少女と仲間と満腹の不幸 後編
○フソウ ドーム都市 スイーツビュッフェ
スーツビュッフェの一角に、アオイとシノブとリコとチサトとトモエの五人がテーブル席に座っていた。
アオイが振り返って、後ろの席の集団を見ていた。そこにトモエが話しかけた。
「アオイ、知り合いか?」
「はい。ヒノミヤさんとミズシロさんの社員です。帰り道でばったり会って」
三人は、土壌ベンチャーであるヒノミヤたちの部下である、シモカワとナカムラとカミヤマだった。
「そうか。顔見知りなら挨拶ぐらいはした方がいいか。悪いがアオイも一緒に来てくれないか」
「分かりました」
「ありがとう」
「いえ。これくらいなら」
トモエとアオイが席を立ち、カミヤマたち三人へ声を掛ける。一通り挨拶を交わしたあと、トモエが話題を振る。
「奇遇ですね。よく来るんですか」
やや陰気かつ肥満気味な男、シモカワがブツブツと呟くように答えた。
「否……今日……初めて」
ほとんど聞き取れない声。聞き取るためにアオイが慌てて近寄ろうとすると、おっとりとした雰囲気の中背中肉の男、ナカムラが間延びした声を発した。
「私たちのぉ、お得意様からぁ、優待券を――」
のんびりとした説明を遮るように、赤いフレームのメガネが割り込み、それとともに茶色のポニーテールが揺れた。ナカムラと同じ同僚のカミヤマだった。
「優待券をもらったから、憂さ晴らしも兼ねて来たんだ!」
どうにも不穏な単語に、アオイが思わず聞き返す。
「憂さ晴らし?」
「そ! この頃は仕事がギッチリだし、たまの休みに三人でゲームをするんだけど、大事なイベントで凄く強いプレイヤーに負けちゃったし!」
「へえ、なんだか大変ですね」
「おのれ、セントリー曹長! って感じ!」
背後からゲホゲホと咳き込む声。
アオイが振り向くとチサトとシノブがティーカップを持っており、二人とも飲み物が喉に入ったようだった。薄い涙目になるくらい咳き込む二人を見て、アオイが思わず心配そうに眉を曲げる。
「大丈夫ですか? チドリさんとシノブさん」
「あ、ああ。大丈夫だ。ねえ、チィチィさん」
「そ、そうよね。シノブちゃん」
随分と大げさな反応に首をかしげながら、カミヤマの方へ向き直す。
「セントリー曹長って変わった名前ですね。外国の人?」
「強いプレイヤーの名前だね」
カミヤマのメガネがキラリと光った気がした。そこから、カミヤマの怒涛の説明が始まる。
彼らはブラックカンパニーというチームを組んでミリタリーを題材にしたゲームを楽しんでいるらしい。オンラインで不特定多数と対戦するのだが、その中にセントリー曹長という凄腕のプレイヤーがいるらしかった。廃人とも噂されるほどの凄腕で、彼らブラックカンパニーはいつも負けているらしい。
その後も説明が続くが、カミヤマが興奮しすぎてよく分からなかった。とにかくセントリー曹長なる人物が強いことだけは分かった。ドンドンとカミヤマのテンションが上っていく。
適当に相槌を打っていると、視界の端にやたらとニヤけたチサトが目に入った。
(チドリさん、すごいニコニコしているけど……なんだろ? ボクの知らないことなんだろうけど……)
理由はよく分からないが、それはそれで置いておく。
「それにしても憂さ晴らしですか……。お仕事、大変ですね」
「まぁ、憂さ晴らしだけじゃないけどね!」
「他になにかあるんですか?」
「私たちが作った土で育った果物を食べに来たんだよ!」
「果物……。デザートのケーキやタルトに使っているやつですか?」
「そうそう! 私たちが食べる以外に、食べているところを見るってのもあるけどね!」
カミヤマの声の張り具合が一層大きくなっていく。少しキンキンと耳鳴りのするほどに張り上げた声は、アオイにとっては少し苦痛だった。
(ダイチさんみたいにうるさい……)
内心を表に出さないように努める。カミヤマがアオイの迷惑を知るはずもなく、一層声を張り上げた。
「ストックオプションとかおカネのためもあるけど、やっぱり人に喜んでもらえるのが一番だよね! だから辛い仕事でも耐えられる! ……ん?」
その時、何かに気づいたようにカミヤマがポケットを探る。取り出した携帯型情報端末を顔に当てて、話を始めた。
