第六話 少女と狙撃とつぎはぎのマークスマン
◯フソウ ドーム都市 サクラダ警備格納庫
人戦機が立ち並ぶ格納庫。その足元に、アオイとイワオが相対して立っている。筋肉質の長身がどっしりと腕組みをして、アオイを見ていた。
「そもそも狙撃とはなんだ?」
迫力に気圧されながらも、知っている記憶を吐き出す。
「えっと……。確か遠くから狙って撃つ人……ですか?」
「違うな」
随分とハッキリとした返事だった。
「う……。すみません」
いきなりの不正解に、ビクッと肩がはねた。叱責が飛んでくるかと恐る恐るイワオを見るが、怒る様子はない。
鷹に似た鋭い目が醸し出す雰囲気は厳しい。しかし、静けさも漂っている。
「狙撃手とは、警戒心の強いタシギを撃てる者を賞賛するための言葉だ。と言ってもタシギを知らぬか」
脳裏にいつかの動物チャンネルの動画が思い浮かぶ。
説明しないと言う使命感と共に、身体も熱くなる。背筋を伸ばして指一本立てれば、たちまち舌がなめらかに転がった。
「知っています。スラっとした首と足で、長くてまっすぐなくちばしで、体色は地味な黒褐色で見つかりづらいうえに、警戒心が強い鳥で――」
「アオイ。早口だ」
氷水のようなソウの声が浴びせられ、途端に情熱が鎮火された。眼の前には、イワオが鷹の目を見開いて驚いたように立っていた。
「ほう。よく知っているな」
イワオの声は平静だった。内心でホッと胸をなでおろしつつ、
「あ、はい。この前の動画で……」
「動画?」
「あ、なんでもないです。ごめんなさい。話をそらせてしまって……」
「ふむ。スナイパーとは、という話だな」
イワオが天井を仰ぎながら目を閉じる。そして、白ひげを撫でながら話し始めた。
「長距離射撃ならば警戒されずに仕留めやすい。だが、本質は異なる」
「本質……ですか?」
「狙撃の本質とは、不意の一撃で仕留めることだ」
イワオが理由の分からない溜息をついた。
「ワシの場合は、歩兵に随行して遠距離攻撃でアシストするマークスマンに分類される」
ソウが詰め寄る。
「明確な定義をお願いします」
イワオがふむと視線をソウに向けた。
「己を悟られているか、いないか。それが異なる」
「つまり、認識されているかどうか。理解しました」
「忍んでの一撃。それがスナイパーだ。ワシとは異なる」
先ほどの戦闘を思い出す。
イワオは遠距離ではあったが、位置は悟られていた。そういった意味で、イワオの中では狙撃ではないのだろう。
(それでも凄かったなぁ……)
だが、スナイパーであろうがマークスマンであろうが、イワオの腕がはるか上である事は変わりない。先の戦闘でイワオが見せた遠距離射撃の華麗さをしみじみと思い出す。
一方のイワオは、説明を続けた。
「迷彩偵察機および機体視覚センサーで情報収集と共有。砲撃と遠距離射撃でアシスト。それがワシの戦術だ」
「砲撃……。そういえば、それもありましたね」
「迫撃砲による曲射砲撃だな。ファルケに携行型迫撃砲を装備させている」
狙撃を避けるために植生の濃い所を通った時を思い出す。風切り音の正体は、迫撃砲が放物線を描きながら空を裂く音だった。
鮮やかな砲撃を思い出し、ファルケの傍に懸架されている筒状の装備を見た。
「イワオさんの迫撃砲の形、バズーカ砲みたいですね」
「携行型に改造しているからだな。あの形状は特殊で――」
イワオの説明が続く。
ファルケが装備している携行型迫撃砲はバズーカ砲のような単純形状だ。円筒の砲身にグリップがついていて、遠目にはバズーカ砲と見分けがつかない。グリップを機体が把持して狙いを定めるところも同じだ。
違いは後端である。後端には地面と接する底盤と呼ばれるお盆のような部品がある。そこを地面にしっかりと当てて、腕部で角度を調整する。
イワオが、後はタイミングを見計らって榴弾を発射するだけだと、説明を締めくくった。
腕組みをしていたシノブが、いやぁ、と感嘆の息を漏らした。
「いつもバシッと決まるからすげえよなぁ。イナビシでも迫撃砲部隊がいたけど、あれだけ簡単にした携行型で命中させられるのって、イワオさんくらいですよ」
イワオは人戦機で角度や向きをピタリと調整する。ただそれだけでも、相当な繊細さが必要なことは分かった。それゆえ、イワオの技量の高さも推測できる。
しかし、それだけでは当てることはできない。
「どこに落ちるか、どうやって分かるんですか?」
弾の軌道はどうなるか、そもそもどこを狙えばよいかについて、知らなければならない。
「専用の計算アプリケーション。後は訓練で養った勘だ」
ファルケは遠距離向けの機体で、弾道計測をはじめとした計算を多用する戦術を前提としている。計算リソースも、積める計算アプリケーションも豊富だ。
ただし、当然ながら未熟な操縦者なら、豊富な計算リソースを機体操縦補正に使ってしまう。それゆえ、機体性能を十分に引き出せるのは熟練操縦者だけだ。
加えて、計測装置は装甲に覆われていない。その分だけ被弾が命取りになる。つまり、相手の交戦時の被弾を徹底的の抑える腕もいる。
それらの要求をすべて満たしているのがイワオだった。
その凄さに、ほぉ、と感嘆の息が漏れたが、ふとした疑問も湧いた。
「でも、砲撃をするときに、イワオさんの居場所ってバレちゃいますよね?」
