少女とスーツと思わぬ人助け 後編
〇フソウ ドーム都市内商業ビルディング
アオイたちは、複数のアパレルテナントが入っている商業ビルに入っていった。
入り口をくぐって眼の前に広がるのは、煌めく照明に色彩豊かなオブジェクトだ。普段は聴かないオシャレな音楽が心地よく耳をくすぐる。
電子広告板に映る美男美女が着ているのは、顔の美しさをより際立たせる絶妙な配色の洋服だった。
どんな服を買おうかと期待とともにおしゃべりに興じる人々の波を抜けて、サクラダ警備の三人がエスカレーターに乗る。
アオイはエスカレーターを上りながら、初めて目にする華やかな世界に圧倒されていた。きょろきょろとあたりを見回していると、微笑みながらこちらを見ているトモエが見えた。
トモエの表情に生暖かなものを感じて視線を逃すと、切れ長の三白眼が目に入る。ソウは仏頂面で直立不動の姿勢を保っていた。顔から視線を下ろせば、空色の作業服が目に入る。
(すっごい場違い……)
周囲からの奇異の視線にもたじろがない。相棒はそういうやつだったと、畏敬と呆れを向ける。
そのままエスカレーターをいくつも登っていくと、大人の雰囲気が漂う階へ到着した。トモエがあたりを見回す。
「フォーマルなものなら、このフロアなんかがいいか」
「こういう所、初めてです」
「いつもはどこで買ってるんだ?」
「えっと。古着販売アプリで……」
「そうか。緊張する事はない。任務よりは安全だ」
それとこれとは話が別なような気もするが、恩人だと思っていた相手が急変して殺しにかかってくる事にはならないだろうと納得した。
だが、それでも一抹の不安がよぎる。
「自分の服をよく見てから出直してこい、なんて言われないでしょうか」
ほつれた袖口に、テロテロに薄くなった臀部を見る。
「アオイは客だ。そんな事は言われないさ」
トモエがツカツカと歩く後ろを、雛鳥になった気持ちでついていく。
「では入るぞ」
トモエが先陣を切って店に入る。
気づいた店員が挨拶をするが、中には息を呑んでトモエの颯爽とした美しさに見惚れる者もいた。服を見ていた客もトモエを見かけて、何か興奮気味に話している。
(うわー。みんなトモエさんを見てる。気持ちは分かるけどね)
トモエの気品に満ちた後ろ姿を見れば、注目を集める理由は納得だった。
店内を進み、大人な雰囲気が漂う一角に到着する三人。展示されている服は、どれもが品が良い魅力を醸し出している。
「展示場に着ていく服なら、ここらへんだな。最初の一着だから、手頃なものでいいだろう」
「分かりました」
トモエとの会話を聞いていたソウが、質問を加える。
「オレはどうすれば」
「男性用はあっちだな」
トモエがフロアの向こうを指し示す。だが、いつもならすぐに行動を開始するソウが動かない。その様子をトモエが不思議そうに見ている。
「なんだ? 行かないのか?」
「客観的基準が曖昧な選択は不得手です」
確かに、ソウが苦手そうな分野だと思う。トモエが大人な笑みを浮かべた。
「仕方ないな。少し見てやる」
「頼みます」
「アオイ。少し外すぞ」
いつもより小さく見えるソウを見て、思わずクスリとした笑いが溢れた。
「分かりました」
男性コーナーへ向かう二人を見送った後、目の前に展示されている服を物色する。
「うーん。いつも着ているのと比べると、どれもすっごく高い……。しっかり選ばなきゃ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アオイがスーツを選んでいる店の一角で、二人の女性店員が仕事をしていた。
片方の店員には覇気が無く、華やかなアパレルショップには似つかわしくない幸薄さを漂わせていた。その幸薄そうな店員へ、もう片方の店員が話しかけている。
「――チコ! サチコ!」
「あ、何?」
「在庫確認するから、あっちのお客さんお願いね」
「分かったわ」
「サチコ。この頃、元気ないわよ。もしかして、またあの彼氏――」
サチコと呼ばれた店員は、とにかく男運が悪い事で有名だった。
初めはまともそうに見える男でも段々と横柄になっていく。そして、本人は段々と精気を失っていく。果ては男が浮気で去って行く。そんなサイクルを何回も繰り返す、ある種の有名人だった。
だが、本人としては純愛を貫いているつもりである。サチコの顔が憤りに歪む。
「彼の事を悪く言うなら、流石に怒るわよ!」
「ええ。でも……。いや、まぁ、サチコがそう言うなら」
「彼、本当は優しいんだから。中々そうは見えないだけで」
もはや、言っても無駄とため息をつく相手の女性店員。
「分かったわよ……。とにかく、接客よろしくね」
そんな心配は、沼にはまってしまったサチコには届かない。
