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気弱少女と機械仕掛けの戦士【ファンアート、レビュー多数!】  作者: 円宮 模人
エピソード3 氷床洞窟防衛編
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第二十八話 少女と元バディと昔話

◯開拓中継基地 トレーニングルーム


 開拓中継基地の窓には、夜の漆黒が覗いていた。窓ガラスには明るいトレーニングルームとサンドバックが映り込んでいる。


 スパンと小気味よい音が響く。


 トレーニングウェアを着たイワオが、サンドバッグを叩いている。右頬から右肩口まで伸びる大きな傷の先には、機械の腕が付いていた。


 肉と機械の腕を軋ませながら、イワオがトレーニングルーム入口を向いた。


「なんだ」


 見つめる先にはアオイがいる。気弱そうな垂れ気味の丸目を泳がせながら、ワタワタと手を振った。


「いえ! ちょっと、通りかかっただけで!」

「別に怒ってはおらん」

「あ、いや、その……。すみませんでした」

「怒ってはおらんと言っている」


 それからアオイは口をモゴモゴと動かすばかりで喋らなくなった。イワオが、ふぅと息を吐く。


「……セゴエが入ってきたときに世話をした。それだけだ」

「あの、笑ってしまって、その……」

「さては誤解されたか」


 イワオが仕方無しと、白ひげを撫でる。


「怒ってはおらん。やつに懐かれている姿を見られるのが、むず痒いだけだ」


 口にしたのはそれだけだったが、イワオを笑ってしまったという罪悪感が抜けていく。ようやっと、いつもの調子で喋ることができた。


「すごく慕っているようでしたけど」

「ヤツの気質だ。人懐っこさは昔から。誰にでもああだ」

「昔からって、イナビシの頃からですか?」

「ああ、その頃からだ。やつがまだ小僧の頃からだ」

「イナビシって、すごい人がいたんですね」

「セゴエ、トモ……いや社長、ジョウなど、当代の綺羅星が揃っていた」


 イワオが遠くを見る。


「そこで思い知った。才能とは残酷だと」


 憧れの宝物を見るような、消して手の届かない蜃気楼を見るような、遠い目だった。


「いくらでも上がいる。ワシが(つまづ)いているうちに、二段三段と飛ばして進む」


 切れ長の三白眼が、頭に浮かんだ。


「本当に……そうですよね」


 イワオがちらりとこちらを向いた。


「ソウ。やつか」

「……それ以外にも」

「難儀だな。互いに」


 もし、自分を同じ悩みを引きずっているなら。もし、自分と同じような若い時があるならば。


「なんで、イワオさんは武装警備員を続けるんですか」

「どういう意味だ」

「なんで、そこまで色々頑張って、色々気を付けて、ずっと張り詰めて」

「そうだな。どうしても……」

「どうしても?」

「どうしても目に焼き付いた――」


 その時、背後に気配を感じた。イワオの声を遮ったのは、老いて、それでも通る声だった。


「やはりここだったか」


 逆立つような白髪に、額の小さなキズ。何より印象的なのは、鷲のようにギラついた瞳だ。


「ジョウか」

「あ、あなたは……!」


 前回の威圧を思い出し、そのまま二歩三歩と下がる。そこへ、イワオが進み出た。


「アオイ。大丈夫だ」

「でも、この前みたいに」

「問題はあるまい。それよりも、頼みがあるのだが」

「な、なんですか?」

「二人にしてくれないか」


 また、ひどいことを言われるのではないか。そう思い、前後ろと交互に見やる。


「分かりました。何かあったら――」

「大丈夫だ。ワシが一番、こやつを知っている」


 なぜ、イワオがそんなことを言うのか。本当に大丈夫か。無数の疑問が浮かぶ。しかし、二人の老兵の間に流れる空気は、意外なほど穏やかだった。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 トレーニングルームにイワオとジョウの二人が佇んでいる。鷹と鷲、猛禽同士が見つめ合う。羽を休める二羽のうち、(イワオ)が語りかける。


