少女と怪我と日頃の備え 前編
◯黒曜樹海
黒曜樹海では、黒の葉が天井となって空を遮っている。折り重なる樹冠からわずかに差し込む光が、二体の巨人を照らす。モノノフの鉄兜を思わせる頭部が、光で浮かび上がった。肩には盾に桜の社章もペイントされている。二機は、サクラダ警備が保有するシドウ一式だった。
二機は軽機関銃とアサルトライフルをそれぞれ携えている。銃口の先に、赤い三つ目が暗がりに浮かんでいた。幽鬼のように揺れる赤い光点を、シドウ一式の視覚センサーがじっと見つめる。
視覚センサーが捉えた画像を、アオイがゴーグルモニター越しに見ていた。赤い三つ目を取り囲む敵性存在表示には、攻性獣と表記されている。
アオイが赤い四角をじっと見ていた。
「ソウ! そっちは!?」
モニター端に映る通信ウィンドウへ視線を送る。切れ長の三白眼には、微塵の動揺も見られない。
「想定の範囲内。対処可能だ」
「じゃあ、このまま」
「ああ、殲滅する。銃撃のタイミングを合わせろ」
「わかった。援護するよ」
「では、オレが突っ込む」
そう言って、ソウ機背面の偏向推進翼から光の粒が吹き出した。輝線を曳いて、ソウ機が矢のように駆ける。
「いくぞ」
ソウ機が飛び蹴りを繰り出した。脚を突き立て、軽甲蟻を横転させる。
「そこだな」
着地ざま、銃撃を叩き込む。弾丸の群れは、柔らかい腹部を食い破った。
「撃破」
ソウが呟いた直後、甲殻をまとった巨獣たちがソウ機を取り囲もうとする。だが、ソウに焦りはない。
「アオイ。頼む」
ソウが呟いた信頼を胸に仕舞い、気を張り詰める。
「了解! 援護するよ!」
気合と共に軽機関銃を掃射する。狙いは定めず、なるべく沢山の攻性獣を撫でるように。そうすることで、攻性獣の攻撃優先を混乱させる。
ここまですれば、後はいつもどおりだ。
「ソウ! 任せたよ!」
「了解」
機械仕掛けのモノノフが舞う。
その度に、格闘の打撃音と銃声が折り重なるように鳴り響く。
しばらくすると、暗い木立に静寂が戻った。あたりには、黄色い血肉と甲殻の破片が飛び散っていた。すでに動かなくなった攻性獣の死骸を眺めて、ふうと一息をつく。
「こっちはなんとかなったけど」
「他の箇所はどうなったか」
そう思ってあたりを見回していると、木立からサーバルⅨが背面から近づいてきた。通信ウィンドウにシノブが映る。
「あ、シノブさん。そっちはどうでした?」
「なんもなし。アオイたちもみたいだな」
「はい」
「シフト上がりまで、もうちょいか。今んところは共同請負先でも問題なし。このまま無事に終わりてぇな」
「フタミさんたちも、大丈夫かなぁ」
その名前を聴いて、シノブが頬を掻いた。
「あー、一緒してるやつら、アオイとソウの知り合いなんだっけ?」
「はい。この前の合同研修で一緒になって」
「一発で合格だっけ? やるじゃん」
「ソウのおかげもありますけどね。あとフタミさんも」
「フタミって、あの大人しそうな――」
その時、暗い木立から銃声が響く。人戦機が攻性獣を追い立てるように駆けてきた。通信ウィンドウにギラギラと血走った目を輝かせ、サディスティックな笑みを浮かべる女性が映った。
「あははぁ! いくらでもぶち込んであげるわぁ!」
嘲るような高笑いと共に放たれた銃弾は、攻性獣を穴だらけにした。
その様子を見ていたシノブが、通信ウィンドウをまじまじと見ながら眉を潜める。
「今日の連携先、あんなヤツいたっけ?」
「あれがフタミさんです」
「はぁ!? いや! 事前ミーティングと全然ちげぇぞ!?」
「ワタシもそう思ったんですけど、名前を見れば」
シノブが猫の瞳を細めて、首をかしげながら何回も画面を見た。そして、降参したように深いため息を吐く。
「マジだ……。信じらんねぇ」
「ですよね……」
「と、とりあえず哨戒を続けるか」
フタミはやたらと圧のこもった挨拶とともに、シノブは黙って担当エリアに戻っていった。
周りがソウ機だけになった後、静かで退屈な時間が流れていく。シフトが終わったら何を食べようかと考えていると、ソウから通信が入った。
「そろそろ担当時間が終了するな」
「そうだね。なにもなく済みそう――」
そう思ったときだった、突如通信ウィンドウが響き、フタミの血走った目が映る。
「アオイさぁぁん! そっちにも群れが行ったわよぉ!」
「ひぃぃ! ありがとうございます!」
悲鳴混じりの礼の直後、ソウから限定通信を入った。