「あ、ミズシロさん。……え!? ミスがあった!? ど、ど、どうしましょう!? 今から出なきゃ……って今度はヒノミヤさん?」
電話口からミズシロとヒノミヤの喧嘩じみた声が聞こえる。二人が電話の向こうで言い争っている姿を想像し、自然と苦笑いが浮かんだ。
(いつもの調子で喧嘩してるんだろうなぁ……)
その間もカミヤマはまるでヒノミヤが目の前にいるようにペコペコとお辞儀をしている。
「はい。なるほど。はい、対応は休み明けで。あの、後ろでミズシロさんが叫んでいますが……。いや、気にするなと言われても。はぁ」
困惑を深めるカミヤマに、ナカムラがのんびりと間延びした声で問いかけた。
「あのぅ。いったいぃ、何がぁ?」
「……聞かないで。……みんな、今のうちに楽しんでおこう」
カミヤマのテンションが一気にどん底まで下がる。何があったのか察したナカムラやシモカワも、肩を落としてモソモソとスイーツを口に運んだ。
(耐えられるのと、辛くないのは別なんだろうなぁ……)
若干の同情が胸中に浮かぶ。しかし、できることはない。これ以上は居てもしょうがないと割り切って、頭を下げる。
「では、これで」
三人は、聞き取れるギリギリのか弱い返事を呟いた。席に戻る途中に、トモエとアオイが苦笑いを同時に浮かべた。
「大変そうですね」
「出来立ての会社だとな……。まぁ、一攫千金という面もある」
「なるほど。そこは警備員と一緒ですね」
そして、トモエがお腹をさするチサトの席へ座った。
「チサト。具合はどうだ?」
「もう、お腹いっぱいです」
「私もだ。この後、違う店に行こうと思うがお前はどうする?」
「え? そうですね……ならトモエさんについていきますよ。久しぶりですし」
そう言って席を立つ二人。トモエがちらりとアオイたち三人を見た。
「じゃあ、先に。私たちがいたら話しづらいこともあるだろう」
「え? そんなことは――」
「今日は羽を伸ばしておけ」
店内の客たちから羨望の眼差しと感嘆の吐息を受けつつ、二人は店を後にした。アオイが不思議そうにシノブを向いた。
「気を使わなくてもいいのに、って思うんですけどね。トモエさんと話していて楽しいですし」
「アタシもそうなんだけどなー。トモエさんってすごく気を使うからな。いつも申し訳ないって思ってるんだよなぁ」
「ソウにも見習ってほしいですね」
「あいつにゃ無理だろ」
その時、席の隣を一人の女性客が横切る。アオイの視線がトレイに乗ったスイーツへ釘付けになった。おそらくはヒノミヤたちの土で作った果物が宝石のように輝くタルトだった。
「……それにしてもタルトとか美味しそうですね。ワタシもデザートを取ってきます」
「了解ッス」
アオイが席を立ち料理が置かれているテーブルへ近づく。目の前に広がる宝石のようなスイーツに圧倒されて瞳を輝かせていると、黒髪ロングにメガネの女性が話しかけてきた。
「アオイさん? 以前、野外採集を手伝ってもらったサトミだけど覚えている?」
採集を手伝った生物学者の名前だった。以前の作業服姿とは違い、ジーンズにジャケット姿。だが、知的な瞳とメガネ、そしてよくまとまったロングの黒髪。その印象がピンときた。
「あ、サトミさん。はい。もちろん」
「久しぶり。元気してた?」
近況を互いに報告する。その間もサトミはやたらと上機嫌だった。
「随分と嬉しそうですね。いい事あったんですか?」
「うん。この前に手伝ってもらった調査の結果、色々と分かってきてね」
「どんなことですか?」
「ふふふ。実はね――」
そこからサトミの説明が始まった。
前回の調査で捉えた野外生物と、母星キシェルに居た生物の共通点が色々と解明されたらしい。開拓星ウラシェでも母星キシェルと同様の進化が起こっているらしく、なぜここまで似た進化を遂げているのか、議論になっているとの事だった。
「――そんな感じのことが分かってきて、発表したら反響が思いのほかあってね」
「そうなんですか! おめでとうございます」
「本当にありがとう」
サトミと話し込んでいる視界の端に、見覚えのある一人の女性が映った。
(あれ? あの幸が薄そうな人は?)
