少女とメカニックと安全講習 後編
〇サクラダ警備 格納庫
人戦機が立ち並ぶ格納庫の一角にある机。そこでアオイが、情報端末を食い入るように見つめながらぶつぶつと呟く。
陰気な表情が、周りの雰囲気を澱ませていた。
「クビだけは……、クビだけは絶対に……」
リコから、この学科試験に落ちればクビと聞いた。せっかく入った職場をクビになってしまっては、明日からどう生きようか。そんな不安でますます眉間に力が入る。
そんな中、リコが目をクリクリさせながら能天気な声を掛けてきた。
「そろそろ時間っス。準備はできたっスか?」
「う、うん」
覚えた内容を忘れない様に、最小限の動きで首を縦に振る。
「クビだけはダメ、クビだけはダメ、クビだけは――」
端末画面を凝視しながら、教科書の内容を脳裏焼き付ける。少しでもこぼれ出た内容は、もう一回だけ詰め込み直す。
今すぐにでもテストを。そう思って画面を見続ける。
「クビだけは……。いつになったら?」
疑問に眉を曲げていると、リコの張った声が鼓膜を突き破ってきた。
「では始めるっス!」
「ぅえ?」
何事かと思うと、リコの人差し指がビシっと天井を指した。
「サクラダ警備恒例! 安全講習クイズ大会!」
理解できず、思わず瞬きを五回もしてしまった。
「え? こういうのって、黙って制限時間内に端末に記入するんじゃないの?」
「それじゃ、つまら――」
わざとらしい咳払いの後、にやけ顔をキリッとしたものに改めた。
「アオイさん。ソウさん。緊急事態ではバシュバシュっとしなきゃいけない時もあるっス」
「いま、つまらないって――」
「そぉぉんな時! アオイさんとソウさんは、グニュングニュン考えるんスか!?」
隣のソウがイラついたように切れ長の三白眼を細めた。
「アオイ。意味不明だ。翻訳を求める」
「せっかく頭に詰め込んだのに……。こぼれちゃうよぅ……」
「貸しは?」
頭の中で借金のゼロを数える。
「いっぱい……あるね」
とても重い諦観の溜息が漏れた。
「分かったよ……。えっと……緊急事態だと、ゆっくり考えている暇はない……って事?」
「正解っス! ギュンギュンっス!」
リコがウィンクしながら親指を立てる。さして嬉しくもない反応であった。
「と言う訳で、早押しクイズ形式で行くッス! 分かった方が手を挙げるっス! では第一問!」
ごくりと唾を飲む。
「人戦機の駆動機構は――」
リコの質問を遮り、ソウが淀みなく答える。
「筋肉状駆動機構だ。筋肉状の機構で中央ジェネレーターからの電気信号によって収縮する」
だが、リコはニタリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ソウさん外れっス」
「なぜだ!?」
ソウの憤慨に満ちた睨みを涼しげに流し、リコが、ふふん、と鼻息を一つ。
「問題には続きがあるっス! 人戦機の駆動機構は筋肉状駆動機構ですが、そのエネルギー源はなんでしょうか? ソウさんは回答権を失ったので、アオイさんッス」
リコが指差した。ソウとリコのやり取りで散らかった記憶を、唸りながらかき集める。
「……えーと、リアル……リング……なんとか?」
「ぶぶー。アオイさんも外れっス。正解は、再生可能燃料電解液でした!」
不正解を告げるリコのにやけ顔が、妙に腹立たしい。
「再生可能燃料電解液は人戦機内を循環して、隅々にエネルギーを届けるっス! 施設まで行けばエネルギーチャージできるッス。エネルギー切れになれば筋肉状駆動機構は動かなくなるから、安全のために残量には要注意っス!」
出だしから躓いた事に、思わず頭を抱える。だが、リコが気に掛ける様子もない。
「ちなみに、再生可能燃料電解液は、再活性化処理施設でギュンギュンになるっス! 生き物にも似た物質があるって聞いたことがあるっス」
そう言われて、思い当たる節があった。スッと立ち上がり、指を一本立てる。
「人間の体にもアデノシン三リン酸っていう物質があって、それは筋肉とかを動かすと分解されちゃうんだけど、また体の中で合成されることもあって――」
「アオイ。早口になっているぞ」
ソウの一言で我に返ると、目の前でリコがポカンと口を開けていた。
一転して、リコの目がギラギラと光る。それから徐々に、親愛に満ちた目つきと笑顔で詰め寄ってきた。
「ア・オ・イさぁん」
リコが手をさわさわと握る。
「ジュジューンなマニアじゃぁないっスかぁ」
ねっとりとした口調に寒気を感じた。仲良くなると、色々と厄介なタイプに違いないと危機センサーが働く。
適当な笑顔でごまかしながら手を放した。
「そ、それより続きを」
「おっと。失礼したっス」
リコが再び定位置へ戻る。
「では第二問。人戦機の骨格は――」
「バイオストラクチャー合金だ。最適な合金比率とマイクロトポロジー最適化によって重量強度比に優れる」
またもや、ソウの回答。
「ソウさん。また外れっス! 問題には続きがあるっス!」
「なんだと!?」
相変わらずの二人に、苦笑いしか浮かばない。
(ソウっぽいなぁ……)
一方のリコは、相変わらずソウの睨みを物ともせずに笑っていた。
「ソウさん。本当にからかい甲斐が――」
またもや、リコのわざとらしい咳払い。その後、顔をキリッとしたものに変えた。
「ソウさん。本当に教え甲斐があるッス。慌てず答えないとダメっスよ。これはそのための試練っス」
