第十三話 少女と相棒と若き狙撃手
〇黒曜樹海 開拓中継基地 廊下
開拓星ウラシェの夜は暗い。
地表に人工物の明かりはほとんど無く、夜ともなれば元より暗い黒曜樹海は真なる闇に染まっている。幽界へと繋がるような黒の先に、ポツンと浮かぶ明かりがあった。
明かりに照らされるドームは開拓中継基地だ。普段はトラックの出入りが激しいが、夜ともなれば黒曜の樹海へ旅立つ者もいない。
動くのは、攻性獣の襲来を警戒する当直の人戦機たちだった。
開拓中継基地の廊下から、人々がその様子をちらりと覗いて、また視線を戻した。気に留めるほどでもない、ありふれた風景だった。
夕食の時間と言う事もあり、一人で腹を擦るもの、仲間と談笑をするものと、様々な人々が往来している。
その人込みの中に、空色の作業服を羽織った一組の男女がいた。
丸みを帯びた黒髪のショートヘアの少女が、腹を擦っている。幸の薄い柔和な顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。
「ふう。久しぶりにいっぱい食べたよ」
アオイはそう言いながら、年相応の幼さが残る屈託のない笑顔を浮かべた。
その様子を隣で見ているのは、とにかく無愛想さが印象的な少年だった。逆巻くような刺々しい髪に切れ長の三白眼、シャープな鼻といかにも人嫌いそうな雰囲気を放っている。
「そういえば、今日はミドリムシペーストではなかったな。何かあったのか?」
ソウの口調は、いつもどおり実直で淡々としていた。
ともすれば機嫌が悪いと受け取られる物言いだったが、アオイは気にすることも無くソウへ振り向いた。
「別に好きなわけじゃないよ。おカネがあれば別なのを食べるって」
「栄養対費用では高効率では?」
「いや、美味しくはないし飽きるよ。平気なソウがおかしいんだって」
「意味不明だ」
「ボクはソウの考え方が意味不明だよ……」
半分だけ閉じた瞳に力を込めて、じっとりとした視線を送る。だが、ソウは不思議そうにこちらを見た後に、視線を前に戻した。
「歩くときは前を見ろ。他の歩行者と衝突する可能性が高くなる」
「ああ、そう……」
いつもの調子にため息をつく。とはいえ、そろそろ慣れてきたものだ。積もる相方への不満を吐ききって、パッと前を向く。
「それにしてもおカネの心配をしなくていいって、いいなぁ」
「借金はまだ残っているぞ」
「でも、資源採取戦で結構いい感じだったでしょ?」
「確かに。報酬が返済額を上回る可能性が高い」
「ボーナスが入ったら、もう一回カレーとジュースをセット頼んじゃおうっと!」
生活は相変わらず厳しいが、それでも束の間の息抜きはある。
(はじめは向いてないな、って思ったけど)
以前よりも数段はマシな生活に足取りも軽かった。殺伐とした職業かと思ったが、それだけという訳ない。
就職前に抱いていた単純な思い込みを反省しながら周りを見ると、ちょうど立ち飲みの酒場を通り過ぎる所だった。
沢山の武装警備員が酒を煽りながら喧騒に埋もれている。
「他の人たちも浮かれているね」
「酔いが酷いな。緊急時には大量のアルコール分解剤が必要。非合理的だ」
「それでも、わぁってなりたいんじゃないの?」
「理解不能だ」
「二回目だけど、ボクはソウの方が――」
その時、前方の喧騒が勢いを増した。
何事かと視線を送ると、二人の男が殴り合っている。
「あ! あれ!?」
「喧嘩だな」
片方の男は相当に酔っているらしく、殴り合いとは関係の無い所で派手に転んだ。それを見た相手と取り巻きは嘲笑を浮かべながら、罵声を浴びせている。
転んだ男は起き上がる気配が無い。
けんか相手の集団は去り、喧騒は収まった。倒れ伏した男に構うことなく、聴衆はいつもどおりに通り過ぎていく。
「大丈夫かな?」
「オレたちには関係ない」
「うーん。でも、放っては……」
なんとなくのそわそわした感覚に引っ張られ、倒れ伏した男の方へ近づく。かがみながら様子を伺った。
「あの……? 誰か呼びましょうか?」
良く分からないうめき声が収まり、倒れた男が立ち上がろうとする。壁に手を付きながら持ち上げた顔には、勝気そうなギラつきが宿っていた。
やや釣り気味の目じりと色素の茶色い瞳が、生意気そうな印象を醸し出している。酒で血走った白目も、好戦的な印象を助長していた。
一方で、髪の毛は柔らかそうなウェーブヘアで人懐っこさそうな印象を与える。
どういう人物か測りかねていると、男は皮肉気に血がにじむ唇を曲げた。
「……わざわざ声をかけるなんざ、物好きだな。なんの得にもならねぇだろうに」
突き放すような言い方だったが、頬の痣と滴る血は痛々しい。大丈夫かと思っていると、勝気そうな男の前にソウが立ちはだかった。
「得というなら、そちらの行動こそ非合理的だ。多数に一人、酩酊状態と不利は明白。喧嘩を売るような状況ではないと、理解できないのか?」
