第十二話 少女と凡夫の救援の狙撃
◯局所熱帯 斑状森林
疎らな森と荒野が続くなか、四機の巨人が歩いている。サクラダ警備の小隊だった。
その中の一機に、モノノフの大鎧を思わせる肩部大型装甲板が特徴的なシドウ一式が混じっていた。鉄兜に似た頭部の下にある胸部コックピットの中で、アオイが辺りをキョロキョロと見回している。
半透明ゴーグル越しの瞳には気弱そうな印象はなく、どちらかというと期待に溢れた明るい輝きがあった。
そんな時、アオイの視界の端に通信ウィンドウが開く。目についたのは、切れ長の三白眼と不愛想に閉じられた唇だった。
「アオイ。随分と浮かれているな」
「だって、いっぱい拠点を落としたから!」
「たしかに、この戦績なら高評価が期待できるな」
「ボーナスもね!」
鼻息が荒くなるとともに、画面に映る機械の掌がこぶしを作る。その時、シノブが通信ウィンドウに映る。
「アオイ。ソウ。気は抜くなよ。まぁ、もう戦闘もないだろうけどな」
「トレージオンの噴出が減ってきたんでしたっけ?」
「そうそう。助かったぜ。さっき耳をやられてから、全然聞こえねぇ」
横をいくサーバルⅨの頭部を見る。捕食獣のごとき鋭い二眼センサーと頭頂に立つ二つの大耳が、名前の由来となったネコ科の大型獣を思い出させる。
しかし、特徴のとなる大耳の装甲は損傷して内部の電子機器が露出し、痛々しい有り様になっている。
「拡張スロット……でしたっけ? ダメージが酷いですね」
「ああ、一発でぶち抜いてくるなんてな……」
その会話にイワオが入ってくる。
「中々に才のある若者だった」
操縦士を見てきたような物言いに、おや、と眉をひそめる。
「若者って……。撃ってきた人、知ってるんですか?」
「知らぬ。だが、分かる」
ますます訳が分からなくなって、眉間へ力がさらに入ってしまう。
「どうしてです? 相手の顔、見えないですよね?」
「射撃の腕前と心理戦の拙さの乖離。早熟なスナイパーにありがち。そう推測した」
「一回戦っただけで……? そんなことが?」
「経験を積めば、どうと言う事は無い」
気負いも自慢もない物言いが、かえって凄みを帯びていた。読みの鋭さ、的確な砲撃、そして遠距離射撃。
自分が持っていない取り柄の数々に、思わずため息が出た。
「イワオさんも凄い腕前ですよね。狙撃をあんなに正確に」
そこまで言って、自分は何も持っていない事を思い出す。ソウと組んでから、自分が持っている武器の少なさを思い知らされ続ける。
シノブ、イワオと社員が増えてもそれは同じ。噂によると、サクラダ警備は少数精鋭集団だったそうだ。
四人の中で、自分だけが恐ろしく場違いな存在に思えてくる
「……才能があるって羨ましいです」
思わず心が口からこぼれだす。その声を拾ったイワオが、皮肉気に唇を曲げた。
「……ふん。才能か」
いつもは感情を押さえた声色の奥底に、仄暗い情念のうねりが流れている。
(謙遜……? いや……。これ、違う)
チリチリと肌を焼く感覚に思わず身構える。自分に対して何かを言っている訳では無いのは分かっている。だが、吸う空気があまりに重い。
水飴みたいな粘りを解こうと、咄嗟に口を開く。
「凄いですよ。羨ましくて――」
「前を見ろ」
有無を言わせぬ調子だった。
「わ、分かりました」
詰まる言葉を無理矢理に吐き出し、言われたとおりに前を見る。
ゴーグルモニターから目に飛び込んできたのは、所々に広がる泥水だった。
