第42話 (Other Side)震える王都
「ああ、これはこれは!」
地下牢に降りてきた第二王子エダクスは、芝居がかった仕草で鉄格子のなかに頭を下げる。わざとらしい笑みを浮かべた顔を上げるが、目だけがまったく笑っていない。
「滅びゆくトリニタス王家の皆さま、ご機嫌麗しゅう」
薄暗い牢内につながれているのは、トリニタス王国の玉座に着いていた国王パリパドゥスと、その座を継ぐはずだった第一王子プリームス。その母親である側妃シレンテと、エダクスの実母である正妃カロルもだ。
誰もが黙ったまま、エダクスに冷え切った視線を向ける。
「おやおや。ご用意した貴賓室が、満足いただけなかったようですね」
勝ち誇った顔で笑うエダクス。その背後には、帝国軍の兵士たちが手槍を構え、いつでも格子越しに突き殺せるのだとあからさまな威嚇の姿勢を見せる。
わざわざ王族を王城の尖塔にある貴人用の牢ではなく、重犯罪者用の地下牢に――それも寝床すらない雑居房に――詰め込んだのは、エダクスによる暗い復讐のためだ。
房内は冷え切って隙間風がひどく、石造りの床は硬くジメジメと湿ってカビと腐臭がする。平民の犯罪者でも、数日を過ごせば泣きながら慈悲を乞うといわれる場所だが、王たちが入れられて丸一日になる。敵に弱みを見せられないという矜持だけで耐えてきたが、王と王妃たちの体力と気力は限界に近づいていた。
「この事態を平和に、円満に解決する道をご提案したのですが、ご理解いただけましたか?」
「……エダクス。貴様、正気か」
ようやく返ってきた王からの返答に、エダクスのニヤニヤ笑いが顔いっぱいに広がる。
「もちろんですよ、陛下。おとなしく王位を明け渡して、命乞いをするのです。あなたにできることは、もう、それだけなんですから」
「待ちなさいエダクス! なぜ、わたくしまでこのような仕打ちを⁉ まさか実の母に対してまでそんなぶぴゅッ!」
肥え太った身体で金切り声を上げる母カロルの顔面を、エダクスは兵士から奪った手槍の後端部で叩きのめす。短い悲鳴を上げて吹っ飛んだ王妃は、石造りの床に後頭部を打ち付けて動かなくなった。
「勝手な口を利くな、ブタが!」
鉄格子越しにガチャガチャと手槍を振り回すが、長さが足りずに床を打つだけだ。
「殺してやる! お前だけは! 絶対に殺してやる!」
正気を喪ったようなエダクスの激昂ぶりに、周囲の者たちは母子の間にあった恨みの深さを思い知る。兄プリームスに追い付き追い越せと、エダクスが実母から虐待じみた“王太子教育”を受けてきたことは周知の事実だった。
仮に努力してもなお凡庸の域を出ないエダクスが母カロルの期待に応えられることは、絶対にないことも。
「そのくらいにしておけ」
その声に振り返ったエダクスは、兄プリームスが自分を見据えているのに気付いた。鋭い視線を受け止め、汗だくのエダクスは小馬鹿にしたような顔で首を振った。
「文句があるなら相手になりますよ、第一王子?」
王族の多くは魔法の素養があり、身を護るための加護も受けている。だが、帝国の兵士たちは王族を拘束したときに魔力を阻害する手枷を着けさせていた。
エダクスが愉悦の表情を隠せないのは、努力も鍛錬も怠ってきた自分が初めて兄よりも優位に立っているからだ。
「ご自慢の剣術も魔法も、役立たずになった。いまなら、殺せる。お前なんて、いつだって殺せるんだ」
ブツブツと言いつつも、プリームスのいる方には近づこうとしない。魔力を阻害したところで身体能力まで奪えたわけではない。下手に手槍を突き入れると、奪われかねないと思っているのだろう。
父王の前まで来ると、エダクスは手槍を放り出して鉄格子に寄り掛かった。
「まだ、わかりませんか。帝国が求める停戦の条件は、裏切り者アダマスの断罪と、わたしの登極です。そのふたつが満たされない限り、民も国土も喪われてゆくばかりなんですよ」
「……できるわけがなかろう」
トリニタス王国は、他の王国と同じく“王の座は神からもたらされたものだ”という王権神授説をに拠っている。継承権も人望も低い第二王子に王権を譲るなど、簒奪以外のなにものでもない。王家の威信のみならず神の加護をも失いかねない暴挙となる。
