少女と学者とウラシェの生き物 後編
〇黒曜樹海 開拓中継基地近辺 護衛中
巨木と高層の樹冠が形作る仄暗い回廊。
黒曜の葉で形作られた天井の下を、軽機関銃を携えてアオイ機が進む。立ち止まり周囲を見回していたシドウ一式が何かに気づいたように遠くを見やった。
シドウ一式の胸部コックピットの暗闇。その中に、半透明式ゴーグルモニターを被ったアオイがいた。
見えない何かを探るように、気弱な丸目がせわしなく動く。
「なんだろう。この音」
その耳には、音量増強処理を施されても微かにしか聞こえない足音。
だが、確実に何かいる。そう判断したアオイがトモエへ通信を入れた。
「音が! 何か来ます!」
「いや、アオイ。待て」
その指示に戸惑い、眉をひそめるアオイ。
(どうして待てが? ソウの到着を……? ボク、まだ信用されてない?)
悔しさが胸に滲む。だが、息を吸い込んで決意を肺にため、気合と共に声を吐き出す。
「トモエさん……! 一人でやらせてください!」
「いや、そうじゃなくて……」
戸惑い気味なトモエの声。
何かが空回っている。そう思い直した時、前方の茂みから飛び出す小さな影。
「ぅえ?」
飛び出てきたのは小型の四足歩行生物。目は赤くなく、二つだけ。母星にいたと言うトカゲにそっくりの姿だった。その姿に驚いている所に、逼迫した様子のソウの声。
「アオイ! 支援に向かうぞ! 攻性獣はどこだ!?」
「いや……。うん。大丈夫だったよ……」
アオイはコックピットの中で、特大のため息をついた。
〇黒曜樹海 河川付近 学術調査地点
黒曜樹海の畔。
巨木の海から少し離れた草はらに、屈んでいる人影が一つ。
防護マスクと眼鏡と作業服を身に着けた長い黒髪のサトミが屈みながら何かを調べていた。採取した土を手の平ほどのガラス容器に詰めて、立ち上がる。
空を仰ぐサトミの眼鏡には、ウラシェの曇天が映っていた。
サトミがチラリと横を見ると、やや離れた所にシドウ一式が体育座りをして待機している。操縦士の視線とリンクしている外部視覚センサーが、先ほどからサトミの挙動を追いかけていた。
(ずっと、こっちを見てるわね……)
居心地悪さと、興味を持たれる新鮮さと、学者特有の好奇心。それらを胸に抱きながら作業を進め、苔を詰めたガラス瓶をクーラーボックスに仕舞う。
「これでよしっと……」
その後も、シドウ一式の外部視覚センサーが自分の挙動を追いかけていた。
腰を伸ばして体をほぐした後に、防護マスクについているスイッチを入れる。それは、マイクのスイッチだった。
「ねえ、そこの……、確かアオイさんだったかしら?」
「は、はい!」
今まで会ってきた武装警備員とはまるで違う、初々しくて緊張に上ずった声。
普段なら自分から武装警備員へ話しかけるつもりも起きないが、今回はちょっと興味が湧いた。
「さっきから頭部がこっちを向いているって事は、操縦士の貴方もこっちを見ているってことでしょ? 何か用?」
「い、いえ。どんな仕事か興味があって」
「ふーん。私がどんなことしているか分かるの? これが何か知ってる?」
そう言ってサトミが、クーラーボックスの横に置いてある檻を指差した。中には背中に帆のような突起を持った生き物が入っている。大きさは人間の子どもほどだった。
「ディメトロドンに似てますね。大きさは随分小さいですけど」
「知ってるんだ。結構マニアック……というかほとんど知らないのに。何かで勉強しているの?」
「あー。まぁ、学校とかで勉強したわけじゃないので……」
