第三十三話 鷲と群れと詰将棋の始まり
◯局所寒帯 管束天樹周辺 環状山脈
雪に包まれた山岳の崖上に、狙撃銃を構える人戦機たちが散在している。まだらな白の塗装は、雪に溶け込む迷彩だ。
その中に一機、猛禽のくちばしを思わせるアイアンイーグル型の人戦機が雪原に伏せている。くちばしのような頭部装甲から覗く高精度カメラは、管束天樹の根本で起こる悲劇を静かに見ていた。
そのスピーカーから、老いの渇きが混じったジョウの声が響く。
「動くか。お前たち、もそっと伏せろ」
アイアンイーグルと同様に雪原に伏せている人戦機たちが、ジョウの声に反応して、アイアンイーグルが観測する先を見る。しかし、強風で舞い上がる雪にかすんでおり、ろくに見えない。
「え?」
ジョウは何を見たのか。当然の疑問がジョウを囲む狙撃隊員から漏れる。
直後、シュンという風切り音とともに、狙撃隊すぐ横の雪が舞いあがった。おそらくは弾丸と、その場のメンバーが判断した。着弾位置は隊からだいぶ遠かった。
その後もぽつりぽつりと雪原が弾けるが、どれも狙撃隊を直撃はしない。
「なんだ、この程度か」
「遠距離武器は無いようだな」
どうせ当たらない。そんな油断が隊員たちの声に乗った。
「腰が引けているな。密度が薄い」
「撃ち合いで勝てると思っているのか?」
「一発、思い知らせてやるか」
狙撃隊の一機が、大胆に身を乗り出し狙撃銃を構える。
「これなら――」
瞬間、頭部が弾け飛ぶ。繊細な狙撃用光学センサーが砕け散った。
「え?」
隊員たちが振り返ったのは、数拍遅れてからだった。
「なに!?」
「各機、警戒しろ!」
狙撃隊が身を伏せる。
その後も撃ち合いが続くが、大抵の弾は隊員には当たらない。
「まぐれ当たりか?」
「ならばカウンターで仕留めるぞ」
そう言って隊員が狙撃銃を構える。
「捕らえた」
その一言を言い切るか否かのタイミングで銃火が放たれる。弾丸が冷たい大気を切り裂いて、舞い上がる雪の向こうへ飛翔していった。その様子を見ていた隊員が、直後に舌打ちをした。
「くそ。あの機影。撃ってきたのはコブラⅣか。この距離だと威力減衰がバカにならない」
「損害は軽微だな。相手の装甲が厚すぎる」
「リニアレールガンを使う。あっちは二機。こっちもちょうど二丁だ」
そういって、大型蓄電パックの付いた必殺の長銃を二機が構える。大型狙撃スコープが、二機のコブラⅣを映し出した。
「よし。とらえ――」
その瞬間、彼方から飛来した双弾が、二つの大型蓄電パックを同時に貫いた。パック内の精製化紫電結晶が砕け、雷光が人戦機を焼き尽くした。
「あ!」
叫び声があたりに響く。それも一瞬で、すぐに聞こえなくなった。
「焼け死んだか」
ジョウの声が、山岳の雪肌に染み透る。アイアンイーグルが、黒焦げになった二機をチラと見る。
「コブラⅣのカメラ性能で遠距離は難しい。しかも、影から察するに装備はガトリング。この距離を狙える装備ではない。あやつらのまぐれ当たりは、万一もない」
仲間がやられたとは思えないほど、ジョウの口調は冷静だった。
「一撃の威力は長銃。ならばガトリングは目くらまし。初手でこちらの最大威力を潰す、こしゃくな手口……なるほど」
アイアンイーグルのスピーカーからクツクツと笑い声が響く。
「イワオ。貴様もいるか。街の警備員を釣り出すこの作戦。十を超す偽依頼の中で、俺の所に来るとは……。勘は当たったな」
愉快そうな声だった。
「連れも腕が良い。サクラダ警備に狙撃手はいなかったから、即興でのコンビか? さて、どうするか」
一機がアイアンイーグルを向く。
「同志。どうしますか?」
「後退だな。場所を変える」
各機のアイアンイーグルが背後の丘を見る。
頭部センサーの見る先には、のこぎりを思わせる小峰の連なりがあった。加えて、局所寒帯特有の管束天樹につながるパイプも立ち並んでいる。
「見晴らしよりも遮蔽物を重視する。Bポイントへ」
「ルートは? 相手にも遠距離射撃手がいる以上、移動中に打たれる可能性が」
「すでに位置は割れた。遮蔽物に隠れつつ移動できるルートも」
