第六話 先輩と煉獄と新たな戦場
〇???
息も詰まるような高層ビルの谷間は、淀んで薄暗かった。高層建築に不釣り合いな狭い道路は、まともな生活を前提とはしていない。
そこは官製スラムのど真ん中で、乱雑な街角にシノブが立っていた。そこにいる事にたった今気づいたように、シノブが辺りを見回した。
「またこの夢か。この頃は、見なかったんだけどな」
そう言って視線を前に向ける。そこには三人の子どもがいた。一人は猫のような瞳が印象的で、ちょっと勝気そうな少女だった。
「今と変わらず愛嬌のないツラだ」
少女は幼き日のシノブだった。
幼いシノブの前には、更に幼い男女の子どもが立っている。どちらも心配そうな顔をしていた。
男女の子どもたちが、小指を突き立てる。幼いシノブがそれに応じるように両手で指切りをした。
声は聞こえない。それを見た大人のシノブが悲嘆に暮れ、自嘲へと堕ちる。
「なんて約束したのかな。覚えてないなんて、薄情なもんだ」
約束を終えた後、子どもたちの顔に安堵が広がった。それに応じるように笑顔を浮かべた幼いシノブが手を振る。
「あん時は、これからもらえるカネで美味い飯をみんなで食えると思ったのに……」
幼いシノブの背後には、仕立ての良い服に身を包んだ男が三人を見守っていた。襟には稲妻のようなギザギザのついた菱形、つまりイナビシの社章が輝く。
イナビシの男は子どもたちの別れを見届けると、表通りへ歩を進めた。幼いシノブはその男についていく。それを見つめる今のシノブの目には、悔恨の色がありありと浮かんでいた。
「危険もあるって言われたから……。アタシだけがお願いしたのに……。なんで……」
シノブが思わず項垂れる。そこに多数の足音が響いた。
「……やめろよ」
シノブが今にも泣きそうな顔を上げた。
子どもたちの背後に、いつの間にか多数の男たちがいた。皆が手に角材を持っている。男たちの瞳は、世への恨みと餓えでギラついていた。見るからに危ない雰囲気だが、子どもたちは気づかない。
シノブはそれを見つめていた。
「もう、過去は変えられない」
幼いシノブは背後に迫る悲劇の予兆に気づかない。男たちが徐々に子どもたちへ迫る。思わず目を逸らしたくなるような悲劇は明らかだ。それでも、シノブは見つめていた。
「だから、何度でも見届けてやる」
子どもたちの背後で男たちが角材を振り上げる。それでも幼いシノブは気づかない。
「何度も、何度も、何度も見届けてやる」
子どもたちが男たちに気づいた。逃げ出すことも無く、ただ震えている。
「それがアタシの贖いだ」
そして絞り出すような声を吐く。振りおろされようとする凶器。そこでシノブの夢が覚めた。
〇廃棄都市 資源採取戦指定区域周辺 紫電渓谷
ウラシェは今日も曇天だった。
サクラダ警備のトレーラー四台が不毛の渓谷を駆ける。切り裂かれたような谷底を抜け、トレーラーの窓から大河と両岸の街が見えた。
しかし、街には生活の息吹を感じない。ドームも防壁もない。動く物も、広告ディスプレイなどの煌めきもない。
その様子をアオイはトレーラーの窓から眺めていた。憐憫と悲哀が、アオイの小さな唇から漏れ出た。
「あそこが廃棄都市……」
建造途中に廃棄された歴史。無念に思いを馳せていると、呟きをソウが拾う。
「建設途中での廃棄は非効率的だ。なぜ?」
待ってました、とばかりにシノブが応えた。
「列強の陰謀だよ! な、トモエさん!」
「陰謀か……。ある意味当たっているかも知れんがな」
予想しなかった単語に、アオイが首を傾げる。
「あの……、陰謀って?」
「ああ、説明する」
トモエが説明したのは、弱者への抑圧の歴史だった。
最初期に入植したのは、フソウを始めとするような貧困国だった。性急に開発された渡航技術は信用できず、実験動物となるのは列強配下の貧困国クルーたちであった。