「沼地……ですか」
「足を取られるな気をつけろ」
四機が速度を落としながら、沼の間を縫うように進んでいく。てらてらと照り返す泥は、相応の水分を含んでいることを示している。おそるおそる、機械の足元を見た。
「思ったよりはぬかるんでない……。よかった」
どこまで足元が埋まっているかと心配したが、底がわずかに沈んでいるだけだった。ほっとしていると、一陣の風が頭部の聴覚センサーをそばだてた。
「風が……」
さざなみが沼地の表面を撫でるにつれて、視界が白くなっていく。
「これは――」
同時に、通信ウィンドウに鷹の目が映る。
「霧が出てきたな」
霧は見る間に濃さを増した。地平線が消え、遠くの沼地が白の中へ掻き消える。徐々に悪くなる視界が、不安を掻き立てる。
「随分と急ですね」
「局所寒帯からの風だな」
「局所寒帯? 初めて聞きましたけど……?」
「霧の向こうには、局所寒帯と呼ばれる雪山がある」
「こっちはこんなに暑いのに?」
「理由は不明らしい。あの山向こうにある構造物が原因らしいがな」
どんな構造物ならそんな事になるのか、見当もつかなかった。話している間にも、視界の白さは増していく。
「どんどんと濃くなっていきますね……」
とうとう、隣のファルケの影すら白くぼけてきたを帯びてきた。そんな中、通信ウィンドウにトモエが映る。
「各員、警戒レベルを上げろ。動作補正から感覚系へ計算リソースを」
手元に視線を移すと、白さが消えてコックピットの黒が映る。黒の中に見えた自分の手先に、蛍光色の仮想スイッチが浮かび上がった。
「えっと、コレくらいに……」
配分用のバーを振ると動作がぎこちなくなる代わりに、耳元から届けられる音の解像度が増す。
そんな時に、シノブの声が聞こえた。
「アタシの耳が使えればなぁ……」
「仕方あるまい。戦場とはそういう物だ」
「いっつも、何かありますからね」
「万端でなければ戦えないなど、新米の戯言だな。いつ何時……む」
その時、空気に白の絵の具を溶かしたような霧の向こうから、バサバサと飛んでくる黒い群れが見えた。
黒の翼に赤い瞳の攻性獣は、謎の地下坑道で見た記憶がある。
「コウモリ型……?」
嫌な記憶に顔をしかめていると、イワオが声を締めた。
「気をつけろ。こいつらが出た後は、他が来る」
「他って……やっぱり」
「当然、攻性獣だ」
「確かに……。坑道の時も」
坑道では、コウモリ型が現れた直後に、攻性獣に襲われた。
固唾を飲んでいると、遠くからズンという音が響く。音は数を増して近づいて来た。地面がかすかに震える頃にまでなると、ソウからの通信が入った。
「迎撃に移ります。突撃準備を――」
「待て」
「なぜ制止を」
「今はシノブの耳が使えぬ。誤射の元だ」
「誤射防止があるのでは?」
「画像認識が効くと思うな」
ソウがふむと頷いた。
「ならば、ここで」
「うむ。迎え撃つ」
迫る足音が大きくなり、霧の向こうにうごめく影が、徐々にはっきりとしてきた。
蠢く影は軽甲蟻の群れだった。霧で画像認識が阻害されるためか、敵性存在表示は点滅して安定しない。
しかし、群れの大きさは音でわかる。
「多い! ソウ! 大丈夫!?」
「問題ない。処理能力内だ」
ソウは冷静だった。
霧に白む無数の影のうち、わずかに濃い影、つまり近距離にいるものから的確に射撃していく。
(流石、ソウ! それにみんなも!)