儚げで、やや陰鬱な印象。細やかな花柄のワンピースにフワッとしたフード付きスウェット。おしゃれな印象ではあるが、本人の醸し出す陰気さとのミスマッチがひどかった。
(たしか、トモエさんとスーツを買いに行った時の)
ファッションストアの店員だったはず。だが、挨拶をするほどの仲ではない。サトミとの会話に意識を戻した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サチコがトレイに料理を盛る。その視界の端に、一人の少女が映った。
(あれ? あの幸が薄そうなコ。この前、服を買いに来た……)
確かスーツを買いに来た時に対応した客だった。人の良さそうな顔立ちに、気弱そうな態度。いかにも幸が薄そうな気配にピンときた。
(確か借金を理由に結婚を迫られていて、ボロボロの服を着ていたような……)
そう思って服を見る。
生地が薄くなりテロテロになりかけているスラックスの臀部。緩み始めた袖は、所々糸がほつれている。相変わらずボロボロの服だった。
(だ、大丈夫なのかしら……)
心配になって、食事を取りながら聞き耳を立てる。
「それで、例の彼とはうまくやってる?」
「彼……? ああ、ソウのことですか」
ひどく冷たい目をした少年が、確かそんな名前だった。
(あの三白眼の彼氏……いや、旦那とまだ付き合ってたの? 相変わらず服はヨレヨレ……。それに顔色も)
顔を見れば、血色が悪くやつれて見える。元々細身だったと記憶しているが、それにしても度を越しているように見えた。
「少しやつれているように見えるけど……。ちゃんと食べてるの?」
「実は、今日まであんまり食べてなくて」
予想どおり虐げられている。
(あんなに高い服を買ってたのに、あのコには食べさせていないなんて……!?)
思わず、憤りがこみ上げる。それでも幸が薄そうな少女は儚げに微笑んでいた。
「でも、今日は先輩が奢ってくれるのでいっぱい食べておきます。少しでも節約したくて」
その言葉を聞いて、思わず目眩を覚えた。
(な、なんて健気なの……!?)
果たして自分はそこまで尽くせるだろうか。尽くしすぎるタイプと友人には言われるが、それでも前の前の少女は別格に見えた。
「今度は、ソウ君と一緒に来たら?」
「こういう所には来ないと思いますよ。コストパフォーマンスを考えればオキアミとミドリムシを接種するべきだ、なんて言いそうで」
対して、切れ長の三白眼の少年は酷薄に聞こえた。借金を理由に結婚をさせられているとはいえ、一刻も早く縁を切った方が良いように思える。
(早く離婚して、こういうお店に連れてきてくれる優しい彼氏に出会えると良いわね……! 私のように!)
思わず眉間にシワが寄るほどの力が籠もってしまう。すると、気弱そうな少女がこちらを見た。
「なんか、視線が……?」
サッと視線を外す。
(おっとまずい。見すぎちゃった)
視界の端で、気弱そうな少女が小首を傾げた。怪しまれないうちに、その場を離れる。
(あなたにも幸運がありますように……!)
