少女と社長と大人の隠し味 後編
○サクラダ警備社屋 簡易キッチン
皮をむかれた玉ねぎが、まな板の上に横たわる。それに相対するアオイがぐっと包丁を入れた。アオイの目には涙が滲んでいる。
「目にしみる……」
涙を拭っていると、隣に立つトモエがクスクスと上品に笑った。
「そういえばそうだったな。もう涙も忘れてしまったよ」
そう言われて、トモエの方を向く。瞳の代わりに、大きな傷痕と無機質なバイザー型視覚デバイスがあった。
トモエの手元からは小気味よくトントンと音が弾む。包丁の動きは規則的で淀みがない。思わず感嘆の声が出た。
「トモエさん、すごく切るのが上手ですね」
「んー? そうか? ありがとう。たくさん切ってきたからな」
「切るたびに泣きそうです」
「確かにな。昔は私もよく泣いていた」
どれほど前から料理を作っていたのか。ほとんど知らないトモエの過去をあれこれと想像する。そうしている間に、トモエのまな板に山盛りの玉ねぎが積み上がった。それを火がかかった鍋へ入れる。
「玉ねぎ、いっぱい入れるんですね」
「沢山切って、炒めて煮込む。それが美味しいカレーのコツだよ」
「泣いてでもですか?」
「そうだ」
美味しくなるには随分と苦労がいるのだと感慨にふける。手際よく具材を炒める手さばきに、思わず見入る。
「それにしても慣れてますね。料理が趣味だったんですか?」
「ああ。人に振る舞うのが楽しくてな」
「誰に作ってたんですか? 家族とか?」
「セゴエさんだ」
「え! どういう関係だったんですか?」
「バディだった」
そこへ、じゃがいもを切り終わったシノブが割り込んできた。
「アタシが入る前ですか? 部隊指揮をしているトモエさんしか知らなくて」
「そうだ。私が人戦機に乗っていた頃の話だな」
「噂は聞いています。凄かったって」
トモエの戦いぶりは分からないが、セゴエの戦いぶりはよく知っている。
廃棄都市での戦闘で助っ人に来た時は、最小動作での回避、高精密ヘッドショット、そして壁のぼりなど、ソウでもできない神業をやすやすと披露していた。
「ワタシも見ましたけど、セゴエさんの操縦は本当に凄かったですね」
「ついていくのが大変だったよ。はしゃぎ回る子どものように戦場を駆けるからな」
「戦場を駆ける……。ソウみたいな感じですか?」
「言われてみれば、アオイとソウの関係に似ているかな? セゴエさんは本当に敵を倒すのが早くて大変だった」
今ではソウと息も合いつつあるが、最初の頃はついていくのが大変だった。似たような苦労をトモエもしていたのだろうかと想像する。
(慌ててついていくトモエさんかぁ……)
想像が固まりきらない時に、トモエが玉ねぎ以外の具材もサッと炒めて水を注ぐ。一息ついたところで、トモエがポソっと呟いた。
「それである時、夕飯を食べさせてくれって頼まれたんだ」
「どうしてです? ……付き合っていたとか?」
「いや……。付き合っては……なかったな」
歯切れの悪い返答には、形になりきれない意味があふれていた。
全くの興味がない相手だったら、そんな調子で答えないだろうと察する。トモエの薄い唇も、さみしげに形を変えた。
鍋に浮かんだアクを取りながら、トモエが言葉を続ける。
「理由はセゴエさんの金欠だ」
「え? あんなにすごい人が?」
「なんでも、スラムで子どもたちに泣きつかれて、所持金全額で食べ物を買って配ったそうだ」
「ご、豪快ですね。いや、豪快というか無邪気というか……」
「まるで子どもみたいだろ? それが口癖だったな」
そう言われて、セゴエと遭った日を思い出す。ソウとすれ違い、焦燥しきっていた時にばったり遭って、あれよあれよとカレーを奢られた日だ。
歴戦の戦士にふさわしい堂々とした態度。年相応に刻まれたシワ。精悍な風貌に不釣り合いな、キラキラとした少年みたいな瞳が印象的だった。
