第二十七話:少女と英傑と不本意な師匠
〇黒曜樹海 開拓中継基地 食品販売コーナー
灰色の廊下を、アオイがとぼとぼと歩いている。気弱そうな垂れ気味の丸目には、不安の色が浮かんでいた。
「はぁ……。大丈夫……だよね?」
憂鬱な問いを返すものはいない。
「ソウに相談するのもなぁ。迷惑をかけちゃっている本人だし……」
ソウが居て欲しいようで、居て欲しくなかった。パニック障害の治療中は、連携訓練も満足にできていない。すべて自分のせいだった。
「できること、全部かぁ……」
そう誓ったのにできていない。できること全部をしなければ、ソウの相棒は続けられない。 そんな重圧に押しつぶされそうだった。
「ダメだ。何か気を紛らわさないと」
ぶんぶんと頭を振り、床に目を落とす。目に入ったのは、空のボトルだった。
「水でも飲むか」
ジュースにしようかとも迷ったが、自分へご褒美をあげられるような気持ちではなかった。いつもの給湯室へ行くと、いつもの武装警備員たちがたむろしている。ゲラゲラと豪快に笑いあっている偉丈夫三人組が、気付いたようにこちらへ強面を向けた。
「お、サクラダ警備の」
「なんだ。元気ねえじゃねえか」
「いつもに比べても、しょぼい雰囲気だな」
最初の頃の威圧に比べると、随分と気安い挨拶だった。いつの間にか、彼らとも打ち解けてきたということなのだろうか。
「はは。ちょっと……色々」
苦笑いのような愛想笑いのような曖昧な笑みを浮かべていた時だった。誰かが背中をポンと叩く。
「ひ!」
驚いて振り返ると、精悍な中年男性が立っていた。整えられた顎ひげに締まった頬、少年のようなキラキラした垂れ目が印象的だ。
「なんだ、また顔色わるいじゃないか」
それはセゴエだった。
サイドを刈り上げた小洒落た髪型を搔きあげる。そして、フソウ人にしては彫りの深い双眸を、たむろしていた男たちへ向けた。
「さては、お前たち。また――」
「ち、違いますよ!」
「分かってるって。冗談だよ。冗談」
畏まる男たちを豪快に笑い飛ばしたあと、セゴエが少年のような瞳をこちらに向けた。
「また、カレー食うか? 美味いもの食って、元気出そうぜ」
「え、悪いですよ」
「若いのが遠慮するなって」
「ど、どうしてそこまで?」
「前にも言ったろ? 困っている人を見ると助けたくなるんだ」
「子どもみたいに?」
「へえ。覚えてたんだ。じゃあ、この後はどうなるか、分かるだろ?」
なすがままに無人販売機に連れていかれ、あっという間にセゴエとカレーを食べる事になっていた。セゴエは少年のような、無邪気で純粋なほほ笑みをこちらに向けている。
(ボクって押しに弱いなぁ。カレーにもだけど)
相手が好きでやっているとは理解しているが、どうしてもそわそわとした申し訳なさが湧いてくる。
「あの、すみません。迷惑をかけてしまって」
「若者に迷惑を掛けられて、それでもどうにかするのが大人の仕事さ」
セゴエがおどけたように肩をすくめる。少年の様に見える目の前の男は、紛れもなく人生の先輩だと実感した。
「遠慮なんてするな」
そう言われて、カレーライスに匙を沈める。米とルーを半々にすくい、一息で頬張る。米の甘みと野菜のコク、柔らかなうまみの輪郭をスパイスが締める。そのバランスは、何回味わっても飽きる事はない。
「やっぱりカレー美味しいですね」
「俺も好きなんだよなぁ。作ってくれる人がいて、旨かったんだよ」
セゴエが、しみじみと語る。
(トモエさん、そんなこと言ってたな)
トモエとセゴエはバディを組んでいた。そして、セゴエが金欠の時にトモエがカレーを作ったと言っていた。
(トモエさんに作ってもらったって、セゴエさんからは言わないんだな)
大人の事情があるのではと、色々と想像した。
(トモエさんから聞いたって、勝手に話しちゃまずいかな?)
