第十七話 少女と相棒と幻影の凄腕
〇シミュレーター内 黒曜樹海
黒曜樹海の暗がりが視界を覆う。その先、一機の影がぼんやりと見える。大きさは、拡大処理なしでは、豆粒ほどにしか見えない。
互い撃ち合うにはやや遠い距離の機影を、視覚カメラが画像拡大をしていく。映し出されたのは、楔帷子のような装甲に身を包んだ細身の機体だ。
フソウにシノビの衣装によく似ている。それはイナビシ重工製のフウマと呼ばれる機体だった。
「戦闘を開始します」
合図とともに、凍りついたように止まっていた仮象の森に時が流れ始める。
それと同時に、フウマ型がはじかれたように動き出す。機影を掠めさせながら、木立を駆け抜けた。
「速い!」
巨木との衝突も恐れぬ全速力だった。自分だったら根っこに足を取られそうな地形でも、氷の上を滑るように走り抜ける。その速さで、見る間に距離を詰めてきた。
「近づかれるとまずいよ!」
フウマ型が提げているのはコンパクトな二丁のサブマシンガンだった。
軽くて短いゆえ、振り回すように扱える。その特性上、目まぐるしく位置が入れ替わり、照準を素早く合わせなければならない近距離格闘戦では抜群に扱いやすい。
つまり、接近されたら得物の差で不利になる。
通信ウィンドウに映るソウの双眸に、力が籠る。
「迎え撃て!」
「わ、わかった!」
青く輝く弾道予測線を、巨木の隙間で舞うフウマ型に向ける。しかし、青の輝線はフウマを掠めもしない。
「踊っているみたい……!」
舞いのリズムは、驚くほど自由自在だ。加えて、自動標準補正の予測をことごとく裏切るように、鋭いステップを切る。
「全然当たんないよ!?」
「照準が合う前に、切り返される!」
「こっちの裏を掻いているみたい!?」
フウマ型が背負うアサルトウィングが光の粒子を振りまく。その残光が、木立の暗がりを縫う。戦闘開始直後は最大倍率でシルエットが分かる距離だったが、今は通常倍率でよく見える。
「もうこんなに!?」
更に詰められれば、サブマシンガンが有利だ。
心の準備はまるで追い付かず、焦りだけが高鳴る。忘れていた呼吸をようやっと思い出す頃には、更に近づかれていた。
「ど、どうしよう!?」
「接近しただけ命中率は上がる! 集中!」
意識をぎゅっと前に集める。幾分か弾道予測線の動きが冴えを増した。だがフウマ型の速さはその上を行く。
何もかもがでたらめで、理不尽すぎる。
「速すぎるよ!」
「とにかくバラ撒け!」
「それだって追いつかない!」
こちらが放つ銃弾は、木立を抜けるか巨木を穿つだけだった。フウマ型はただの一発もサブマシンガンを放たない。回避は考えず、射撃に専念してもこのありさまだった。
自分たちの迎撃をすりぬけながら、フウマ型が一層踏み込んでくる。
「もうまずい距離だよ!?」
「ならば、命中するまで撃て!」
その瞬間、フウマ型がアサルトウィングの輝きと共に高く跳ねた。それを見たソウの三白眼が、ギラリと光る。
「着地を狙う!」
ソウ機の銃口がフウマ型を捕捉しかけた時だった。
フウマ型のアサルトウィングが空中で輝いた。空中で軌道を変えて、巨木へ。そのまま激突するかと思った時、機械仕掛けのシノビが巨木を蹴った。
「あれは!?」
その反動で、一層高く跳ぶ。
「上へ!? 噓でしょ!?」
視界の遥か上へと機影が消えた。弾道予測線は置いてけぼりをくらい、何もない暗がりを突き抜けていた。
「照準が!? 全然ついていけないよ!?」
「上下の軌道で振り切る戦法か」
人戦機の火器管制装置は横方向に特化している。航空機がロクに飛べないウラシェでは、当然の進化だった。縦にも跳び回る人戦機なんて、想定していない。
狼狽している間にも、フウマは再度三角飛びをした。
