第八話 少女と水没区域と水上型攻性獣
〇廃棄都市 資源争奪戦指定区域 水没区画
街並みは殺風景な一面のグレーだった。建設途中のビル郡を、サクラダ警備の三機が抜けていく。建物が作る陰から陰へ、機体を溶け込ませながら進んでいく。
殺風景な灰色の谷間から天を見上げると、地上と同じ灰色の雲が見えた。
(都市がドームに覆われていないのって、なんか不思議)
この都市は、ドームが建設される前に廃棄された。列強の後出し規制によってドームの仕様が変更されたのだが、地形的に列強規制に沿ったドームを建設するのが困難だったということだった。
最終的には、莫大なカネをかけて作った都市を泣く泣く諦めたとのことだった。先に入植した弱小国フソウが再躍進する第一歩は、列強の思惑でくじかれてしまった。
そんな説明を思い出していると、足元の建材に転びそうになった。
(わっ! ……と。集中しないと)
水面越しに、転がった建材が見える。都市全体が建設途中で、建材があちらこちらに散らばっている。生まれる前に死んだ都市の残骸をまたぎながら歩を進める。
そして、何度目かの曲がり角から飛び出すと大通りに出た。
「こ、これは……」
そこに広がる景色に戸惑いの声をあげてしまった。
「水浸しですね」
目の前の区画は水没していた。すぐ手前には波が打ち寄せている。戸惑う三人の所へ、トモエからの通信が入った。
「この先の氾濫区域にはドローンが展開できない。通信はできないな」
思わず首を傾げてしまった。
「通信ドローンは、ずっと飛んでいられないんですか?」
「流石にバッテリーが持たない。普段だって、待機時には地上にいるだろう?」
「なるほど。水にいると……」
「ある程度は防水だがな。それでも水没すれば故障確率は上がる」
「でも、トモエさんの指揮がないとなると」
「そんな時こそ、頼るべき先輩がいるだろ?」
トモエがニヤリと口角を上げた。
「シノブ。頼むぞ」
「分かりましたよ」
シノブの声は落ち着いていた。
「ともかく行軍だ。速度は落とせ。足を取られるなよ。通信は音波方式に切り替え」
「了解」
三機そろって水に入る。
人戦機のひざ下までが水面に隠れた。水の重さが、戦闘服の低出力人工筋肉ごしに伝わってくる。
「あ、歩きにくい……」
進行速度は自然と下がった。イナビシの指定ルートをゆっくりと進んでいくと、ビル群が背後へ遠ざかる。三機の周りには、雲を映す水面が残った。
「わぁ」
雲と雲。それだけの世界が続く。
天上を思わせる光景だった。昇るようにも、落ちるようにも思える感覚。
「すごい……」
静かな水面の彼方を見ると、小波がざぁっと駆けてきた。
「風が出てきた……」
ゆらゆらと揺れる水面を見続ける間に、段々と自分も揺れるような錯覚を抱く。
(ダメダメ。任務に集中しないと)
頭を振って再び意識を視界へ。揺れる錯覚は消え、歩みに確からしさが戻った。水を掻き分けつつ歩みを進めていくと、大きな影が視界に見えた。街の一区画はありそうな長さのアーチが二つ並んでいる。
「ここは……」
戸惑いの呟きをシノブが拾う。
「橋だな。ここは河なんだろ」
「なるほど」
隠れる物は無く、膝下まで浸かる水のせいで移動もままならず無防備だ。湧いた不安が口から零れた。
「渡っている途中、何かに襲われるとピンチですね」
「だな。アタシとソウが先行。アオイは待機して火力支援」
「え!? ワタシ一人ですか?」
「持ってる武器を考えりゃな。支援よろしく」
咄嗟に画面の中の手元を見る。いつも頼りにしている軽機関銃が、少しだけ疎ましく思えた。
「安全を確認したらハンドシグナルを出す。よく警戒しとけよ」
「わ、分かりました」
シノブは返事をすることもなく橋へ向かった。ソウの乗るシドウ一式が、サーバルⅨの後を追う。
小さくなる機体の背中に、親とはぐれた子どものような心細さを覚えた。だが、弱音を吐いて言っていられないと首を振る。
「いや。ボクがしっかりしないと」
銃を構え、前後左右に視線を振る。
水面に突き出たアーチ以外は、雲を映す鏡ばかりが広がっていた。時折吹き込む風により水鏡の表面がささくれ立つが、それもすぐに滑らかさを取り戻す。
再び広がるのは、天に浮いたかと思うような上下二面に広がる雲だった。
「な、なんか酔いそう」
それでも集中力を絞り出す。幸いなことに絶景を乱す影は見当たらない。警戒を続けていると、アーチの向こうでサーバルⅨが手を挙げる。
手招きする猫のようなシルエットにホッと胸を撫で下ろす。