サチコは携帯型情報端末に映る彼氏の顔を見る。爬虫類のような切れ長の瞳が印象的だ。
「彼のために頑張らなきゃ。私が養わないと」
無愛想な物言いで、気遣いもほとんどない。友人からは大事にされていないと言われる。
「みんな分かってないのよ。私だけにしか見せない特別な顔だってあるんだし」
時たま見せる優しさこそが本当の彼だと思っている。ギャップも含めての魅力だとサチコは考えていた。
「恋は盲目って言うけど、そんなの当たり前で……って、お客さんが」
サチコは服を物色している少女に近づく。
とにかく気弱そうな少女だった。
たれ気味の丸目、低い鼻、丸顔とよく言えば警戒感を抱かせない、端的に言えば見下されそうな容姿をしている。
自信がなさそうなオドオドとした所作。
苦労を重ねてきた者に特有のくたびれた雰囲気。
騙されやすそうな人の好さ。
どれもが幸薄さを放っている。
サチコが声を掛けようとした時、少女が気配に気づいたのか振り向いた。二つの気弱な瞳が互いを映し合う。
(私が言うのもなんだけど、幸薄そう……)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(ボクが言うのもなんだけど、幸薄そう……)
アオイは話しかけようとしてきた店員に、他人とは思えない儚さを覚える。
共感と抱く同時に、容姿に見合う人生を送っていたら大変だろうなと同情してしまった。
益体もない事を考えているうちに、相手の店員が接客を進める。
「お客様。フォーマルな物をお探しでしょうか?」
「え。はい。ちょっと、必要になって――」
戸惑いながらも事情を話す。説明を終えると、相手の店員がいくつか服を見繕った。
「分かりました。ではこちらなどおススメですよ」
「うーん……」
いくつかの服が持ってこられたが、ほとんど同じに見えるのに値段がそれなりに異なる。電子機器との連動機能を備えたウェアラブルデバイスという説明がついているが、普段から古着しか着ないアオイには耳慣れない言葉でしかなかった。
(違いがよく分からないけど……)
初めての経験にオロオロとするしかなかった。どうすればよいか見当もつかない。
「えっと。その……」
「迷われているようでしたら、イマジナリー・フィッティングをなさってはいかがでしょうか」
聞きなれない言葉だった。
「いまじなりー? なんですか?」
「コンピューターでお客様とお洋服を合成したリアルタイム画像を表示する機械です」
「実際には着れないんですか?」
「こちらの商品。お客様に合うサイズと色味につきましては、当店舗の在庫にございませんでして。お気に召しましたら配送を手配します」
「そうなんですね」
改めて自分の服を見て、パーカーのフードが目に入った。
「この服、フード付きですけど大丈夫ですか? 合成するときにはみ出たりとか」
「大丈夫です。そう言った所も、自動で処理します」
「分かりました」
そう言って三面が大型画面に囲まれた一室に連れていかれた。
そこにはカメラで撮影されたリアルタイムの姿が表示されている。店員が操作すると、アオイの横にいくつかの服が表示されていた。その中の一つに注目する。
(これとかトモエさんが着ていた感じに似ているかも)
脳裏にトモエの颯爽とした姿が浮かぶ。
「お客様。何かご希望は?」
「じゃあ、これを」
希望の服を示すと、画面に合成準備中と表示された。その間、目を瞑って仕上がりへの期待に胸を膨らませる。
(これでボクもトモエさんみたいにかっこよく……)
頭の中の自分は、トモエに負けず劣らずのキラキラとした雰囲気に包まれていた。そこへ幸薄そうな声が割って入る。
「お客様。準備が整いました」
「分かりました」
期待に口元を緩ませながら、目を開ける。
「な……!?」
だが、そこに映っていたのはトモエとは似ても似つかない姿だった。
欠食気味な生活ゆえの貧相な体。手足の長さは比べるまでもない。顔も平凡そのもの。
トモエのような颯爽とした雰囲気はなく、服に着られている冴えない少女が映っていた。
あまりの違いに愕然とし、全身の力が抜けた。思わず、首がガクッと落ちる。
「と、トモエさんと全然……違う……」
素材が違うと言うむごい事実に、アオイは思わずため息をつく。
そんな所へ、無駄に迫力を纏った三白眼の少年がやってきた。それは、空色の作業服を着たソウだった。
「アオイ。まだか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サチコはヌッと現れた少年に驚く。
(わ!?)
切れ長の三白眼にシャープな鼻と顎のライン。刺々しい逆巻く髪。人を拒絶するような容姿に無機質な声。そして、少年の服装は場違いそのものだった。
(え? なんで作業服?)
