第十九話 少女と雪と戦うことしか知らない相棒
第十九話
◯流転雪原
今日も、ウラシェの空は曇りだ。昼間らしい明るい灰色の綿雲が全天を覆っている。しかし、仰いだ視界に入るのは雲だけではない。白く見える頂きが、雲の灰色に食い込んでいた。
白の頂きは、雪化粧をした山脈だ。雲越しの陽光を照り返す雪の白の中に、ゴツゴツと荒々しい岩肌の黒が散りばめられている。白の山脈の麓には、白の雪原が広がる。灰色、白、白と、随分と明るい景色だった。
その中に佇む一機のシドウ一式が、雲にかすむ雪山を見上げている。
モノノフの大鎧を思わせる肩部大型装甲板には、盾に桜をあしらった社章がペイントされている。シドウ一式の胸部コックピットで、アオイが気弱そうな垂れ気味の丸目を開きながら、半透明ゴーグルモニターを魅入っていた。
「昨日も見たけど、やっぱりすごい……」
灰色の雲とそびえたつ白黒の雪山のふもとには、純白の平原が広がっていた。
「基地にいた頃は、こんな光景、見たことなかった」
四方を人工物に塞がれていた、外縁基地の狭苦しい光景を思い出す。一方で、目の前の景色は、ひたすらに広がりを持っていた。
陰影すらない白さは目が止まるところもなく、無限の空間が続くように見えてしまう。遥か彼方が白く染まった、途方もなく広大な空間に浮かんでいるような錯覚を抱いた。
耳元のヘッドホンがささやく風音もごくわずかで、耳鳴りが痛い。
静かで穏やかな世界に、無機質な声が割り込んできた。
「アオイ。どこを警戒している。オレが認識していない攻性獣がいたか?」
視線を画面端の通信ウィンドウへ寄せれば、切れ長の三白眼が半透明ゴーグル越しに見えた。
「あ、ソウ。いや、ちょっと景色に見とれてだけ」
「任務中だ。油断するな」
「りょ、了解。たしかにちょっと気が緩んでいたかも」
焦りながら振り向くと、ソウ機の向こうに白い湯気が立ち上がっていた。
「すごくモクモクしてる……」
視線を湯気の更に奥へと向ける。
そこには、雪の中から腹を出した大蛇のような構造物が見えた。表面は攻性獣の甲殻のようなつるりとした質感である。
菅の一点から、銀色の液体が一筋の放物線を描いて吹き出ていた。銀の噴水が落ちる先から、湯気がもうもうと立ち上っている。
ソウが、宙を舞う銀の液体を見ながら、疑問に答えた。
「極比熱流体か」
「確か、あの菅のみたいに生えているやつの中を流れているんだっけ?」
「事前説明のとおりならば」
「あれもトレージオンが作ったんだっけ?」
「再現はできるらしい。実際、極比熱流体は都市生活にも利用されている」
「あー、そういえばそんな事を、トモエさんが言ってたような」
極比熱流体とは、莫大な熱エネルギーを蓄える事のできる液体である。加熱した割に温度上昇は僅かで、沸点も高い。
そのため、特別な耐熱設備を作らなくても、熱を輸送する事ができる。
発電所などで発生した熱を他の目的に転用するため極比熱流体は使われており、都市の地下配管にも流れている。
「あれ、どこで温められたんだろう? あんなに熱いなんて」
「地下らしい。少なくとも、一万メートル」
「そんなに……」
眺めているうちに銀の噴水は勢いを失い、とうとう止まった。管に開いていた穴は見えず、つるりとした表面に戻っていた。
「勝手に止まったね」
「管に自己修復機能があるらしいな」
「まるで生き物みたい」
「確かに、傷口の修復に類似している」
「なんかウラシェに来てから思うんだけど、色々と不自然なんだよね」
「不自然とはなんだ。自然の対義語であることは理解できるが」
「う。難しい話に」
色々と面倒くさい相棒に、どう答えれば良いものか考えていると、思わず眉間に力が入った。
顎に指を当て、うんうんと唸る。
「何かがこれを作ろうと思って作ったような……。自然にそうなった感じがしないっていうか?」
「トレージオンが意思を持っているというのか? その様な器官はないぞ」
「流石にそれはないとは思うよ? そもそも生き物じゃないし」
「確かに。生物の要件である自己複製はしないからな」