気弱な少女のお陰で自分を客観的に見ることができ、元彼と分かれることができた。モラハラ気質な元彼からは酷い罵詈雑言を浴びせられたが、その後に素敵な出会いがあったのだ。せめてもの幸運を祈りながら、キラキラの今彼がいる自席へ戻る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アオイがトレイに山盛りのケーキを乗せ、リコとシノブの元へ帰ってきた。トレイの上には乗せられたスイーツは白い山々を思わせる。
「うわー。アオイさん。今度もドギュンドギュンに盛ってきたっスね」
「この、生クリーム? っていうのが美味しいってオススメされたんだ」
「食べ過ぎるとお腹壊すから、気をつけた方が良いっスよ」
「大丈夫だよ」
そう言ってフォークでケーキを一口大にカットして、はむっと頬張る。瞬間、口の中にとろけるようなコクと甘みが広がる。
「――! わぁ! 美味しい!」
「アオイさん。生クリームは初めてっすか?」
「うん! 同じ大豆から作られているのに、豆腐とかとぜんぜん違う!」
「昔は牛のミルクで作っていたらしいっスけどね。今もおカネをバシュっと持っている人はそれを食べているみたいっス」
「なんかやだなぁ。牛のおっぱいだなんて」
「ギュンギュンに美味しいらしいっスけどね。想像できないっス」
金持ちが夢中になるほど美味しいというが、目の前の生クリームだって十分に美味しい。パクパクと生クリームたっぷりのケーキを頬張る。口の中がとろけるような未知の体験に思わず、甘い吐息が漏れた。
そして余韻から覚めると、目の前のシノブが苦い顔をしていた。猫のような瞳が随分と険しく歪んでいる。
「あれ……? シノブさん、どうしたんですか?」
「いや……。後ろの席の会話が結構ヤバいな、と思って」
「後ろの席?」
「幸が薄そうな彼女さんのカップルだ」
振り返ると、ボックス席で幸せそうに喋っている女性が見えた。それはスーツを買いに行った時に対応してもらった幸が薄そうな店員だった。
「あ、あれは……服屋さんの?」
「知り合いか? あんまりジロジロ見るなよ」
そこへリコがクリっとした丸めを輝かせて会話に割り込んできた。
「どんな風にヤバいんスか?」
そんなにワクワクする話題だろうかとも思うが、たしかにアオイも気になった。仕方ないなと肩をすくめ、シノブが一段声を潜める。
「このビジネスプランならうまくいくとか、もうちょっと投資してほしいとか」
「うわ。完全に夢追い寄生野郎のセリフじゃないっスか。絶対にカネを持ち逃げするタイプ」
「アタシもそう思うんだけど、彼女さんの方が彼氏に夢中っぽいんだよな。声の感じからすると」
「ダメ男に引っかかる典型例っスね。自己肯定感の低さを他人のお世話でしか補えない人っス」
「リコ、結構キツイ事言うな。でも、それっぽい」
フンと強めの鼻息を一つして、リコが得意げに胸を張る。
「分析は得意っスからね。よく恋バナとかも相談されるっス」
そしてリコが、ビシッとアオイを指さした。
「ちなみに、アオイさんはそういうタイプっぽいから要注意っス」
「ぅえ?」
「なんだかんだでソウさんのお世話してるの、心当たりないっスか?」
「う……」
アオイが、思わず肩をすくめた。確かに、なんだかんだでソウに対して甘い所があった。そこへシノブが他人事のように口を開いた。
「アオイ。気をつけろよ」
「シノブさんもそれっぽいっスよ? 姉御肌でカッコいいっスけど、無理しすぎないように要注意っス」
「……はい」
シノブが俯く。その後は、借りてきた猫のように大人しくスイーツを口に運ぶだけだった。リコが再びアオイの方を向いた。
「アオイさんは特に大人しくて幸が薄そうだから、変な男が寄ってこないように要注意ッス」
「そんなに幸が薄そうかなぁ……」
「第一印象、そんな感じッス」
その間も生クリームたっぷりのケーキを口に運び続ける。その後もダラダラと話し続けるうちに、アオイは下腹部に異変を感じた。
(う……。お、お腹が……!)
ぐるぐると腹が鳴る。妙な寒気が身体を包み、腕に鳥肌が立ってきた。まずい、と思っているとリコのクリっとした丸めが視界に入った。
「アオイさん? なんか脂汗がジュビビって流れているッスけど?」
「ちょ、ちょっとトイレへ!」
「やっぱりお腹を壊した――」
「ごめん! それは後で! ちょっとまずいんだよ!」
リコの言っていた事を頭の片隅に思い出しつつトイレへ急ぐ。
「ど、どうして!? こんな時に限って!」
だが、無情にもトイレは満員だった。絶望に打ち震えながら、うわ言のようにつぶやきを続けるアオイ。
「まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい……」
無だ。自分は無になるんだと。錯乱気味のことを考えていた時に、後ろから悲痛な声が聞こえた。
「あ、空いてないなんて!」
「ん?」
「ん?」
振り返ると、先程の幸が薄そうな女性が脂汗をびっしりと浮かべながら後ろに列んでいた。
(さ、幸が薄いなぁ……)
サチコも同じことをアオイに思っているとはつゆ知らず、今日も比較的平和な、そして幸が薄い一日が過ぎていく。