「流石です」
「俺を誰だと思っている?」
絶対の自負とともにジョウが言い切ると、各機が背面マウンターへ長銃を格納した。人戦機がざくざくと雪を踏みしめる中、一機がジョウに向かって問いかける。
「どこから撃ってきたんです?」
「寄れ。解析結果を渡す」
「至近距離限定通信しか使えないのは面倒ですね」
「ここで、ドローンリレーシステムを使う訳にも行くまい。ドローンが風に流される」
「天候の急変に強風……。仕方ないといえば仕方ないですか」
「有象無象どもから通信を取り上げて、一方的になぶる。それに適した地形はここ以外あるまい」
そういってアイアンイーグルがあたりを見やる。
管束天樹の全周を山脈が囲う。険しくそそり立つ崖も多く、天然のコロシアムのようだった。白の雪化粧をまとう闘技場の出入り口はただ一箇所だけ。環状山脈を切り裂いたような大峡谷だけだった。
ジョウのせせら笑いが風に乗る。
「この罠から脱出しようとすればルートは一つ。」
「出口で待ち伏せれば撃ちやすくなるということですね。とどまる、もしくは遠ざかろうとするなら……」
「愚かで臆病なら好都合というわけだ。ノーリスクで狩りが楽しめる」
「それはそれで歯ごたえがないですが」
「射撃の練習になる。本任務の副目的、お前たちの教練のな。まぁ、イワオがいる以上、つまらん狩りにはならんだろう。……よし、解析結果を渡す」
ジョウがそう言うと、隊員機から息を呑む音が聞こえた。
「あ、あそこから当てるなんて……。こっちは雪迷彩塗装をしているんだぞ……」
「そう言う腕の男がいると言う事だ。しかも二人はいるようだ」
「嘘でしょう……?」
「なんだ。疑うのか? この俺を」
声に恫喝が混じる。威嚇する猛禽の唸りに、隊員の声が上ずった。
「い、いえ! 申し訳ありませんでした!」
その様子を、取り巻きたちがクスクスと嗤っていた。その間も、隊員機たちがサクサクと雪肌を踏みしめた。白く染まった山を登る一行の先には、のこぎりのような峰の連なりが見えた。
「あそこだな」
中世の城壁を思わせるような地形だった。さらに極太の柱である管束天樹に連なる立柱も立ち並ぶ。十分に近づくと、ジョウが号令を下す。
「各機、散開しながら障害物に半身を隠せ」
あるものは積もった雪の影に、あるものは突き出た小岩に機体を隠した。
「合図まで待て」
アイアンイーグルは手を上げて、待機を命じている。くちばしのような頭部装甲をパカリと開けて、口の中に鎮座した高精度計測装置を露出していた。
観測をしていたアイアンイーグルが、手を下ろす。
「よし。射撃再開」
「了か――」
狙撃隊が一斉に構えた瞬間だった。弾丸が空を切る音が聞こえたかと思えば、硬質で澄んだ高温がキンと響く。
音の鳴った方。地面から伸びた管から、銀の輝きが飛び出した。
「極比熱流体が!?」
寒空へ飛び出た銀の液体が、白の山肌へと注ぐ。じゅうと雪が沸く音と共に、湯気が狙撃隊を巻き込んだ。
「熱で雪が!?」
「慌てるな」
ジョウの一括が狙撃隊の動揺を鎮めた。
アイアンイーグルが水蒸気の向こうを見る。カメラが見据えるのは、管束天樹の管の一つから流れ出る銀色の噴流だった。
雪原へドボドボと注ぐ極比熱流体から、水蒸気がもうもうと立ち上がる。
「意趣返しのつもりか? だが、蜘蛛型は駆除済みだ」
クツクツとした不敵な笑みが、アイアンイーグルのスピーカーから漏れた。ジョウの余裕が、用意周到さを示していた。
「残念だったな。凡夫よ」
「どうします? 湯気で視界が」
「そのうちに晴れる。それまで待機……いや、伏せろ」
その時に、雪を孕んだ風の音に紛れ、かすかな風切り音が降ってきた。直後にジョウの言葉に反応した各機かが伏せる。
「え?」
しかし、反応が遅れた者が若干いた。状況を把握しきれず左右を確認している最中、爆風が立ち尽くした隊員機を襲う。
機体は背後から吹き飛ばされ、急斜面へと転がり落ちた。
「お、落ちる! 落ちる!?」
