第二十四話 少女と洪水と合流への試練
◯光晶空洞 建設現場 凍結区域
氷が溶けて雫が滴る洞窟で、イワオが焦りの声を上げる。それだけで、焦りが沸騰した。
「イワオさん!? 何が!?」
「鉄砲水だ!」
「水!? なんで!?」
「雪解け水が天井から抜けたのか!? いや、今はそれより走れ!」
メンバーたちが一斉に駆け出した。
「に、逃げなきゃ!」
ぐるりと機体を翻し、ありったけの気持ちを込めて機体を走らせる。その間も背後に腹の底まで響く重低音が追ってきた。リアビュー越しには、光晶空洞の輝きを照り返す水しぶきが迫る。
「やっぱり! 急いでシドウ!」
ほんの少しだけ、速度が上がったと思った時だった。ガツリ、と固い感触が足先に。
「うわ!?」
メインモニターに映る床がせり上がる。自分がころんだと気づいたのは、地面へと突っ込む直前だった。殴られたような衝撃が全身に襲いかかる。
「うぅ!」
光はあるのに視界は滲む。ぐるぐると回る意識の中で、かろうじて聞こえたのはソウの声だった。
「アオイ!?」
いつもは冷静なソウの声が切迫している。それだけで、事態の深刻さを理解した。
「そ、ソウ――」
「掴まれ!」
差し出された機械の手を、自機が掴んだ。その間も、背後から鉄砲水が迫ってきた。
「くそ! 間に合わないか!」
「ご、ごめん!」
「謝罪は――」
ソウが言い切る前に、鉄砲水が眼の前を駆け抜けた。氷が溶けた純粋な水は、目が覚めるほどに透明な青さを誇る。しかし、水流が持つエネルギーは膨大で、機体が水圧で持っていかれた。
「ぐぅ!?」
筋肉状駆動機構が渾身の力を込めて水流に抗う。だが、戦闘服越しに伝わる圧力は締め付けるように痛い。とても逆らえるような強さではなかった。
抵抗も虚しく、ついに足が滑る。
「な、流される!」
「アオイ! 掴まれ!」
見ればソウ機が手を差し出していた。
(手を取らなきゃ……!)
もし、流されるうちにはぐれてしまう。そんな、最悪のケースだけは避けなければいけない。本能が上げた警告を読み取って、自機がソウ機の手のひらをしっかりと掴んだ。
「た、助かった……!」
「まだだ! 油断するな! 転倒しないように集中!」
「分かった!」
今はまだ、かろうじて頭部を水流から出せているが、いったん転倒したらどうなるか分からない。
人戦機は外気酸素を取り込み、再活性可能電解燃料液と反応させることでエネルギーを生産している。当然、水中内なら酸素取り込みができない。
そうなれば、待っているのは機能停止だ。流されている最中に駆動系が落ちれば。
(そうなったら、助からない……!?)
どうすればよいかと思っていると、あることに気づいた。
「そう言えばイワオさんたちは……!?」
「少し前だ!」
洞窟内で暴れまわる水流の飛沫に隠れ、かろうじてサーバルⅨとファルケの頭部が見える。
「シノブさんたちも!」
「やはり流されているか」
いくら経験豊富と言っても、この事態は対処しようがなかったらしい。どうしようかと思っているとソウが声を張り上げた。
「前方に分岐点! 岩壁にぶつかるな!」
その注意で咄嗟に前を見る。鉄砲水に巻き込まれる前に通り過ぎた分岐路だった。岩は鉄砲水を真っ二つに切り裂いている。
「あれにぶつかったら!?」
「最悪、機能停止だ!」
「イワオさんとシノブさんは!? ボクたちの前にいたはずでしょ!?」
前を流される二機の行方を追う。激しく波打つ水面からかろうじて見えた二機の頭部は、分岐路の右へと流れていった。
「よかった! 避けられたみたい!」
「アオイ! 前に集中だ! オレたちも絶対に避けるぞ!」
自分たちは洞穴のやや左を流されている。
「ソウ! このままだと、イワオさんたちとはぐれるよ!?」
「理解している! だが、激突は回避しないとまずい!」
「機体が壊れたら元も子もない……か!」
分岐路の岩壁に激突したら、イワオたちと合流すること自体は難しい。
「とにかく、転倒しないように集中!」
「分かった!」
流れに無理に逆らって転倒しないよう、足元に感覚を集中させる。そうしている間に、分岐路を左に流されていった。
とにかく下を向いて、水越しに足元を見る。氷が溶けた純度の高い水は、透明に近い青。足元の岩肌がよく見えた。
「転ばないように! 絶対に転ばないように!」
その時、またもやソウが声を張り上げた。
「前! 下り坂!」
「え!?」
前を見ると、水流は轟音を立てながら駆け下っていた。
「備えろ!」
「どうやってさ!?」
「最大限に集中!」
「とにかく頑張れってこと!?」
何を備えることもできず、そのまま下り坂へと突き出された。
「お、落ちてる!?」