トモエがスティック状の小袋を開ける。トマトが描かれた小袋をしごくと、赤いピューレが飛び出て、鍋へと沈んだ。
「ワタシに奢ってもらったときも、ガキみたいだろ?って言ってましたね」
「口癖どおりの人だったよ」
嘘がバレた時の慌て様に、無邪気な開き直り。たしかに屈託のない子供のようだった。
「ちょっと良い所を見せようとしてカレーを作った訳だ」
「それは喜んだでしょうね! カレー、美味しいですから!」
「アオイは本当にカレー好きだな」
トモエが苦笑いを浮かべる。
カレー愛を語るのに少し気合を入れすぎたかと反省していると、トモエがブイヨンと書かれた拳大の容器から茶色いキューブを摘む。ポチャンと鍋にキューブを入れた後、トモエがはにかむ笑顔を浮かべた。
「確かに喜んでくれた。初めて作ったと言ったら記念写真を撮るくらいにな」
「それは相当ですね……。どんな写真ですか?」
「見せるのか? うーん……少し照れるが」
薄い唇が悩ましげに歪む。しばらくして、ふっと緩む頬。分かったよ、と言いながらトモエが携帯型情報端末を取り出す。
「……これだな」
そうして、画面を向ける。そこには若き日のトモエが、年相応の照れ笑いを浮かべる画像が表示されていた。トモエの素顔を見て、シノブと一緒に息を呑む。
「え! 美人! まつげ凄い!?」
「噂には聴いていたけど!? チィチィさんレベル!?」
形のよい輪郭と鼻筋にふさわしい、力を感じさせる瞳。まつ毛の一本一本までが、妥協なく作られたかのような美貌だった。ほー、と感嘆の声をシノブが上げる。
「こんな美人に手料理を振る舞ってもらったら、セゴエさんもいい感じだったんじゃないですか? その後は?」
「セゴエさんの交際相手に睨まれた」
「ええ?」
予想外の一言に、シノブと一緒に首を傾げた。トモエが携帯型情報端末を操作して、タイマーをセットする。その後に、薄い唇を少しだけ尖らせた。
「全く……知らせてくれれば良かったのに。彼女さんには、悪い事をしたよ」
セゴエなら無邪気にそういう事をやりそうと納得する。そして、ふと湧いた疑問を口にした。
「そういえば、トモエさんの方でそういう人は?」
「私もそれからしばらくして、好いてくれる人が現れた」
「まぁ、あれだけ美人なら。それで?」
「その人と付き合い始めた。私もそういう関係に憧れがあったからな」
トモエにも恋に憧れる一面があると知って、納得したが驚きもした。
「その付き合った人とはどうなったんです?」
「しばらく続いたが、結局は別れた。振られてしまったよ」
「そうですか……」
その話を聴いて、シノブが納得いかないといった顔をする。
「しっかし、トモエさんみたいな美人を振るなんて」
「見抜かれていたんだろうな。心ここにあらずって事を」
「どういうことです?」
「セゴエさんが、交際相手と別れたんだ」
トモエが深い溜め息を吐いた。重く長い溜息だった。
「随分と不義理な事をしたよ。怒るのも無理はないと思う」
「そこまで気にすることですかねぇ」
シノブが腕を組みながら首を傾げた。
「それで? 次はセゴエさんと?」
「いや、その頃には別の人と付き合っていたな」
「あー……。モテるんですね」
「腕は抜群。性格もあんな感じで根っからの善人だ」
セゴエを語るトモエは、どこか嬉しそうだった。
「あとはすれ違いの繰り返し。ツイてなかった。そのうちに目をやられてバディは解消」
「そういえばどうして操縦士をやめることに? そのバイザーで見えるんですよね?」
「バイザーと人戦機の脳波読み取りが干渉するんだ」
傷跡を掻くトモエの笑顔がさみしげな物に変わった。
理不尽を泣きたくても、泣けない。そんな日々があったのだろうかと思いを馳せていると、隣のシノブが腕組みしながらうんうんと頷いた。
「なるほど。アタシが入った時は指揮官だったから、その頃しか知りませんでした。おっかない人がいるなー、って」
「何? 私の事をそう思っていたのか?」