「どこに?」

「ここで」

「ワシは続ける。適当にしろ」

「分かった」


 イワオが黙々とサンドバッグを殴り続ける。そして、なんとなしに呟いた。


「ジョウ、今日は一人か」

「そういう気分の時もある」


 またしばらくの沈黙。しかし、緊張はない。今はそういう事を気にしなくていい。互いが互いに、そういうものだと知っている。


「お前は変わらんな。ジョウ」

「何がだ」

「二人だと、静かだ」


 ジョウがピクリと鼻を動かした。普段はギラついた鷲の目も、今は静かな光を湛えている。ジョウが額の小さなキズを掻きながら答えた。


「イワオ。貴様の前で(かた)るのは無意味だからな」

「お前はワシを買いかぶる。変わらんな、ジョウ」

「貴様は、相も変わらず卑屈だ」

(おご)っておらんだけだ」

「俺への当てつけか?」

「別に。そう思うなら、そう思っておけ」


 スパン、とサンドバッグを殴る音が響く。イワオの表情は変わらない。また、しばらくの無言が二人を包む。ややあって、今度はジョウが唇を開いた。イワオとよく似た仕草で、白ひげをしごく。


「人はバグを抱えている。原始の習性を、今の今まで引きずっている」

「珍しいな。語りたいのか?」

「悪いか?」

「いや、お前の語りは悪くはないさ。ジョウ」


 そう言って、イワオが僅かに唇の端を上げた。


「お前は真実を撃ち抜く。言葉も、銃も」

「貴様は、相変わらず酔ったセリフを吐く。気色悪い」

「お前は慣れているはずだ。で?」


 ジョウは少しだけ嫌そうに、眉間の深いシワを寄せる。そのまま軽く舌打ちをして、鼻息を一つならした。


「虚構の傲慢に群れる者どもは、本能のバグに支配されている無能だ。無能は傲慢な無頼を持ち上げる」


 イワオが更にサンドバッグを殴る。そして、苦笑しながら答えた。


「ジョウ。それは、腕があるものに限れば……の話だ。無能が虚勢をまとっても、無視かリンチだ。群衆に、多少とも見極める目はある」

「多少しかないのだよ。大抵は、傲慢であるほど有能と誤認する」


 ジョウが憂いを込めた深いため息を吐く。増長した者には不似合いな、心からのため息だった。


「上に立とうとすれば、身体の隅々まで驕りを染み込ませなければいけない。道化と分かっていてもな」


 ジョウがガリガリとこめかみを掻く。


「自負を込めて振舞い、他者を(おとし)め、適当に群れを慰めれば君臨は容易(たやす)い。それは欺瞞(ぎまん)だとわかっている。だが、欺瞞(ぎまん)を見破り、本質を見抜く力など、大抵の者に備わってはおらん」

