第十四話 少女と老兵と不可欠な積み上げ
◯黒曜樹海 開拓中継基地 トレーニングルーム前
ガラス越しのトレーニングルームに、サンドバックを叩くイワオの後ろ姿があった。右肩から首元まで傷跡が広がっている。
「傷、あんなに」
そして、右肩から先はサイボーグ化されていた。痛々しい傷跡を見ていると、ソウが隣で呟いた。
「特徴が一致。アオイの推測は正しいな」
「なんで仕事上がりにトレーニングを……?」
「不明だ。聴いてみるか」
「ちょ、ソウ?」
既に相棒はツカツカと歩き、トレーニングルームの中へ入っていった。ソウの後を追う。トレーニング機器の間を抜けてある程度近づくと、イワオが振り返った。
シワが刻まれた貫禄のある顔には、湯気を帯びた汗が滴っていた。
「なんだ。お前たちか」
「あの……。何を?」
恐る恐る聞いてみようとすると、隣から咎めるようなソウの声が遮ってきた。
「アオイ。イワオさんはサンドバックを叩いているぞ。何をしているか明白では?」
「聞きたいのは理由だよ。さっき言ったとおりだって」
どうにもズレている相棒にじっとりとした視線を送る。そんな様子とジッと眺めていたイワオが、静かに口を開いた。
「アドレナリンの処理だな」
「アドレナリン?」
「社長には聞いておらんようだな」
「はい。いつも忙しそうですし」
「ワシらが抜けた影響か……」
イワオがふうと一息つく。いつもは気難しげに曲げられていた白眉が、申し訳なさそうにほんの少しだけ垂れた。
そして、気を取り直したように、いつもの鷹の目が向けられた。
「戦闘時にアドレナリンが分泌される事は知っているな?」
「はい。テキストで」
「ワシも久々の戦闘で昂った。アドレナリンを抜かねば安眠はできん。だからだ」
その時、外から酔っ払いたちの笑い声が聞こえてきた。
声の方を向けば、楽し気に歩く武装警備員の集団がいた。再び前を向けば汗を滴らせて佇むイワオがいる。
研ぎ澄まされた刃を突きつけられているような迫力にすくんでいると、となりのソウが口を開いた。
「効果はあるのですか? 実践している他の武装警備員はいません」
「いぃぃ!?」
確かにトレーニングルームで己を鍛えているものはいない。時間が違えばいるかも知れないが、資源採取戦で稼いだ直後では、当然といえば当然だった。
やっている意味はあるのか、と親と子どもほどの歳の離れた後輩から問われ、果たして失礼をしていないかとイワオを見る。
しかし、イワオに怒りは見られなかった。
「微々たるもの……だろうな」
「非効率では?」
「かもしれん。だが、必要なのだ」
言い切られたソウが、片眉を上げて押し黙った。一緒になって口をつぐんでいたが、思わず疑問が堰を切った。
「……どうしてそこまで?」
知りたかった。武装警備員と言う仕事を、壮年に至るまで続けてきた男の心境はどんなものだろうと思った。
「弾丸のロットもそうです。どうして」
「こだわらねば、超えられん壁があるからだ」
イワオが汗をタオルで拭ったあと、トレーニングウェアを羽織った。
すっかり汗の引いた顔に、深いシワが目立つ。肩口から広がる大怪我の跡を撫でながら、イワオが鷹の目を向けた。
「アオイ。ソウ。人戦機で一番大事な部品を知っているか?」
乾いた唇から突然とびだした質問に、なぜそんな問いを、という疑問が湧く。しかし、先輩からの質問に答えないわけにはいかない。
「えっと、その」
顎先に指を当てて、今までを思い出す。浮かんだのは、サクラダ警備に入る前の任務で、攻性獣に踏み殺されかけた場面だった。
「装甲ですか? 守ってくれますし」
一呼吸おいて、ソウも答える。
「筋肉状駆動機構では?」
イワオは静かに聞いていた。そして、ギラリと鋭い眼光がこちらを射抜く。
「操縦士だ」
どういうことかと眉をわずかにひそめる。
「自身こそが人戦機の、つまり武装警備稼業で唯一無二の、換えの無い部品だ」
「な、なるほど……」
「だからこそ、日々の手入れは欠かせない。それだけだ」
そう言って、イワオが肩を回す。ぐっ、ぐっと身体を伸ばす体操は、まるで身体を点検しているように見えた。
「心身を保ち、技を磨き、読みを尖らせる。それを続けてきた」
その結果なのだろう。イワオから発せられる気配は、今までの誰よりも鋭かった。磨き続けた刃物のように、機能美を帯びた輝きを放っている。
