第二十九話 少女と老兵と天を貫く大樹
〇流転氷原 管束天樹周辺
人戦機のコックピットの中に、気弱そうな垂れ気味の丸目が浮かんでいる。ゴーグルモニターが映す一面の白が、アオイの瞳から照り返している。
「すごい景色……」
アオイが見る視界には、三六〇度を囲む雪山に曇り空が蓋をしていた。周囲から隔絶された別世界は、さながらファンタジーの世界を思わせる。
一面の白がまぶしい視界を下に向けると、少し離れたところにエメラルドの輝きが見えた。
「わぁ。すごいキラキラ」
雪に埋もれた緑の結晶が輝きを放つ。それは、今回の収集目標である攻性獣除けだった。サクサクと沈む脚部を交互に動かし、白の絨毯に足跡を刻む。
緑の輝きに近寄って、人戦機のこぶしほどの結晶をつかみ取る。普段は戦場のリアリティを伝える視覚センサーは、宝石の輝きを十全に伝えていた。
「近くで見てもやっぱりキレイ」
職人が磨き上げたような輝きを放つエメラルドの攻性獣除けを手に取ると、視界の端に指示アイコンが表示される。
背負子を担いだ人戦機のアイコンで、矢印が背中を指している。いまシドウ一式が担いでいるのは、資源回収用のコンテナだった。
「もうちょっと見てたいけど……仕事だしなぁ」
名残惜しさをかみしめつつ、背面コンテナへ向けて攻性獣除けを放った。
「一個目、本当に見つかりましたね」
「うむ。順調だな」
至近距離限定通信と銘打ったウィンドウからこちらを見つめる、老兵へと語りかける。
「偵察機から情報を受け取ったら、次に行く」
「分かりました」
隣を見ると、無人偵察機がファルケに向かって帰投しているところだった。無人偵察機は翼を広げた鷹を思わせる形状だ。人と鷹のサイズ比と、人戦機と無人偵察機のサイズ比も同じくらいだった。
機械仕掛けの鷹が、ふわりとファルケの近くに着陸する。ファルケが無人偵察機を拾い上げ、肩の射出マウンターへと格納する。
イワオのゴーグルモニターに、様々なウィンドウが浮かんでいるのが見えた。鷹の目が忙しなく動く。
そして、キッと一点を見つめて動きを止めた。
「見つかった。座標を転送するぞ」
「分かりました」
三次元で示された雪山と輝点を見る。おそらくはあそこだろう、と一面の白を見やると、ふと相棒の顔が思い浮かんだ。
「ソウたちも順調かなぁ」
「問題ないだろう。攻性獣もおらぬ」
「説明だと、そうらしいですね」
今回の任務では、ソウとシノブは別行動だった。
局所寒帯に位置する冠状の山脈、つまり今回の任務地では攻性獣の少ないと言われていた。
一方で収集する資源は点在しており、広範囲を手分けして効率化を図ることが依頼主からリクエストされた。結果、二人一組で散策をしている。他社も二人一組で散策しており、遠くの山で動く黒点がポツポツと見える。それらは任務に参加している他社武装警備員だった。
その中にソウとシノブもいるはずだった。
「ソウ、シノブさんとうまくやってるかなぁ」
「あの二人も、なかなか奇妙なものだな。喧嘩する割に、相性は悪くない」
「たしかに」
探索向きのイワオとシノブが分かれる事となり、いまはイワオを組んでいる。音を吸う雪が一面に広がる景色は、潔白で雄大だった。
「風の音しかしないですね」
「動くものは少ない」
言われて一面の雪を見た。均された雪には踏み荒らされた形跡もない。
無垢の雪原を二機そろって踏みしめる。
「たしかにキレイな雪ですね。まっしろで足跡も無い」
「攻性獣どもは、管束天樹に差し掛かるところに集まっているからな」
天樹という言葉に釣られて、環状山脈の中央を見上げる。
そこには、桁違いの規模を誇る巨木のような影が、雪原から雲まで伸びていた。
「管束天樹……本当に雲まで届いているんですね……。おっきい樹みたい」
「実際は、管の束だな」
世界樹にも見える巨木の正体は、管の寄り集まった巨大構造物だった。
雪原からつるりとした管が数えきれないほど生えており、寄り集まりながら雲を突き抜けていた。大きさは比べ物にならないが、かつてキシェルに存在していたマングローブのようだとも思う。
