タイツで何が悪い
3.
真っ先に質問を浴びせたのは、ヘンゼルでした。
「ねえドアさん。開けてほしいの?」
『はわっ!? べっ、別に開けてほしくなんかないんだからねっ!』
「どうしてカギがかかってるの?」
『おいどんにもわからんのでごわす』
「うんこ付いてるの?」
『ソノ答エヲ、ワタシハ持チ合ワセテイマセン』
「開けたら、どうなるの? 何があるの?」
『ちょっとわからんわぁ~』
ヘンゼルは、困った顔でムゥを見上げました。つまり埒が明かない。声もキャラもコロコロ変わるので、気が散るったらありません。このドア、生前は役者か何かか、それともよほどの捻くれ者か。
「じゃあ、もう行っていいか? 私達は忙しいんだが」
『どおしてもっていうならぁああ、開けさせてあげても? いいけどぉお!』
「やっぱり開けてほしいんじゃないか……」
一応ヘンゼルを後ろに庇って、ムゥが後を引き継ぎました。
怪しいドアではありますが、差し迫って危険はないらしい。そう判断してのことでした。此方に危害を加えるつもりなら、今この瞬間を含めて、何度もチャンスはあったのです。とっくにそうしているでしょう。
ドアの目的は、純粋に開けてもらうこと。そう考えて構わないようです。
第一、中身が気になります。大人二人がそうなのですから、ヘンゼルに至っては言うに及ばずです。放っておいたら何をしでかすやら、わかったものではありません。ドアに敵意がなくとも、勝手に怪我をする可能性もあります。
まだまだ仕事も残っているわけですし、用があるならさっさと済ませて、こんなドアとは早急に縁を切るに限るのでした。
となれば、鍵が必要です。
「鍵は何処にあるんだ?」
『探して、どうぞ』
「心当たりは? ないのか?」
『知wwwらwwwなwwwいwwwよwww』
「…………」
それが人にものを頼む態度か。さすがにイラッとしました。それでもヘンゼルの手前、暴力は我慢です。ちらり視線で助けを求めたセヴァは、何かがツボにハマったらしく、ケラケラ笑っているだけでした。
さて、どうしたものか。
本人すら在処を知らないとなれば、手掛かりはゼロに近いでしょう。この広大な森で鍵一本を探すなど、それこそ雲を掴むような話です。
少し考えて、ムゥは“遺品”のことを思い出しました。もしかしたら、混ざっていたかもしれません。
休憩所まで戻り、回収袋を漁ります。適当にポンポン放り込んでいたので、何を拾ったのか、取り出しながら確認することになりました。
「ヘアピン、爪切り、コイン、スプーン、栓抜き、ペン……」
鍵は……ありません。
そう都合良くいかないか。ムゥが小さく頭を振ると、
『アッーーー!』
背後で情けない悲鳴が上がりました。
何事かと振り返ると、ヘンゼルが、紙縒にした草束をドアの鍵穴に突っ込んで、力任せに弄くり回していました。
「何やってるんだ?」
「うん! クシャミしたら開くかなーと思って!」
『やっ、やめて! そこはやめて! あかん! やめろやコラ!』
必死で拒絶の意志を喚き散らしても、どうしたってドアです。抵抗は叶わず、身を捩ってヘンゼルの超絶テクニックに悶えるしかありません。あまりのアホな光景に、ムゥは堪らずハハハと笑いました。
けれど、次の瞬間。
『おんどれそこのタイツ男! こんガキィなんとかせんかい!』
ドアの発した単語に、ムゥの笑顔はピシリ氷結しました。
タイツ男。誰がだ。私か? タイツ穿いてるからか? それでか?
タイツはいいぞ。万能だぞ。いやもう全能の域。控えめに言って最高だぞ。
むしろタイツで何が悪い?
