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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
夏の夜の夢! ヒコボシきらきら☆争奪戦!
41/97

人違いの百年目

7.






「どけ!」


 ムゥを蹴飛ばして間一髪、虎挟みのような口が、錫杖を咥えました。

 その衝撃に、意図せず膝が折れます。すかさず腰を落とし、体重を前へ掛けて、押し返しました。それでも距離を詰められ、眼前で暴れる牙の大きさといったら、まるで氷柱です。顔を顰めれば、血生臭さに紛れて、二股に割れた真っ赤な舌が、ちろちろとセヴァの鼻先を舐めました。


 ――あな憎し……。

 ――恨めしや……。


 こんな巨体が、どうやって潜んでいたのか。

 (もた)げた首だけで、既にセヴァの長身と並びます。平たい頭部は、ヌシに比べれば小さいですが、代わりに胴体の直径が尋常ではありません。大人の一抱えはあります。長さは二丈……二丈半? 約八メートルです。とりわけ異質なのは、目も醒めるような緋色の鱗でした。こんな種類は、見たこともない。

 蛇、です。

 それも、規格外の大蛇でした。


「ぐッ……」


 腕に血管が浮きます。

 なんという剛力でしょう。このまま鍔迫(つばせり)合いを続ければ、此方が不利です。

 錫杖は諦め、距離を取ろうとしたそのとき、ぶん。凄い風圧と共に、セヴァの髪が持ち上がりました。

 まずい!

 咄嗟に張った結果が、衝突の寸前で、振るわれた尾を受け止めました。

 ダメージこそないものの、その重さたるや、結界を大きく弛ませ、足元の笹百合を巻き上げるほどでした。直撃すればどうなっていたことか。

 セヴァは素早く片手で印を結び、魔力を練り上げました。


「“花雷(ハナライ)”!」


 夜の闇、大蛇を囲んで、ぱっと花が咲きました。

 無論、本物の花ではありません。炎の花です。先程ムゥに使った爆破術を応用して、殺傷力を高めたものでした。どん、どん。巨人が地を踏み鳴らすような音が、鮮やかな炎を伴い、断続的に破裂します。

 巻き込まれた大蛇は全身を火達磨に焼かれ、吹き飛ばされて、どすんとセヴァの後方へ墜落しました。


「セヴァ!」

落人(おちゅうど)だ」


 転がっているムゥに、舌打ちで答えました。

 落人というものは、基本的には、関わらなければ無害です。例外はありますが、大抵の場合、何かを求めて彷徨っているだけです。理由もなく襲われることなど、まずないのに。

 この落人――大蛇は、どうしたことか。

 (せめ)ぎ合う錫杖を通して伝わってきたのは、陰鬱な殺意。

 それも、生存のための食欲に由来するものではなく、ただただ一途な、ドス黒い憎悪でした。此の世に存在する復讐心という復讐心、恨み辛みの怨念が融合し、蛇の形を取ったのがこれだと言わんばかりに。


 ――恨めしや。

 ――ひとり待つ年月の幾許か、心凄しかる。


 あぁ。どうやら原因は、痴情の縺れのようでした。

 セヴァは一応、己を省みましたが、此方の世界(・・・・・)に、そんな女性はいません。

 ましてや恋仲だったことなんて。恨まれる筋合いはないはずです。

 従って、完全に人違いなのですが……。


 ――此処で会ったが百年目。


「ムゥ。あいつ元カノか?」

「そんなわけないだろう!」

「弄んで捨てたりしてねェか?」

「私は女性と手を繋いだこともないんだぞ!」


 うっかり悲しい過去を暴露するムゥを、今は揶揄する余裕もありません。

 振り返った視線の先、大蛇が、恨めしげに鎌首を擡げます。


 ――などてか生かしておけようぞ。


「いや、人違いだってばよ!」


 セヴァが全力で否定しますが、聞えていないようでした。

 それもそうでしょう。

 だって、蛇には耳がないのですから。


 ――斯く妾を背きたるは、


 うねる蛇腹は焦げ爛れ、無残に煙を上げていました。

 焼かれたためか怒りのためか、いっそう濃く映える緋色の鱗が、ぬらり艶めいて血塗れの鎧を思わせます。それなのに、滾る殺意は少しも衰えていません。むしろますます鋭く研ぎ澄まされ、重く深く、激しく、肌を刺すのです。

 そうか。

 セヴァは直感しました。

 この大蛇、おそらく狂い死にです。憎しみのあまり人の心をなくし、そのために彼岸へ渡れず、こんなところに墜ちて尚、己の仇を討たんと彷徨っているのです。つまり普通の落人とは、根本的に存在理由が違う。


 ―― 貴 様 か !


