいなければいいんだけどね……」
そう言って、窓から外を覗く。そこには、ヨウコと戦った日と同じ曇天が広がっていた。見ていても碌な予感がしなかったため、視線を地に落とす。
行きかう人が見えたが、その中に異様な気配を纏う男がいた。揺れぬ体軸、乱れぬ歩幅。頭は滑るように高さを変えない。加えて、頬に十字の傷。
男の姿を見てスラムで暴漢に襲われた一場面を思い出す。
「ん? あれって……、確か……タケチさん?」
タケチは人ごみの死角に消えた。そのことが、アオイは妙に気になった。
◯紫電渓谷 トランスチューブ建設現場内 休憩ゾーン
人通りから外れた、プレハブコンテナの死角。そこでタケチが耳にはまったイヤホンを触る。その後、外から見て分かるか分からないか程度に唇を動かした。
「進捗はどうだ?」
耳のイヤホンから応答があった。
「退避スケジュールが予定より遅れている」
「このペースで工事が進むと……」
「ニアミスになるな。ここが目撃されるとまずい」
「通信などの妨害だけでは心もとないな」
「だな。更に直接的な手段を頼みたい」
「分かった。彼女に攻性獣の誘導を頼むことにする」
「あの能力は負荷が高い。が、状況が状況だけに仕方ないか……。他には?」
「いくつか細工を仕込んでおく」
「頼むぞ」
「ああ。我らが大志のために」
タケチは人ごみに溶けた。先ほどまで不穏な会話をしていた人物がすぐ側にいる事に、その場の誰もが気づかない。そうして、今日も工事が進んでいった。
〇紫電渓谷 トランスチューブ基地建設現場周辺
どこまでも続く曇天。情緒皆無な灰色の空の下に広がるのは、紫電が作り出す有毒ガスよって丸裸になった岩石地帯。微塵の草木もない乾いた風景だった。大量の攻性獣が土埃を巻き上げながら行進する。
攻性獣が向かう先には、人戦機の横陣が敷かれていた。その一角にアオイの乗るシドウ一式もいた。
「すごい数……!」
ゴーグルモニターに映るのは、両側にそびえたつ渓谷の崖と、埋め尽くすように突進してくる攻性獣。
人戦機の演算装置が次々と攻性獣をマークする。画面には横一列の敵性存在表示が映された。
「なんでこんなに!?」
「三角地帯ってやつ! マジの噂なのかもな!?」
通信ウィンドウには、猫のような瞳が映る。だが、シノブの顔にいつもの不敵な笑みはない。それほどの群れがメインモニターには映っていた。
(シノブさん。笑ってない……!)
通信ウィンドウから、目の前に視線を移す。
「とにかく、撃たなきゃ!」
トリガーを引き続けながら、弾道予測戦を左右へ振る。肩を並べる味方機の銃口からも、幾筋もの光の奔流が吐き出される。最前列の攻性獣の甲殻は砕かれ、黄色い血肉が飛び散った。しかし、後続が倒れた同類を間髪いれずに踏み砕く。
「当たってはいるんだけど……! 量が多い!」
執念ともいえる攻撃性と、情動を感じさせない無機質さに、頬が引きつる。
「全然怯まない! 本当に何なの!?」
「いいから撃て!」
ミニウィンドウに映るシノブの顔。不敵な笑いの奥に、焦りが見えた。
「大丈夫だ……! ちょっとだけだが、押し返せてる! アタシらの方が優勢だ!」
「でも、それって、ワタシたちに、なにかあったらまずいんじゃ」
「アオイ! そういうのは無しにしろ! 縁起が――」
直後、爆発音が渓谷を揺らした。音のした方を振り向けば、黒煙が立ち上るひしゃげたグレネードランチャーと、その周りに倒れ伏した人戦機が複数。
「暴発!? 変なこと言ったせい!?」
「バカなこと言ってないで――」
シノブの言葉が途切れた。
「あれは……!」
崩れた横陣へ攻性獣が殺到する。押し返そうとする人戦機たちを、数の暴力がすり潰していった。
「助けに!?」
「バカ! 眼の前に集中しろ!」
応援に行こうにも、他の人戦機も真正面からくる攻性獣への対応で手いっぱいだ。つまり、戦線が崩壊した。もはや横陣は意味をなさない。
「くそ! 戦線が!?」
「どうしましょう!? ……シノブさん? ……シノブさん!?」
耳元にノイズ。視界の端の通信ウィンドウを見れば、シノブの顔が消えていた。自分の血の気が引く感覚をはっきりと感じる。
「こんなタイミングで、また故障!?」
急いで手元に視線を送る。現れた仮想スイッチを押して、外部スピーカーをオンにした。
「シノブさん! 聞こえますか!?」
「ああ! 聞こえるぞ!」
シノブの声が緊迫感を少しだけ和らげた。だが、状況が改善したわけでもなければ、何か糸口が見えたわけでもない。出かけた安堵の息を呑み込み、気を引き締める。