「よかった。何もなかったんだ」
安堵の息を吐いて、銃を構えたまま進み始めた矢先に、共につま先に感触。
「わぁ!?」
脚を引っかけたと悟った時には、視界が傾きかけていた。
「わわ、まずい!」
基本ソフトウェアによる転倒防止駆動により、手をついて転ぶことだけは避けた。盛大な水しぶきが頭部に掛かる。
慌てて待っているサーバルⅨの方を見ると、気恥しくて顔が熱く感じた。
「どうして、ボクって鈍臭いんだろう。とにかく渡らなきゃ」
ため息をついて、機体を立ち上がらせる。前、右、左、リアビューで後ろ。周囲を見ながら、時々足元を確認する。水面越しに見えるのは、ひび割れた頼りない舗装道路。
「これ、橋が崩れたらまずいんだよね……? まぁ、何もなければ――」
そう思って再び前を向いた時に、サーバルⅨが前腕を立てた。そして、しきりに上下に振っている。
どういう意味のハンドシグナルかと思っていると、機体が解析を進めてメッセージを表示した。
「……急げ? 急げ!?」
血の気が引いた。
「な、何が!?」
周囲の警戒を打ち切って急いで歩を進める。だが、水が絡みつく上に隠れた凹凸につまずき、思うように進めない。
「ど、どうしよう!?」
焦って前を見ると遠くに見えるソウ機の背面、偏向推進翼が輝いた。
「ソウ!?」
何事かと思っていると、ソウのシドウ一式が水面から跳ねた。そして、水面から僅かに頭を出した瓦礫へ、ふわりと着地。偏向推進翼の推力を得て、再び跳ねる。
「え。すごい」
呆れ混じりの感嘆が思わず漏れた。
しかし、そんな場合ではないと、一生懸命に足を進める。そして、隣の瓦礫にソウのシドウ一式が軽やかに舞い降りた。
「アオイ。急いで渡れ。援護する」
「ソウ。一体なにが?」
「あれだ。歩行は継続しろ」
ソウ機が指さす先には雲を映す一面の水面。天と鏡写しの地の間に、小さな水しぶきが上がった。
「なんだろう……」
水しぶきが高速で近づいてくる。複数の何かが水面を切り裂いているようで、三つの白波が複雑な文様を描く。
そして、水しぶきの切れ目からチラリと赤い瞳が覗いた。
「赤い! 攻性獣!?」
「水棲型と推測。橋の上では極めて不利。至急退避」
「い、急がないと」
絡みつく水を掻き分けつつ、夢中で歩を進める。そして、背中から銃声が聞こえる。
「攻性獣、もう来たの!?」
いそげ、いそげと歩を進め、ようやっとアーチが水に沈む場所、つまり橋のたもとまで来た。
「こ、ここまでくれ――」
足元から、衝撃が突き上げる。
「な、なに!?」
砕ける音とひしゃげる音が不協和音を喚き散らした。鼓膜をひっかくような騒音に顔を歪めつつ、音の鳴る方を見れば、アーチが段々と傾いている。
「は、橋が!? 崩れる!?」
走りながらリアビューを見る。ちょうど、ソウ機がアサルトライフルを背面に格納する所だった。
「ソウ! 早く! 崩れるよ!」
その直後、ソウ機の直ぐ近くで水柱が上がる。衝撃で、崩壊が一層加速する。
ソウの背面の偏向推進翼が輝きを増し、巨躯が跳んだ。その様子をリアビューで眺めつつ、ようやっとシノブ機の近くまでたどり着いた。
「ま、間に合った! って! ソウ!」
ソウがいる方を振り返り血の気が引いた。何かに引きずられるように水面が凹んでいた。隣のサーバルⅨから叫びが響く。
「くそ! 橋が崩れた!?」
「そ、そんな! 水没したら!?」
水没しても救助が間に合う事もある。だが、戦場において確実な安全は保障されない。
「あ、アーチが倒れる!」
傾いたアーチが水飛沫を上げて水面を叩いた。舞い上がる水のカーテン。その中で、ソウ機がアーチの上を駆ける。
「え! え!?」
沈みつつある細い道。その上を正確無比に疾走する。
そして、アーチが完全に水没する瞬間、最高速のままにソウ機が跳ねた。
「いけ! シドウ!」
偏向推進翼の煌めきが美しい弧を描き、ソウ機が風と水しぶきを切る。そして、そのまま眼前へ着水した。
安堵する間もなく、シノブの怒鳴り声が鼓膜を貫く。
「ソウ! てめえ! 無茶するんじゃねえ!」
「ですが、アオイのためには必要でした」
「それにしたって――」
その時、水面を切る白波の群れが一斉にこちらを向くのが見えた。
「シノブさん! こっちに来ます!」
「くそ! 各員、迎撃用意! ゆっくりと後退しろ!」
シノブの号令と共に銃を構える。白波の群れに意識を注ぎつつ、河があるであろう場所から遠ざかる。
「水に隠れてよく分からねぇが、そろそろ河岸にかかるはず……」