インカムから聞こえてくるのは、実に気弱そうな遠慮がちの声だった。その後もチラチラと視覚センサーがこちらを向く。
(まだ、何か聞きたそうね……)
興味を持たれること自体には悪い気がしなかった。
「まだ何か聞きたい事ってある?」
「えっと……。じゃあ、せっかくだし」
「どうぞ。あんまり興味持ってくれる人なんていないし」
「どうして、キシェルの生き物とそっくりなんですかね? 違う星なのに」
その質問に、サトミはわずかに目を見開いた。防護マスク越しに感嘆の息を吐く。
(へぇ……。キシェルの生物をある程度知っている上に、ウラシェの生物も知っている。珍しい)
サトミはまかりなりにも先生と呼ばれる立場だ。
ちゃんと説明しなくては。そんな気持ちが湧き上がる。
「それはね、生き物は環境に合わせて効率的な形を取るからよ。二つの星の環境が似ていれば、たどり着く形も一緒なの。ただ、この星はまだ途中みたいだけど」
「途中? どういうことです?」
「例えばこれ、かなり原始的な循環器の仕組みしか持っていないわ。恐らくは陸に上がってすぐ位かしら。進化の途中よ」
「そうなんですね」
「これって相当不思議なのよね。なんでか分かる?」
インカムから聞こえてくるのは、うんうんと悩む唸り声。
コックピットの中で一生懸命に悩む気弱な少女を想像し、微笑ましい物を覚えるサトミ。声も自然と柔らかくなった。
「ヒントはあなたたちのお仕事に関係している」
「あ、攻性獣」
「正解。あれくらい高度な生物がいる一方で、こんな原始的な生物が淘汰されない。不思議なのよ」
「なるほど。弱い方が食べられちゃったりしますね」
「そうそう。目とか足の数も違う。かなり早い段階で分かれた可能性もあるし、もしかしたら生命が二回発生しているのかも知れない」
「……へえ!」
返事には心からの感嘆が籠もっているように聞こえた。それを聴いて、サトミの声色も自然と弾む。
「随分と嬉しそうね」
「こういう話を生で聞ける機会ってほとんどなくて」
アオイの返事に先程までの上機嫌が吹き飛んだ。講演に招かれる事なんてほとんどない。その事実を思い出しながら声を絞り出す。
「……冷遇されている分野だからね」
サトミは防護マスクの下で冷笑を浮かべる。
「ニュースにもならないし、興味も持たれない。開拓に役立つ遺伝子操作とかならともかく、現生生物の調査に、おカネを掛けていられないのよ。世間はね」
インカムからアオイの声は聞こえなかった。
(あ、まず……。私ったら、なんでこの子へ憂さを晴らすような事を)
悪くなった空気を紛らわすため、サトミは話題を変える。
「それにしても不思議なのは攻性獣よ。まるでデタラメ」
「デタラメ……ですか? 確かに母星の記録にはない生き物ばかりですけど」
「なんて言うか……、効率を無視しているのよ」
「効率……ですか?」
アオイの返事からネガティブな印象は受けない。それにホッとしながら、先を続ける。
「生き物の体ってコストパフォーマンスを追求した形をしているわ。どんなに強い牙や角、凄い筋肉を持っていても、それに見合うご飯を食べられなきゃ死んじゃうの。だからとにかく、栄養を節約して、役立つところにだけ使うようにしている」
「なるほど……。ワタシも節約のために毎日ミドリムシペーストだけだから……。すごく共感できます」
「面白い冗談ね」
オキアミとミドリムシのペーストはたしかに高栄養食品だが、いくら貧乏だからといってそればかりを食べる者がいるはずがない。
(ましてや高給な武装警備員がそんな食生活を? どんな事情があって?)
