第三話 少女と少女?とスラムの逃走劇
〇フソウ ドーム都市内居住区画 スラム街
貧困国フソウ。大半が貧しさに喘ぐ底の中で、さらに底がいた。
フソウには、住む場所を借りることもできない国民が、無視できないほどにいる。
彼らを捨て置けば、社会不安も大きくなる。そう考えた施政者たちは、彼らを一か所に押し込める事にした。
それがドーム外縁、アオイの住む家の直ぐ近くに設定された区画、官製スラムとも揶揄される場所だった。
狭い道路、安全と快適性を無視した高層建築、倦んだ空気。掃きだめとして作られた一角だ。
治安は悪く、近づく必要ないならば近づくものはいない。スラム周辺の区画も人気がないほどだ。そのため家賃が安く、アオイはそこに住んでいる。
粗悪な住居は、作るだけ作って後の事は知らないとばかりに全てが劣化している。それでも、スラムには人がひしめき合っている。それがフソウの現実だった。
〇フソウ ドーム都市内居住区画 スラム街 路上
淀んだ雰囲気に、アオイが思わず足を止める。
見上げれば、明らかに安全性を無視したと思われる粗末な橋と洗濯紐がいくつもかかっていた。落ちたら即死と思われるような高さまで幾重にも、だ。
アオイだったらまず渡らないような危険な橋を、スラムの人々は平然と渡っていた。時折、子どもが遊び半分で高層階を飛び移っていたが、それを注意するような者は誰もいない。
呆れ混じりの驚きが口から洩れた。
「うわ……って、ソウは?」
視線を下げれば、ソウの姿は既になかった。
「こんな危ない場所に一人でなんて」
脳裏に浮かぶのは、仕事でトラブルばかり起こすソウの姿だ。
「追いかけないと!」
すぐさま駆けると、浮浪児たちが虚ろな瞳で追ってきた。視線に居心地の悪さを感じながらも周囲を探す。
猫耳のような帽子をかぶった小さい少女がいた。
「何かに拝んでいる……のかな?」
小柄な少女は何もない所に向かって手を合わせていた。その真剣な表情が、妙に引っ掛かる。
「いや、それよりもソウを追いかけないと!」
交差点までたどり着き左右を見渡す。ソウの影はどの道にもなかった。
「あれ? ソウは?」
あたりを見回すと、路地の一角にいた男たちと目が合う。剣呑な雰囲気を振り撒く集団だ。
そのうちの一人、大柄な男が早足で詰め寄ってきた。
「おい、お前。どうしてここに来た?」
威圧感のある低い声に、思わず退いてしまう。だが、言い淀んでいてはあらぬ誤解を招くと思い、勇気を出して答えた。
「あ……。いえ、ちょっと知り合いを追っていて」
「何? どういうことだ?」
男が顔を顰める。その間に、残りの男たちもアオイの方へ近づいてきた。
「どうする? 気づかれたか? まさか間諜?」
「いや。この間の抜けた感じ、そうは見えないが」
「だが、あえてそうは思わせない人間を使っている可能性も」
ドジを踏んだ。危機察知能力が、そう告げている。
「あ……。あ」
一方で、迫る危機に取れる手段はない。
ソウを追うために駆けた事で息が上がりかけている。逃げた所で捕まるのは目に見えていた。
「お、おねえちゃん」
無意識に握る手を探そうとする。当然、姉は側にいない。その手は虚空を掴むだけになるはずだった。
だが手を握り返す感触。すぐ横から女性の声が聞こえた。
「おっと。なんだ? 手なんか握って?」
「え?」
思わず振り返る。
そこには猫耳のようなニット帽をかぶった小柄な少女が立っていた。猫のようなツリ目が活発な印象を与える。その顔が先ほど真剣に祈っていた子どもと重なった。
「さっき拝んでいた? どうして?」
事態を飲み込めずに男たちを振り返れば、戸惑いを浮かべていた。
「子どもが二人か。面倒になったな……」