シノブやイワオも淀みなく次々と敵を撃破していく。
「これなら何とか――」
押し返せると思った時だった。
風を切る音がかすかに聞こえ、急激に耳元へ駆け寄る。脳裏に廃墟都市での一幕が浮かぶ。
「これって!?」
腕長のケンタウロスが、骨材を掴み振りかぶる場面だった。
「伏せなきゃ!」
咄嗟に機体を伏せさせる。見れば全機がそうしていた。
直後、すぐ前からの轟音が鼓膜を叩く。衝撃がコックピットを揺らし、ビリビリと肌を震わせる。爆風が締め付けるような圧となり、操縦服から伝わってきた。
「くぅ!?」
声ともに、張り裂けるような鼓動が胸を内側から叩く。脈拍が耳から聞こえそうなほどの勢いだった。
異常なほどの鼓動とは対象的な、イワオの冷静な声が通信越しに聞こえた。
「猿人馬か……。見えぬがおそらく」
ケンタウロス型攻性獣の投擲かと思っていると、イワオの声が緊張を孕んだ。
「お前たち、動くぞ。急げ」
慌てて機体を起こす。霧でかすかに白んだファルケの機影をついていくと、すぐ後ろからまたしても着弾音と衝撃が襲ってきた。
「見えないのにどうして!?」
通信ウィンドウに映るシノブも、猫の瞳を歪めた。
「紫電渓谷では煙幕が効いたっつーのに!?」
「何らかの仕掛けが」
「イワオさん!? 何かってなんです!?」
「知らぬ。だが、おそらくはコウモリ型が絡んでいる」
コウモリ型が何をしているのか。そして、種族を超えて連携をとるメリット何なのか。まるで見当もつかなかった。
「どうやって。そもそも、なんで」
「高度な連携を取る。常識を超えて。それが攻性獣だ」
鷹の目が、一層鋭く形を変える。
「各自。分かった気になるな。死ぬぞ」
鷹の目の迫力に、ゴクリと唾を飲む。
「は……、はい」
「ワシに続いて動け。はぐれるな。次でやる」
「やる? 何をです?」
「説明は後だ」
同時に、ファルケ頭部の装甲が開放された。くちばしを開けた鷹のような頭部の中には、観測補助装置が目を光らせている。
(なんで? 狙撃は霧の中じゃ無理だと思うけど……)
狙いが分からず戸惑っていると、シノブの声が聞こえた。
「分かりました。アオイ、ソウ。大丈夫だ」
落ち着き払った声だった。
何か訳がある。不安が消えた訳では無いが、それでも呼吸を落ち着かせるだけの説得力があった。
「わ、分かりました」
「了解」
その間も、イワオが何かを呟いている。おまけに、片手で何かを操作しているようだ。
(拡張知能へ指示を? それに手で凄く速く)
その時、ぶぅんと遠くから忍び寄る風切り音が聞こえた。
「来た!」
振り返るまもなく、風切音がそばを翔け、そのまま着弾した。突き飛ばされたと感じるのほどの衝撃と轟音が襲いかかる。
「ぐぅう!?」
鼓膜どころか、全身がビリビリと震える。機体の関節も装甲も、うねるような軋みを上げていた。
「このままじゃ――」
その時、ファルケが狙撃銃を構えた。銃口が示す先につられて振り向くと、霧のトンネルができている。その向こうには、かすかに猿人馬の影が見えた。
「あれは!? 霧が押しのけられて!?」
そういうと同時に、ファルケの構える狙撃銃が火を吹いた。
「な!?」
弾丸は霧のトンネルへと消えた。ファルケが狙撃銃をしまいサブマシンガンを構えた。
「終わったぞ。残りも片付ける」
「え? え?」
なんのことか分からずに戸惑っていると、シノブの顔がウィンドウに映る。
「ぶっ殺したってことだ」
「まさか、猿人馬を? ちらっと見えただけで?」
「それができるのがイワオさんなんだよ」
喋っている間にも、投擲はこない。
霧の向こうもこちらも、平穏が戻っていた。コウモリ型の羽音が辺りに聞こえていたが、それも徐々に散っていった。
「ほんとだ……。来ない」
「イワオさんだからな! 当然だっつーの!」
通信ウィンドウに映るイワオを見る。鷹の目には誇る様子も見られず、すでに狙撃体制の解除に移っていた。
(凄いなぁ……!)
