第三十話 少女と血の赤と阿鼻叫喚の世界
◯局所寒帯管束天樹
今まで美しかった白の雪原は、黒煙と毒々しい緑と痛々しい赤で汚されている。静かな景観は、喧騒の戦場へと変わっていた。
豹変した世界を受け止めきれない横で、ソウ機がファルケへ歩み寄る。
「イワオさん、あの爆発物は?」
「跳躍地雷。おそらくは熱感知式か。熱を拾うネットと共に敷設しておったか」
「つまり、極比熱流体に反応して」
「うむ。それが合図ということだ」
「誰が何を目的として?」
「わからぬ。だが罠にはめられた事は確実」
「了解。警戒を最大限」
「気をつけろ。あの威力は規格外品。つまり相手は非合法集団だ」
サクラダ警備の四機は固まって、周囲を見回す。とっさに伏せたこともあって、サクラダ警備各機の損害は軽微だった。
だが、他社は違った。その惨状を見て、思わず目をそむけそうになった。
「ひどい。ぐしゃぐしゃに……」
積もった雪は吹き飛ばされ、白のクレーターの中に動かなくなった機体が、バタバタと倒れ伏している。再生装甲は剥ぎ取られ、筋肉状駆動機構も引きちぎられ、再活性可能電解燃料液が破損部から滴っている。
すぐそばを見れば、動かなくなった人戦機を囲んでいる集団がいた。
「な、なにが? ど、どうする?」
「泡食ってる場合じゃねえだろ! けが人が出てるんだぞ!」
「早く治療を! こじ開けて、応急処置だ!」
そんなやり取りがどこにでもあった。
爆発前は百数十いた人戦機が、今も動くものは三分の一以下だ。惨状に唾をのみ、すがるように声を絞り出す。
「イワオさん。ワタシたちはどうすれば?」
「当然、社長へつなぐ」
イワオの平静な声が、今は何よりも有難かった。すぐさまトモエとの通信が再開される。
「イワオ! 何があった!?」
「社長。何が起こったかはご存じで?」
「ああ。隣の他社状況を見た」
「話が早い。我々は帰投します。社長も早く逃げる準備を」
「ということは」
「この任務。はめられました」
「わかった……。何? 外に何が?」
画面の中のトモエが明るい方を向いた。おそらくは窓の外を向いたのだろう。他の会社のオペレーターと思わしき叫び声が聞こえる。
「今の音は爆発! 何があった!?」
「わからん! 警備は何を!?」
「いや、そもそも、依頼元の警備がいなくなっているぞ!?」
「いったい何が」
「おい! あれを見ろ!」
「雪崩!? 逃げろ!」
「ま、間に合わな――」
ドンという衝撃と共に、画面内に映る人々が転がる。指揮車両の中が天地逆さになった後、画面が暗転した。
それからは、ノイズ以外は何も映らなかった。
「と、トモエさん!? トモエさん!」
返事はない。ソウとシノブが息を呑む中、イワオだけが冷静だった。
「状況から察するに、あちらもはめられたか」
「はめられた? はめられたって、何がです?」
「この任務、おそらくはワシらを釣り出して殲滅するための偽の依頼だ」
意味が分からなかった。
「そんな……。なんで? 誰が? どうして?」
「今はそれよりも帰投が優先だ。おそらくは、指揮車両もはめられた。最後の映像から察するに雪崩に巻き込まれたのだろう」
「じゃあ、トモエさんたちは」
「雪の中だな。しばらくは持つだろうが、長引けば危うい」
「じゃあ、早く!」
「うむ。マップを送る。警戒しつつ聞け」
イワオの説明が続く。
局所寒帯は、管束天樹を中心とする環状山脈に囲まれた隔絶領域だ。山頂は雲に隠れるほどで、人戦機での登坂は無理。唯一の出入り口は大峡谷と呼ばれる谷間だった。
指揮車両は大峡谷の入り口にいる。
人戦機の背丈をゆうに超える巨大なはずの峡谷へ視覚センサーを向ける。視覚センサーの最大倍率を持ってしても、大峡谷の大きさは豆粒以下だ。
「遠い……!」
任務開始から今まで歩いてきた訳だから、それは道理だった。しかも雪の中をとなれば相当の時間がかかる。
「イワオさん。すぐに行動を開始した方が効率的では?」
「待て。警戒を優先しろ。まだ何かある」
「根拠は?」
「経験だ」
「しかし、あいまいな理由では――」
イワオとソウの問答が続く間に、動き出した会社がいた。損傷は軽微に見える二機が揃って、遠くにかすむ大峡谷へ駆けていった。
見れば、ほかにも一目散に大峡谷へ向かう人戦機がいる。パニックになっているのか、操縦士はスピーカーを入れっぱなしのままだった。
