第十六話 少女と先輩と紫電がきらめく渓谷
〇紫電渓谷 防衛設備周辺
どこまでも広がる曇天の下に、岩肌がむき出しの渓谷が続く。殺風景な岩場に、地を這う雷光が、時折煌めく。
その場所は、紫電渓谷。
渓谷の岩肌には、トレージオンによって生成された紫に輝く放電結晶が散在している。結晶が砕けるたび、閃光とともに放電が発生していた。
小さな稲光による煌びやかさとは対照的に、放電によって発生する毒ガスによって渓谷は、草木も生えない殺伐とした荒野と化していた。
生き物の気配を感じさせない谷間にさえ、攻性獣は蠢いていた。土埃を上げながら、大群が渓谷を進む。
津波の様な群れが、渓谷に置かれていた建築資材を弾き飛ばす。その中には、工事中と書かれた看板もあった。
看板が吹き飛んだ先には、人戦機より一回り小さい人型重機が右往左往している。
人型重機の透明な風防越しに、恐怖に引きつった作業員たちの顔が見える。誰もが冷静を保てず、慌てふためいていている。
「なんでこんなに!?」
「分からん! どこから来た!?」
浮足立つ作業員に向けて、怒鳴り声が響く。
「お前ら! 資材は捨てて、すぐに退避!」
声の主へ注目が集まる。そこには、お世辞にも穏やかとは言い難い、厳つい中年の男がいた。
「で、でもクドウ監督! ただでさえ工期が!」
クドウ監督と呼ばれた反社会的といえる風貌の男に向かい、作業員たちが戸惑いの声を上げる。だが、クドウはその声を一蹴する。
「死んだら、どうするつもりだ!?」
「でも元請けが!?」
「家族の事も考えろ! あそこまで早く!」
クドウの乗る人型重機が指さす先には、戦線を作ろうとしている複数の人戦機が見えた。
「逃げろ!」
人型重機が一斉に駆け出す。
背後から攻性獣が土埃を上げて迫る。
「後は頼んだ!」
作業員たちが戦列の後ろへ退避すると、人戦機たちが構える銃口から一斉に炎が飛び出す。閃光とともに吐き出された高密度の曳光弾と、その何倍もの通常弾が攻性獣へ襲い掛かった。
甲殻の破片と黄色い血肉が舞う。身体の一部、もしくは大部分を失った攻性獣が次々と歩みを止め、地に伏した。
しかし、後続の攻性獣は止まらない。
味方の死骸踏み砕き、人戦機へ向かって突き進む。幽鬼の如き暗い赤を灯す瞳が、人戦機たちを目指して駆け寄った。
死闘を為す戦線の一角にいる人戦機が、ガトリングガンから光の濁流を吐き出していた。皿の様な頭に、太い体躯。それはナナミが駆るコブラⅣだ。
「兄貴。ここ、やばくない?」
コブラⅣの外部スピーカーから、ため息混じりの気だるそうな声が聞こえた。直後、隣の同装備かつ同型機から、威勢のよい男性の声が返って来た。
「やべえな! だから当て放題だ!」
ダイチは次々と砕ける攻性獣を眺めながら高笑いを上げていた。ナナミのコブラⅣから深いため息が聞こえた。
「ハイになるのはいいけど、死なないようにね」
「なんだ!? 愛しい兄貴への心配か!?」
「キモ。さっきの取り消し。死んで」
「ひでえな!? けど、逃げる訳にもいかねえだろ!?」
「どうして? 命が惜しくないの?」
「あのおっさんたち、家族持ちだろ? もし、ここを抜かれたらどうなる?」
その問いかけに、気だるげな声が締まったものになる。
「……ウチらみたいな子どもが増える」
「正解だ! 食い止めるぞ!」
「了解」
武装警備員たちの応戦が続く。死闘で巻き上げられた土埃が、戦場へ立ち込めてきた。
土埃を前にしたコブラⅣから苛立ちと不安を乗せた声。
「全然見えない。……やな感じ」
「けど、それだけだ! 問題ねえ!」
「どうして? とうとうバカになった?」
「バカってなんだ!?」
「そのまんま。で、それだけだって、どういう意味?」
「大体の方に向いてぶっ放せば、当たるってことだよ!」
「意外に考えてたんだ」
「意外ってなんだよ!?」
ダイチの言うとおりにナナミも前方へ弾丸をバラまいた。
「ひゃっはー! 弾幕があれば、関係ねえぜ!」
土煙の向こうから、甲殻が砕け、肉がつぶれる音がする。だが、それが徐々に近づいてきていた。
ナナミの声に、僅かな焦りが乗る。
「でも、押されている」
直後に轟音。
「なんだぁ!?」
ダイチの乗るコブラⅣが、音の上がった方を向く。その先には、爆発で損傷した人戦機と、崩れた戦線が見えた。
「おい!? やべえぞ!?」
土煙と突き抜けて、攻性獣が次々と人戦機へ体当たりしていた。その危機に、眠たげだったナナミの声が、緊迫した調子に変わった。
「兄貴、あれヤバく――」
「バカ! 前を見ろ!」
ダイチの声に反応して、ナナミの乗るコブラⅣが前を向く。そこには土煙から突き出た軽甲蟻の頭部が、こちらへ襲いかかろうとしていた。
「え!?」
ガトリングガンの重さが邪魔をして、迎撃もままならない。そのまま、軽甲蟻がナナミ機の懐へ。
「まず――」