「トモエさん、普段の話し方はビシバシって感じでしたから。一対一で話すと、ガラッとイメージが変わりましたけどね」
「意外だな。自分がそう思われていたとは知らなかった」
「トモエさんでもそんなことがあるんですね」
「そんな事だらけだよ」
トモエが困ったように傷跡を掻いた。
作戦となれば冷静沈着。全てを読み切れる訳ではないが、それでも切れ味は相当のもの。テキストの編集一つでもわかりやすく知性が光る。
(トモエさんでも、ボクと同じように思うこともあるんだなぁ)
見上げてばかりのトモエがいつの間にか隣にいて、肩を組んでくれるような感覚だった。トモエが静かに語り続ける。
「怪我のあとは部隊指揮官へ転属。セゴエさんとも接点はあったが、徐々に距離も開いていった。指揮官も悪くはなかった。だが、色々と思うこともあった。それで独立」
シノブが腕を組みながら感慨にふける。
「あんときゃビックリしたなー。まさかトモエさんが辞めるなんて」
「私の方が驚いたぞ。イナビシを辞めて、こっちに来るなんて。シノブ以外にもゾロゾロきたからな」
「まぁ、アタシもそうですが、みんなトモエさんに借りがあったり、トモエさんの腕に惚れ込んだり……って所がありましたから」
「引き抜きしたと勘違いされて大変だったんだぞ?」
トモエがやれやれと肩をすくめる。二人の会話の横で、初めて会った時の事を思い出した。ソウに連れられトモエとあった時の事だ。
(あー。だから初めて会った時、ボクが引き抜かれたんじゃないかって焦ってたのか)
トモエをよく知る前だから気づかなかったが、思い出してみれば狼狽ぶりは極端だった。なるほど、と納得している横でシノブが会話を続ける。
「それでもイナビシから仕事を回してもらえるくらい、貸しがデカかったんでしょ?」
「まあな。真面目に働いていて良かったと思っている」
「イナビシにトモエさんあり、って感じでしたから」
そう語るシノブはとても誇らしげだ。自分のことでは無いのに嬉しそうに語る様子は、とても微笑ましい。トモエも、ニコリと柔らかな笑顔を返す。
「チサトがいなければ、辞めさせてもらえなかったろうな」
「チィチィさん、すげえ頑張っているみたいですよ」
「知っている。チサトは優秀だよ。とても努力家だ」
この前、スイーツ食べ放題で会った容姿端麗な女性を思い出す。
「それで、独立してからはとにかくバタバタしてたな。いや、今もか」
「ワタシが入ってからも、ずっと忙しそうですからね」
「全くだよ。経理用や法務用の拡張知能をフル活用しているが、それでもだ。たまの息抜きが料理だな」
トモエが、クツクツと煮えるカレーをかき回す。そして、キッチンの引き出しから小皿を、棚からカレー粉と書かれた袋を取り出した。手際よく袋の口を開ける。
その瞬間、食欲を刺激する香りが鼻孔をくすぐった。
(わぁ、いい匂い。カレーって感じ)
トモエがカレー粉を少しずつ鍋に注ぎ、その度に小皿にカレーをよそう。スッとひとくち味わって、更にカレー粉を足す。それを何度か繰り返すと、手が止まった。
「カレーを作るたびに色々と思い出すよ。辛かったこと、楽しかったこと。もうダメだと思ったり、思わぬ助けが入ったり。本当に色々だ」
カレーを見ながら、サクラダ警備に入ってからの事を思い出す。
辛いかった時にソウに出会い、トモエの前まで連れてこられた事。ドタバタがあり、今も相棒に引っ掻き回される事もあるが、寂しさはない。
トモエにも同じような思い出があり、それが溶け込んでいるからこそ、その言動に重みがあるのか。
そんな事を考えていると、携帯型情報端末のタイマーが鳴った。
「お、時間か」
そう言って、最後の味見をするトモエ。うんうんと頷くと、トモエの頬が緩み、ほんのすこし桜色に染まる。
どんな味なんだろうと、待ちきれなかった。
「どうです?」
「良い感じだ。玉ねぎも溶けるくらいになってる」