「もう一回蹴った!? でたらめ過ぎるよ!」
その後も二回、三回と立体的な機動を繰り返す。
「ジグザグ機動も加わっただと!?」
機械仕掛けとは思えない軽業に、頬がひきつる。
「あんなのずるい! ありえない!」
機影を追うのもやっとの中、視界にきらりと光るものがあった。
「撃ってきた!」
暗闇にマズルフラッシュが灯る。それも飛びながら。
「あんな機動で!?」
銃声に、ソウの驚嘆が混じる。
「ほぼ命中だと!?」
「ぴょんぴょんしながら、当ててくるの!?」
咄嗟に肩部を向けて、大型装甲板で銃火をしのぐ。ガンガンと装甲を叩く仮象の音が耳についた。
宙を舞うフウマの銃口は、ビタリとこちらを向いていた。
「やられてばかりでは!」
舌打ちをして、ソウがアサルトライフルを向ける。しかし、銃口の先には光の粒が舞っているだけだった。フウマ本体は、暗がりへ去っている。
「照準が間に合わない!」
こちらは照準を合わせられず、あちらは一方的に射撃する。別格の技量差が生む理不尽に顔を歪めた時、影がとうとう頭上を飛び越した。
「な!?」
すぐ後ろから、軽やかな着地音が聞こえてきた。振り返る間もなく、銃弾が背面を襲う。
「ぐぅ!? 速い!」
撃たれながらも機体を振り向かせると、隣から相棒が飛び出した。
「格闘ならば!」
駆け出したソウにワンテンポ遅れて、ようやく振り返る。メインモニターにはフウマ型は双短機関銃を既に構えていた。双竜が炎を吐いた。
ソウのシドウ一式が腕部装甲で銃弾を防ぎつつ、フウマ型へ詰め寄る。
「シドウの装甲なら!」
シドウ一式は中量級でも装甲が厚い。被弾を硬さでねじ伏せて、ソウ機がフウマへ詰め寄った。
ソウ機が屈し、跳ねた。空中で跳び蹴りの構えを見せる。
「吹き飛べ!」
機体の慣性を足先に込めて、鮮やかな蹴りを突き立てようとした時だった。
ソウ機がフウマ型をすり抜けた。まるで、触れられない幽霊のように。
「お化け!? いや!」
最小限の動きでフウマ型が回避したと悟ったのは、ソウ機が転げながら着地した後だった。フウマ型は振り返り、ビタリと照準を合わせ続ける。
弾丸がソウ機を襲い、無数の火花が舞う。耳を撃つ銃撃音の中、ソウが舌打ちをした。
「クソ! ならば!」
ソウ機がすぐさま立ち上がり、双腕をクロスガードさせ弾丸を防ぐ。そのまま滑るように間合いを詰める。
「シッ!」
ガードを解いて、ソウ機が流れるように殴りかかる。ナックルガードに包まれた正拳が、フウマ型に突き刺さると思った時だった。
ソウ機がぐるんと宙を回る。
「あれは!」
投げた。
ソウ機の小手を掴み、返すようにくるりと投げていた。自らの勢いのまま、ソウ機が空中をぐるぐると飛ぶ。
かろうじて見えた名人芸に開いた口が塞がらなかった。その間にフウマはすばやくソウ機へ振り返り、容赦なく双短機関銃の射撃を浴びせている。
「ソウ!? いま!」
ようやっと照準を向けた時、平静な声が終了を告げた。
「損耗超過。システム機能停止」
「ソウ!?」
ソウのシドウ一式が、受け身を取ることなく地面へ激突した。
「ソウ! 大丈夫!?」
「これはシミュレーションだ! それよりも前!」
「わ、分かった!」
慌てて前を向く。照準なんかつけなくていい。とにかく当てる。
「いっけぇ!」
気迫を込めて放たれた横薙ぎの掃射は、あっけなく躱された。横跳びしたフウマ型が、そのまま視界から消えた。
「速すぎるって!?」
次いで聞こえた樹を蹴る音は、随分と上から聞こえた。
「また上へ!?」
咄嗟に上を向くと、猛烈な勢いでこちらへ迫る影が見えた。
「飛びかかってきた!?」
フウマ型が双短機関銃の銃撃を浴びせながら、跳びかかってくる。
「くぅ!」