「ど、どうします!?」
「トモエさん……も通じないか! アオイ! ソウ! いったん退くぞ! このままじゃ囲まれる!」
「分かりました!」
軽機関銃を撃ちながら後退を始める。このまま後退できれば。そう思った時、リアビューに赤い三つ目が映る。
「攻性獣!? どうして後ろにも!?」
横陣の裏側へ、攻性獣がすでに侵入していた。そして、
「うあ!? なに!?」
衝撃は機体の体軸を揺らし、アオイの視界が少し傾いた。まるで、資源採取戦で撃たれたような感覚だった。
「撃たれ……!? なんで!? 誰が!?」
シノブの忌々し気な声。
「そりゃ誤射もしちまうか……!」
「誤射……!? 味方から!?」
この場に銃を使う者は、武装警備員しかいない。混沌と化した戦場においては味方すら敵に変わっていた。
シノブが舌打ちを一つ。猫の様な瞳に一層の緊張が混じる。
「ここはもうだめだ! 狭まった所まで退くぞ!」
「ここからですか!? 工事現場まで、少しになっちゃいますよ!?」
「防衛リスクの増大が懸念されます」
リアビューには、当初の防衛位置より近くなった工事現場が映っている。余裕は削られ切っていた。
しかし、シノブの叱咤が耳を打つ。
「くたばる訳にはいかねえだろう! 退くぞ!」
「わ、わかりました!」
「了解。退避に移行」
シノブの言葉に反応したのは、アオイとソウだけではない。その場にいた武装警備員たちが一斉に退き始める。
誤射は無くなったものの、攻性獣が堰を切ったように雪崩れ込む。
「追いつかれちゃいます!」
「足止め役が欲しい……! くそ、誰に!?」
その焦りを、二機のコブラⅣが拾った。
「なら! 俺たちが!」
「ウチらに任せて」
ダイチとナナミが声を上げる。シノブの視線が、重装甲の機体と高火力のガトリングガンへ向けられる。殿にはうってつけと判断した。
「助かった! ソウは近距離のサポートを! 他の会社の連中は早く!」
サーバルⅨが手を振って合図を送る。それに従い各機が後退する。駆けるサーバルⅨの隣に付け、インカムに向かって指示を乞う。
「この後は、どうします!?」
「狭まった所まで引いて爆破! まとめて吹っ飛ばせるはずだ!」
狭まったところに追い込んで爆破できれば、一気に数を減らせる。
「その後に一斉射で叩く! それで行けるはずだ!」
防衛目標に近づくリスクを考慮してもメリットは大きい。それがシノブの考えだと推測する。作戦を信じて、渓谷を駆ける。
(ソウ、ナナミさん、ダイチさん……。無事でいて……!)
しばらくすると、Ⅸが急停止した。
「ここだ! 並べ!」
渓谷のやや狭まった場所で、シノブが声を張り上げた。スピーカーが大気を震わせると、他社の人戦機も一斉に並んだ。
(みんなシノブさんに)
各人が銃やグレネードランチャーを構えた。その先には殿を務め上げた三機の影があった。背後には無数の敵性存在が群れをなす。
「ソウ……! 早く!」
三機が駆ける。しかし、余裕はない。間に合うのか。もし間に合わなかったら。唾を飲みかけた時だった。シノブの号令が再び響く。
「爆発物を持っている奴は、構えろ!」
横を見れば、いくつかの人戦機がグレネードランチャーやショルダーキャノンを構えた。
「今だ!」
多数のグレネード弾が煙を曳いて、彼方へと飛んでいく。ソウ、ナナミ、ダイチの三機を超えて、無数の爆発物が放物線を描き、落ちていった。
閃光。
溢れる光が三機の影を黒に塗り潰す。少し遅れて、衝撃と爆風、砂煙が向かってきた。
「ソウたちは!?」
三つの機影が、砂煙を抜けてきた。
「ソウ! 無事だった!?」
「損傷なし」
「よかった!」
「すぐそちらへ合流する」
三機が陣に加わった直後、シノブの号令が再び響く。
「撃て!」
銃火が渓谷を照らす。砂煙の向こうへ無数の弾丸が消えた。甲殻を砕く乾いた音と、血肉を押しつぶす湿った音が響く。
「っしゃあ! ぶっ殺せ!」
いくつかの攻性獣がそれでも砂煙を抜けてきた。だが、無傷の個体はおらず、ことごとく駆除される。しばらくして、動く影もいなくなった。
緊迫した空気は緩み、自然と肩の力が抜けた。
「終わった……。ふう」
安堵の吐息を吐くと共に、次々と武装警備員たちの歓声が聞こえてくる。しかし、弛緩しかけた雰囲気の中で、シノブが叫びを上げた。
「……いや、待て! 構えを解くな!」
ざわめきと戸惑いが返ってきた。その中にあって、シノブの聴力を知るアオイは、未だに舞う土煙の奥を見る。
「何が……。来た!」
きっとシノブには脅威が聞こえている。その確信がアオイにはあった。