そのため、列強国がウラシェへ入植する時にはすでに弱小国主導の都市が点在していた。当然ながら列強国が出遅れては、国際秩序と言う名の寡頭支配を覆しかねない。
そのため、列強は後出し基準を設けた。防疫や攻性獣対策など説得力のある理由にも見えるが、実際は過剰な基準だった。
目的は建設された都市の放棄もしくは改修だ。改修の過程で、多額の資金を列強が拠出すれば実質的な支配権は列強のものとなる。改修費用が嵩んで元が取れない。そう判断された都市は、放棄される。眼の前の都市も、都市全体を覆うドームをあとから作るには難しいと判断されて、過去の遺物として朽ちていくところだった。
先人の無念を思うと、胸を締め付けられる。
「……一生懸命、頑張ったのに」
「過去の事だ。今更どうしようもない」
「それは分かっているんですけどね……」
分かっているが、納得はできなかった。その思いがトモエにも伝わったのか、わずかに頷き、続きを述べた。
「そう思ってない連中も確かにいる。揉めごとの原因になっているな」
それを聴いて、昨今のフソウを騒がせているニュースを思い出す。
「列強の横暴だ、とか言っているテロ組織がいましたね。おカネがない人たちをけしかけて、爆破テロをやっていたって聞きました」
「今も形を変えて多数のテロ組織が暗躍している。物騒な事だ」
やり切れぬ思いで都市を見つめていると、何発かの光弾が飛翔していた。つまり、誰かが戦っている。
それを見たシノブは不敵に笑う。
「こんなに早く資源採取戦に参加できるなんてなー」
「休み明けに申し訳ないが稼いでもらうぞ」
「大丈夫ですよ。トモエさん。こっちとしては願ったり叶ったりなんで」
「随分とやる気じゃないか」
「寝込んでいたから、カネがないだけです」
それを聞いたアオイが、鼻息を荒くした。
「資源採取戦の報酬ってすごいんですよね。この前に初めて参加しましたけど、びっくりしました」
資源採取戦で争奪されるトレージオンは莫大な利益を生むため、参加企業は高額の委託料を払って武装警備員を集める。そのため、各警備会社が得られる報酬は破格であり、参加した社員には特別報酬が払われるのが慣例となっていた。
採取できるトレージオンで企業が生み出す利益を考えれば、サクラダ警備に払われる額は僅かなもの。しかし、貧困国であるフソウ国民にとっては大金だ。
浮かれ気分が伝わってしまったのか、トモエが微笑みながら言葉を続けた。
「あれは、査定が良かったっていうのもあるがな」
「チドリさんがおまけしてくれた……とか?」
「そういう人物では無い。そもそも査定自体は拡張知能が行っている。個人の好みで、後から評価を曲げたりはできないさ」
「そうなんですか」
「ああ。拡張知能を使っている理由だが――」
資源採取戦の報酬査定は拡張知能が行う。
人によって評価がバラつくと、高額報酬が得られる資源採取戦では特にトラブルの原因になるためだ。気性の荒い者が多い武装警備員を相手する上では、当然の自衛手段だ。
前回の資源採取戦ではアオイとソウの作戦により早期撃破を達成し、トレージオン採取の時間が増えた点が高評価だった。
トモエの説明が終わる頃に通信が入る。
トレーラー前方のウィンドウに映るのは、艶やかな黒髪が印象的な容姿端麗な女性だった。外見どおりの涼やかな声が車内に響く。
「サクラダ警備担当区域の広域オペレーターを勤めさせて頂きます、イナビシのチドリ=チサトです」
モニターに映ったチサトを見て、シノブの顔がパッと明るくなった。
「あ、チィチィさんだ! 久しぶりです!」
チサトの顔にも、満面の笑みが咲いた。
「あ! シノブちゃ……コホン」
だが、トモエの方をチラリと見て咳払い。その後は、上位指揮者らしい真面目な微笑みを取り繕った。
「カリノさん。お久しぶりです」
「また、硬い事――」
いつもより低いトモエの声が、その場を制した。
「おい、シノブ」
釘を刺されたシノブが、思わず背筋を伸ばす。必要以上に居ずまいを正して、チサトへ挨拶を返した。
