第十八話 少女と社長と天才の置き土産
◯フソウ ドーム都市 サクラダ警備社屋
アオイがタブレットを覗いていると、背後から凛とした芯のある女性の声が響く。
「理由はわからない。ただ、セゴエさんらしいな」
「トモエさん」
振り返れば、あきれ顔のトモエが立っていた。
「あの人の事だ。おそらくは驚かそう、とでも思ったのかもな」
「なんか……子供みたいですね」
「子供みたいなんだよ。本当に」
深い実感の籠った言葉だった。トモエの苦労を思い、思わず苦笑いが浮かんだ。そこにシノブが、割ってくる。
「あー、なんか噂は」
「シノブ、知っていたのか?」
「いえ。アタシが入った時はいなかったから、聞いただけですけど」
「そうか。入れ違いだったか。私の記憶も、曖昧だな」
「大人数だし、入れ替わりも激しかったから、しょうがないんじゃないですか? トモエさんは当然知っているとして、イワオさんもセゴエさんをよく知っているんですよね?」
そう思ってイワオを振り返ると、ゆったりとした速度で頷いた。
「うむ。奴ならやりかねん」
「やっぱり、知っているんですね。仲がよかったんですか?」
「勝手に弟子になりたいと言ってきた」
あのセゴエが師匠としてイワオを認める。それだけで、思わず声が出た。
「セゴエさんの先生なんですか!? すごい!」
しかし、返って来たのは嘲笑だった。白髭に埋もれた唇が、卑屈に歪む。
「まさか。勝手に学んで見る間に当代無双になりおった」
イワオが鷹の目を閉じる。目元には、切り刻まれた深いシワが見えた。
「あの天才の師匠と言うにはおこがましい」
重く、実感の籠った言葉に、皆が二の句を告げられなかった。
イワオが、ふぅ、と重い溜息を吐いた後に天井を見上げる。再び見開かれた鷹の目は、格納庫の天井を通り越し、遠くを見ているように思えた。
「どうすれば強くなれるか、色々と試していたな。合気の練習にもつきあわされた」
「合気?」
「武術の一種だ。相手の力を利用してのカウンター技が多い。パンチの勢いを利用して、捻るように投げたりなどな」
そう言われて、ソウがくるりと投げられた場面を思い出す。ソウ機の正拳を掴んだと思ったら、あっという間に放り投げられていた場面だ。
「あ、見ました。まるで、魔法のようでした」
「突き小手返しという。セゴエの得意技だ」
「すごい」
「まさに天才だ。マニュアル操作とソフトウェア補助を組み合わせている。やつにしかできん」
「すごい頑張ったんですね」
「やつはそう思ってはないだろう。まるで遊ぶように夢中だった。初めてできたときは、目を輝かせていたものだ」
そう言われて、開拓中継基地で見たセゴエを思い出す。
フソウ人にしては彫りの深い精悍な顔つきの奥に、少年の瞳がきらきらと輝いていた。きっと、あんな感じで活き活きと遊ぶように試していたのだろうと想像する。
そして、いつも訓練に追われている自分と比べてしまった。
「凄いですね……。仕事なのに」
「セゴエにとっては違ったのだろう」
それがセゴエのセゴエたるゆえんかと思う。しみじみと感じ入っていると、シノブが割り込んできた。
「セゴエさんとトモエさんが組んでいた時って、本当に凄かったみたいですね。二人とも有名人ですし」
開拓中継基地で、色々な武装警備員がトモエを見る目が違った事を思い出す。誰も彼もが、トモエの前では背筋を伸ばしていた。
(そう言えばトモエさん、いつもみんなに一目置かれていたな……)
チラリとトモエを見る。そこにいるのは、いつものトモエにも見えたが、同時に歴戦の風格を漂わせる元戦士にも見えた。
「ああ、難開拓地へ放り込まれていたからな」
トモエの言葉には実感がこもっていた。
凄腕と評されて人物が、難しいと言う仕事はどれほどのものだったろうと思う。トモエが初心者向けに厳選した仕事でも手一杯だった自分を思い出せば、なおさらだった。
「トモエさんが難しいって言うなんて、凄そうですね」
「大変だったよ。でも、もっと大変だったことがある」
「なんです?」
「周りについて行くことだ」
「周り……ですか?」
「セゴエさんに、ジョウさん。天才というべき人間が揃っていた」
先ほどのセゴエと思わしき戦闘データを思い出す。
縦横無尽に戦場を駆けるフウマと肩を並べるならば、戦うのはさぞや大変だったと思う。そしてセゴエの相棒を務めたトモエも、相当の腕前のはずだろう。
精鋭集団。そんな言葉を思い浮かべる。
「イナビシって、凄いところだったんですね」
「ああ、凄かった。あそこで働けて良かったよ」
そう答えたトモエの薄く形のよい唇は、満足げな笑みを浮かべていた。トモエにとっては、幸せな過去だったのだろう。
トモエにつられてほほ笑んでいたが、ふとした疑問が浮かぶ。
(あれ? なら、どうして辞めたんだろう?)