下り坂は氷だった。つるりと足をすべらせて、尻もちをついたまま氷の洞穴を滑っていった。
「滑り台!?」
巨大なハーフループの下り坂。ただでさえ氷で滑るのに、水が後ろから押してくる。風切り音が聞こえるほどの、とてつもない加速度を生んだ。
「ひぃい! 速い! 速すぎるよ!?」
「手は絶対に離すな!」
ソウ機と手を繋いだまま、氷の下り坂を滑走していった。
「こ、これってどこまで落ちるの!?」
「不明だ。む」
「どうしたの!?」
「底が見えた」
そう言われて前を向く。みるみる水たまりが近づいてきた。
「わ!? どうする!?」
「耐ショック体勢! 機体を丸めろ!」
「分かった!」
膝をたたみ、背中を丸めるイメージを送る。機体が応じた直後に、どばんと、坂下に溜まった水が機体を包み込む。
「ぐぅ!」
急ブレーキを掛けたような加速度が全身を襲い、がくんと首が揺れる。思わず瞑った目を開けると、青いほどに透明な景色がゆらゆらと揺れていた。
「わぁ……!」
あまりに透明なので、宙を漂う風になったようだった。先ほどまで耳を騒がせていた風切り音も、今は聞こえない。
(水の中って、こんなに静かで、きれいなんだ)
危機を忘れて、思わず見とれてしまった。水中の別世界へ誘われるような魅力と引力を感じる。目を離せなくなった時、急に手を引かれるような圧が掛かった。
引かれる先を見ると水底を歩くソウ機が見えた。
「そ、そうだ。早く上がらないと」
視界の端に再活性可能電解燃料液中の酸素濃度低下警告が灯る。
「水の中だと、酸素が……!」
人戦機は再活性可能電解燃料液に酸素を取り込んで得た化学反応のエネルギーで稼働する。大気から酸素を取り込めない状況は、稼働停止の危機であった。
水底に足をつけて、ふわりふわりと弾むように歩く。
しっかりと前を見据えると、水面から差し込む光がたなびいていた。その奥には、登り坂が見える。
「あそこまで、早く……!」
酸素が切れる前に登り切らないといけない。その間にも、酸素低下警告は明滅している。水の中の緩慢な動きがじれったい。
「急がないと!」
ようやっと登り坂へ着いた。そこから足に力を込めるイメージを送る。ソウ機に手を引かれながら、ゆらめく水面を目指して水中の登り坂を踏みしめた。
「あと少し!」
最後の一歩と共に、頭部がざばりと水面を割った。ふぅ、と安堵の息を吐いてソウ機を向く。
「な、なんとか助かった。ソウ、ありがとう」
「いや、助かったとは言い難い」
「え? もう上がれたでしょ?」
「だいぶ落ちた。それにもと来たルートからの帰還は困難だ」
ソウに言われて背後を向く。登坂する気も起きないほどに滑らかで急な氷の上り坂が、見えた。
「も、戻れない? どうしよう……」
「戻るしかない。このままでは危険だな」
いつも平静な相棒が、妙に切迫した調子だった。はぐれたとはいえ、そこまで危機的な状況だろうか。
首を傾げていると、その答えがわかった。
「先程の溶融が各所で起きていると推測される」
「え!? じゃあ、攻性獣が!」
「ああ、大挙してくる」
ソウがそういったのと同時に、遠雷のような轟が洞穴の奥から聞こえてくる。
「この音……。洞窟が崩れる音じゃない……!」
「間違いない。攻性獣のものだ」
当たってほしくなかった予測だった。だが、ソウも同じ予測となると、攻性獣のものに違いないだろう。洞穴に幾重にも反射する轟は、腹の底を重く震わせる。
とてつもない数の赤目が、洞窟の奥から出てきそうな気がした。いつの間にか口に溜まっていたつばを、ごくりと飲み干す。
「どれ位いっぱいで、どこにいるか分かんないけど」
「正確な情報は不明だが、楽観はできない」
「ボクたちだけじゃ、倒しきれるか……」
「確実な勝利のためには、一刻も速い合流が必要だ」
二機だけで立ち向かい、倒しきれる保証はない。ソウの指摘は合理的だった。
ならば、と仮想アイコンをタッチする。出てきたのは、任務開始時に配布された洞穴マップだった。幸いなことに、流されたと思われる下層まで記載してある。
「多分だけど……このマップのここにいるから」
「いくつか道があるが、このルートなら行けるか?」
「登り坂か……。えっと」
あたりを見回すと、地図のとおりいくつか道があった。その中の一つに登り坂がある。後ろにある氷と水の坂とは違い、しっかりと踏みしめられる岩の道だった。
「登坂可能だな。行動を開始するぞ」
「わかった。準備を――」
「アオイ! 待て! 視覚解析に反応あり!」
ソウ機が、登り坂とは異なる道を指した。
「何? ……って! あれは!?」
ソウ機が指し示す奥から見えたのは、洞窟の分岐から躍り出る赤い三つ目たちだった。軽甲蟻の群れが、洞窟の脇道から次々と飛び出てくる。