不穏な空気は消えない。
だが、現れた少女が動じる様子はなかった。相変わらず、不敵な笑みを浮かべている。
「ここで誤解が解けるのを待つか? それとも、アタシと一緒に逃げるか?」
「え? いきなりそんな事を言われても……」
「聞いたとおりだな。優柔不断はよくないぜ?」
「聞いたって――」
「ちょっと待ってくれ」
少女は唇の前で人差し指を立てた。咄嗟に口を閉じる。
「囲もうとしている……。やる気だな」
言うや否や、無理やりに引っ張られる。
「え!? え!?」
心の準備がろくに整わないままだったが、立ち止まれば男たちに何をされるか分からない事は理解できた。
少女に置いて行かれない様に駆け出す。だが、少女の足は速く、グイグイと腕を引かれた。
「ほら! 急げ!」
だが、どうして目の前の少女が自分を助けようとしているのかが分からない。
「で、でも! どうしてキミまで!?」
「理由は後で教える!」
そう言って少女は、建物の暗がりに入った。
照明は無く、どこに何があるかもわからない闇が目を塞ぐ。その中でも少女は手を曳き続けた。いつ何に激突してもおかしくない状況に、たまらず声を上げる。
「暗い! 見えない!」
「とにかく付いてこい! あと黙れ!」
口を塞いで走り続ける。息が上がり始めたころ、疾走する先に光が見えた。開け放しのドアを抜けると、視界が開けて朝日が差す。
「明るく――」
「今度はこっちだ!」
そう言って再び、暗がりの建物内へ飛び込んだ。明るさに慣れた目には、一面の黒しか見えない。
「どうして暗いところを!?」
「振り切るためだ!」
どこに何があるか分かっているような、思い切りの良さだった。一切の照明がない、暗闇の疾走が続く。
全力のまま曲がる度に、壁に激突しないか冷や汗が出る。しかし、障害物が身体を掠める事さえ無い。偶然では片付けられないほどスムーズな逃走劇だった。
あり得ない順調さに、思わず困惑気味の声が出る。
「ねえ! キミ!?」
「黙れ! アタシなら分かる!」
自信と確証が手の平越しに伝わってくる。そして、先ほどから聞こえてくるチッ、チッ、チッっという舌打ちのような音。
(この音は? 女の子から?)
聞きなれない音に戸惑っている間に、ビルの谷間に出た。頭上から光が差し、まぶしさに手をかざす。目が慣れて、眩しさがいつもの薄曇りに変わる。それと同時に少女が話しかけた。
「撒けたな」
「あ、あの。ありがとう……」
「いいってことさ」
少女は随分と大人びた物言いをしていた。子供らしからぬ態度に、お節介心がうずく。
「でも、キミ。子どもなのに危ないよ」
「ん?」
少女は、呆気に取られたように口をぽかんと開けた。
「ぷっ」
一瞬の間を置いて猫耳の少女が吹き出す。とうとう腹を抱えながら笑い出した。
「アハハ! ああ、心配ありがとうな! でも! まさかな!」
なぜ笑っているのか見当もつかなかった。ひとしきり笑い終えた少女は、笑い涙をぬぐう。
「まぁ、ここまでくれば安心だろ」
見渡すと、通勤路がすぐそこに見える。もう暴漢に囲まれる心配もないだろう。とにかく助かったのだと理解すると、少女を向いて頭を下げた。
「あ、ありがとう」
「じゃあな。今度は気をつけろよ」
そう言って、少女は手を振りながら去ろうとする。だが、二、三歩と歩いたところで何かに気づいたように声を上げて、振り返った。
「パッと決められない癖を直さないと、武装警備員なんてやってられないぜ!」
「え? え?」
その一言だけ述べて、再び建物内の暗がりに消える少女。だが、アオイは追う事もできず立ち尽くす。
「なんでボクが武装警備員だって知ってるの?」
呆然としていると、空色の作業服に身を包んだ少年が目の前を横切る。切れ長の三白眼を見て、思わず声が出た。