「だが先ほどは、迅速な対応が求められると言っていた。論理的矛盾が発生していないか?」
「安全に関しては、ワシャシャシャっとならず、でもシュビャビャっと。これが基本ッス」
「どういう意味だ。アオイ、教えてくれ」
切れ長の三白眼だけがこちらを向いた。
(またぁ……? でも、貸しは?って言われるんだろうなぁ……)
心の中でため息を一つ吐く。
「えっと……、慌てずに、でも手際よく……って事?」
「お! アオイさん。ギュンギュンじゃないっスか! ほら、ちゃんと分かる人には分かるんっスよ」
ソウの仏頂面が、納得いかないと少しだけ歪んだ。相棒として何かしようかとも思うが、余裕はないので問題の続きに備える。
「では続きっス。回答権はアオイさん。バイオストラクチャー合金ですが、その関節部分に使われているのは何でしょうか?」
「えーと。ジョギング……アップ……ル?」
「ぶぶー。アオイさんも外れっス。正解は、関節状衝撃吸収機構でした!」
またもや腹立たしいドヤ顔のリコ。
「関節状衝撃吸収機構は人間の関節によく似た、軟骨状の組織とそれを包む高強度ゲルで出来ているッス。人間の関節に比べると、強度は段違いにビューンっスけどね。ソウさん得意の格闘戦でも負荷をちゃんと吸収してくれっす。ただし、あんまり無茶な衝撃を受けると破損するから、ちゃんと衝撃を逃がしたりとか操縦士側の腕前も必要っス。安全のためには気をつけて欲しいッス」
二連敗に頭を抱える。
その後も質疑応答が続く。
ソウが突っ走って間違えて喧嘩する。その度に溢れる記憶。
疲労と焦りと不安で意識が朦朧とする頃、リコがあきれ顔で情報端末を眺めた。
「二人とも、……これは」
自分でも分かり切っている散々な結果に頭を抱えていると、後ろから足音。振り返るとトモエがいた。
「ト、トモエさぁん」
「アオイ? 酷い顔だが……何があった?」
トモエが心配そうに眉を曲げた。その後、顔をリコへ向ける。
「講習試験の結果はどうだった?」
「こんな感じっスけど……」
「これは……」
トモエの声に呆れが混じる。
解雇、借金、ホームレス。そんな単語が頭に浮かぶ。
涙目になりながら掌を組んで、トモエへ詰め寄った。
「あ、あの! トモエさん! クビだけは! どうか、クビにだけは!」
詰め寄られたトモエが、困惑したように首を傾げる。
「クビ? 何の事だ?」
直後、隣に居たリコが視線を逸らしながら口笛を吹いていた。明らかに誤魔化そうとしていると、トモエが気づく。
「……リコ。どういうことだ?」
「あー。ちょっと自分なりに真面目に安全講習を受けてもらおうと思って――」
リコの説明をソウが遮った。
「何! 虚偽の説明だったと言う事か!?」
「嘘はついてないっスよ? クビになるかもってだけで、クビになるとは言ってないっス」
ソウは渋々ながらも納得した。屁理屈のような理論だが、ソウは理論に弱い事を知っている。
これは使えるかもなぁ、と思っている所にリコの声。
「それに、キチンと安全の事を学べない人は、どっちにしろクビになるっスよ」
「確かにな。二人ともまだ試用期間中だ。真摯に学べないのであれば……と言う事は覚えておいて欲しい」
芯のとおった声と共に、トモエがバイザー状視覚デバイスをこちらに向けた。キラリひかる鋭い反射光を見て、思わず背筋を伸ばす。その後、トモエが再びリコを向いた。
「リコ。話を戻すが、どうしてそんな事を?」
「出向先の会社でも色々やってきたんスけど、この頃はヒニャーンな人が多くて」
「そんなにか。確かに業界拡大で、教える側の人間が足りてないからな。嘆かわしい事だ」
リコの言葉を、ごく当たり前に理解するトモエ。
(ヒニャーンとか、トモエさんも分かるんだ……)
妙な親近感を抱いていると、トモエが呆れたように鼻息を一つ。
「だが、リコ。そんな嘘をつく必要もないぞ」
「え? どうしてっスか」
「この二人は大丈夫だ。ちゃんとするさ」
トモエの口調には確かな温かみがあった。リコが感心したように目を丸くする。
「トモエさんがそこまで言うって……。なるほど。期待の新人候補って事っスね」
アオイもトモエの信頼を感じ取り、満面の笑みを浮かべる。
「と、トモエさん……! ありがとうございます!」
深々と礼をして安堵に浸っていると、急に肩が重くなった。
「ふぅ……。安心したらなんか疲れが」
「ああ、少し休憩して――」
トモエからの休憩宣言に、安堵の一息。
今日は帰って何をしようか考えていると、トモエが咳払いを一つする。
「また補習だ。次は合格を目指せ」
「ぅえ?」
テストは終わったばかりのはず。そう思っていると、トモエの声に念押しが乗る。
「当然だろう? 大事な知識だ。一日でも早く叩き込んで欲しい」
「そ、そうですね……」
既に頭をフル稼働させていたアオイは思わずため息をつく。再び前を見た時、アオイの目に映ったのはリコのにやけた顔。
「アオイさん。サクラダ警備は?」
「安全が第一……」
「そう言う事っス! じゃあ、休憩が終わったら、勉強再開っス!」
新しい仕事は覚えることがたくさんある。そんな社会の常識を学びつつ、アオイの一日は今日も過ぎていった。
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