「なんでこんなことに」
「とにかく戻るぞ! いそ――」
パンと、人戦機の頭と胴が消えた。いや、吹き飛んだ。
大量の破片と、毒々しい緑の筋肉状駆動機構、操縦士だった赤が宙を舞う。
鮮烈な色彩が、スローモーションで脳裏にこびりつく。
「え」
宙を舞った人戦機の残骸が雪の白に埋もれたと同時に、イワオが唸る。
「そこまでするか。管束天樹の陰へ退避!」
シノブ機とソウ機が即座に駆ける。それで、我に返った。
「い、急がないと!」
何もわからない。
何が起きているか、見当もつかない。
だが、死地という底なし沼に、ひざ下まで漬かっていることだけは分かった。
歩きづらい雪原を懸命に駆ける。視界の端のリアビュー越しに、もう一機、また一機とやられていくのが見えた。
「い、イワオさん! あれは!」
「狙撃部隊が環状山脈にいる」
「狙撃!? 何が!」
「早く遮蔽物へ。菅束天樹の陰に」
先頭を行くファルケの後を、必死についていく。
その間も、後ろから金属がひしゃげる悲鳴と、肉が引きちぎられる悲鳴が聞こえた。
「う、撃たれてる!?」
自分に凶弾が刺さらないように。それだけを願って、雪原をかき分ける。
やがて、屹立する巨大な管が近づいてきた。ファルケがその根元に機体を隠す。身を寄せるように、ソウ機、シノブ機が続く。そのあとを追って、機体を滑りこませる。
「し、死ななかった! 生き残った……!」
それだけで奇跡のような状況だった。じっとりと顔に張り付いた冷や汗を拭う。しかし、状況が好転したわけではない。
「……って、何が、どうなって!」
イワオが戸惑いを静かに受け止める。
「先も言ったように、ハメられた」
「なんでですか? いったい何をしたって――」
「考えても無駄だ。現状分析を先に」
分析と言われても、それどこではなかった。
心臓は音をあげ、自分の鼓動が耳を打つ。頬は熱さを帯びて、それでいて身体はガタガタと震えている。
そんな中、平静な相棒の声が聞こえた。
「イワオさん。相手の武器は?」
「おそらくは、リニアレールガン」
「対人戦機へのリニアレールガンは」
「うむ。禁じられている。先ほどの跳躍地雷と同じ、規格外品だろう」
シノブが舌打ちをする。
「くそ。殺す気じゃねえか」
「だが、数は多くない。連射間隔からすれば、二丁程度」
「でも、他のやつも狙撃銃を持ってきているってことですよね。さっきアタシが聞いた着弾音は狙撃銃です」
「だろうな。射程差で一方的に狩るつもりだろう」
ソウ、シノブ、イワオは冷静だった。自分だけが動揺していることが、情けなくなる。
(もっと、しっかりしなきゃ。ボクだってサクラダ警備の……!)
ギリと奥歯を食いしばる。サクラダ警備の一員である。そう自分に言い聞かせて、バクバクと鳴る心臓が、少しだけ大人しくなった。
まだ心臓がうるさかったが、それでも現状に意識を割く。
「ほかの人たちも戻ってきたね。ソウ」
「随分と数は減ったが」
「そんなにやられちゃったのか……。って!?」
じゅうじゅうと水が沸く音が聞こえた。
「今度はなに!?」
「上からだ!」
ソウの一言に導かれ、上を向く。
「管から漏れてる!?」
天空へと伸びる管束天樹と銀のきらめきが見えた。寄り合う管の一本から、極比熱流体がとめどなく溢れていた。
銀の滝が地面に注がれる先を追うと、雪から湯気が立っていた。びゅうと空気が鳴くと、湯気がこちらへ押しやられる。
モニターが瞬く間に、白へと染まった。
「見えない!?」
「固まれ!」
イワオの一喝がかろうじてパニックを防いだ。さっきまでサクラダ警備のメンバーがいた位置へあとずさると、ゴンと背中から装甲同士が当たる音が聞こえた。
「よかった。ソウか」
リアビューを見れば、見慣れたシドウ一式の背中が見える。誰よりも安心して背中を預けられる相棒のおかけで、頭を回す余裕が出てきた。
色々と考えてみれば、この手口はよく知っている。
「まるでイワオさんみたいに追い詰めてくる……!」
ちょうどその時、湯気の向こうからファルケが現れた。すぐさま至近距離限定通信が開かれる。
映った鷹の目には、一層の鋭さが宿っていた。
「この手口……、奴か」
イワオは名前を言わなかった。それでも、鷹の瞳が誰を見ているのか、アオイには確信があった。