「ソウ! なんでこんなところに!?」
ソウは何事も無かったように、平静な三白眼をこちらへ向けた。
「この経路が最短である事を発見した」
「だからってこんな危ない所!?」
「通勤は効率的であるべきだ。アオイこそなぜここに?」
「ソウを追いかけてきたんだよ!」
「理由が不明だ」
「心配したボクがバカみたい」
思わずへたり込んでしまう。ソウは顔色を変えることもなく、見下ろしてきた。
「さぁ、急ぐぞ。この経路はかえって非効率だった」
それだけ言って、ソウはさっさと歩き出す。
「もぅ。分かったよ」
相変わらずの相棒に、急いでついて行く。朝の光を浴びた表通りを、ソウの早歩きに合わせてついて行く。アオイが振り返ると、そこには、何かが蠢く仄暗いスラム街が広がっていた。
〇フソウ ドーム都市内居住区画 スラム街
圧迫するような粗悪な高層ビルの底で、一人の偉丈夫が両手に袋を抱えていた。歩きながらも体幹はブレない。見る者が見れば、鍛えているのは身体だけではないと言う事が分かる。
男の頬には十字の傷があった。眼光は鋭く、瞬きも不自然なほどに皆無。視線は行く先を見据えながら、足元に落ちるごみを踏むことも無い。
仕上げた刃物を思わせる帯びた雰囲気を放ち、空気を裂きながら歩き続ける。くたびれたスラムの住民が剣呑な男を認めると、怯えを浮かべながら道を譲った。
男が進むその先、奥まった道に扉のない入り口がいくつも周辺にあった。その近くで、男が紙袋をひっくり返す。
紙袋から出てきたのは大量の菓子箱だった。途端にそこかしこの打ち捨てられた窓や扉から、子どもが顔を覗かせる。
子どもたちが傷の男を見るが、怯える様子はない。それどころか、安堵の笑みを浮かべながら寄ってくる。
子どもたちは知っていた。この男がいる間は安心して食べ物にありつけることを。
その様子を遠巻きに見るスラムの住民を、傷の男は一睨みする。途端にくたびれた様子の大人たちは散っていった。
傷の男が子どもたちを見守る背後から偉丈夫たちが近づく。気配を察したのか傷の男が振り返りもせずに口を開く。
「進捗は?」
「遅れはありません。ただ……」
「なんだ」
「先ほど紛れ込んだ少女たちの追跡、なぜ止めたのですか?」
「貴様。子どもを傷つけるのか?」
傷の男がゆらりと立ち上がり、報告をした偉丈夫を静かに睨んだ。
「い、いえ……」
偉丈夫が、巨体を震わせて怯えた。傷の男が言葉を継ぐ。
「特徴は覚えた。念の為、組織には報告してある。公的機関、特に中央共和国連邦と繋がっているならば処分を行う。懸念はあるか?」
「あ、ありません」
「では、計画の続行を。私も行く」
「分かりました」
偉丈夫たちが踵を返す。傷の男も後を追おうとして、立ち止まる。振り返って、背後の子どもたちを見やる。
「我らの大志のために」
そう言って、傷の男は立ち去った。残ったのは、スラムの薄明り。男の正体について、真っ当な人間ではないと気付く者も多い。だが、その懸念が公に知らされる事はない。
今日も、人知れずに、何かが進展していった。
〇フソウ ドーム都市内特殊区画 サクラダ警備社屋 格納庫
人戦機が立ち並ぶ格納庫に戦闘服に身を包んだアオイとソウがいた。アオイの額には汗がうっすらと滲む。整備用クレーンを見上げながら、汗を拭った。
「間に合わないかと思った……」
「次回の試行は余裕を持つべきか」
ソウの顔に微塵の申し訳無さも見られなかった。
「ソウ! 絶対にスラム街を突っ切るような真似はしないでね!」
「どうしてだ?」
「どうしてもだよ! 分かった!?」
「理解不能だ」
反省した様子の無いソウを、呆れを込めて睨む。ソウは、興味なさそうに視線を外した。ささやかな抵抗は効果なしと悟り、自然とため息が出た。
