第三十二話 老兵と戸惑いと積み上げた物
〇局所寒帯 菅束天樹
つるりとした質感の巨大な管が取り囲む小さな安息地で、人戦機たちがうずくまっている。損壊のひどい機体も多く、スピーカーから漏れ出る声にも暗さが混じる。
どうしようもない。どうしてこんなことに。恨めし気な諦め声が、響いていた。
ファルケのコックピットで、イワオがその惨状を眺めていた。半透明ゴーグルモニター越しに透けて見える鷹の目にはいつもの鋭さがない。右頬に広がる傷跡を掻きながら、マイクがオフになっていることを確かめる。
「果たして、ワシが説得できるか……」
静かに目を閉じて、それからの一呼吸。鼻から大きく息を吸い、その流れを喉、肺へとおろし腹の底へと貯める。大勝負に出る前、何度も繰り返した習慣だった。
それでも、心は落ち着かなかった。
「詰将棋は得意だが……」
もし、ジョウのように圧倒的な実力で畏怖させることができていればと思う。あるいは、トモエのように皆を率いていればと思う。だが、もしもをいくら思い描いても、無意味なことも知っている。
「ジョウのいうとおりだな。逃げていた」
とかく、しゃべらなければ始まらない。そう思い、マイクを入れる。
「皆、聞いてくれ」
うずくまる人戦機の一機が頭部を上げた。
「誰だ?」
「ワシはサクラダ警備のイワオと言う」
「あの、サクラダ警備の」
サクラダ警備の名前に、わずかな畏怖が混じる。
(さすがはトモエだ)
しかし、どよめきは収まらない。サクラダ警備の名も、距離の減衰は侮れなかった。この場にいない人間の名を借りても、不安を収められないのは道理だろう。
「ど、どうするんだよ。この状況で」
「皆で降りるしかあるまい。待っていても助けが来る確率はないだろう」
「で、でも、あいつらが諦めるかも知れないだろ!?」
「ここまで用意周到な敵だ。長時間稼働を前提にした寒冷地対応も十分にしているはず。ワシらはそこまでの長時間対応はしておらん。先に力尽きるのはワシらだ」
ジョウならそこまでするという、信頼にも似た確信があった。その確信が伝わったのか、相手が十分な用意をしているという仮定に異論は起きなかった。
だが、当然ながら武装警備員たちの不安は色濃くなる。
「でも、降りるといっても、その間に撃たれまくる」
「そのとおりだな」
「じゃあ、どうするんだよ!」
「作戦を立てて、役割を分担しながら、最善を目指すしかあるまい。ワシに考えがある。具体的には――」
そこで、一人の武装警備員が割り込んできた。
「口だけならなんとでもいえる」
その場にいる皆が、発言者を向いた。
「大体、お前はなんなんだよ! 俺たちの命を預けられるほどなのか!?」
「サクラダ警備といっても、相手は一睨みだぞ!?」
「しかも、あの一睨みが率いる部隊だ!」
「こっちにはどれだけいるんだ!? あいつと渡り合えるやつが!」
その一言で、後ろを振り返る。そこには、シドウ一式が二機とサーバルⅨが一機。いずれも、長距離射撃は行わない。
「ワシしか、おらぬのか」
自分の後に続く者はいなかった。それが、この場の現実だった。思わずスピーカーを切る。それが今保てる精一杯の冷静さだった。
「何を積み上げてきたか。ジョウ。これが、お前との違いか」
トレーニングルームでの一幕を思い出す。
「一人が良いと思ってきた。ワシのようになっては仕方ないと思ってきた」
自分なりに、調整し、薄皮を一枚ずつ積み重ねた日々を思う。しかし、ジョウを真似ての射撃は外し、群れのボスにはなれず、後進もいない。
「所詮は愚図の足掻きだったのか……?」
積み上げた薄皮は、ジョウの一息で舞い散った。ガクリと落ちる感覚。
「ぬ」
ファルケが膝を僅かに崩した。
「感傷か。このワシが」
目を閉じる。隣で死んだ戦友、眼の前で死んだ同僚。いくつもの顔が思い浮かぶ。いまも生き残っているのは、出会った数からすれば僅かとも言える。ふと、そんなことを考えた。
「ワシの、積み上げてきたものか」
意地を通り越し、積み上げるために積み上げてきた日々だった。そんな、人生のほとんどと呼べるものに、もしかしたら意味はなかったのかも知れない。
「積み上げも、ここで吹き飛ぶやも知れぬ」
そこで、すぅと鼻から大きく息を吸う。喉を駆け下りた冷たい空気が肺を膨らまし、腹の底に溜まる。
「それでも最善手を考えてしまう。この癖も、ワシの積み上げか。それに」
そういって、リアビューに映るサクラダ警備のメンバーを見る。
「慣れぬとて、教導役は果たさねばならぬ。拝命されたからにはな」
自然と手が上がり、指がこめかみを叩く。
「ここからの巻き返し、使える持ち駒は何か」
そう言って、自分の歩いてきた道を振り返る。果たして何があったか考えている間に、自分に向けた野次の声が大きくなる。
「偉そうにいって、反論されたらだんまりかよ!」
「お前は何なんだ!? サクラダ警備ってだけかよ」