そのまま、まくまくとカレーを食べ続ける。段々と気力が戻ってくると、セゴエの事が気になりだした。
武装警備員として一番先にいるセゴエは、何を考えてここまで来たのか。今、何を考えているのか。
「あの、セゴエさん」
「へえ。君から話しかけてくるんて珍しいな。いや、俺がしゃべり過ぎなのか」
そう言って、セゴエが愉快そうに笑った。その力強さと明るさに惹かれて、ついつい笑ってしまった。
思い返せば、確かにいつも話しかけてくるのはセゴエだった。
(それが、セゴエさんの優しさなんだろうな)
色々と話しかけて、退屈させないようにする。それがセゴエなりの気遣いであると、薄々は感じていた。少年のようで大人で、大人のようで少年な、捉えどころのない人だった。
少年のように笑っていたセゴエが、大人の余裕をまとってこちらを向いた。
「で、どうしたんだい?」
「前に話した時ですけど」
「あぁ。ここでカレーを奢った時か」
「はい。あの時も、ありがとうございました」
「気にしない。気にしない。で、何を聞きたいんだい?」
「セゴエさんほど才能があっても、仕事を続けるのって不安なんですか?」
その質問が意外だったのか、余裕の笑みが剥がれた。不思議そうにセゴエが目を向ける。
「どうしてそんなことを?」
「セゴエさんが自分で言ってました。時々不安になるって」
「そっか。随分と本音を話しちゃっていたんだな」
セゴエがしみじみとした面持ちで、整えられた顎ひげを撫でた。
「才能かぁ。才能ねぇ。才能って、なんだろうねぇ」
他人事のように呟いているセゴエを見ていると、どうにも自分が当代最強である自覚がないらしい。
「セゴエさんの戦闘を見ましたし、サクラダ警備にあるシミュレーターでも凄かったです」
「なに? もしかして、あの隠しデータを出したのか」
「隠しデータ……?」
「そうそう! 隠しデータ!」
隠しデータという単語も意外ならば、セゴエの浮かれようも意外だった。
「ああ。俺の戦闘記録を学習させてファインチューンしたんだ。戦闘記録だけじゃ足りない局面も特別に追加学習した、この世で一つのスペシャルなデータだ」
「どうしてそんなものを? しかも隠したって?」
「ちょっとした遊び心さ」
精悍で貫禄のある風貌に似合わない、いたずらな笑みを浮かべる。
「熱心に練習している誰かへの挑戦状になれば……って感じかな。練習時刻とか総練習量とかがトリガーになっている」
「うーん? やっぱり理由がよく……?」
疑問に眉根を寄せていると、セゴエがしみじみと口を開いた。
「なんていうかさ。隣に誰かがいる人生ってさ、楽しそうだなって」
「隣に誰かが?」
「そうそう。そういうの欲しいんだよね」
説明が加わっても、やはり良く分からなかった。
操縦時の機動もそうだが、普段の考えも常人離れしているように思える。それが天才ゆえのものだとしたら、自分には到底理解できないだろう。
「すみません。その、良く分からなくて」
「そんなに申し訳なさそうにしなくても大丈夫。分かってくれないのなんて、慣れてるんだ」
少年のようにキラキラしていた瞳に、歳月をかけて積もった寂しさが色を見せた。その瞳を見て気づく。
(あ、この人も、ボクと同じように)
それは、自分がサクラダ警備に入る前、鏡の前で見た瞳だった。
ウラシェに着いてから、徐々に瞳の中に浮かぶ孤独が濃くなっていった。孤独に諦めが混じり始めた過去の瞳に、セゴエの瞳はよく似ていた。
(さみしい……のかな。でも、あんなに慕われているのに、どうして?)