「それも、世の中だな」

「一方で、謙虚であれば虚仮(こけ)にしてもよいと勘違いをする」


 それを聞いて、イワオが苦笑いを漏らした。


「そういう輩も多かった」

「イワオ。世の中、無能が大半なのだ」

「ジョウ。ではなぜ、お前は群れる? 無能とそしる輩を囲う?」


 その問いに、ジョウの瞳にギラつきが戻る。獲物を狙う猛禽の瞳が、イワオを見定めた。


「群れの力が必要だからだよ。逃げていては何も成せぬ」

「……耳が痛いな」

「お前は群れない。それゆえ、後をついて行くものはいない」


 いま、イワオはサンドバッグを独りで叩いている。狙撃銃を構える時も、迫撃砲を狙いすます時も、偵察機が持ち帰った情報を検討する時も。


「そうだな……。そういえば、先ほどはセゴエに会ったよ」

「やつか。随分と貴様に懐いていたな」

「ワシだけ特別に、という訳ではない。当惑はしたがな」


 そういって、イワオのパンチはキレをなくした。ボスンと、鈍い音がトレーニングルームに響く。


「お前の言うとおりだよ。セゴエはワシの後はついていかず、奴のスタイルは別物になった」

「貴様の育て方ならそうなるだろう。育てる……と言うより放任といった方がよいか。どこまでも一人が好きだな」

「好きと言うよりはツケなのだろう。気質を変えようとしなかった。気づけば今も一人だ」


 そこで、手が止まった。隣で羽を休める鷲に、視線を向ける。


「積み上げてきたつもりだった。だがジョウ。ワシは本当に積み上げられているのか?」

「知るか。逃げてきた貴様が悪い」

「全く、己の愚鈍を思い知るばかりだ」 


 ジョウが、苦々しげに舌打ちをした。


「愚かな群衆の中で、本質を見る者は一握り」

「なんだ、ジョウ。いきなり」

「鷹の目を持つ者だけは、人なりを見極める。だから、貴様の前では驕りも威圧も意味がない」


 それを聞いてイワオが、珍しい物を見たかのように目を少しだけ見開いた。


「ジョウ。ワシを慰めているのか?」

「話を戻しているだけだ。勘違いするな」

「そういう事にしておくか」

「……ふん」


 イワオが白ひげを僅かに動かし、乾いた唇の端を上げる。


「人を見極めてなどいないさ。ジョウ。ワシは鈍感なだけだ」

(いわお)のごとく泰然と」

「そう言われれば、聞こえはいいな」

「俺はそれが、ずっと気に食わなかった」

「ほう。それは知らなかった」


 ジョウが、自分の発言に今更気づいたように、目を開いた。そして、鷲の眼を不快げに歪ませて、額の小さな傷を搔いた。


「……チッ。しゃべり過ぎたな」

「珍しい日もあるものだ」

「なぜだろうな。勘の虫が騒ぐ」

「お前の勘は、よく当たる。近々何かあるのかもな」

「貴様は、知ったように俺の事を語る」

「だが、お前と過ごした時間が一番長かったのも事実だ」


 鷹の目はどこか遠くを見る。


「ワシとお前。バディを解消した後も、戦場に在ったな。味方として、敵として」

「俺と貴様。助け合った日も、撃ち合った日もあった」

「そう言えば、あれには驚いたな」

「どれだ。イワオ」

「ワシとお前で撃ち合った日に、お前の幻影が(かたわら)に、コックピットにいた事だ」


 その言葉にジョウが、イワオと同じ様に白ひげをしごいた。


「あの日か。貴様にその事を話されて、俺も驚いた」


 クツクツとジョウが笑う。


「貴様の幻影も、俺の(かたわら)にいたからな。コックピットで、貴様と語り合うとは思わなかった」

「しかも、一言一句まで俺が幻影の貴様に話した事と――」

「ワシが幻影のお前に話したことが一致するとはな」


 そこから二人は、当時の様子を語り合う。


 イワオは暗闇のコックピットで、狙いを定めていた。トリガーを引く瞬間、ひらひらと舞い落ちる黒曜の葉が徐々に遅くなり、ピタリと止まる。極限の集中で、起こる時間感覚の歪みだった。