「彼女は叫んでいるが、何か怒っているのか」
「いや、怖いけど違うよ」
「そうか。そういった判断は不得手だから、感謝する」
「どういたしまして。で、フタミさんの言っている攻性獣は……」
「こちらで確認した。位置を転送する」
ソウから受け取ったデータを元に、モニターへ新しいマーカーが映った。視線をそちらへ向けると、暗がりがズームインされていく。
「見えた」
見えてきたのは、甲殻の小山にも見える攻性獣だ。
「あれは……」
「未確認形状の攻性獣だな」
「ボクも見たことないね」
「対処方法が分からないな。突っ込んで即時殲滅を目指すべきか」
「いや、結構危ないと思うよ」
「なぜ分かる。いや、いつものか」
「うん。あの攻性獣、ダンゴムシやアルマジロに似ている」
楕円球を半分に割ったような形状は、まさしくダンゴムシだった。三対六本の脚は母星のダンゴムシとは異なるが、それ以外は一緒だった。
「なるほど。両方とも知識にはない生物だが、参考元が存在すると」
「うん。それで、あの攻性獣は丸まってくる。たぶん」
「丸まる? 何を指している?」
「えっとね――」
説明しようとした時、攻性獣が丸まり、甲殻に包まれた球と化した。そのまま猛烈な勢いで、木々をへし折りながら転がってきた。
「あんな感じ!」
「なるほど! 理解した! 後退しながら銃撃!」
反転し、疾走。しかるのち再び反転し、銃撃。森の暗がりを、曳光弾が一文字に割く。
しかし、攻性獣を貫くはずの光条は、跳ねるように向きを変えた。
「弾かれちゃう!」
「想定外の堅固さだ!」
弾丸は甲殻に火花を散らすばかりで、攻性獣の勢いは止まらない。舌打ちと共に、ソウが三白眼を歪めた。
「アオイ! 後退だ!」
「わ、わかっ――」
ガツンという音が足元から聞こえた。同時に、つま先へ圧が掛かる。戦闘服の感覚フィードバックシステムが再現するつまずく感触だと理解した時には、メインモニターに地面が迫っていた。
「あ、まずい!?」
人戦機が自動的に受け身をとった。転倒と同時に、戦闘服の人工筋肉が関節を固定し、シートベルトが締まる。
「ぐぅぅ!?」
緩衝装置付き操縦席がぐわんと揺れた。いくらか和らいだ衝撃が身体を揺らす。
「くっ……!」
思わず漏れ出た苦悶へ被せるように、ソウが叫んだ。
「アオイ! 前!」
言われて前を見ると、攻性獣との距離がだいぶ詰められていた。
「わわ!? まずい!」
「手榴弾!? いや、このタイミングでは!」
その瞬間、甲殻の巨塊と化したはずの攻性獣が砕け散った。
「え!?」
爆散する黄色い肉片の向こうに、無反動砲を構えたフタミ機が見えた。直後、通信ウィンドウに、やたらとギラついた双眸が映る。
「アオイさぁぁん! 無事だったかしらぁぁぁ!」
「ひぃぃ! ありがとうございます!」
相変わらずの迫力に思わず悲鳴を上げてしまったが、とにかく無事に済んだ事に感謝した。その後は何事もなく、無事に任務が終了した。
◯開拓中継基地 合同休憩室
休憩室で、ソウとアオイが揃って座っていた。アオイは、ミドリムシペーストが注がれたカップを持っていた。
アオイは、食欲をそそらない色をしたカップを一瞥した後に、ため息を漏らした。
「あーあ。今日もこれかぁ。早く給料日にならないかなぁ」
「生活資金が苦しいのか。返済額はそこまで高くは設定していないはずだが」
「やっぱりお姉ちゃんの捜索費とかなるべく払いたいし……。あとは、いざって時の備えもしたいから、貯金もしないと」
「いざという時? 具体的には?」
「うーん。なんだろう……。なんとなく不安というか」
確かにサクラダ警備に来てからは、暮らしぶりも上向きになっている。しかし、今まで積み重ねてきた不運を思うと、どうしても不安は拭えなかった。何か見落としている事があるんじゃないかと頭を捻っているときだった。
「アオイ。ところで、相手をしなくて良いのか」
「どういうこと?」
「隣を見てみろ」
「ソウがいるだけじゃない?」
「こちらではない。反対だ」
「え? 何を――」
振り返れば、うつむき気味で前髪が目に隠れがちな女性が、すぐそばに座っていた。
「ぅえ!? フタミさん! いつから!?」
「一分半前からいたな。アオイに三回ほど話しかけようとしていたぞ」
「ソウ! じゃあもっと早く教えてよ!」
「気づく素振りがなかったことから、意図的に無視している可能性が高いと判断した」