「あのアーチの付け根があったところですよね?」
「ああ、そこで止まってくれりゃいんだが……」
だが、水面を切り裂く白波は、想定を超えて迫る。シノブの舌打ち。
「こいつら陸もいけるのか! 以降、水上型と呼称! 戦闘に移る!」
ソウが応えた。
「具体的な対応は?」
「撃つしかないが……。あの水飛沫が厄介だ」
先ほどから敵性存在表示が明滅している。それを見たソウが僅かに眉をひそめた。
「画像認識の動作が不安定。照準補正が機能しない」
「ソウも? こっちだよ」
「原因は、あの水しぶきか」
いつもならば、敵性存在表示と重なるように、弾道予測線が補正される。しかし今は、敵性存在表示自体が、水しぶきで安定しない。副次作用として、照準補正も安定しない。
「いつもは補正に頼ってたのか……! 素だと全然安定しない!」
「仕方ねえ。照準補正を落とせ。ついたり消えたりするくらいなら、素で行く」
通信ウィンドウのソウが顔を顰める。
「命中率が下がって、射撃効率が落ちますが?」
「それで死んだら世話ねえよ。とっととやれ」
構える三機の元に白波が迫りくる。固唾を呑んで迎え撃とうとする時、風切り音が微かに聞こえた。
「え?」
直後に、爆発めいた轟音と衝撃。
「ぐう!?」
咄嗟振り向くと、一面の白壁が眼前に映る。
「なにが!?」
しばらくして、豪雨が機体を打つような音。モニターに映る白がまばらになり、水滴と認識できるほどになる。見上げれば、人戦機の背丈を遥かに超す水柱が立っている。
「水柱!? なんで!?」
舞い上げられた水滴が再び落下し、視界を覆う。揺り返す水流に足元を取られる中、シノブの叱咤が耳を打つ。
「アオイ! ちょっと黙ってろ!」
咄嗟に口を押える。しばらくは、ざぁという雨音と足元を混ぜ返す波音しか聞こえなかった。
そんな中、シノブの瞳が見開かれる。
「……五時の方向!」
シノブが叫ぶと同時に、指定された方向を振り返る。凝視とともに、視線の先が急速に拡大された。
「あれは、ケンタウロス……じゃなくて猿人馬!」
鎧の様な甲殻に身を包み赤い三眼を光らせる異形の投擲手は、猿人馬と呼ばれる攻性獣だった。投石器のように長い腕を使った投擲は、砲撃じみた脅威を誇る。
シノブが思わず舌打ちをする。
「ち! 挟み撃ちか!?」
「ど、どうすれば!? あっちを先に!? それとも水上型を!?」
「二手に分かれる! 射程が長いアオイが猿人馬を!」
軽機関銃ならば有効射程距離が長い。
「分かりました!」
そう言って膝下まで絡みつく水を掻き分けつつ進む。周りを見ると、崩れかけの壁が一つだけあった。
頼りない遮蔽物だったが、急いで機体を隠す。
「飛び出したらすぐ狙う、飛び出したらすぐ狙う……」
それだけ呟いて意を決した。呼応してシドウ一式が立ち上がる。すぐさま、猿人馬に弾道予測線を合わせた。
「いけ!」
銃口から幾筋もの光弾が猿人馬へ翔けた。だが、弾丸は散り散りとなり、当たるのは極僅か。それも甲殻に弾かれる。
「遠すぎる!?」
「アオイ! とっとと頼む!」
「迅速な対応を要請する!」
投擲が仲間に刺さったら。最悪の事態を噛み締め、恐怖を飲み込む。
「……やるしかない!」
シドウ一式を走らせる。ざぶざぶと水音を立てて、不格好ながら徐々に距離を詰める。直後、猿人馬が特大の瓦礫を手にして目いっぱい振りかぶった。
軋む音が聞こえるくらいに隆起した筋肉を見て、寒気が背筋を駆ける。
「ひっ!」
咄嗟に機体を前へ倒す。水面に反射する自機がモニターに映った。直後、シドウ一式の直上を残像が翔け抜ける。暴風が静かな水面を嵐の海へと変えた。
「ぐぅ!?」
風と波が激しく機体を打つ。自身の身体も盛大に揺さぶられる。それでも、まだ生きているだけマシだった。
「危なかった……!」
安堵の息を漏らす。恐怖からの解放で、自分でも訳の分からない笑みが混じる。だが、すぐに自分の仕事を思い出し、顔を上げる。
「――って今のうちに!」
投擲直後の無防備な猿人馬に、膝立ちのまま弾道予測線を合わせる。影と輝線が重なる瞬間、トリガーを絞った。
「今だ!」
猿人馬の甲殻が砕け、攻性獣特有の黄色い血肉が飛び散る。数秒後、上半身の半分以上がなくなった。
「よし! 撃破しました!」
しかし、報告に対するシノブから賞賛の言葉はない。代わりに、ソウとシノブの切羽詰まった叫び声が聞こえる。
「ぐう!」
「やべえ!?」
振り返って見えた光景に、思わず声を上げる。
「あれは!?」