目の前のセゴエの瞳には、孤独と諦めの両方が染みついていた。その半生が気になっていると、セゴエが口を開いた。
「そうだなぁ、なんて言ったらいいか……。今まで夢中で遊んでいたらさ、いつの間にか一人になってたんだ」
「一人……ですか? セゴエさんくらいなら、頼る人だっていっぱい――」
「同じレベルで話せない。夢中で話していたら、みんなは俺を持ち上げる。誰一人として、隣で語ろうとしない」
瞳からは少年の輝きが消え、染みついた影が暗さを増した。
「俺は、本当は一人だったんじゃないか。いや……」
そういって、昔を懐かしむような遠い目をした。
「……あの時から、一人になってしまったんじゃないかと考えて、ふと怖くなったんだ。俺が夢中でやってきた事って意味なんかあったのかなって」
「でも、凄い操縦士になったじゃないですか」
「で? そうなって何をするんだ? 万が一、戦闘に飽きたら何が残るんだ?」
「その……、おカネとか。大事なものですから」
「カネは確かに大事さ。何をするにもカネが要る。でも――」
「でも?」
「残るのがカネだけなのか? 俺の人生って? 腹を割って話せる人間が一人もいなくなって、一人でカネを使って遊んでいればいいのか?」
自分には贅沢な悩みにも思えたが、そこで姉の顔を思い出す。
カネをためるのに必死だったが、それは使うためだった。これから、そういったカネが必要になる時が来るかも知れない。あればあるほど安心だろう。
もし、セゴエの様に使う当てがないならば。
(でも、やっぱり想像もつかないな)
自分には縁遠く、頭ではなんとなくしか分からない。だが、普段は陽気な顔に差す陰りから、セゴエの焦りと不安が刺すように伝わってくる。
「だからさ、何かしたくなったんだ。いつか、俺の隣に誰かが立ってくれるように」
「なんか……、自分と違い過ぎて」
「そうかい?」
「はい」
吐き出す言葉に、どんどんと力が入らなくなっていく。
「ワタシには才能が無くて。続けられるか、続けてもいいのか。そんな……セゴエさんと比べたら、ちっぽけな話で」
「続けちゃダメだって、誰が言っているの?」
セゴエの後ろで、もう一人の自分が冷笑していた。こちらを見て、せせら笑っている。自分の事を知り尽くし、それゆえに容赦ない。もう一人の自分だ。
「自分です」
「自分が?」
「そうです。自分が、いつも」
どうして、自分は自分を好きになれないんだろう。
どうして、自分は自分を認められないんだろう。
ずっと、ずっと悩んできた事だった。
「変ですよね……? いつも自分が、敵だなんて」
「変かどうかは分からない。俺も大概の変わり者だ。理解できないなんて、何回も言われた」
「あ、さっきはごめんなさい」
「いいんだよ。それが普通だ。ちょっとだけ寂しいけどな」
セゴエのため息には、積年の思いが籠っていた。しかし、すぐに大人の笑顔をこちらに向けた。
「前は、君には見どころがある、って話をしたんだっけ?」
「はい」
「トモエからは嫌な顔をされているか?」
「いいえ。でも、トモエさんって優しいですし」
「優しいな。でも、厳しい」
仕事に対して、いつも全力を尽くす。
その気迫に、背筋を正されることが多々あった。誰よりも優しく、誰よりも厳しく。それがトモエだった。
セゴエがじっとこちらを覗き込む。
「しばらく一緒にいただろうから、もう分かるんじゃないか?」
「そうですね。トモエさん、すごく厳しいです。仕事と自分に」
「そういう人間に認められているんだって、ガツンと言ってやればいいさ」
「もう一人の自分にですか?」
「そう言う事。後はそうだなぁ……」
そう言って、セゴエが手を組んだ。
「自分のやってきた事を振り返ってみればいい」
「振り返る……」
「それを見て、進むか、曲がるか、立ち止まって休むか、考えてみたらいい」
「セゴエさんは、今も進んでいるんですか?」