(ボクは、やり続けられるかな……)
自分がそこまでできるのか。
ソウと出会い、サクラダ警備に入るか問われた日のように足がすくむ。だが同時に、ここまでやってきた日々も思い出す。
(いや、凄い先輩がいるんだから、ボクも頑張らないと)
だがどうやって。
射撃は下手くそ。体術なんかはもってのほか。探索だって、シノブのような特殊技術もない。
(ボクが、ボクが褒められた事は……? あ)
そういえば、よく見ていると褒められたことはある。自分では普通のつもりなのに、どうしてと疑問に思ったものだった。そして、自分が得意な事というのは、自分にとっては当たり前なのだと、ソウと過ごす日々で知った。
(生き物もだし、読みだって)
目立ちもしない。ソウの体技のような華やかさもない。
だが、ちっぽけとはいえ自分にも武器がある。
(これなら、頑張れば……?)
そして目の前にいるのは読みを磨き続けた先輩だった。ごくりと唾を飲み、気難しそうな巨人に恐る恐る声を掛ける。
「読み、凄かったですよね。その……頑張れば、イワオさんみたいになれますか?」
「ワシのように。……ワシのようにか?」
戸惑うような声で、珍しくイワオがあっけに取られたように目を開いていた。そして、老いた顔は自嘲に歪んでいった。
「ワシのようになってどうなる」
クツクツと低い笑い声が響く。何事かと思って思わず声が出た。
「あの――」
「十手読み」
「え?」
その単語に聞き覚えがあった。
(確か、リョウって人が言っていた)
リョウが負けたと言っていた人物の呼び名だった。まさしくイワオを指しているのだろう。ただし、なんでそう呼ばれるかは分からなかった。
「どういう意味なんですか?」
「十手先を読むという意味だ」
確かにイワオは、相手の動きを読んでいた。次の、次の、また次の、もっとそれ以上も。 もしかしたら、十手まで。
「え! すご――」
「凡夫の証だ」
感嘆と称賛は、自嘲に弾かれた。
「真に才があるならば、一手で決める。ワシには十手も必要ということだ」
戸惑っている間も、イワオがくつくつと笑い続ける。
「読みも、特段の才能があって始めたわけではない」
「何がきっかけで?」
「ワシのスタイルのため」
そこまで行って、くつくつとした笑いが止んだ。
「ワシの戦闘スタイルは異形だ。無人偵察機による広範囲索敵、遠距離射撃支援のマークスマン、携行型迫撃砲による砲撃支援。本来ならば並立しない役割を、歪を詰め込んだものだ」
「で、でも凄いんじゃ――」
「仕方なくそうなった。それだけだ」
この話題は終わりにする。そういう無言の圧を感じた。
(う……)
思わず一歩下がると、代わりにソウが前へ出た。
「何が切っ掛けだったんですか?」
驚きながら横を見ると切れ長の三白眼が、イワオを見上げていた。動じない視線が、見下ろす鷹の目と交わる。
「ほう。他人に興味があるようには思えないが」
「戦闘能力向上の参考になると判断しました」
「参考になるとは思えんがな」
わずかな忌避が鷹の瞳に浮かぶ。しかし、ソウがそれに気づくことも、動じることもない。
(うっ……。空気が……重い……)
睨み合いとも言える視線の交差が数秒続き、空気がすっかり固くなった後、鷹の瞳が、スッと閉じられた。
「……まぁ、よいだろう」
一拍の沈黙を挟んで、イワオが再び目を見開く。普段は鋭い眼光が、遠い過去を見るように寂し気な色を帯びた。
「昔、狙撃手と観測手で一組だった」
「そうなんですか? でも――」
「そう、今は一人だ」
「どうしてですか?」
「補助機能の向上だ。長距離射撃の時、補助装置を使っている。更に弾道補正機能も拡充した。ファルケなどは、特化しておる」
「それぞれがやっていたことを、機械が補ったんですね」
「うむ」
つまり、イワオと相棒は別れたという事だ。お互いが必要でなくなって、いまに至る。
「イワオさんは、どっちだったんですか?」
「観測手だ。無人偵察機で観測し、敵行動を予測し、環境影響を予測し、どう撃てばよいかを狙撃手と考える。遠距離射撃は専門外だった」
読みの鋭さはそこから来ているのかと、なるほどと思う。しかし、同時に疑問もわいた。
(でも、狙撃も凄かったような?)