「あの中も、極比熱流体が流れているんでしたっけ?」
「うむ。ワシらが守っていた洞窟内の管と繋がっている……と言われている」
地下もあわせれば、その大きさは桁違いだ。自然の営みというには、無理があるほどに。
「本当にトレージオンがこんなものを勝手につくったんですか?」
「知らぬ。だが、他に候補はあるまい」
「確かにそうなんですけど――」
その時、足元からカツンという音と、戦闘服越しに何かを蹴った感触が返ってきた。
「あれ? 何か埋まっている?」
「む、探査機にかからなかった攻性獣除けか?」
「ちょっと待ってください」
そう言って積もった雪を掻きわけると、出てきたのは人戦機の腕だった。 相当に強い衝撃を受けたのか、ほぼ原形をとどめていない。部品をまき散らした分だけ、嵩も減っていた。
ボロボロの腕を拾い上げ、眉をひそめる。
「これ人戦機の破片? なんで?」
「これは……。あの時のか」
イワオの息を呑む音が聞こえた。通信ウィンドウを見ると、ゴーグルモニター越しの鷹の目が戸惑っている。
「あの時? イワオさん、知ってるんですか」
「……ワシが右腕を失った時だ」
「え……」
「立ち止まるほどの話でもない。歩きながら話す」
サクサクと雪を踏みしめながら進む。
通信ウィンドウに映っている右ほほに残る傷跡が、真っ先に目に入った。
えぐり取られたような傷跡は、肩口から伸びている。それほどまでの傷を負ったのがこの場所と理解した。
イワオが右ほほの傷跡を掻きながら、ぽつりと漏らした。
「ここで資源採取戦があった時、ジョウと戦った」
「あのギラギラした人と」
鷲の目をした老兵を思い出す。
イワオと同じような白髭に、グレイヘア、歴戦の勇士にふさわしい深いしわでありながら二者の雰囲気は全く異なっていた。
静水を思わせるのがイワオなら、荒海を思わせるのがジョウだ。
イワオが淡々と語り続ける。
「互いに偽装を掛け合い、居場所を暴いたのは同時だった」
穏やかさを醸す雪原が、途端に厳しさを帯びた死地に見えた。
「勝負を分けたのは腕の差だ。吹雪く中でワシは照準に手間取っていたが、奴は違った」
「ジョウさん、そんなに凄いんですか?」
「あ奴は素早く、淀みなく、精緻に照準を合わせ切った。まさに非凡」
いつもは平静な声に、今は熱がこもっている。それが、不思議でたまらなかった。
「イワオさん。あんなに言われたのに、どうしてそんなに褒めるんですか?」
その質問が意外だったのか、イワオが無防備に目をむいた。ややあって白髭を撫でる。
「憧れ……だろうか」
イワオが、嘲笑を漏らした。
「年甲斐もなく感傷を晒したな。忘れろ」
場に沈黙が戻る。ファルケが歩調を速め、無垢の世界を先に往く。孤独な足跡を追いかけた。
「ワタシも分かります」
「アオイにも相棒がいたな」
「はい」
「遠く感じるか。ヤツは」
凄腕の相棒を思い浮かべる。
私生活では抜けているところも多々あるが、戦闘となれば別格だ。
もちろん、弱いところもあって、全力を出して対等であろうとしている。だが、その全力もこの頃は出せてない。
相棒が、急に遠くへ行ったように思えた。
「……はい」
「ヤツはアオイを認めているようだが」
「ソウ、不思議ですよね。あんなに強いのに」
「あ奴は出来ぬことも多い。不器用だからな」
「不器用? 機体を動かすの、凄く器用ですよ?」
「近くしか見えておらん」
「確かにそうなんですよね」
それからは、攻性獣除けを探しつつ、とりとめのない会話と共に雪原を歩いて行った。
「管束天樹に近づいちゃいましたね……」
「そうだな。指定ルートも、もう少しだ」
「任務開始前に説明されましたね」
今回の任務では、おおよそのルートが指定されていた。
環状の山脈に囲まれた雪原を手分けして探し、菅束天樹を目印に集合。成果を確認したのちに、拾い漏らしを復路で回収する段取りだった。
任務開始前の説明を思い出しながら、天までそびえたつ菅束天樹を見上げる。視覚センサーが拡大した映像に、遠くにある小さな赤い点が示されていた。