フタミが聞こえるか聞こえないかの声で、ぼそぼそと口を動かした。
「あの……、わた……、迷惑……、無視しても……」
「いや! そんな事ないですよ! 無視なんてしないです!」
「そ……よか……」
フタミの口元が僅かに緩んだ。なんとか危機は切り抜けたと安堵の息を吐き、くるりとソウへ振り返る。
「もう! ソウ! 変な事言わないでよ!」
「叱責の理由が不明だ。観察から最も確率が高い可能性を指摘しただけだ」
「だとしても! なんかこう、気遣いとかさ! いや……」
自分で言うだけ非現実的な願望だと悟る。
(ソウにそこまで期待するのもなぁ……)
この頃は気遣いらしきものも芽生えてきた分だけ、予想外に喜ばしいことなのかもしれない。そう思うことにした。
「どうした」
「何でも。ゆっくり見守っていこうと思っただけ」
「何がだ。何を観察するつもりだ?」
「それよりも、フタミさん」
詳しく説明するだけこじれるだろう。そう思いながら、フタミの方へ振り返る。
「気づかなくてごめんない。なにかワタシに?」
「いま……、二人……、怪我……」
ボソボソとしたフタミの声を聞き取るべく耳をそばだてていると、肩越しにソウの声が聞こえた。
「なぜはっきりと喋らない。コミュニケーション効率が低下している」
「ソウ!? 何を言ってるの!?」
しかし、ソウは止まらない。
「コミュニケーション能力に何か問題があるかと推察したが、先程は明瞭に話していた。つまり能力の問題ではない。何か意図があるのか?」
フタミは理由も分からず、おろおろとするばかり。
「あ……、え……、わた……」
「任務中の声量で頼む。理由があるなら明示しろ」
ソウの声がトゲを纏う。
「ひ! あ、え、あ……」
思わずフタミが身構えた。だが、ソウは詰問を緩めない。
「回答は明瞭に。コミュニケーションは効率的な方が望ましい」
「あ、え……なん……、食い気味……」
「コミュニケーションは効率的な方が望ましいと言った。複数回の同一指摘も非効率的だ」
切れ長の三白眼には力が籠もり、シャープな眉は釣り上がる。無愛想な仏頂面から、不機嫌な仏頂面へと変わっていった。
ますます怯えるフタミの前へ割り込み、ソウを押し戻した。
「ちょ! ストップ! やめて!」
「なぜ会話の邪魔をする。効率を要求しただけ。意味が不明だ」
「そんなに食い気味で来られたら誰だって嫌なんだって! 話せることも話せないでしょ!? 事情を話すから!」
いかにも納得していない、という表情を浮かべるソウへ、フタミの事情をとうとうと言って聞かせる。
「人戦機に乗っているときだけか。理解はできないが、事情は記憶した」
「詰め寄る前にじっくり聞けばいいのに。あのね、ソウ。効率効率ばっかりで、食い気味にきちゃダメだからね?」
「理由が不明だ。それは非効率的では?」
「トモエさんも言ってたでしょ? 最短距離ばかりではダメだって。今は回り道した方が効率的なんだよ?」
「む……。正確に理解はできてないが、了解した」
ソウは恩人の名前に弱い。少々こじつけ気味だったが納得はしてくれた。
(トモエさん! いつもありがとうございます……!)
感謝を捧げた後、フタミの方へ振り返る。未だに怯えているフタミへの申し訳なさが、声を柔らかくした。
「ごめんなさい。それで、怪我のことでしたよね?」
「怪我……心配……保険……色々」
「え? 保険ですか? そういえば、考えたことなかった」
「武装警備委員……保険……ちゃんと……大事」
「でも確かに……。」
万一の怪我などで働けなくなったとき、保険があればなんとかる。そう考えれば確かに大事だ、と思っていたときだった。
ソウが、疑問を浮かべた三白眼をこちらへ向けた。
「アオイ。彼女の発話を理解できるのか?」
「え? うん。まぁ」
そんなに難しいことだろうかと思っていると、腕組みをしたままソウが首をかしげる。
「リコの件といい、理解不能だ」
「そうかなぁ?」
「とにかく、オレには解読不能だ。通訳を頼む」
「えぇ。リコちゃんもそうだけど、またぁ?」
なんでまた面倒なことを。そんな本音が口から零れそうなときだった。ソウの目がギラリと釘を刺してくる。
「貸しは?」
その言葉に、うっ、と息を詰める。
(また、このパターンかぁ……)
面倒な依頼も断れない。相棒への借金を思い出しながら、アオイはため息を吐いた。