そのまま滑落していった機体は斜面のあちこちにぶつかり、筋肉状駆動機構の毒々しい緑が見えた。そして、徐々に人型からひしゃげた金属塊へと姿を変えた。
「あ、あいつが!」
悲痛な叫びを、ジョウは不機嫌そうに返す。
「グズが」
舌打ちが一つ。そのままジョウが爆心地を見る。
「これは迫撃砲か」
淡白な反応に、隊員たちからどよめきが起こる。だが、誰もジョウを咎めるとはできなかった。
隊員の中の一機が、恐る恐るジョウへ問いかける。
「迫撃砲ですか? 初撃でここまで正確に?」
「できない訳ではない。少し待て」
言いながら、ジョウが狙撃銃を放つ。
弾丸は寒空を切り裂き、風に流され軌道を変える。舞い上がる白の粉雪を穿ち、発射の勢いをわずかに削がれ、弾道がふらついた。
それでも弾丸は、黒い点にしか見えない人戦機の一機を貫いた。白の雪原にうごめいていた黒点が、ピタリと動きを止める。
「あの距離を……!」
「さすがは一睨み」
どよめきが再び起こる。称賛、感嘆、興奮があたりを包んだ。しかし、ジョウがそれに応えることもない。
「影からするとファルケではないな。勝負はまだまだこれから。そういえば、あの凡夫は資源採取戦で携行型迫撃砲を積んでいたな。狙撃だけではやっていけない無能が故の策か」
まるで、世界には自分とイワオしかいないように考察を続ける。その間に、アイアンイーグルが自動化された淀みない動作で、狙撃銃のリロードを終えた。
「まったく不細工な」
言いながら、何気ない調子の次撃が放たれる。
弾丸は大気を穿ちながらわずかに流される。だが、風の気まぐれを読み切った狙撃は、逃げる人戦機の一機を貫いた。
「ひ、一睨みのジョウ。まさしく」
「一瞥の速射……。しかも、正確」
感嘆のどよめきが湧く。しかし、ジョウが気に留める様子はない。
「だが、間接射撃である以上、距離が正確に分からないとダメなはずだ。目測ではないな。偵察機をいつ? そうか、遮蔽物に隠れている間に……。伏せろ」
隊員たちが伏せた直後に、爆発音と共に地響きがなる。少し離れたところで、雪が爆風に巻き上げられていた。アイアンイーグルがチラと爆心地を見る。
「またしても迫撃砲の通常榴弾。随分と間が空いているな」
ジョウがつぶやきとともに機体を立ち上げる。同時に、隊員の一機が問いかけた。
「装填にもたついているのでしょうか」
「意図的なものだろう」
「え?」
「砲弾を何十発も持ち歩くまい。少ない弾数で長い時間足止めをするならば?」
隊員が息を呑む。回答を求められているが、間違えたならどうなるか。そんな不安が声に乗っていた。
「……お、おそらくは、わざと間隔を開けて」
「答えが遅い。だが、正解だ」
安堵の息を吐く音が、隊員機から聞こえた。
「どうしましょうか?」
「狩場を変える。さっさと片付けるとなると、次のポイントはそこだ」
そういって、ファルケが斜面の下を指す。下り斜面の遥か向こうに、わずかに平らな場所が見えた。隊員の一人が、おずおずとジョウに聞く。
「距離が詰まって反撃を受けやすくなります。そもそもここに来たのは敵からの反撃を防ぐためでは?」
「時間があればな。だが、湯気のカーテンで狙撃効率は落ち、迫撃砲での妨害で時間を稼がれた」
「我々は、ポイントを変える必要がありますが、それでは相手も狙いやすい」
「しかり。一方で、反撃を恐れてここでグズグズとしていれば、それはそれであいつらの好都合」
「どっちに転んでもいいってか。くそ。ではどうすれば」
「狙うのはハイリスク・ハイリターン。移動するぞ。カウンタースナイプの餌食にならんように気をつけろ」
「ど、どうやってです?」
「移動した先に合わせて工夫しろ。それができぬ者はいらぬ」
ジョウの乗るファルケが狙撃銃を背中に格納する。ファルケはちらりとも隊員たちを見ず、目的地を見据えた。
「いくぞ。反撃される前に殺し尽くせばよいだけだ」
「で、ですが……」
「できぬとは言わせんぞ」
「りょ、了解」
隊員機たちが狙撃銃を背面武器マウンターへ格納した。
続いて、各機の足からガシュっと空圧式シリンダの動作音が聞こえた。脚部アタッチメントして装備されていた前後開閉式のスキー板が展開される。