サーバルⅨとシドウ一式が身構えたとき、警備員の中から、アイアンイーグルが立ち上がった。
「そいつは、十手読みだよ」
誰かと思っていると、隣のシドウ一式からアオイの声が聞こえてきた。
「ソウ。あの声、確か」
「リョウ。狙撃手の」
そう言われてみれば、資源採取戦で撃破したアイアンイーグルだった。今は迷彩外套などの狙撃特化ではないが、それでも機体は同じだった。攻性獣除けを貯めるための背負子のようなコンテナを背負って、狙撃銃を携えていた。
「十手読み……か」
相手は一手、自分は十手もかかる。凡夫の象徴とも呼べる名前だった。
「一睨みに比べ、なんとみすぼらしいことか……」
今なお威光を放つ名前と比べれば、誇れるような気持ちはみじんも湧かなかった。
「仕方あるまい。それが、ワシのできることなのだ。だから、詰む前に投了するわけには」
最年長としての矜持を込めて、スピーカーを入れた。
「ワシのような凡夫に命を預ける不安は分かる。だが――」
また、さえぎるように他の武装警備員が声を上げた。
「あんた、十手読みだったのか。俺ぁ、あんたと戦った事がある」
スナイパーは、安全な距離から戦う卑怯者となじられる。相手を掌で転がすような戦い方で、多くの恨みもかってきた。
(そんな恨みを一蹴しておったな。ヤツは。)
それでも、敵をねじ伏せ、味方を出し抜き、震え上がらせてきたジョウを思う。
(対してワシは、どうだったか)
行きずりでチームとなった味方をうまく使い、なんとか勝ちを拾う。その程度だった。
「そうか。恨みもあるだろう。しかし、今は――」
「違う。俺ぁ、あんたと、同じ陣営だった」
「味方だったのか」
「俺たちを活かす最善手。鮮やかだった」
思わず目を瞬かせた。
「だから、信じる。十手読みを」
理解が追い付かなかった。どういう意図か測りかねていると、ポツポツと声が上がってきた。
「俺も、あんたと戦った」
「私もサクラダ警備と、十手読みと戦った」
「あんたほどの読み手は知らない。だから、いまはあんたに賭けるしかねえ」
まるでわからなかった。ジョウのようにねじ伏せる力がないからこそ、頼らざるを得なかっただけだ。
(まるで、違う。昔と)
ジョウとバディを組んでいた時、味方から向けられたのは怯えを含んだ暗い眼差しだった。それは、良いように使われた恨みなのか、出し抜かれた嫉妬なのか、無能と罵られた怒りなのか、あるいは全部なのか。
「どういうことだ……」
そのつぶやきを、アオイが拾った。
「セゴエさんが言ってました。迷った時は積み上げたものを振り返ってみろって」
「振り返ってみて……か」
「十手読み、凄いと思いますよ」
ずっと忌み嫌っていた名前だった。ジョウからも嗤われ、十手もかかるという愚図の代名詞だと思っていた。
(ワシが積み上げたものか)
それは、十手かかるが、味方と共に確実に追い詰める読みに他ならない。
「どうすればいいんだ。教えてくれよ、十手読み」
「ああ、教える。打ち筋はこうだ――」
作戦を語ると、どよめきが起きる。自分でも半信半疑というか細い可能性に賭ける作戦だった。それでも、匙を投げるものはいない。
「これでいくぞ」
「ああ、分かった」
伝えるだけ伝えきって、背後に集まっているサクラダ警備のところへ戻った。峠を乗り切ったからか、ゆるんだ気持ちがポロリと口から出た。
「あと一手……どうやって」
言った後に、急いでマイクのオンオフに視線を移す。マイクはオンのままだった。近くにいたアオイ機がこちらを向いた。
「え?」
普段はやらないミスへの不甲斐なさが、ピクリとまぶたを動かした。だが、それ以上は出さないように努める。
「いや、なんでもない」
だが、気弱そうな瞳は、それでもこちらを見てくる。
「イワオさん、聞かせてください」
「なんでもないと言っている」
「腕組みしています」
「だからどうした」
「ジョウさんと長い間、一緒だったんじゃないですか?」
「何を言いたい」
「嘘をついている時、ごまかしたい時、ジョウさんのクセがうつっちゃったんじゃないですか?」
「むぅ……」
そう言われて、自分が腕を組んでいる理由に気づく。
「言う……か」
ごまかせないし、ごまかすべきでもない。そう思った。
「この打ち筋、最後はワシとジョウの一騎打ちとなる」
「ええ、さっきの説明でそう言っていましたね」
「だが、ワシは勝てん」
「え」
「おそらくは相打ち。それがせいぜい」
そこまで言って、アオイの顔が困惑に曇る。
(まぁ、気づくか。ファルケの装甲の薄さと、敵兵器の威力。その結果、どうなるか)
だが、それでも射程で渡り合えるのは自分だけだということも悟っている。なら、若い頃に戻って、殺し合いへ踏み込むまでだった。
「だが、気にするな。老兵が一人、去るだけだ」
そう言って、シドウ一式に背を向ける。
「待ってください! イワオさん!」
後ろから呼ぶ声を断ち切りつつ、その場を去ろうとした。