 そして、コックピットにジョウが浮かび上がった。極限まで遅くなった時間の中で、幻影のジョウが語りかけてきたことを思い出す。


 お互いの偽装、隠れ場所、狙い。


 存分に互いの作品(そげき)を語り合い、狙いを定めた瞬間に引き金を絞った。


 内心のおかしさを隠しつつ、肩をすくめる。


「あれはいったい何だったんだろうな」

「あれも一種の勘だよ。イワオ」

「ほう。聞かせろ」

「勘とは、無意識下における予測だ」


 ジョウの声からは獰猛さが消え、求道者たる落ち着いた調子になる。優秀な猟師(ハンター)ゆえの、知恵深さが垣間見えた。


「対象について知れば知るほど、考えれば考えるほど精度を増す」

「なるほどな。お前を撃ち殺すために、お前を知ろうとして、お前の事を考えた。四六時中な」

「気色悪い。懸想(けそう)のような物言いをするな」


 ジョウが苦々しげに舌打ちを一つした。


「それでは俺が貴様の事を考えていた様ではないか」

「ワシはそうだった。お前は違うのか?」

「違う。断じて違う」

「ワシの中では、そう言う事にしておこう」 


 元相棒が忌々しげに鷲の眼を向ける。イワオはそれを軽くいなし、ふと笑った。


「お前の方はさておき、ワシは考えに考え抜いてお前に挑んだということだ」

「返り討ちに遭っては仕方あるまい」

「全くだ。右腕を失うとは思わなんだ」


 肩口の傷と、義手となった右腕を見る。


 互いを見つけるのも、照準を合わせるのも、撃つのもほぼ同時の勝負だった。


「お前の方が数瞬だけ撃つのが早かった。ほんの数瞬だけ」

「負け惜しみを。その数瞬が決定的な差だ」


 ジョウが勝ち誇るような笑みを浮かべる。


 しかし、徒党を組んでいた時のような嘲りは見えなかった。子どもの遊戯に勝ったような、無邪気な少年の笑みだった。老いてなおギラつく瞳を向けながら、ジョウが断言した。


「イワオ。貴様には埋められんよ」

「そうかもな。そうでないかも知れんが」

「老い先は短いぞ? できるのか?」

「さあな。夢だけは見て、いまも戦場を彷徨っている」


 イワオが、なにかに気づいたように眉を上げた。


「そう言えば今日、お前の真似をしてみたよ」

「俺の真似? どれだ」

「蒸気の向こう、つまりセンサー感知範囲の向こうを撃ってみた」


 イワオが、ため息と嘲笑をこぼした。


「当たらなかったよ。お前の様には」

「そうか」


 ジョウは嗤わなかった。静かな鷲の眼を見て、問いかける。


「ジョウ。聞いていいか?」

「ダメだ。どうせ、いつものだろう?」


 やれやれとジョウが首を振る。まるで、菓子をねだる子どもを前にした親のような仕草だった。


「俺がスナイパーとして一流な理由は? 貴様との差は何か? 何度、同じことを聞く」


 ジョウが腕を組んだ。


「自分こそが撃つ側と言う、自負こそが――」

「お前こそ、何度同じことを言わせる。腕を組んでいるぞ」


 ジョウがピタリと動きを止めた。そのまま組んだ腕に視線を下げると、ジョウが苦々しげに腕をほどいた。


 そして、再びイワオが問いかける。


「ワシは、本当の事を聞きたいのだ」


 ジョウがうつむいたまま唇を締めた。それはジョウが見せる黙秘の合図だった。


「毎度毎度、なぜ拒む」

「貴様には言いたくない。それ以外に理由はない」


 イワオが、諦めたようにサンドバッグへ振り返ったときだった。


「だが……そうだな。今回だけ。今回だけは特別にヒントをやろう」


 イワオが立ち止まり、ジョウを向いた。語る(ジョウ)を、静かに見つめる。


「ほう。どういう心変わりだ」

「勘だよ。勘の虫が騒ぐからだ」

「先ほどもそうだが、珍しいな。で?」

「俺には(しぎ)の気持ちが分かる」

「つまり鴫撃ち(スナイパー)の獲物の気持ちか……」


 スナイパーとは、元々は鴫撃ちの尊称である。


 天敵の気配を素早く察知する(しぎ)を撃つのは至難の技だ。一旦飛び立てばジグザグに飛行し、射撃難度に拍車をかける。だからこそ、鴫撃ち(スナイパー)は尊敬される。


「ワシも、知恵をつけて、分かろうとしているのだがな」

「心で分かる俺には敵わんよ。頭でしか分からない間にはな」


 ジョウがちらりと時計を見た。


「しゃべり過ぎたな。今日は寝る」

「そうか。ワシもしばらくしたら寝るよ」


 トレーニングルームの入り口へ向かうジョウが、ふと歩みを止めた。そして、肩越しに鷲の眼を向ける。


「俺がしばらく戦場に現れなかった理由は聞かないのか」

「聞いたら答えるのか?」

「……いや」

「だと思ったから、聞かなかった」

「ふん。やはり小癪(こしゃく)な奴だ」


 それだけ言って、ジョウは去っていった。


 イワオはまた独りに戻り、サンドバッグを叩き続ける。


「ジョウ。お前はいつも何かをつかんでいた。それがワシにはつかめなかった」


 雲を突き抜けるような高みを飛ぶ(わし)を見上げながら、片翼の(たか)は今日も地べたを往く。


「己のような凡愚が、スナイパーへ憧れ続けたが故の苦悩か。自業自得だな」


 イワオは今日も己という精密機械を調整し続ける。ずっと、これからも。






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