真面目そうな印象だったが、中々に冗談のセンスがあるものだと感心した。
「それでね、攻性獣って異常なの。脚の数も、甲殻も、筋肉も、目も贅沢すぎる。私たちとは戦っているけど、入植前から攻性獣はあの姿だった。何と戦うためにあんなに贅沢な身体を維持しているのか分からない」
「攻性獣同士は戦わないですからね。……そう言えば、攻性獣ってなにを食べるんですか?」
「何も分かってない。生殖とかも含めて基本から謎なのよ。死骸を持ち帰れないのが理由ね」
「屍食蝶ですね。死骸に集まっているところも、それを守ろうとして攻性獣が集まってくるところも見ました。不思議ですね」
「本当に。違う星の生き物だから、不思議じゃない方が不思議かも知れないけど」
サトミが、少し遠くにある黒曜樹海を覗く。
「そもそも、このウラシェが母星のすぐそばに在ること自体が不思議なのよ」
「そうなん……ですか?」
「重力もお手頃。太陽にちょっと近いけど、得体の知れない雲が守ってくれている。大きい月が何個か回っているから自転軸も安定している。酸素濃度はちょっと低いけど、それも簡単な遺伝子改造で済むくらい。何もかも出来過ぎくらいだわ」
そう言ってサトミが空を見上げる。そうしている所にアオイの声。
「本当に幸運だったんですね。遺伝子改造受けましたけど、特に違和感もなかったですし」
「あら、アオイさんは渡航組だったんですか? じゃあ、私より年上でしたね」
冗談めかした問いかけに、苦笑が返ってきた。
「確かに記録年齢は四十歳を超えていますけど、渡航中は冷凍睡眠だったので年上と言うには……」
母星のある恒星系と、ウラシェのある恒星系は光ならば半年もかからない程度の距離だ。だが、その距離は人類の全精力を宇宙船開発に注ぎ込でも遠かった。
そのため、渡航中は冷凍睡眠状態で、その状態のまま数十年過ごす事をサトミは知っている。
「基本は稼働年齢で考えるしね。年下って考えて問題ないでしょ?」
冷凍睡眠中は加齢にカウントしないこともだ。
「はい。そうです」
年下である事もそうだが、気弱そうな容姿そのままの気弱そうな声。接するほどに武装警備員らしくないと、サトミは思う。
「あなた、本当に武装警備員らしくないわね。どうして――」
「こちら、ソウ! アオイ! 攻性獣が来た!」
インカムに聞こえる少年の声。空気が一変する。
「了解。休眠モード解除。……復帰シーケンス異常なし! 合流するよ!」
気弱そうな声が緊張感のある凛々しい声へ一変した。機械仕掛けの巨人が勢いよく立ち上がり、木立の中へ消える。サトミはその様子を呆然と見送っていた。
〇黒曜樹海近辺 開拓中継基地
開拓中継基地の休憩室の扉の手前に、作業服を着こんだトモエとサトミがいた。サトミは長い黒髪を揺らして頭を下げる。
「今回はありがとうございました。ヒヤッとしたりする事なく調査が終わったのは初めてです」
「今回は、そこまで危険なフィールドではなかったですしね」
「いえ、同じ地点の調査でしたが、他の会社さんですと途中にトラブルだらけで。本当に丁寧な護衛でした」
バイザーの下にある薄く整った唇が、苦笑いに歪んだ。今まで頼んで来た業者がロクでもなかった事をサトミは悟る。
トモエの方は苦笑いを微笑みへ変えた。
「社員たちのおかげですよ。感謝のお言葉、後で伝えておきます」
「いえ、私から直に伝えたくて」
「そうですか。喜ぶと思いますので、そうしてくださると」
サトミが休憩室のドアを開けた。たむろする武装警備員の向こう、休憩室の隅にアオイが一人で座っている。外を見ながらボトルを口にしているようだった。
偉丈夫たちの間を抜けて、アオイの背後まで近寄る。
「アオイさん」
振り返って見えたのは、やはり気弱そうな垂れ気味の丸目。戦いを生業にする者の顔には見えなかった。アオイが不思議そうに、首をかしげた。
「サトミさん。どうしたんですか?」
「お礼が言いたくて。本当にありがとう」
アオイが少し照れたように頬を掻いた。
「いえ。仕事ですから」
「それにしても、凄かったわね。避難中にトレーラーの中から見せてもらったけど、まるで攻性獣がどう動くか分かっているみたい」
「形とかから、なんとなく」
「それってすごい事なのよ? ちょっとした事から、多分こうなんじゃないか、って考えること」
「ありがとうございます」
「貴方みたいな助手が来てくれたらよかったのに。今からでも学校に来ない? 学費はかかるけど、その後なら助手に。お給料は少ないけどそれでも……」