「ひ、久しぶりです。よろしくお願いします」
縮みあがるシノブを見て、苦笑いしかできなかった。視線をモニターに映せば、チサトも苦笑いを零していた。チサトは表情を真面目なものに変えて、その場を締める。
「サクラダ警備の皆様。改めましてお願いします。いったん失礼します」
チサトの顔がウィンドウから消えた。誰も話そうとはしなかったので、湧いた疑問をトモエへ投げかける。
「あの……、チドリさんと皆さんって、知り合いなんですか?」
「私が上司だったからな」
「アタシも同じ職場だった。プライベートでも会ってるし」
「えっ!?」
驚き方が大げさだったのか、トモエが悪戯っぽく笑った。が、すぐに指揮官らしく口元を引き締める。
「シノブ。だからと言ってあれは無い。作戦中は切り替えろ」
「は、はい」
「そろそろ作戦地点だ。各員の武装を確認する」
トモエが情報端末を操作する。各員の名前を含めた一覧が見えた。
「ソウは、アサルトライフルとハンドガンと手榴弾。アオイは、軽機関銃とハンドガンと拡張弾倉スロット」
「了解」
「いつもどおりですね」
「シノブは、アサルトライフル、グレネードランチャー、ハイメッサーか」
最後の名前を聞いて、思わずシノブに話しかける。
「ハイメッサーって、シノブさんが使っていた電撃ナイフの名前でしたっけ?」
思い出されるのは、シミュレーションで喉元を刺されたナイフだ。
「おー。よく知ってるな」
「はい。サメの歯と同じ名前で同じ形なので印象に残っていて、サメの歯と言うのは欠けても抜けても次々と代わりが生えてくるのが特徴なんですが――」
そこへ、刺すようなソウの声。
「アオイ。早口だ」
「ぅえ?」
いつの間にか立ち上がっていたのに気づいて慌てて座る。
恐る恐るあたりを見回せばシノブの生ぬるい視線が痛かった。半開きになった口から、説明の続きが紡がれる。
「電撃ナイフなんだけど、ぶっ刺した後にバチって感じだな。攻性獣なんかには特に効くぜ」
説明をトモエが継いだ。
「アオイとソウも装備が買えるといいな。今は品薄だがそれでも、機体に比べれば手に入りやすい」
「品薄ですか……。作るのが大変なんでしょうか?」
「いや、かなりの量を作っている。それでも買い手が多いって事だ」
兵器は気軽に買える汎用品と化している。その危険性をポツリと漏らす。
「怖い話ですね……。たくさんあったら悪い人たちにも」
「実際そうだ。抜け道はある。強盗やテロリストも人戦機の時代だ。さすがに都市の中はないが」
「テロリスト……。弾劾旅団でしたっけ? よくニュースで耳にしますね」
今日では、犯罪組織やテロ組織は人戦機を駆り、格段に危険な暴力を振りまいている。そういった輩からの護衛を武装警備員が受ける場合もある。
「もし、そういった人たちが来たら……、きっと殺し合いに……」
非合法組織と会敵した場合、資源採取戦のような紳士協定は通用しない。ヨウコ戦のような命のやり取りに発展する場合があるだろう。
アオイはヨウコの凶行を、ガトリングガンの冷たい輝きを思い出す。
「……そんな人たちとやり合うなんてことに絶対になりませんように」
対象も曖昧なままアオイが祈っていると、トモエの元へ通信が入る。
「イナビシから連絡が入った。至急、苦戦している防衛箇所へ急行せよとの事だ」
「分かりました」
「了解」
「ようやっと稼ぎ時かー。気合入れるぞー!」
前回の重苦しい空気とは真逆に、トモエやシノブはリラックスしているようだった。そのギャップの訳をトモエに聞く。
「トモエさん。今回はあんまり張り詰めた感じがしませんね」
「ああ。お前たちも訓練したし、今回はシノブがいるからな」
「任せておけって!」
ニシシと笑うシノブに頼もしさを覚えつつも、アオイは気を引き締める。
(迷惑をかける訳にはいかない)
その言葉を胸に刻み、アオイは戦場へ赴いた。