「急げよ」
それだけ言ってジョウの駆るアイアンイーグルが滑走を始める。慌ててその他の機体も脚部のスキー・アタッチメントを展開し、ジョウの後に続く。
巨人たちが、重さを速さに変えて斜面を滑走する。スキー板が雪を割いて、白吹雪を巻き上げた。
機体が風を切る音は、重く、大きく、唸り声を上げるようだった。猛スピードで狙撃隊が直滑降をしている時、半透明ゴーグル越しのジョウの片眉がぴくりと跳ねた。
刻まれたしわを一層深くして、虚空の彼方を凝視した。
「くるか」
アイアンイーグルが滑走しながらターンした。直後、すぐ背後にいた一機が弾かれたように吹き飛び、すぐ後ろを滑降していた機体へと迫る。
「なっ!?」
そのまま二機は衝突した。
体制を崩し、制御不能のまま崖下へ滑り落ちていく。滑り落ちる白い雪煙が消える頃、ジョウが舌打ちを一つした。
「あの距離を。少々腕を見くびっていたな」
「ど、どうします!?」
「頭を使え」
群れの先頭を行くファルケがジグザグに軌道を変える。
そのさまは、不規則な飛行で知られる鴫の如く。しかし、ジョウ=シギシマは獰猛な狩人だった。
「ふん。今は貴様の番。しかし、下りきったら覚悟しろ」
鋼鉄の猛禽が雪上を飛んでいく。隊員機たちもアイアンイーグルにならい、ジグザグに滑走した。しばらくは狙撃がなかった。
このまま行ける。隊員たちの気が緩んだ時だった。
更に一機が撃たれた。
「嘘だろ!?」
「滑降は中止して、隠れた方が!」
ジョウが動揺を一括する。
「隠れれば撃てぬ。その間に逃げるなり場所を確保するなり自由だ」
「ですが!?」
「撃たれたのは単調になっていたグズだ。現に、優先度の高い俺が撃たれていない」
「なぜ、隊長を撃つと!?」
「古い知り合いだからな。やつにはワシが分かる」
そう言って、滑走中のアイアンイーグルが切り返した。ターンした直後に、遥か彼方から飛翔した弾丸が空を切る。
「避けた!?」
「お前たちも真似ろ」
「どうすれば」
「勘だ。撃たれたくなかったら、死ぬ気で感じろ」
狙撃に回避、どれもが他機を圧倒するジョウに言われれば、反論は続かなかった。ジョウが淡々と状況を説明する。
その間にも、隊員機が一機撃たれた。
「よ、避けきれない!」
「照準時間、つまり狙撃間隔は伸びている」
「効果がない訳ではない、と」
「そうだ。回避に集中しろ」
ジョウの言葉には、お前たちが生きようが死のうが興味ない、と言わんばかりの冷淡さが乗っていた。何かあれば見捨ててくる。隊員たちが改めてジョウの本質を思い知る。
その甲斐あって、隊員たちの回避軌道は比べ物にならないほど鋭くなっていた。
「撃ってこないな」
「流石に照準を合わせきれないか」
「だが、普通に下るよりもだいぶ時間がかかった。急いで次のポイントに入るぞ」
そういって、白の下り斜面の先に少しだけ凸が見えた。
「ポイントが見えたぞ!」
そこは、山の中腹にわずかにある平地だった。下からはせり上がって見える地形が邪魔をして、自分たちは安定して射撃できるポイントだ。
ジョウの後に続き、次々と隊員たちがポイントにたどり着く。スキー板の前後が跳ね上がり、歩行モードに移行する。隊員機たちが背面マウンターから次々に狙撃銃を取り出して、狙撃体勢を取ろうとする。
だが、アイアンイーグルが途中で構えを解いた。不審げに隊員機たちが振り返る。
「隊長? どうしたんです?」
「嫌な気配だ」
アイアンイーグルが僅かに上を仰ぐ。曇天の空にまぎれて、かすかに動くものがあった。間髪入れず、ジョウの叫びが雪山に響く。
「伏せろ!」
鋼鉄の猛禽が、素早く地に伏せた。しかし、群れの大半はついていけなかった。
「な? 何が?」
あっけに取られる隊員たちに向かい、飛翔する弾体があった。幾筋もの砲弾が、煙を弾いて弧を描き、墜ちてくる。
「砲撃!? 複数!?」
それぞれが意志を持った猛禽のように、同じ時、同じ場所をめがけて襲いかかる。弾体が内部に溜め込んだ暴力が、一気に爆発した。