「上にいる蜘蛛型、襲ってこないんでしょうか」
それは、地表と雲を結ぶ菅束天樹の、ちょうど中間にいる蜘蛛型攻性獣だった。
「ここの攻性獣は、ある一定のテリトリーを冒さねば襲ってはこない」
「どうして知っているんで……。あ、ジョウさん戦った昔に?」
「うむ。攻性獣どもが襲ってこない理由までは分からんが」
「本当に、攻性獣って不思議ですよね」
「あまりに調査被害が多いから、研究も制限されていると聞く」
「動画で聞いたかも?」
「動画?」
「あ! いえ、なんでも」
口を引きつらせ、目をそらす。
毎夜楽しみにしている動画の事を話しても、理解はされないだろうと思ってのことだった。イワオはふむ、と一声だけ出して、またファルケを歩かせ続けた。
白い絨毯を進むほどに管束天樹が大きくなる。風がびゅうと雪を巻き上げて、その行方を追って空を見上げる。舞う雪の背後にそそり立つ姿は、突き抜けるほどに高い。
「おとぎ話の樹みたい……」
そんなことをつぶやきながら、途中途中で攻性獣除けを拾いつつ、雪原を進んでいく。
最後の丘を越えると、菅束天樹の根元、つまり天空へのびる管が林立する根元が見えた。その手前に、百はくだらない人戦機が集まっている。
「あ、みんなも来てますね」
「ちょうど、指定された集合時間か」
「随分といっぱいいますね……」
「うむ。下手な資源採取戦よりも多い。百数十はいるな」
小さな点の群れに見えた影たちが、近づくほどにはっきりとした人型の輪郭を帯びてくる。さらに近づくと、個々の人型を見分けられるようになった。モノノフのような機体、甲虫のような機体、鬼のような機体、箱のように角張った機体、骸骨のような機体など、多種多様な人戦機がいた。
「ソウとシノブさんは」
右、左と視線を振って、見覚えのある機体がないか確かめる。
サーバルⅨとシドウ一式のペアを見つけた。目を凝らして拡大された肩部には、盾と桜らしき社章もぼんやりと見える。
「……あ、いました」
林立する巨大な管の陰と、たくさんの人戦機の影。それらを通り抜けて二機へ近づく。足音に気づいたのか、サーバルが手を上げた。ついで、シドウ一式も視線をこちらへ向ける。
シドウ一式のコックピット内にいるだろう相棒へ至近距離限定通信を入れる。
「そっちはどうだった? たくさん見つかった?」
「想定内だな」
いつもどおりのそっけない返事が聞こえたと同時に、びゅう、と風が吹き抜けた。舞い上がる雪を見送ると、相棒の声の平静な声が聞こえる。
「風が強い。通信領域に支障が出るな」
「通信用ドローンのこと? 風で流されちゃうから、少ししか展開できてないよね」
「辛うじて、指揮車両とつながるくらいか」
「トモエさん、そこにいるんだっけ」
今回の任務では各社オペレーターが指揮車両に集合していた。トモエは車両内から指揮している。
依頼会社の人戦機が攻性獣の襲来に備えて警備している。しかし、もともと攻性獣の少ない局所寒帯ということで、守っているのは数機程度であり、その他は資源採集を行っている。
指揮車両にいるトモエを想像すると、がやがやとした喧騒が聞こえてきた。
「なんかみんな集まっているけど、どうしたの?」
「担当者が、指示の確認に手間取っているらしい」
「依頼会社の? 何があったんだろう?」
隣のサーバルの大耳、正確にはセンサースロットがピクリと動く。視界の端の通信ウィンドウに映るシノブの顔も、幾分険しくなった。
「依頼会社のメンバーが揃わないって言ってんな」
「流石ですね。ワタシは全然きこえませんでした」
「まぁな。そんで、依頼会社の新人だけが対応してるみたいだな」
喧騒の中心を見ると、随分と古びたシドウ型が輪の中心にいる。
「新人みたいだな。入って二週間も経ってないらしい」
「へえ。ワタシも始めたばかりの頃は大変だったなぁ……」
「ソウが相手だもんなぁ」
「助かったところも多かったですけどね」