「うむ。隠れての射撃ではない。だからスナイパーではないな」
「でも、スナイパーもできそうですけど……」
あれほどの遠距離射撃ならば、隠れての不意の一撃もできそうだと思う。だが、イワオは自嘲を浮かべた。
「凡才には荷が重いな」
「凡才って……。あんなに遠くから正確に撃ってくるのに」
「天才に遭えば分かる。否応なしにな」
イワオの唇は嘲りに歪んだままだった。嘲笑はイワオ自身に向けられたのだろう。イワオほどの腕を持った操縦士に、そんな表情をさせる存在など、想像もできなかった。
(ボクは、才能なんてあるわけじゃないけど)
それでも、ほんの少しずつではあるが得意なこともできてきた。得意でないことも、頑張れば追いつけるかも知れないと言い聞かせて練習に励むこともある。
だが、励みたくなる意志もへし折るような存在がいるのかも知れない。そんな存在の前に、膝を屈する姿を思い浮かべる。
「遭いたくは……ないですね」
「だが、いつかは出会う。己の才など足元にも及ばないような存在に」
イワオの言葉は、実感による重さを伴っていた。
その重さは講評の場には過剰だった。何かを言おうとして押し黙る。それを二、三度続けた後に、パンパンという手拍子が淀みかけた空気を払った。
音の元を向けば、トモエが手を叩き締めに入ろうとしていた。
「今日の講評はここまでにしよう」
トモエが重い空気を散らしたおかげで、肩に籠もった力が抜ける。ほっとしていると、トモエがイワオを向いた。
「イワオ。復帰直後にすまない」
「問題は特に」
イワオは淡々と、しかし確かな芯と共に応えた。
「さすがだ。日頃の節制か?」
「プロとしては当然です」
答えは短い。端的かつ迫力のある言葉が、場の空気を引き締めた。自然と居住まいを正していると、トモエがイワオを向いた。
「では、私たちは居室に向かう。イワオ。ついてこい」
「了解です」
そう言ってトモエたちが格納庫から去っていく。その後ろ姿を眺めつつ自分の未来を想像するが、頭の中にはまったく具体像が浮かばなかった。
◯サクラダ警備社屋 オフィスルーム
トモエとイワオがオフィスで机上情報端末に向かっている。キーボードと音声指示を併用しながら次々と拡張知能への指示を飛ばしている。
イワオが凹凸の目立つ鍛えられた肩を回した。仕事が終わった気配を察したトモエが、イワオを向く。
「イワオさん。お疲れ様です」
トモエの声は、格納庫での芯の通った調子よりもいくぶん柔らかい。イワオが眉間のシワを寄せながら、鷹の目を細めた。
「社長……。いや、その呼び方ということは」
「トモエで構いませんよ」
力を抜いて、イワオが作業服越しでも分かる大きな上体を背もたれに預けた。ふぅ、と小さく息を抜いてちらりと鋭い目をトモエへ向ける。
「まだ、勤務時間内だが」
「それでもです」
「らしくないな。何があった?」
「あの事件からガタガタでしたからね。たまには気を緩めて話をしたくて」
あの事件と言われて、イワオが目を鋭く細めて白ひげを撫でた。
「ワシらが離脱した、あの任務か。あれは大変だったな」
「本当に……」
社員の全員が大怪我を負うほどの事態だった。当然、社員が動いていない間も、給料や維持費は発生する。当然、経営も悪化する。そこまで考えて、イワオの頭にアオイとソウの顔が思い浮かんだ。
「代わりに入ったのがあの二人か」
「そう言う事です。ソウは研究所から。アオイは中途ですね」
「なるほどな」
「イワオさんから見てどうです? あの二人」
この会社にふさわしいかどうか。質問に対する回答の意味は重い。
「ワシがあの二人の行く末を決めるほどの眼は持っておらんが……」
イワオは白ひげを撫でながら考え込んだ。しばらくして、乾いた唇を開ける。
「まだ判断はつかない。だが」
「何かありました?」
「天賦の輝きは持っていない」
才能がない。平たく言えば、身も蓋もない評価だった。トモエの端正な唇が、苦笑いに歪んだ。
「それは手厳しい。イワオさんの場合、自分にもですが」
「セゴエやジョウと比べれば、自然とそうなる」
セゴエは言わずと知れた天才だった。そして、ジョウと呼ばれた人物を思い出す。
ジョウはイナビシにいたスナイパーだった。イワオがセゴエと並んで挙げる意味を、トモエが噛みしめる。
「ジョウさん。この頃は、名前を聞きませんね」
「死んだという話は聞いてないが……。だが、ここはウラシェだ」
「行方不明なんて珍しくもない」
「うむ」
イワオが深くうなずく。
そして、再び前を向いたイワオの顔には、アオイたちの前では見せなかった迷いが浮かんでいた。
「そういえば、聞きたかった事が……」
「なんです?」
イワオが言葉を続けようと口を動かす。しかし、声にはならなかった。
乾いた唇は動きを止め、鷹のような瞳はうつむいた。
「……いや、なんでも」
「聞きたくなったら、いつでも」
「そうさせてもらおう」
そうして再び、二人だけのオフィスに静寂が戻る。
しばらく作業を続けていたイワオが端末を操作すると、机上のディスプレイから光が消えた。そして、立ち上がり長身を伸ばす。
「では、あがらせてもらおう」
「お疲れ様でした」
立ち上がったイワオが、トモエへ軽く会釈して去っていく。
「ジョウ……か」
イワオがつぶやくその名前には、熱と苦さの両方がこもっていた。