直後、軽甲蟻の盾のような頭部が砕け散った。黄色い血肉が舞い散るなか、ダイチの乗るコブラⅣが振り返る。
「誰だ!?」
ダイチの乗るコブラⅣが頭部を向けた先には、肩に盾と桜をあしらった社章をペイントした三機の人戦機が近づいてきていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
駆け足で揺れるシドウ一式のコックピットの中、アオイが感嘆の声を上げる。
「凄い!」
横を見れば、ソウのシドウ一式が硝煙の燻る銃口を突き出していた。
「さすがソウ!」
敵味方入り乱れる最中の曲芸じみた一撃だった。感心したのはシノブも同じようだった。通信ウィンドウに映るシノブが、ニヤリと笑う。
「やるじゃん!」
「想定内の成果です」
相変わらず淡白な返事の相棒に苦笑いを浮かべつつ、前方へ駆ける。先ほど援護射撃した二機のコブラⅣ横に付けて、アオイが外部スピーカーを入れた。
「サクラダ警備です! 応援に来ました!」
「ありがとう。もしかしてアオちゃん?」
「ナナミさん?」
思わぬ再会に注意が逸れると、シノブの叱咤が耳を打つ。
「アオイ! 今は目の前に集中しろ!」
「は、はい!」
意識を前に。
ゴーグルモニターには一面の土煙が映る。シノブの舌打ちが聞こえた。
「後退! 視界を確保! アタシがヤバい所を指示する! そこに撃て!」
シノブの喝に空気が締まる。場の面々が次々と指示に従った。
(凄い! あれだけ、めちゃくちゃだったのに!)
その様子に感心しながら、自分も後退する。
後退した分の距離を詰めるように、攻性獣たちが煙幕を突き破り進軍してきた。露になった数は、目をそむけたくなるほど多い。
「ど、どうしましょう!?」
「落ち着け。訓練通りだ」
シノブの声は冷静だった。シノブがダイチとナナミに指示を出す。
「そこの二人! 敵を引き付けてくれ!」
「あんたたちは?」
「ひっかき回して削る!」
サーバルⅨが手をかざす。付いて来いの合図だ。
「行くぞ! 機動戦の復習だ!」
「了解」
「わ、わかりました」
「アオイ! ソウ! 突っ切るぞ!」
攻性獣の群れ。その真ん中をサーバルⅨが突っ切った。後を、慌てて追いかける。
「シノブさん! 囲うんじゃないんですか!?」
「時と場合によるんだよ!」
サクラダ警備のあとを、攻性獣が追う。左右からも寄ってくる。
「アオイ! 右を撃て!」
「はい!」
「ソウ! 左と前!」
「了解」
シノブの後を無我夢中でついて行く。右なら右。左ながら左。今はどこにいるか気にする余裕もないほどの機動。
「つ、次は……って!?」
目に飛び込んで来たのは武装警備員の戦列だった。慌てて後ろを振り返り、飛び込んで来た光景に感嘆の息を漏らしてしまう。
「バラバラだったのが、まとまってる……!」
目に飛び込んできたのは、羊のように群れた攻性獣だった。戦線の混乱で無秩序に散らばっていた攻性獣が、今は一か所に固まっていた。隣のソウが呟く。
「オレたちが囮になって、分散した攻性獣をまとめたのか」
「な、なるほど」
間髪入れず、シノブが声を張り上げる。
「囲め! 撃て! ぶち殺せ!」
シノブの号令で武装警備員たちが攻性獣の群れに目掛け銃撃を加える。
「すごい! どんどんやっつけられる!」
あらゆる方向から攻性獣へ襲い掛かる高密度の光の粒。目に見えるのは曳光弾だけだが、その何倍もの銃弾が死の空間を作り出した。
次々と攻性獣の甲殻が舞い、黄色い血肉が霧のように漂う。それすらも追加の銃撃がごた混ぜにする。
一分も経たないうちに、動くものはなくなった。
「……よし。撃破確認!」
一息をつく間もなく、トモエから通信が入る。
「よくやった」
「へへ……」
はにかむシノブ。しかし、トモエの口元は凛々しく締まったままだった。
「次だが」
「え?」
予想外の言葉だったのか、通信ウィンドウに映る猫の様な瞳が引きつった。
「他もまずいんですか?」
「ああ、次はB5地点だ」
「大丈夫かよ。この現場」
「つべこべ言うな。とにかく急げ」
「了解。いくぞ、ソウ、アオイ」
シノブの指示に従い次の地点へ向かう。ダイチとナナミの乗る機体から声が上がる。
「助かったぜ! 命の恩人だな!」
「ありがとう」
「気にすんな!」
返事する間も惜しいとばかりに、アサルトウィング出力を上げる。
応援に呼ばれたのは今日でもう何度か分からない。ミニウィンドウに映るシノブが呆れ混じりに呟いた。
「この現場、任務完了まで持つか?」
今回の任務に入ってからまだ数日だが、応援に駆け付けたのは十回を超えている。随分と忙しい任務だと思ったが、シノブも同じようだった。
疲労に満ちた重い空気を吐き出して、以前の任務を思い出す。
(ヒノミヤさんの時みたいにはなりませんように)
波乱の任務の幕開けを予感しつつ、そうならないことを祈るばかりだった。