 瞼のない蛇眼が、ぎりっと此方を睨みました。

 牙を剥き、傷も意に介さず、沸き上がる憎悪の矛先を求めて。


「なんだ!? 何がそんなに憎い?」

「引っ込んでろ! 話の通じる相手じゃねェ!」


 立ち上がろうとするムゥを制して、セヴァは、落ちた錫杖を蹴り上げました。

 視線は大蛇から離さず、空中でそれを掴みます。

 こいつァ――


「業が深いぜ」


 大仕事を覚悟して、セヴァは眼を眇めました。

 キシャァアア。独特の威嚇音を発し、大蛇が再度、飛び掛かってきます。

 既に結界は張っていたのですが、そんなことで引き下がってはくれません。怯むことなく長い身体をぐるぐると巻き付け、あろうことか結界ごと、二人のいる空間を締め上げ始めました。

 ぷしゅ、ぷしゅ。大きく開いた口から、何か粘性のある液体が吐き出されます。

 液体の付着した箇所は、油を混ぜた水のようになって、じゅうと嫌な臭いの蒸気を立ち上らせました。


「酸だ! 溶けてるぞ!」

「出るなよ。食らったら、あッという間に骸骨だぜ」


 ムゥのゴーグルが、うっすらと曇っています。

 結界を二重にしておいてよかった。セヴァは人知れず息を吐きました。

 とはいえ、この強度を二人分は、少々辛い。

 本来、セヴァの力は守備に使用すべきものであって、攻撃に用いることが特例なのです。術を練るのにも時間が掛かりますし、消耗も激しい。

 かといって、あの大蛇を相手に、今のムゥでは荷が重すぎる。

 考えている間にも、結界を締め付ける圧力は増してゆきます。

 不意に、大蛇の鎌首が高く持ち上がりました。

 そのまま信じられない大口が開いたかと思うと、球状になった結界の天辺から、覆い被さるように齧り付きます。ちょうど卵を捕食する恰好でした。意外な抵抗に業を煮やしたのか、いっそ結界ごと呑み込んでも差し支えないのか。

 いずれにせよ、悪夢でした。


「この結界……いつまでもつんだ?」


 ムゥが大蛇を見上げて、青い顔で呟きました。

 頭上では、鋭い牙と二股の舌が、結界を嚥下しようと暴れ狂っています。なんて嬉しくない特等席でしょう。引き攣るムゥの口元は、少しだけ笑っているようにも見えました。


「あと一分てとこか」

「はぁ!?」

「動くなよ。じっとしてな」


 セヴァは呼吸を整え、魔力を練ります。

 がりがり、ばり、じゅぅ。しばしの沈黙を埋めるのは、残り時間の削られる音。

 ムゥは動きませんでした。

 セヴァは焦りません。

 急いで、けれども確実に。


「“針千本”!」


 セヴァが印を結ぶと同時、結界の形状が変化しました。

 つるりとした球から、極めて刺々しい球へ。即ち、外側へ向けて全体が鋭く尖ったのです。同名の魚がいますが、そっくりでした。

 無数の針に腹を突き刺された大蛇は、さすがに堪りません。

 瞬時に身体を解いて、跳び退ります。


「“花雷”!」


 そこへ、セヴァの術が炸裂しました。

 着地を狙って撒かれた種は、爆発という花になって咲き乱れ、大蛇の巨体が、天高く宙を舞いました。二発目、三発目と、追撃が弾けます。どんどんと打ち上げられてゆく姿は、まさしく夏の夜の花火でした。

如何に美しくとも、そもそも花火は爆弾です。手足のない蛇は、無抵抗で夜空を跳ねるしかありません。


「これがホントの蛇花火、か」


 笑えない冗談を残し、セヴァは駆け出しました。

 結界の外、生温い風が頬を撫でます。見上げれば、大蛇の描く軌道は、今まさに頂点に達していました。高度、角度、速度、すべて良し。

 条件を確認すると、セヴァは錫杖を掲げて、仕上げの印を結びました。


「“釣瓶落し”」


 大蛇の背後で、ぐにゃり空気がうねりました。

 物理法則を文字通り捩じ曲げた空間は、飴細工めいて捏ねられ、固まり、とある工具の形を取ります。釣瓶ではありません。釣瓶は道具です。もっとも、ある意味では釣瓶と言えなくもない。どのみち、当たれば同じ運命ですから。

 鎚、でした。


 ――あな憎し。

 ――恨めしや。


 大蛇の思念は、セヴァへ向けられたものだったのでしょうか。

 鎚が大きく振りかぶられた瞬間、眼が合ったような気がしました。


「袖にした女ァ多いが」


 錫杖を一振りするセヴァに同期して、透明な鉄槌が振り下ろされました。

 ごっ。なんとも形容し難い衝撃音と共に、鎚が大蛇の脳天を捉えます。そのまま凄まじい速さで落下する姿は、まさに手を離した釣瓶の如し。実際のところ術ですから、その質量と重量、破壊力は、しかし釣瓶などの比ではありません。

 ぐちっと今一度、奇妙な音を立てて、大蛇は顎から地面に叩き付けられました。

 もはや殴打ではなく、圧砕でした。一寸ほど減り込んだ頭部は、踏み潰された虫よろしく平らに均され、血液と体液と唾液を滲ませて、びくびく痙攣しています。

 衝撃で跳ねた尾が、二度三度のたうって、じき静かになりました。


「これでも今ァ、嫁一筋なモンでよ。悪ィが他当たってくれや」







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