なぜ、働くだけで誇りになるような仕事場から離れたのか。その理由が思いつかない。聞いてみたい。そんなむずがゆい気持ちが、胸の奥底でさわさわと湧いてくる。
一方で、頭の中の醒めた部分が好奇心を引き止めた。
(うーん。でも、理由を聞くのもなぁ……。嫌な思い出があったのかも知れないし。まぁ、ここは聞かずに――)
もし、嫌な思い出があるならば触れないのが無難だろう。そう考えていた時だった。
「どうして辞めたんですか?」
「ソウ!?」
無遠慮、直球、無鉄砲。そんな言葉が似あう相棒らしい質問だったが、さすがにそれはダメだろう。
そう思って、恐る恐るトモエを見た。
トモエが、戸惑いとほほ笑み入り混じった、曖昧な笑みを浮かべていた。
「まぁ、その、色々な」
「具体的には――」
隣の相棒を肘で小突く。切れ長の三白眼が、キッと向けられた。
「なんだアオイ」
「ソウ、遠慮とかさぁ」
どう言いくるめようかと思っていると、トモエが苦笑いを浮かべた。
「いつもすまないな。アオイ」
「いえ。慣れてますから」
苦笑いを浮かべていたトモエが、笑みを暖かなものへと変えた。
「お前たち、まさかここまでのバディになるとは思わなかったよ」
「ワタシも思ってませんでした」
隣のソウが、元々険しい三白眼を更に険しくした。
「どういうことだ」
「なんでもないよ。そろそろ練習の時間じゃない?」
「む、確かに。次こそは」
「いや、あのデータは無理だから、まずは普通の訓練を」
「だがしかし――」
二人で人戦機へ向かう。ふと振り返ると、トモエが片手をあげていた。
ありがとう。トモエの無言の感謝が聞こえた気がした。
どういたしまして、と心の中で頭を下げて再び前を向く。そのまま二人そろってタラップをあがり、訓練を開始した。
〇サクラダ警備 オフィスルーム
サクラダ警備の静かなオフィスに、キーボードをたたく音が響く。
カタカタと小気味の良いリズムに混じって、事務用拡張機能に指示を飛ばすトモエとイワオの声が聞こえていた。
それがしばらく続いた後、トモエがイワオを向いた。
「あの二人はどうだ? イワオ?」
「社長。ふむ……」
そういって、イワオは天井を仰いで白髭を撫でる。
「どちらも良く、どちらも危うい……かと」
「詳しく聞こうか。ソウから」
「覚悟は決まっています。だがそれは、選択肢の無さ故。折れるときは折れる」
「想像はしづらいが……。ありえなくはないか……」
「当分は大丈夫でしょう。次はアオイ」
イワオが一息をついてから、乾いた唇を開いた。
「踏ん切りがついていない。ソウがいるから……という所ですか」
「それは確かに」
「本格的に雇うなら、芯が欲しいかと」
鷹の目が閉じられる。
「武装警備員は、楽しいだけではない。もちろん、この仕事に限った事ではないですが」
「そうだな。お互いに身をもって知っている」
再び見開かれた鷹の目は、今ではない遠くを眺めていた。イワオが右腕の義手を撫でる。トモエも、バイザー型視覚デバイスからはみ出た傷を掻く。
「当然、稼いで次にというのも自由です。だが、背中を預けるのならば物足りん」
「最高のバディを知っていればなおさら……か」
「ジョウか……」
イワオが苦笑いを浮かべた。
「何か突き抜けた才があれば話は別だが……、いや」
そして、唇の端からは苦みが消えて、嘲りが浮かぶ。
「ワシも人の事は言えんか。才の有無など」
トモエはイワオが俯く様を、無言で見ている。しばらくの沈黙が続いた後、イワオが意を決したように鷹の瞳を見開いた。
「社長。噂なのですが」
「なんだ」
「ジョウがここを志望したと。だが、断ったと聞きました」
「……そうかも知れんな」
再び訪れた沈黙がしばらく続いた後に、イワオの義手が軋んだ。
「なぜ、この凡夫を雇って、あの天才を断ったのです」
トモエは沈黙のままに、続きを促す。イワオが少しだけ戸惑いながら、自嘲を吐き出した。
「ジョウの狙撃は芸術で、狙撃手としては稀有。色々な技を継ぎ接ぎした遠距離射手などとは、比べ物にはならない」
継ぎ接ぎだらけの遠距離射手は、溶接跡のような深い頬の傷を撫で、眉間に刻まれた深いシワを歪めてうつむいた。
「その理由を知らずして、ワシがあの二人の採用について決めてよいものか」
「イワオさんらしいですね。あなたはいつも真摯だ」
トモエの柔らかな声色に驚いたように、イワオが顔を上げる。そして、少しだけ困ったように口ひげを持ち上げた。
「社長。いまの時間は」
「おっと、そうだった」
トモエの声色が、部下と話す社長らしい声色へ戻る。意志と冷静さが乗る凛とした声が、薄い唇から聞こえてきた。
「そう言えば、イワオと新人を組ませて意見を聞くのはこれが初めてだった」
「他にメンバーがいない状況でもなければ当然でしょう。ワシのスタイルは異端すぎる」
「だが、私は大丈夫だと思っている。大事な才能を持っているからこそ雇った」
「ワシに才能?」
「それは――」
トモエがその理由を語る。
イワオは意外そうに鷹の目を見開いた。
「……それが。それが、サクラダ警備で働く資格なのですか」
「色々あるが、それだけは欠かせない」
イワオが深くうなずきながら白ひげをなでる。
「ならば、あの二人は」
「見守ってほしい」
そう言って、二人は事務仕事に戻る。鷹の瞳には、獲物を追い詰める冷徹さではなく、ほのかな温かさが宿っていた。