理解を超えた機動に気圧されながら軽機関銃を向ける。背負う偏向推進翼が光の粒子を吐き出し、視界から機影が消えた。
「また!? 今度は――」
今度は、視界の下から重い着地音が聞こえた。
「きゅ、急降下!?」
視界を地面に戻すと、眼の前までフウマが迫っていた。ニンジャの面頰のような頭部が、殺意を込めた暗殺者のようにこちらを見据えている。
「くぅ!」
手に持った軽機関銃を向け終わる前に、フウマ型はするりと懐へ潜り込んだ。ぞわりとした悪寒が背中を抜ける。直後、視界が回った。
「ぐぅ!」
後ろに転がる中で見えたのは、蹴りを突き出したフウマ型だった。現実に比べれば随分と控えめではあるが、戦闘服が仮象の衝撃を伝える。
ぐるぐると機体が転げる間にも、双短機関銃の銃声は容赦なく森に響く。
視界端の機体の形をしたアイコンが、赤に染まっていく。
「損耗超過、機能停止。シミュレーション終了」
傷一つないフウマ型が佇んだままで時は止まり、画面が暗転した。
〇サクラダ警備社屋 格納庫
人戦機が立ち並ぶ格納庫の谷間で、アオイとソウがタブレット型情報端末を覗き込んでいる。
端末が映し出しているのは圧倒的な実力差を思い知らされた、先程の戦闘だった。
画面を覗き込みながら、アオイが乾いた笑いが浮かべる。
「これ……倒すのは無理だよ」
「しかし、次は――」
ソウが反撃の糸口を見つけようと、動画の再生アイコンを押そうとした時だった。後ろから、格納庫の扉が開く音が聞こえる。
「誰だろ?」
振り返れば、シノブとイワオとトモエがこちらへ向かってきた。おそらくは、事務仕事が終わったのだろうと思う。
こちらの視線に気づいたシノブが、早足で寄ってきた。
「お前たち、何やってんだ? 随分と疲れているみたいだけど」
「シノブさん。実は――」
手短に事情を話すと、シノブはタブレット型端末を受け取った。動画を覗き込む猫の瞳が、ぐわっと剥かれた。
「なんだこりゃ!? え!?」
動画の再生が進むと、シノブの驚き顔に呆れが混じる。最後には乾いた笑いを浮かべていた。口元をひきつらせたまま、シノブがこちらを向く。
「これ、反則だろ? こんなのありか?」
「ワタシもそう思いました。でもこの動きって、廃棄都市の」
「あ。もしかして――」
「セゴエだな」
振り返ると、イワオがすぐ後ろに居た。おそらくは自分の肩越しにタブレット型情報端末を覗いていたのだろう。
鷹の目はタブレット型情報端末を向いていた。
「この動き、間違いない」
いつも通りの重くてゆったりとした声には、確信が籠っている。
「イワオさん……。やっぱり」
呟きながら、タブレットに目を落とす。そこに映る双短機関銃を装備したフウマ型は珍しいタイプだ。加えて縦横無尽の機動となれば、セゴエ以外に心当たりはない。
しかし、それはそれで新しい疑問が湧いてくる。
「でも、どうしてシミュレーターに?」
「そう言えば、サクラダ警備にセゴエが一回だけ来たな。その時に何かしていたな」
「セゴエさん、来た事があるんですか?」
あごひげを撫でながら、イワオがふむと頷く。
「うむ。祝いのプレゼントを置いていくと言っていた」
「何を置いて行ったんですか?」
「何も」
「なんにも置いて行かなかったんですか? プレゼントって言ったのに?」
「問うてみたが、笑ってはぐらかすばかりだった」
意味の分からないセゴエの行動を聞いて、訳も分からず首をかしげるばかりだった。イワオが昔を懐かしむように天井を見上げる。
(もしかして……)
物は置いていかなかった。ならば。
「セゴエさんのプレゼントは」
「うむ。このデータかもしれんな」
これがセゴエなりのプレゼントだったとして、それでも疑問は晴れない。
「でも、どうして……こんな事を?」