その様子にため息を漏らしていると、イワオが口を開く。
「各自、機体状況と弾薬を確認しろ」
言われて、確認を進める。
「ふぅ……。結構、弾薬を使っちゃいました」
「オレも予定を超過して消費」
「アタシも、残りがやべぇな」
資源採取戦もようやく終わりというところでの交戦であったため、仕方ないといえば仕方ないとも言える。
とにもかくにもイワオのおかげで切り抜けたのだと、弾倉を交換する。
「でもこれでなんとか――」
その時、コウモリ型攻性獣が再び視界に映る。
「え?」
顔を上げれば、周囲には再び羽ばたく黒い群れが霧の中を舞っていた。再び来たという事は。そこまで考えた時だった。
爆ぜる轟音と衝撃が機体を転がす。
「ぐぅぅぅ!?」
コックピットの中で、身体と意識をガタガタと揺らされた。
回る視界が落ち着きようやく顔を上げた時、目に飛び込んで来たのは、倒れ伏したまま動かないシドウ一式と、ぐったりとした様子のソウの顔だった。
「ソウ!? ソウ!?」
急いで駆け寄る、機体の損傷を確かめる。幸いにして、コックピットのある胸部付近に大きな損傷はないようだった。
ソウが、まだ焦点の合いきっていない三白眼を通信ウィンドウ越しに向けた。
「……直撃では。……しかし、……オートバランサーが機能不全に……」
「無理にしゃべらないで! えっと、バイタルは……!?」
「戦闘服の……防護機能は正常に……」
ソウの言うように、出血や骨折などの外傷は無いようだった。
だが、しばらくは動けない。そして何より最大の懸念があった。イワオが周囲を見回し、眉間のシワを深めた。
「まずいな。飛来物は三つ。同時にだ」
言われて地面を見るとクレーターが三つ空いていた。それぞれ、岩や巨木の残骸が散らばっている。威力を物語る爪痕を見ながら、ゴクリと唾を飲んだ。
「ということは……」
「この向こうに三体いる」
普段は感情を見せないイワオの目に焦りが浮かぶ。年季が刻まれた眉間にシワが寄り、鷹の双眸は苦々しげに細められた。
「どうする……?」
イワオがそう呟いたと同時に、背後から三連の銃声。それぞれの弾丸が、霧の中へ消えていく。
「な! 何が!?」
銃声のなる方へ振り返れば、鷲のくちばしのような頭部を持った人戦機が一気、狙撃銃を構えていた。銃口からは硝煙が立ち上っている。
「あれは……? だれ?」
戸惑っていると、ヘッドホンからややしわがれた高笑いが聞こえる。
「クハハ! 味方だ」
落ち着いて目を凝らせば、味方識別判定が示されていた。機体名はアイアンイーグルと表示されている。確かに味方だと胸をなでおろしていると、イワオが鷹の目を怪訝そうに歪めた。
「お前……。生きていたのか」
「その声は……。貴様、イワオか?」
(イワオさんと……知り合いなの?)
救援に来たアイアンイーグルが再び銃を構えた。
「貴様ら、この俺が居た事に感謝するんだな」
そう言いながら、次々と銃火を放つ。弾丸が向かう先は霧の向こうで、何を狙っているのか分かりすらしなかった。
「え? え? どうして位置が? シノブさん。分かります?」
「あてずっぽう……には見えねえな」
確かに、なにかを狙っているように見える。銃撃が終わると、辺りには静寂が戻った。コウモリ型も消えている。
救援に来たアイアンイーグルが辺りを見回し、狙撃銃を背面へ格納した。
「終わったな。帰投するなら今の内だぞ? 凡夫どもが」
それだけ言って、アイアンイーグルが駆け出す。機影は霧の中へあっという間に消えた。
ソウの機体を起こしつつ、通信ウィンドウに映るイワオを見る。救援機と知り合いに見えたが、イワオは何も語らなかった。
「イワオさん……」
「お前たち。急ぐぞ」
イワオはそれだけ言う。後は黙して語らなかった。聞いてはいけない何かがある。それだけはわかった。