「一回、曲がったけどね」
曲がったとは、トモエとのバディを解消した事だろうか。そんな事を考えていたときだった。
「意外だな。お前たちが話すとは」
背後から渋みのある響きをまとった声が聞こえた。その声には聞き覚えがある。
振り返れば、やはりイワオがいた。
「あ、イワ――」
「師匠!」
何事かと思って横を見れば、セゴエが立ち上がり子どもの様に相貌を崩していた。
今までまとっていた大人の雰囲気から一変し、まるで歳の変わらない若者のようなはしゃぎようだった。
それに何よりも気になる言葉があった。
「え? 師匠?」
驚いてイワオの方を見れば、深いシワを歪めた苦い顔をしている。そして、心の底から嫌そうにつぶやいた。
「セゴエ。止めんか」
「すみません。久しぶりだったので、つい」
「貴様に師匠扱いされるなど、恥以外の何物でもない」
その反応を見たセゴエが、目を見開いて驚き、肩を落とした。あまりの落胆ぶりに、見ているこちらの方が気の毒になるくらいだった。
それを見た鷹の目は、いつもの鋭さを失い、困惑が浮かんでいる。いつもは硬い芯の通った口調が、今は随分と親しみやすかった。
「この凡夫が貴様の師匠であるはずがない。そういう意味だ」
それでもセゴエは、随分としょんぼりしていた。すっかり小さくなった背中は、当代最強の男には見えない。
一方のイワオの顔からは威厳がすっかりと失われ、狼狽を隠すようにせわしなく右頬の古傷を掻くばかりだ。
「ええい、そんな顔をするな。このやりとりも何回目だ」
「だけど、俺の師匠の一人である事は間違いないです」
「当代無双。一番先を行くものだろうが、貴様は」
「みんなして俺を持ち上げて、誰も同じ目線で話さない。窮屈でたまらないですよ。俺が先輩面なんて」
駄々をこねるセゴエを見て、ふと思い当たる。
(ああ。頼れる人の前で甘えている……のかな?)
誰にも頼れない日々を思い出す。いまでこそ、サクラダ警備の面々に頼れるようになってきたが、もしいま姉に会えれば。
(たぶん、あんな感じなんだろうなぁ)
そう思って二人のやりとりを見ていると、セゴエがえぇ、と声を上げた。
「師匠の前くらい、いいじゃないですか」
「ワシが貴様に教えた事などない」
「勝手に見ろって言って、色々と実演してくれましたよね?」
「教えた内には入らん」
自身とのやり取りを思い出し思わず苦笑した。
(ああ、イワオさんらしいな)
おそらくはイワオらしい不器用なやり方で、セゴエにも教えていたのだろう。そんな光景を思い浮かべていると、イワオが仕方なしといった風に口を開く。
「……ろくに教えもしない。実力は貴様の下。師匠扱いなど、傍から見れば笑いものだ」
「そんなぁ」
「貴様はもはや手本となる存在なのだ。羨むほどに」
「イワオさんが俺を? 本当に?」
セゴエが中年の顔に、少年のような期待を輝かせてイワオを見た。イワオは渋い顔のままだった。
「惨めな事を言わせるな」
その言葉を聞いて、少年のような目の輝きは消えた。セゴエはそのまま首と肩を落として、見るからに落ち込む。
まるで子どものようにコロコロと表情を変えるセゴエに対して、イワオの態度は煮えきらない。どうにも扱いきれない様子のイワオが、バリバリと右頬の傷を掻いた。
「その顔を止めろ。しょげた小童のような顔をするな」
「どうしてもガキなんですよ。俺」
「全く。初めて職場に来た小僧の頃から変わっとらん」
「師匠もずっとこんな感じですけどね」
今よりもずっと若くて、それでいて変わらない二人を想像が言い合っている姿がありありと想像できる。
なんだかんだと親身なイワオを想像すると、思わず笑いが漏れた。
それを鷹の目は見逃さなかった。
「何を笑っている」
「あ、あ! すみませんでした!」
空になったカレー容器を取り上げて、走り去る。その背後でもイワオとセゴエのやり取りは続いていた。