「玉ねぎ、美味しいですよね。ワタシ好きです。涙を流した甲斐ありました」
「沢山の玉ねぎも煮込んでしまえば味になる。そういう物だ」
そう言って、トモエが平皿を出して炊けていたご飯をよそう。手際よく盛り付けて、カレーをかけた。
トモエに言われてシノブと二人でキッチンの隣にある休憩室へ向かい、コップやスプーンをテーブルの上に並べていく。
「カレー、楽しみですね。……あ」
「どうした?」
「シノブさん。その……、味が」
「トモエさんも知ってるよ。その上で作ってくれるって言ってるんだ。大丈夫だろ。」
シノブと二人で待っていた。まだかまだかと心待ちにしていると、鼻をくすぐるスパイスの香りが強くなる。目を向ければトモエがカレーを持ってきた。
「こっちの皿はアオイの分。シノブの分は追加のスパイスをたっぷり入れた。さぁ、どうぞ」
目の前に置かれたカレーから、ふわりと立ち上る湯気と香り。まるで食べる人を誘い込むような魅力に酔いそうだった。
泣くほどにたくさん刻んだ玉ねぎを、丁寧に炒めて溶かし込んだ特製のカレー。艶やかな照りの向こうに閉じ込められた旨味を想像すると、鼓動がかつて無いほどに高まってくる。
思わず生唾を飲んで、トモエに視線を送った。
「も、もう食べてもいいですか!?」
「もちろんだ」
「頂きます!」
素早くスプーンを取り、カレーとライスを半々ずつすくい取る。理想の比率に満足すると、 人からは小ぶりと言われる口を目一杯にあけて、スプーンを口に突っ込んだ。
まず広がるのはカレーの刺激的な辛味。それが舌に火を灯し、食欲と情熱をたぎらせる。そして香辛料によって温まった口の中に、米と溶かし込んだ野菜の甘味が染み渡る。
香辛料の刺激的な辛味、野菜と穀物の優しい甘み、全体を引き締める塩味、隠し味と思われる酸味。それら全てが複雑に交錯しながら舌で踊り、脳髄で弾ける。
声を出さずにはいられない。思わず手を口に添えて、興奮を言葉に換える。
「わぁ、美味しいです! すごい! お店のよりも、ずっとずっと美味しい!」
直後に隣で上がるシノブの歓声。
「うんめー! 調味料かけまくったのとは違って、まとまった味がする!」
「そうか、それはよかった」
少し心配そうだった唇を緩め、トモエが安堵の息をつく。普段より一層柔らかな笑み。
仕事場で見せる怜悧さを滲ませる頼りがいのある笑顔。奥底に芯の通った、トモエにふさわしい笑みが好きだった。
しかし、木漏れ日を揺らめかせる柔らかなそよ風のような笑顔。目の前にある普段とは違う笑みも好きになった。
そして、微笑んだままトモエが感慨に深く呟いた。
「誰かのために作ったのは久しぶりだ。人のためと言うのは心地よいものだな」
人のために何かをして喜んでもらう。相棒のためにと頑張ってきたが、まだまだ及ばない事を思い返す。
「そういうの、憧れます」
「アオイも人のために働いているじゃないか」
なんのことだろう、とパチパチと瞬く。こちらを見つめるトモエが一層笑みを深めた。
「クドウさんのところの救出任務もそうだ。その前のヒノミヤさんの防衛任務だってそう。二人とも本当に感謝していた。また仕事を任せたいと言ってもらっている」
「そうだったんだ……」
「アオイのおかげだ。明日も頑張ってくれ」
「分かりました!」
鼻息荒く、心のなかで拳を握る。そして、カレーを食べ続けているうちに、ふと警戒センサーが反応する。まさかそんな事はあるまい。そう思いつつも、念のためとカレーを飲み込み、疑問を口にした。
「……明日は普通どおりですよね?」
「あ」
トモエが、口を開けたまま一秒ほど止まった。そして、携帯型情報端末を取り出して予定を確認する。そして、深い溜め息を吐いた。
「……明日は午後からだな。ソウにも送っておこう」
トモエの誤魔化すような笑いにつられて、シノブと一緒に微笑む。穏やかな笑い声と、カレーの香りに包まれながら、アオイは明日への気力を養った。