「そうそう。ただ、自分を作れないんだけど、それでも生き物みたいに色々と作り変えちゃうのって、ボクからすると変な感じするんだよね」
「具体的には?」
「トレージオンって、便利すぎて」
ソウの切れ長の三白眼がスッと細まった。
付き合いが浅いころは怒っているかと思ったが、おそらくは疑問に思っているだけだと分かるようになってきた。
「便利だと不都合があるのか?」
「不都合はないけど……。むしろ、なかったらボクたちがとっくに滅んでいるって聞くし」
恒星を渡るような巨大宇宙船の建造材料も、トレージオンが無ければできなかった。恩恵はウラシェに渡ってからも続く。
「それにウラシェそのものが、変な所だと思うよ?」
「オレには判断できない。具体例を挙げてくれ」
「例えば、この雲だってどうしてずっとあるのか分からないし。局所熱帯の近くに、こんな氷原があるなんて、キシェルではなかったと思うし」
「たしか、それも極比熱流体が原因だと、トモエさんが言っていたな」
トモエの説明を思い出す。
流転氷原は局所熱帯のすぐ近くに存在する。多少の標高差はあるため、そのための気温低下もある。しかし、それでもキシェルではありえないほどの温度差だった。
原因は極比熱流体の分布である。
地下から流れてくる熱い極比熱流体が分布しているところが局所熱帯である。一方、更に高い所から流れてくる冷たい極比熱流体が分布しているのが、流転氷原である。
だが、その分布も時々で変化する。
「熱い極比熱流体が噴出したと言う事は、氷原も消失期という事か」
「流転氷原の流転って、コロコロ変わっちゃうって意味なんだっけ?」
「文字通りの意味ならば」
相棒の素気ない声に引っ張られて通信ウィンドウをみると、いつもの仏頂面から興味の色が一段抜けていた。
相変わらずの相棒へ向けて、呆れの籠ったため息が出た。
「ソウって、本当に戦闘以外に興味ないね」
「非効率だからな。戦闘能力向上と評価獲得以外、オレに必要ない」
「そういう生き方って疲れない?」
「それ以外、知らない」
「人戦機に乗る前は?」
「覚えていない」
「……あ、その、ごめん」
「謝罪の理由が不明だ。それに非効率的だ」
気づいたら研究所の被検体で、ずっと戦闘成績で評価されてきたと聞く。他の事をしている自分が想像できないと言うのも、そうだろうなと思う。
(もし、ソウが他の生き方を知ってたら、どうなるのかな)
ずっと真っ直ぐに突き進む相棒も、また違った生き方をするのだろうかと思う。
「もしも、ソウが人戦機の操縦以外に色々と知ってたら、この仕事を続けるか迷う?」
ソウの眉がピクリと動く。珍しく悩んだようで、ふむと俯いたまま数秒が過ぎた。
「質問の前提が想像できない。回答不能だ」
「憧れの仕事とかない? そこに就職した自分とか想像できない?」
「オレにはできない。戦闘をしていない自分は、どうしても」
人戦機は戦闘機だ。
「オレへの評価指標は、人戦機でのスコアだけだった。それ以外の指標でオレを見る者はいない」
戦うことしか、相棒は知らない。
戦うことでしか、相棒は価値を示せない。
戦うことでしか、相棒は他者から見てもらえない。
戦って、戦って、戦い続けてきた人生が透けて見えた。
「そんな事……」
否定しようと思った。そんな事はないと言うのは簡単そうに思えた。
続きをつむごうと思った時、鏡写しの自分が開きかけた口を手でふさいだ。
――でも、キミがソウと一緒にいるのは、ソウが戦っているからだよね?
武装警備員でなかったソウと一緒に居続けるのか。それは分からない。
ソウがありのままの自分を見てくれる数少ない人間だから。それが働く理由の大半になっている
「アオイは、武装警備員を続けるのか?」
「う、うん」
「そうか。安心した」
それだけ言って、ソウ機はまた周囲の警戒に戻った。
(ソウがいるから。本当に、それで続けていいのかな……)
一日の半分以上を捧げる時間を、ただ一人のためだけに決めて良いのか。その答えが正しいのかは、分からなかった。