それ以前の問題として、王権の移譲は王座に刻まれた古の魔法陣で執り行われ、それは先王の死によってのみ発現すると伝えられていた。
「いいえ?」
自分の首を指で水平に撫でながら、薄暗い目をしたエダクスは唇を笑みに似たかたちに歪める。
「……わたしなら、できる」
◇ ◇
プリームスから見て、エダクスの変貌にはどうにも違和感があった。
元々エダクスは、短慮で考えが浅い。十三という歳を考えても、王族としてはあまりにも拙い。努力を嫌うくせに気位ばかり高く、自分が第二王子に置かれているのが許せないのは誰の目にも明らかだった。
周りが見えていない上に、自分が愚かだという自覚もない。地位を見せれば尻尾を振り、おだてれば簡単になびく。傅く貴族にとっては理想的な、“扱いやすい無能”だ。
いままでは王国貴族の御輿に乗せられてきたが、連中が外患誘致に走ったことで帝国の傀儡という新たな御輿に乗せ換えられたのだろう。
そこまでは理解できる。だが、いまのエダクスはまるで……
自ら御輿を引こうとしているように見える。
◇ ◇
「いくら足掻いたところで無駄なんですよ」
エダクスは、勝ち誇った顔で指を立てる。
「帝国との国力差が、どれだけあると思っているのですか。国土と人口、経済力は四倍、軍事力など七倍……」
「よく覚えたな」
エダクスの能書きを、プリームスはバッサリと切り捨てる。
「歴史、社会学、地理も惨憺たる成績のお前にしては上出来だ。ただし、数字は間違っているな。実質の経済力は三倍程度。軍事力も六倍ほどだ。覚えることができなかったか、教える相手が間違っていたか……」
「六倍だったから何だというんだ! 不敗の大帝国を相手に! この国が楯突いたところで無意味だと言っている!」
プリームスは、静かに首を振った。
「存在するだけで大量のカネと物資を消費し続ける軍が、我が国の六倍だ。それがどういうことか、お前は理解していいない」
「なにを……ッ!」
「その“大帝国”は、食料生産力が我が国の二倍程度しかないことは教わったか? 水資源が汚染され、枯渇しかけていることは? 併呑した七つの国と十四の民族で、常に不和と叛乱の危機に晒されていることは?」
「でたらめだ! わかった風なことを言って誤魔化せるとでも思っているのか!」
「我が国の間諜が、どれだけ帝国に入っていると思う?」
「なに?」
「食料生産力が低いということは、周辺国からの輸入に頼るということだ。商品とともにひとが入り込む。情報など筒抜けになる」
「笑わせてくれる! なにが筒抜けだ! むざむざと帝国兵に内懐まで入り込まれて! 無能な王族どもは囚われの身だろうが!」
エダクスの嘲笑をさらりと受け止め、プリームスはわずかに首を傾げた。
「だったら、教えてくれないか。“内懐に入り込んだ”帝国兵は、どれだけ残っている?」
エダクスのみならず、周囲の帝国兵たちの間にも緊張が走る。反論はないが、殺意が高まってゆく。プリームスの声は平坦で、諦観に満ちていた。
「“不敗の大帝国”か。たしかに、帝国は外敵によって敗けることはないと言われてきた。その代わり、生き延びるために侵略し続けなくてはいけない。その歪な政略は続けるだけ問題も大きくなってゆく。増え続ける重荷を背負って駆ける馬のようなものだ。わずかなつまずきで破綻し、取り返しのつかない破滅を味わうことになる」
「くだらない戯言、……をッ⁉」
「「「‼」」」
いきなり強烈な違和感が押し寄せ、その場にいる誰もが身を強張らせる。
ぞわりと異物が背筋を這うような感覚。なにか忌まわしいものが近づいてくるような。恐ろしい魔物に見つかったような。
王族のみならず帝国兵までもが蒼褪め脂汗を流すなか、プリームスだけは困ったような顔で笑う。
「どうやら破滅は、思ったよりも早かったようだね」
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