すると、横にいたソウが前へ出る。
「遠距離射撃精度は良好では?」
「奴には敵わなかった。いや、今もか」
「奴? どの人物を指しているのですか?」
「片割れの狙撃手だよ」
イワオの口元がふと緩む。普段は鋭い鷹の目に、穏やかな光が浮かんだ。
「集中力、勘、瞬発的判断は抜群。必ず殺すという気迫と、それを悟られずに撃つ業前」
まるで、自分事の様に誇らしげな口調だ。目には熱の籠った憧憬が宿っている。
「やつの狙撃は美しかった」
イワオが白髭を撫でながら、感嘆の吐息を漏らした。それから普段の冷静なイワオに戻る。
「極度の集中ゆえに視野も狭くなる。それを補うのがワシの役目」
孤高を愛する老兵が誰かのために尽くす。そんな姿が想像できなかった。相手はどんな人物かと思っていると、隣からソウが問いかける。
「補う。相棒のようなものですか」
「そうとも言えるかもな」
相棒と聞いて、隣の少年を見る。
何度も顔を合わせた、シャープな顎と鼻筋、切れ長の三白眼に刺々しい逆巻く髪が目に入る。すさまじいほどの拒絶感だが、案外憎めない所もあった。
それが自分の相棒だった。
(ボクとソウみたいな……)
無愛想で、気遣いもなく、無茶ぶりも多い。だが、二人でやってきた相棒だった。
だから、そんな存在と今は一緒にいない理由が分からない。
「どうして……。そんな大事な人とバラバラに?」
「観測装置と射撃補正装置の発達。それで、二人別々の方が稼げるようになった」
イワオの答えは、あまりにも淡白だった。
「……それだけで?」
「それだけだ。お互いに不要になれば、そうなってしまうのが武装警備員だ」
分かれて当然と言わんばかりの態度に、理解が追いつかない。もし、ソウが同じように自分と別れたら。
一人で戦場を駆ける自分を想像する。が、イメージは全く湧かない。
(それでも、ボクは……)
果たしてそれでも生き残れるのか、この仕事を続けられるのか、分からない。戸惑っていると、再びソウがイワオへ問いかける。
「それで、その元狙撃手の現在は?」
「ワシと同じで、イナビシ専属から市井の武装警備員になった。時には敵として殺しあったこともある」
「安全装置があるから、殺し合いにはならないのでは?」
「昔はなかった」
トモエの言っていたことを思い出す。昨日の味方が今日の敵となり、殺し合う時代があった。目の前にいるのは、そんな時代の生き残りなのだと改めて悟る。
イワオの肩口は溶接したように凸凹となっている。そこから生える機械の腕を撫でた。
「奴に負けて、瀕死になって、この腕を取り替えた」
「イワオさんが……負けるなんて」
今日の資源採取戦で見せた凄腕を思い出し、それでも負ける相手がいるとは信じられなかった。
「あの勝負――」
イワオがそう言いかけた時、背後から老いの混じった挑発的な声が聞こえた。
「あの勝負、俺の圧勝だったな。凡夫よ」
声はトレーニングルーム入口から聞こえた。振り返ると、徒党の先人に小柄な壮年の男が立っている。歳はイワオと同じくらいに見えた。鷲の様な目には、ギラギラとした気迫が満ちている。
(この人、もしかして)
そして、直感した。 この男こそが、イワオの元相棒であると。
次回も1~2週間後の更新です。