「ひぃぃ!?」
その言い草に、思わず目を剥く。ぶっきらぼうで問い詰めるような口調も相まって、喧嘩を売っているとしか思えないような物言いだった。
「いや! 喧嘩を売っているソウに言われても!?」
「いつオレが喧嘩を売った?」
「今だよ! 今!」
とにかく場を鎮めるのが先決と、殴られていた男に頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! この人、無愛想で、無神経で、気遣いが致命的にできないけど、悪い人じゃないんです!」
「アオイ。説明が不適切だぞ?」
「これ以上なく適切だよ!」
自分の事を全く理解していない相棒に詰め寄る横目で、勝気そうな男が笑いを吹き出した。
「変な連中だな……」
壁に手を付いていた男が、ぐっと立ち上がる。少しふらついていたので思わず支えようとすると、手のひらを前へ突き出した。
「一人で立てる。アオイにソウだったか。……礼は言っておいてやるよ。俺も名乗っとくか」
血の付いた唇を拳で拭うと、痛みに顔をしかめながらツリ気味の瞳をこちらに向けた。
「俺はリョウだ」
「なるほど。では続きを。なぜ非合理的な喧嘩を?」
わざわざ地雷原に突っ込む相棒に、再び目を剥く。
「ソウ!? ちょっとしつこいよ!?」
そして恐る恐るリョウの方を振り返る。
勝気な瞳が、迷惑そうに細められていた。だが、怒ってはいないようだった。リョウが特大の溜息をついて、皮肉気に唇を曲げた。
「マジで空気読まないのな」
「不得意だからな」
「正面切っていう事かよ」
思わずと言った様子でリョウが吹き出し、そのままくつくつと笑い出す。柔らかそうなゆるいくせ毛をかき上げてこちらを向いた。
「変な奴だな。いいさ。ガス抜きついでに話してやるよ」
リョウが真面目な顔で、それでいて少しだけ悔しそうに語り出す。
「今日の資源採取戦に参加してたんだが、得意だったはずの狙撃であっさり狙撃を返された。んで、そのことをイジられてむしゃくしゃした。酒が入ってて手が出ちまった」
随分とけんかっ早いと思ったが、荒くれ者が多い武装警備員ならそんなものかとも思う。 そして、話の内容で色々と思い当たる事があった。
(資源採取戦か。この人とも戦ったのかな)
色々と状況を想像する。ふと、今日の資源採取戦の一幕とリョウの説明が重なった。
(狙撃って……? もしかして?)
脳裏に浮かんだのは、敵狙撃手にカウンタースナイプを決めたファルケだった。
「まぁ、相手はあの十手読みだったらしいから、そう簡単には……。それでも、俺にだって……!」
十手読みとは何の事だろうと思っていると、リョウが舌打ちをして俯いた。
「なんでガチになってんだか……。俺らしくねえ」
柔らかなウェーブヘアを振って、勝気な瞳がチラとこちらを向く。
「んで、満足したかよ。ツンツン頭」
「説明内容は理解した」
これで終わったと胸を撫でおろそうとした時だった。
「お前の相手がだが、おそらくはオレたちの先輩である――」
「変な事を聞いてすみませんでしたー!」
咄嗟に声を上げて、相棒をグイッと押す。
「ソウ! いくよ! お大事にー!」
それだけ言って、なるべく早くその場を離れようとする。グイグイとソウの背中を押していると、不審に満ちた三白眼がこちらに向けられた。
「アオイ。いきなりどうした?」
「ソウ。いま、イワオさんって言おうとしたでしょ?」
「正解だ。今日の資源採取戦で狙撃手を撃退したとなれば最も可能性が高い」
「ボクもそう思うけど、そんなこと言ったら変な空気になっちゃうよ?」
「理由が不明だ」
「もう……」
後ろを向くとすでにリョウはどこかへ向かって歩いていた。とりあえずはソウと引き離せたと知り、今度こそ胸を撫でおろす。
一息ついてあたりを見回すと、あちらこちらに酔った大人とすれ違う。
「それにしても本当に酔っている人が多いね。喧嘩にならないようにしないと」
「アオイ。最善の警戒を」
「ソウが警戒するんだよ?」
先ほどまで喧嘩を売っていたという自覚は無いらしい。特大の溜息を付きながら歩いていくうちに、酒場を通り過ぎて静かなエリアへ入った。
心地よい静けさのなか、かすかに奇妙な音が聞こえてきた。
「なんだろ? 何か聞こえてきたような?」
耳を済ますと、バスン、バスンという音が聞こえる。
「何の音だろ?」
「打撃音と推測。トレーニングルームからだな」
「この中継基地に、そんなのあったんだ」
音に導かれて進んだ廊下の奥に、ガラス張りの大部屋が見えた。様々なトレーニング器具が並ぶ中に、大柄な男性の後ろ姿が見えた。グローブをつけてサンドバックを一人殴っている。
男性は筋肉質の長身で、タンクトップを着ていた。サンドバックを叩く度に、後ろ縛りのグレイヘアが揺れる。
遠目ではあるが、その特徴に見覚えがあった。
「あの人……? イワオさん?」