アオイと呼ばれた幸薄そうな少女が、作業服姿の少年を当然のように受け入れた。
「え。ソウの方はもう買ったの? トモエさんは?」
「トモエさんは自分の服を見に行ったぞ」
「自分の息抜きもって言ってたから、それはそうか」
「それで、いつ選び終わるんだ」
「まだ迷ってるから、ちょっと待っててよ」
親し気にしゃべる二人を見ながら、サチコはその関係について想像する。
(あら、彼氏さんかしら)
ソウと呼ばれた少年が、少々のいら立ちを込めてアオイに話しかけた。
「それにしても、いつもと違うと落ち着かない」
「たまにはいいんじゃない? 訓練ばっかりだと疲れちゃうよ」
「だが、あの日の誓いの言葉を忘れた訳ではないだろう?」
「ちゃんと覚えているよ」
そんな二人の会話聞いて、内心で驚くサチコ。
(え? 誓いの言葉? どういう事かしら)
接客で鍛えたスマイルによって、内心の疑問はせき止められた。
「いつでも一緒なんでしょ?」
「順調な時も、苦しい時もだ」
「誓ったからね」
脳裏には、この二人が結婚の誓いをしている光景が浮かんでいた。
(え? 結婚しているの? この歳で?)
一体どういうことなのか。戸惑う間にも、少年と少女の会話は続く。
「借金を肩代わりしてもらっているから、文句も言えないよ」
借金と言う不穏な単語に、ますます疑惑を深める。
(え? 借金? それなのに結婚している? もしかして、借金を盾に無理やり結婚を……。今時そんなことが……)
アオイと呼ばれた少女が、幸薄そうな顔で健気に笑う。
「新品の服を買うなんて初めてかも」
「そうか」
その一言で目線がアオイの服に行く。アパレル関係で働くものとして、最初からかなりの古着だと思っていたが、借金苦という事情を知ると、より一層ボロボロに見える。
(このコ。気になっていたけど、服がボロボロ……。やっぱり苦労して)
同情のまなざしに気づくことも無く、アオイとソウの会話は続く。
「ソウは何を買ったの?」
「勧められて色々とな」
「わー。結構高そう……。まぁ、この前の一件でおカネがあるからね。ソウの方は」
ソウと呼ばれた少年が持っている袋へ視線を向ける。それは高級で知られるブランドのものだった。
(それなのに自分の服は高級品? やっぱり無理やり? 大切にしているようには思えない……)
妻がボロボロの服で我慢しているにも関わらず、買うような服ではない。そこに正常な結婚生活はうかがえなかった。
思わず少年の顔をまじまじと見る。切れ長の三白眼が与える印象は、どこまでも冷たい。
(なんて冷たい目……。気づいて! あなた、大事にされてないわよ!)
どう考えても冷血漢の眼差しに見える。
サイコパス、人でなし、ダメ男。そんな言葉が脳裏をよぎる。
「でも、大丈夫? 色々買い過ぎたんじゃない? この前も騙されてたでしょ?」
「む。確かにそうかも知れない」
「もう。ソウって見ていて不安になるんだよね」
どう見ても大事にされていないのに、少女は心から心配しているようだった。
(こんな仕打ちを受けているのに……。ダメだわ。このコ、自分が見えていない)
サチコが心配を募らせていると、冷たそうな少年が踵を返した。
「オレの買い物は終了した。先にベンチで待っている」
(奥さんの買い物に付き合ってあげないなんて……!?)
そのまま少年は去っていく。少女は文句の一つも言わない。あまりの少女の不憫さに、思わず口を開いてしまった。
「あの、お客様」
「はい?」
「もう少し、冷静に自分を見つめ直された方が……」
「ぅえ?」
少女が呆けたまま固まった。数秒後、自分の服を見て、何かに思い当たったようにハッと口を開き、冷や汗をダラダラと流す。
「あ! もしかして、ていうかやっぱり服がボロボロすぎて……!? ご、ご、ごめんなさい! すぐに出ていきます!」
少女は表示された服の購入手続きを大慌てで済ませ、逃げる様に店を後にした。
その後ろ姿を見送りながら、サチコは少女の将来について心を痛める。
「あのコ。いいコそうなのにどうして……」
恋は盲目という言葉が思い浮かぶ。いつも自分が言われている言葉だった。
「ダメ男にはまってるってあんな感じなのかしら……」
まるで自分の様だとサチコは思う。客観的に見てみれば、どう考えても気弱な少女と無機質な雰囲気の少年は別れるべきだと結論づけた。
携帯端末に映る彼氏と自分の画像を見る。気弱そうな少女に会う前までは尽くしてあげたいと思った男が、今ではどうしようもないクズ男に思えてきた。
まるで、あの切れ長の三白眼の少年のように。
「別れよ」
サチコはこのシフトの後に、別れを切り出そうと心に決めた。思わぬ形で一人の女性を救ったことを、アオイは知らなかった。
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