「間に合ったから良かったけどさ……。遅刻でクビとか……それだけは。今日は朝イチで集合しろ、って言われたし」
「復帰する先輩を紹介すると言っていたな」
「どんな人だろう。優しいといいんだけどな」
ちょうどその時、何か袋を抱えたトモエが格納庫に入ってきた。トモエの長身とは対照的な、小さな人影が後ろに続く。その顔に見覚えがあった。
「あれ? あの人」
戦闘服に身を包んだ小柄な女性がいた。
トモエと比べると一際その小ささが目立つ。猫を思わせる釣りあがった瞳に、勝気そうな笑み。スラム街で助けてもらった少女と瓜二つだった。
(まさか? でも、雰囲気がぜんぜん違う……)
だが、戦闘服姿の女性からは、確かな風格が漂ってくる。
果たして同一人物なのかと半信半疑で女性を見つめていると、女性とトモエが目の前で歩みを止めた。女性の猫のような瞳がアオイとソウを見据える。
「お前たち。復帰した社員を紹介する」
「カリノ=シノブだ。よろしくな」
先程の少女と同じ声だった。驚きのあまり、半開きの口が動かなかった。
「……え? え? あの時の?」
「正解。アオイとはこれで二回目だな」
シノブと名乗った女性がニシシと悪戯な笑みを浮かべる。
「ちなみに、アオイよりも十くらいは年上だぞ。稼働年齢ではだけどな」
「え? あ! そ、その、それは、ごめんなさい!」
先輩を子ども扱いした事を思い出し、慌てて頭を下げる。シノブは八重歯を見せながら、笑って応じた。
「いいって。よくある事なんだからさ」
内心でホッと胸を撫でおろす。
(良かった。優しい人みたい)
頭を上げてシノブを観察する。
先輩社員と聞いて厳めしい古強者を想像していた。だが、シノブは想像の先輩よりも若くて気さくに見える。
(歳も近そうだし、仲良くできるかな?)
そう思っていた矢先、シノブが口を開く。
「じゃあ、先輩の初仕事として、模擬戦闘の講評から行くか。お前たちの結果を見せてもらった」
シノブが挑発的なギラついた笑みを浮かべ、情報端末に映るスコアを鼻で笑った。
「お前ら全然なってねえな。教本のどこを読んでた?」
豹変ぶりに思わず全身が固まる。視界の端に映るソウの三白眼がスッと細まった。
だが、二人の反応を歯牙にもかける様子はなく、シノブは説教に近い口調で講評を進めていった。
「まぁ、うちらが軒並み入院してたからしょうがないってのもあるが、それでもひでぇもんだ。目の前の敵を倒す事しか考えてねえな」
反応できないところに、トモエが口を開く。
「アオイ。ソウ。お前たちに言っておく事がある。サクラダ警備では、試用雇用から本契約に切り替えるかどうかにあたり、現場の評価を重視する」
ソウが切れ長の三白眼を更に細めた。
「説明の意図が不明です。結論をお願いします」
「お前は相変わらずだな。アオイはもう察しているようだぞ?」
トモエが顎でこちらを指した。ソウをはじめとした面々の注目が集まる。慣れない注目に身構えていると、ソウが口火を切った。
「アオイ。つまりどういう事だ?」
「……シノブさんに認められないと、本契約に行けないって事だよ」
「採用試験官と言う事か?」
「そう言う事だね」
シノブがニヤリと笑みを深める。先ほどまでは可愛げを帯びていた猫のような瞳が、獲物を見据える捕食獣じみたものへ豹変していた。
「これからビシバシ鍛えてやるからな。社員希望ども」
肉食獣に狙われる小動物になった錯覚に陥り、アオイはただ震える事しかできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
キャラ紹介
シノブ ちびっこ先輩