「……私のことか……?」
『他に誰がおんねん! おんどれ、ガキの保護者やろが! 早ぅやめさせぃ!』
「………」
ムゥは無言で踵を返し、スタスタと歩き始めました。
「先生どこ行くの?」
「ちょっと斧取ってくる」
『はうあ!』
狼狽えたドアは、傍で笑っているセヴァに助けを求めます。
『これそこの女狐! 余を助けぬか! 苦しゅうないぞ!』
「あァん?」
が、これまたうっかりキャラ選択をミスってしまいました。よりによっての殿様目線で、思いっきり地雷を踏み抜きに行ったものですから、いけません。たちまちセヴァは怒り心頭、長毛猫のような金髪を逆立てました。
「誰が女狐だァ? 俺様ァな、美人って言われンのは好きだけどよゥ? 女みたいだって言われンのは一ッッッ等! ムカつくんだよ!」
『ひいっ! す、すんません!』
反射的に謝罪したドアでしたが、こうなるとセヴァは聞く耳を持たないのです。問答無用で把手を蹴り上げた脚が、続いて板部分へと派手に炸裂。蹴倒されたドアは、為す術もなく垂直ストンピングの餌食となるのでした。
『いっ痛い痛い! ちょっとよさないか!』
「命令されンのも大ッッッ嫌いだ! 食っちまうぞゴルァ!」
『やめてお願い! 割れちゃう! 割れちゃうからぁあ』
「鍵がねェなら蹴破ってやンぜオラオラオラオラオラオラァ!」
『助けてくんろ~~~!』
「おいチビ、手伝え」
「はーい」
「斧持ってきたぞー」
『アイエェエエ!』
三十分後。
斧を振るうのに疲れたムゥは、その場に腰を下ろして、脚を放り出しました。
気が済んだらしいセヴァは、胡座を掻いて煙管を一服点けています。
ヘンゼルは、割とすぐ飽きました。今はタンポポの綿毛という綿毛を吹き飛ばすのに熱中しています。
「刃が欠けてしまった」
「で、蹴破ンのも駄目ときた」
なんて頑丈なのでしょう。
三人から総攻撃を喰らって、傷一つ付かないなんて。それでも尋常ならざる恐怖を味わったと見えて、ドアは倒れたままガクガクブルブル、涙ながらに震えていました。心なし青ざめた白い塗装が、不憫と言えば不憫です。
図らずも、これで二つの選択肢が消化された形になりました。
即ち、破壊は不可能。蹴破る、こじ開ける、叩き切るなどといった手段は、功を成さないと証明されたわけです。
燻る紫煙を眺めながら、セヴァが呟きました。
「くッたびれたなァ……」
「……うん」
「どォするよ? まだ続けるかい?」
「…………」
立てた片膝に頬杖を突いて、ムゥは思案します。
自分達が此処に来たのは、雨期の準備。ゾックの実を集めるためです。それなのに、まだ仕事は半分も終わっていません。予定していた作業時間は、いつの間にか茶番の彼方へと過ぎ去っていました。
何をやっているんだ、私は。
冷静になってみれば、なんとも馬鹿馬鹿しい話です。所詮、赤の他人の事情ではありませんか。出しゃばったところで、此方になんの利益もない。確かに中身は気になりますが、それだって一時の好奇心です。三日も経てば忘れるはずでした。
私達の生活を犠牲にしてまで解決してやる義理が、何処にある?
「……いや。終わりだ。今日は引き上げよう」
頭を振って、ムゥは立ち上がりました。
妙なことに関わって、必要以上に疲労してしまった。明日にでも出直そう。あのドアは、もう放っておこう。ゾックの生える場所なら他にも知っている。この野原には、しばらく来るまい。
休憩所を撤収すべく、セヴァと移動を始めます。
『おい! か、帰るのか……?』
ドアが跳ね起きて、不安げな声を上げました。
「あァ」
セヴァが、振り返らずに答えます。
『本当に帰るのか!?』
「私達にも生活があるんだ。いつまでも此処にはいられない」
努めて素っ気なく言い放ち、ムゥは歩を進めました。
『ま、待って。見たいだろ? 中。見たいだろ? 見たいだろ!?』
「…………」
ムゥもセヴァも、今度は振り返りません。
『待って……待って! お願い!』
上擦ったドアの声が、背中に突き刺さりました。
ムゥは僅かに、唇を噛みます。
今更。そんな声を出さないでほしい。
これまで散々、わけのわからないキャラクターを演じておいて。
『行かないで!』
そんな、捨てられる仔犬みたいな。
去りゆく恋人に縋る女性みたいな。
寂しさで張り裂けそうな声は、卑怯だろう。
『お願い、私を置いて行かないで! 一度も開けてもらったことのないドアなんてドアじゃないわ! それなら私は……私は、いったい、なんなの!?』
ふと服を掴まれました。
ヘンゼルでした。
――仕方ないんだ。
自分を見上げるあどけない顔に、ムゥの胸が痛みました。あれこれと言い訳が、脳裏を過ぎります。どう説明すれば理解できるのでしょう。この幼い子はきっと、まだ知りません。世の中は、悲しいほどの“仕方ない”に溢れているのだと。
「ドアさん、開けてあげないの?」
「……気の毒だが……鍵がないことには」
「うん? だからね。ぼく、さっきから考えてたんだけど」
大きな緑の眼を瞬き、さも不思議そうに、ヘンゼルが言いました。
「先生が作ってあげればいいんじゃない? あのカギ穴に合うカギを」
あ!
「「それだッ!」」
ムゥとセヴァは、互いの両手を合わせて、パチンと打ちました。
そうですそうです。探す必要はありません。作ればいいのです。どうしてこんな簡単な方法を思い付かなかったのか。固定観念とは怖ろしいものです。負うた子に浅瀬を習うとは、まさにこのこと。
ムゥは早速、回収袋の中身をぶちまけました。
「……あった!」
散らばったガラクタの中に目当ての物を認めて、ニヤリほくそ笑みます。
「おいドア! タイツの何が悪いって?」
しばしの沈黙の後、ムゥの意図を汲んだドアは、慌てて口笛を吹きました。
『とんでもないっす! タイツ最っ高! イエーイ!』