だが、アオイは申し訳なさそうに眉を曲げた。
「……ありがとうございます。そう言ってもらえるの、すごく嬉しいです」
「なら、どうして?」
「……おカネが必要で」
その一言でフソウの当たり前を、自分だけは恵まれていると言う事実を思い出す。道楽などと揶揄される分野に飛び込めるのも、自分の出自が恵まれていればこそだった。
「あっ。……その、ごめんなさい」
「フソウだとよくある事ですから」
その配慮がサトミには心苦しい。きっと我慢して武装警備員をしているのだろうと想像する。
しかし、チラと見たアオイの顔には微塵の嫌悪も見られなかった。照れくさそうな笑顔で、アオイが小ぶりな口を開いた。
「それに……」
「それに?」
「もうちょっと、ここで働きたくて」
疑問に思わず眉を曲げる。
「どうして? 危ない仕事なのに?」
「運に恵まれたから、ですかね。いい出会いに」
そう言われて思い出したのは、無愛想な少年の顔だった。
切れ長の三白眼に刺々しい逆巻く髪。近寄りがたい雰囲気ではあるが、容姿自体は整っているように感じた。
(はーん……。なるほどぉ)
合点がいったサトミが、少しだけニヤケた。
「好きな人とか? 一緒にいる彼とか、しゃべり方は無愛想だけど顔は結構――」
「あ、そういうのはないです」
あっけらかんとしたアオイのリアクションには、微塵の照れも見られない。
(照れ隠しって感じじゃないわね。顔はイイと思うんだけどなぁ)
肩透かしを食らい、普通のテンションに戻るサトミ。
「じゃあ、どんな出会い?」
「そうですねぇ……」
アオイが口に指を添えて考えた。
「自分と違って、自分にできない事をしてくれて」
「それだと依存になっちゃわない?」
「でも、自分にできる事ができなくて、だから自分の事を認めてくれる。そんな人と出会えました」
それは恋人以上の存在なのではないか。サトミが驚いている内に、アオイの言葉が続く。
「それに、誰かの役に立っているって思える仕事ですから」
サトミが自らの仕事を思い出す。誰の役にも立たないと言われている仕事だ。
(私の仕事って……。ううん。好きでやってるんだから、贅沢言ったらダメよね)
そう自分に言い聞かせて、笑顔を取り繕った。
「そうは言っても大変なお仕事じゃない? 息抜きとかしないの?」
「生き物関係の配信動画とか見てますよ」
「あ、さっき言ってたわね。なんて名前のやつ?」
「不思議な生き物チャンネルです。この頃は更新頻度が低いですけど、楽しみにしています」
「……へえ!」
思わず顔が綻んでしまった。その様子を垂れ気味の丸目が覗き込んで来た。
「どうしたんですか?」
「ううん。なんでも」
アオイが首を傾げた後に、言葉を続ける。
「勉強したことを独り占めしないで誰かに教えてくれる。そう言う人、好きです」
「そっか……。アオイさんみたいに、その人もみんなの役に立ってるかな?」
「もちろん」
「そろそろ帰る時間ね……。今日は本当にありがとう」
「いえ」
ちょうどソウという三白眼の少年が帰ってくる頃だった。
「じゃあ、彼と仲良くね。また頼みたいから」
「分かりました。また、お話を聞かせてください」
そう言ってサトミは、アオイがソウの元へ駆けて行くのを見届けた。
〇フソウドーム型都市 居住地区 低価格賃貸エリア
狭い安物件の、更に狭い浴室に備え付けられた洗面台。その前でアオイがスパッツに室内用パーカーを着て、肩にバスタオルを羽織る。
濡れた髪の毛をブラシでとかしながらドライヤーで黒髪のショートヘアを乾かした。
「はぁぁ。今日も、疲れたなぁ」
一息ついて向かったのはベッド。仰向きに倒れ込み、携帯用端末を操作する。表示されたのは動画サイトだった。そこである通知が目に入る。
「あ、不思議な生き物チャンネル。更新されている」
画面の中で、眼鏡に長い黒髪のデフォルメされた女の子がニコニコと笑っている。
「しばらく更新してなくてごめんね。でも、これからは更新頻度を少し上げていこうと思う。今日ばったりチャンネルを喜んでくれている人に逢えたんだ」
もしかしたら、活動をやめてしまったのかも知れない。そんな不安があったから、そのニュースはなおさら嬉しかった。
「わぁ、やった」
今日はどんな事を教えてくれるのか。期待とともに、アオイのささやかな息抜きが始まった。
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皆様に推して頂ければこれ以上の幸せはありません。
よろしくお願いします。




