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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
トビラノムコウ
17/97

開けるなよ?

2.






 ……あぁ。

 私は眠ってしまっていたのか。これは思ったより疲れていたらしい。うん。

 ゴシゴシと眼を擦り、ムゥはもう一度、それを凝視しました。

 あります。

 ドアです。


「……なぁ」

「おいムゥ、ありゃなんだ?」


 訊ねようとしたら、セヴァに先を越されました。

 ムゥは半分寝惚けたような頭で、見たままを答えます。


「何って、ドアだろう」

「ンなこたァ、見りゃわかンだよ」

「なら訊くな」

「ン? あァ……それもそォだな」


 ……ピーヒョロロロロ……。


「わあ! 先生先生、あれなあに?」


 ヘンゼルの弾んだ声で、ムゥは我に返りました。

 そうです。ヘンゼルが一緒だったのです。何処へ行ったのかと跳ね起きて野原を見渡せば、いました。案の定、既に全力でドアに(とつ)っていました。


「待て待て待て待て!」


 ダッシュで追い掛け、なんとか確保に成功しました。やれやれ間に合った。ひとまず“気を付け”させて、ムゥは安堵の溜息を零します。


「ん~」

「むやみと近寄るんじゃない! 悪いドアだったらどうするんだ?」


 不服げに頭を振るヘンゼルを、やや強めの口調で諭しました。ヘンゼルの柔らかい金髪には、ドロボウサンとクッツキムシが大量に付着しています。他にも何かの草や花、服も綿毛だらけで、頬は土埃で汚れて野良猫みたいになっていました。

 手早く取り除いてやりながら、ちらり横目でドアを見ます。

 白く塗装された、片開きの一枚ドアです。

 金色の把手は真鍮でしょうか。棒状の握って下ろすタイプのもので、装飾もなくシンプルな造作でした。至って一般的な、何処にでもある普通のドアです。我が家の寝室のドアとも似ていますが、持参した憶えは、断じてありません。

 気になります。

 もう少しだけ、近くで見てみようか。

 思ってムゥが脚を踏み出した、そのときです。


『こっちへいらっしゃい』


 声がしました。

 セヴァでもヘンゼルでもない、妙に鼻に掛かった猫撫で声でした。猫が口を利いたら、こんなふうになるでしょうか。言うまでもなく、こんな声は知りません。

 ……まさか?


『こっちよ……いらっしゃい……いいものをあげるから……』


 あぁ、やっぱりそうでした。

 ドアが喋った!


「はーい!」


 百点満点の返事で、ヘンゼルがムゥの手を擦り抜けました。

 咄嗟に両腕を回してヘンゼルの脇を掬い、そのまま肩に担ぎ上げます。


「こら! 近付くなと言っただろう!」

「だって呼んでるよ~いいものほしい」

「あれは典型的な誘拐犯の手口だ! 騙されるな!」

「てんけーてきってなぁに?」

「そうだ洗濯物を干しっぱなしだーあー早く帰らないとなー心配だなー」


 適当なことを言って、ムゥは、ジタバタと宙を掻く脚を抱え込みました。これはドアもヘンゼルも、いい勝負です。油断も隙もありません。胃の辺りが痛くなってきて、ムゥの眉間には皺が寄ります。

 あれでは警戒してくれと言っているようなもの。どう考えたって怪しいではありませんか。得体の知れないドアには、関わらないに限ります。

 触らぬ神に祟りなしと、ムゥは踵を返しました。

 すると、またです。ドアが喋るのです。


『お、おい、そこのお前! 俺を開けるなよ! 開けるなよ? 開けるなよ?」


 今度は、やたらと甲高い男の声でした。勧善懲悪モノで、登場直後に退場する係の小悪党を連想させる口調です。どうやらこのドア、声音とキャラクターを自在に使い分けられるらしい。


『いいな? 開けるんじゃないぞ? 絶対だぞ? わかったな?』


 そう言われると、開けたくなりますよね。

 ムゥだってそうです。ちょっとだけ迷ってしまいました。

 それが伝わったのか、担がれていたヘンゼルが、今だとばかりにムゥの腕を擦り抜けました。そこからくるり器用に回転すると、危なげもなく着地成功。再びドアに突撃をかまします。


「わーい!」

「ちょっ……待てヘンゼル!」


 即座に追跡を図ったムゥですが、焦っていたため足元の起伏に気付かず、蹴躓いて盛大にすっ転びました。

 顔を上げれば、もう遅い。其処には、ドアを中心にぐるぐる走り回るヘンゼルの姿が!