既に有効射程圏内よりも近い位置まで踏み込まれていた。
「あそこまで近づかれていたなんて!」
「水音で聴覚センサーが見逃したか!」
「急いで逃げなきゃ!」
二機揃って坂道を駆け上る。ソウ機が、前腕部の格納ボックスから手榴弾を取り出した。
「時限信管二秒後!」
疾走しながら、手榴弾を後方へさり気なく落とす。コロコロと洞窟を転がった手榴弾は、ただの石ころのように攻性獣を待っていた。そして、攻性獣たちが通り過ぎようとした瞬間に爆発する。
ソウの正確な読みに、思わず声を上げる。
「ぴったりだ!」
「想定以上ではない。それよりもスピードを落とすな」
攻性獣の先頭集団が吹き飛び、黄色い地肉にまみれた甲殻積み上がる。洞窟の限られた幅を埋め尽くした死骸がバリケードと化した。
攻性獣たちの進撃が止まり、リアビューに見える死体のバリケードが遠くなる。
「これで諦めるかな!?」
「楽観的な推測だ!」
ソウの言った直後、死体のバリケードが吹き飛ばされた。突破口から後続の攻性獣が湧き出てくる。味方の死体を踏み砕くことに、微塵の躊躇も感じさせない。その無機質な行動に、不気味さと不快感が湧いた。
「攻性獣ってなんなの!? 連携は取るくせに、全然仲間意識がない!」
「不要な考察だ! 効率的に足を動かせ!」
「わかったよ! でも助かった! 距離も開いたしね!」
ソウの手榴弾でも、数は大して減らなかった。しかし、死体をバリケード代わりにした分だけ、攻性獣との距離は伸びた。
「すこしでも前へ急がないと……!」
リアビューへ注いでいた意識を、進行方向へ戻す。眼の前に見えたのは、まだまだ続く坂道だった。味方機の影は見えない。
「イワオさんと、シノブさん。無事だといいけど!」
「水流で激突して損壊した様子はなかった! だが」
「どうしたの?」
「どこにいるかは予測できない」
予測という言葉を聞いて、ふとイワオの事を思い出す。もしイワオが無事なら、今頃はどうしているだろうか。そんな考えがスッと浮かんできた。
「ちょっと待って。今マップを。……あった」
そう言って仮想アイコンをタップする。指したのは、来た路の途中にあった広間だった。氷のシャンデリアが頭の中に浮かぶ。
「たぶんここ」
「どうして分かる?」
「崩れる前に、もし何かあったら、ここに後退しようって言ってた。大群を迎え撃つなら、ここへの入口で待ち構えるはず」
「では、ルートを変える必要はないか」
「まっすぐ行って右だね!」
喋りながらも洞穴を駆け抜ける。徐々に分岐点が近づいてきた。マップどおり、岩壁の側面にぽっかりと穴が開いている。
「曲がるぞ!」
「うん!」
足に力を込めるイメージを機体に送る。グンという加速度が身体を引っ張った。食いしばりながら加速度に耐えて、旋回した先にも氷の洞穴が続く。
岩壁を覆う氷には、天井と蓄光結晶から漏れる光がたっぷりと踊っている。
「余裕があれば、じっくり見ていたいけど!」
光のシャワーを浴びて、洞窟の中を進む。前方には攻性獣はおらず、挟撃される形にはならなかった。
「よかった。無事に通れそう」
「だが、この道で本当にあっているのか」
「マップによればもうそろそろ……見えた!」
上下左右を囲まれた空間が続いていたが、その奥にまたしても分岐点が見えた。分岐点を駆けながら、注意深く地面を見る。
そこには、欲しい物があった。
「足跡が! ここ、イワオさんたちが通ってる」
「アオイの予測が正しかったか」
「だと思う。さっきの言った場所で迎え撃つために移動しているはず!」
「このまま駆け抜けるぞ」
「待って!」
そこで立ち止まる。当然、相棒が声を荒らげた。
「なんだ!」
「ちょっと待って、多分ここらへんに」
「後ろから来る! 何をしている!」
ところどころ落石が散らばる地面を見る。そして、消えかかったファルケとサーバルの足跡を見つけた。
「真ん中はダメだ。端に寄っていこう」
「どうしてだ」
「この足跡、ファルケが何かしてる。罠だと思う」
「何故分かる 勘か?」
「勘。信じない? 頼むから――」
「信じる。走るぞ」
即決は信頼の証なのだろう。本当に相棒と組んでよかったと思う。
岩壁スレスレ、肩部大型装甲を擦ってしまいそうなくらいまで機体を寄せる。ソウ機の後ろを駆けながら、洞穴中央も時々チェックする。
幾ばくか走り抜けたあと、石がうず高く寄り集まった小山が見えた。思わず見落としそうになる、ほんの少しだけの不自然さが目に留まる。
「あ、あそこ!」
きっとあそこに、切り札が眠っている。そう直感が告げていた。
次回も1~2週間後の更新です。