「なら良かったのか? それで話を戻すと、いくら攻性獣が襲ってこない局所寒帯だからって、とりまとめに普通は中堅をよこすよなぁ」
「なにか事情があるんですかね?」
「さあなぁ。なんにせよ、とっとと次の指示を――」
そこでシノブが止まった。メインモニターに映るサーバルが上を向いた。
「何の音だ?」
「シノブさん? どうしたんです?」
「着弾音……に近いか? それに液体が垂れる音」
「え? なんで? どこからですか?」
「あっちだ」
サーバルが指す先にキラリとしたものが見えた。直後、イワオが通信に入ってきた。
「シノブ。どうした?」
「なんか聞こえて。着弾音に似たような」
「気になるな。見てみよう」
続いて、ファルケが頭部装甲を上げる。鷹のくちばしが開けた中から、透明装甲に包まれた高精度カメラ群が出てきた。
「菅束天樹の一本から、極比熱流体が漏れているな。銀色の輝き、間違いない」
シノブが納得したように声を上げる。
「液の音はそれですか」
「それよりも、着弾音がしたと言ってたな」
「着弾音っぽい……ってだけですけど」
「おそらくは人為的なものだろう」
「どうして断言できるんです?」
「管の劣化によるものならば、裂けるような破損になるはずだ」
そう言われて思い出したのは、流転氷原での防衛任務の事だった。ソウと一緒に警備していた時、管から漏れ出る極比熱流体を見た。
その時は、裂けたような損傷だったと思い出す。
「あー、前に見ましたね」
「しかし、あの吹き出し方は違う。穴は真円に近いはず。穿たれた痕だろう。おそらくは弾丸」
つうと、冷たい指で背筋を撫でられたような悪寒が走る。
「え……、だれが……?」
通信ウィンドウを見れば、各員の顔に緊張でこわばっている。
「嫌な予感がする。アオイ、ソウ、背負子を下ろせ」
「背面運送ユニットのことですよね? いいんですか? 依頼中ですよ?」
「また背負えばいい。それよりも身軽にして武器を構えろ」
「わ、わかりました」
急いで仮想アイコンを操作して、背面運送ユニットを下ろす。入れ替わりに軽機関銃を構えた。隣のソウ機もアサルトライフルを構えている。
「何か発見したか。アオイ」
「ううん。今のところは何もないけど……」
警戒している間に、地面へと降り注いだ極比熱流体が音を立てて雪を湯気へと沸かす。白モヤが視界をかすめた時だった。
ピピ、という電子音が響く。
振り向けば、小さな爆発音とともに雪から人戦機の頭部程度の筒が飛び出した。
電子音、ポンという音と共に跳ね上がる謎の筒。それが次々と続く。何が起きているのか、まったく理解できない。
「あれはいったい――」
「伏せろ!」
有無を言わさぬ気迫に押され、とっさに機体を伏せる。頭部が雪に突っ込んで、目の前が一面の白となった。
「い、イワオさん?」
伏せろという叫びがイワオの警告と理解したのは、それからだった。
「いったい何――」
続く言葉は、爆音にかき消された。
爆音、悲鳴、爆音、悲鳴、爆音、悲鳴。
「な! 何が!?」
狂騒にかき消され、自分の声すらわずかにしか聞こえない。雪に頭部を伏せているせいで、何も見えない。
だが、とてつもないことが起こっている。それだけは分かった。
「こ、呼吸が!」
爆発音が、心臓を締め上げる。勝手に動く肺のせいで、目の前がまっくらになる。
鼓膜からどくどくと響く鼓動のせいで、周囲の叫び声の意味も分からない。
(落ち着け! 落ち着け! お願いだから落ち着いてよ!)
ぎゅうと胸部プロテクターをつかみ、痛くなるほどに動き続ける胸を押す。なんとかして呼吸が落ち着いてくると、通信ウィンドウの中でうめくシノブが見えた。
「シノブさん、大丈夫ですか!?」
「耳がやられただけだ。それよりも周囲を確認しろ」
立ち上がってあたりを見る。
「ひどい……。なんでこんな」
雪の白の真ん中に、爆煙の黒が立ち上る。ひしゃげた人戦機から漏れ出る緑の中に、僅かな赤が流れていた。
傷の痛みに悲鳴を上げる声と、理不尽への怒声が混じる。
まさしくそこは、どこよりも戦場だった