「まァ、落ち着きな」


 いつの間にか傍に来ていたセヴァが、駆け出そうとしたムゥを制止しました。


「何するんだ! どう考えても怪しいだろ! ヘンゼルが危ない!」

「いや、あれで敵意ァ感じねェ。なんぞ訳があるんだろォさ」

「悠長なことを! 落人おちゅうどだぞ! 何を企んでるかわからないぞ!」

「だからさァ」


 金色の双眸をニヤリと細め、セヴァが口角を上げました。


「開けてみちゃァどうだい?」


 返答に詰まり、ムゥは唇を結びました。

 そうです。実のところムゥ自身、さっきから気になって仕方がないのです。

 あのドアを開けたら、どうなるのか。何処へ繋がっているのか。ヘンゼルを危険な目に遭わせまいとの義務感で抑え付けてはいましたが、一方で胸の中にむくむくと沸き上がる感情は、紛れもない好奇心です。

 ドアを見れば開けたくなるのは、理屈も何もなく人の本能なのかもしれません。


「……私がか?」

「放っといたらチビが開けちまうぜ?」

「お前が開けてもいいと思うんだが」

「嫌だねェ。面倒なのは御免だい」

「…………」


 まぁ、こういうのがセヴァです。議論しても無駄でしょう。

 ムゥは決心して、ドアに駆け寄りました。


「あ、先生」

「近付くなと言っただろう、ヘンゼル」

「ごめんなさーい」


 幸いヘンゼルは観察に夢中で、まだドアを開けてはいないようです。

 ムゥは、慎重にドアの周囲を一周しました。前後左右どの角度から見ても、純然たるドアです。叩くと、コンコンと木材の音がしました。一丁前に、把手の下部には鍵穴付きの丸いシリンダーまで付いています。


「開けるの先生? ぼく! ぼくやりたい! やる!」


 ムゥの行動に触発されたヘンゼルが、眼を輝かせて挙手しました。

 その手を握り込み、首根っこを抓んだのは、セヴァです。


「おッと、おチビは次な」

「えーずるいよ! ぼくやりたい!」

「じきに済まァな。ちぃッとだけ待ってな」

「いちばんがいいのに~」


 上手い具合に、セヴァに注意が逸れました。今のうちです。

 ムゥは素早く把手を掴み、息を止めて縦に捻りました。


 ……ガッ!


「ん?」


 途中で固い抵抗に遭い、回転が止まります。

 ガチャガチャ、ガン。

 ガンガンガン。ガシガシ。

 多少乱暴に捻ってみます。結果は同じでした。耳障りな金属音を立てるだけで、最後まで回らないのです。何か引っ掛かっているのでしょうか。いや、これは。


「鍵が掛かってるぞ」


 ムゥが言うと、セヴァは舌打ちして肩を竦めました。


「つまんねェ。じゃァもういいや。放っとこうぜ」

「そうだな無視しよう」

「ぼくまだやってないよ! ぼくもガチャガチャするー!」

「あれは駄目だ。家へ帰ったら、いくらでもやらせてやるからな」

「このドアがいいの~」

「やめときな。黙ってたけどよゥ、うんこ付いてンだぜあれ」

「えっ……え?」


 ヘンゼルが、完全にドン引きした表情で後退ります。繋ごうとした手を拒絶されたのが、実に悲しい。後で必ず誤解を解こうと心に決めて、ムゥはドアに背を向けました。あとセヴァ憶えてろ。

 正直、施錠を確認して、どこかホッとしていました。気になるといえば気になるのですが、開かないものは仕方がない。そもそも、こんなことをやっている場合ではないのです。さっさと仕事を終わらせなければなりません。

 今度こそ、何があっても反応するものかと、ムゥは歩き始めました。


『な、中身がァ~~~凄いぞ! ヤバい! これはいったい……うごごご!』


 三人揃って、回れ右。

 ……気になるじゃないか……。







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