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四話 異様な空間

 研究所での一件以来、ルイーズの胸中が晴れることは一向になかった。

 鬱積した気持ちをひた隠し、学園生活を送っていた。


「見つけた!姐さん、ソレンヌが……」


 ラシェル嬢がストレンジ学園に来て二週間。学園は徐々に不穏な空気へと変わっていた。

 サビーヌを連れて図書室に向かっていると、エドが慌てた様子で駆けてきた。


「また、なのね」

「……うん」


 苦虫を噛み潰したような顔で問いかけると、エドは眉を顰めて頷いた。

 事は三日ほど前から始まった。


「レナルド様、目を通していただきたい書類がございますので、生徒会室にお越しいただけないでしょうか?」

「そんなもの、お前がすればいいだろう」

「レナルド様の許可を要するものでございますので、私の一存では致しかねますわ」


 中等部の中庭から声が聞こえてくる。何度目だろうか、この言い合い。

 レナルドは中等部に進級するとともに生徒会に入った。一年生では副会長を務め、

 生徒会長の元で一年かけて引き継ぎ、二年生に上がると生徒会長へと就任し、

 ソレンヌが副会長の座に着いた。


「ソレンヌ様、レナルド様にもたまには息抜きが必要だと思いますよ!自由がないなんて可哀想ですよ!」


 騒ぎの発端であるもう一人の人物が声を上げる。異常な空間を作り上げている要因の一員。


「ラシェルは優しいな。君は私のことを一番に理解してくれる」

「ちょっと、レナルド。僕のラシェルに近づき過ぎだよっ」


 なんだこの花畑空間は。

 思わずそう思ってしまうのも仕方がないだろう。ベンチに座る三人の男女とその周りには、複数の男子生徒が立っている。

 ベンチにはレナルドとルベンがラシェルを間に挟むように座っている。

 目を潤ませてソレンヌに食ってかかるラシェルの肩に腕を回し抱き寄せるレナルド。それを見て文句を漏らすルベン。

 ラシェルは学園に来てひと月もしないうちに男子生徒たちの心を掴んだ。

 天真爛漫で活発、美少女の笑顔で同級生の男子生徒を次々と虜にしていった。

 一部の攻略対象者たちも例に漏れず虜となった。その一部にレナルドとルベンも含まれている。


「兄弟喧嘩はいけませんっ。私は仲の良い二人が好きなんですから。」


 両手を胸の前で組み、上目遣いにレナルドとルベンを見つめて仲裁を試みる。

 その姿を黙って見ていたソレンヌの手に、力が入る。


「レナルドさ──」

「何だ。まだ居たのか。私が許可するのだ、後はお前がどうにかしろ。それくらいのことが出来なければ私の妃など到底務まるわけもない。これは、お前のためでもあるんだぞ。」


 再び名を呼ぶソレンヌの言葉をかき消し、レナルドが疎ましげに発した。


 ──巫山戯た事を。


 ルイーズは苛立ちを感じ、その場に怒鳴り込んで行きたくなる衝動を抑え込む。

 無策に出て行くわけにはいかない。出て行ったところで向こうには二人の王子がいるのだ。

 感情に任せて無謀に突っ走るようなことをすれば、ルイーズとソレンヌの二人は、権力の前に為す術もなく並行線を辿るのが目に見えていた。

 隣を見ると、エドが眼光を鋭く見開き、ベンチに座る面々を今にも射殺しそうな眼差しで見つめ、怒りで身体を震わせている。


「わたくしがどうにかするわ。エドは先生を呼んできて頂戴」


 きつく握られていたエドの拳に、そっと手を添えてその意識をこちらに向ける。

 エドの視線は言外に「どうにかできるのか?」と問いかけているように見えたが、返事は返さず、ルイーズは曖昧に笑った。

 先生が来るまでの時間で構わない。先生が来たところで王子たちをどうにかできるとは思っていないが、少なくともこの場を収束させることができれば、それで十分だ。


「あれぇ?人だかりができてるけど、どうしたの?」


 ルイーズとエドのいる方向とは反対側から声が上がり、野次馬根性で現場を目撃していた群衆の間で騒めきが広がった。

 人々が左右に割れ、一本道ができる。


「あ、ソレンヌ嬢!レオポルド、ソレンヌ嬢ここにいたよ!」

「左様でございますか。では、ソレンヌ嬢を連れて早く戻らなければなりませんね」

「そうだね!」


 人波の中から現れたのは、銀の髪に太陽の光を反射させて輝くドナシアンと、その後ろに付き従って群衆より一回り大きい長身のレオポルドだった。

 ドナシアンの天使のような微笑みを直視した令嬢たちは、次々と額に手を当ててふらつきながら、彼の魅力に圧倒されていった。


「ドナシアン殿下にレオポルド様?」


 ソレンヌは、ドナシアンの登場に驚いて目を見開く。それもそのはず、ドナシアンは幼少の頃からレナルドとルベンに苛められ、兄たちを怖がって怯えていたからだ。

 レナルドやルベンがドナシアンに近づこうとする度に、ルイーズとソレンヌが間に入り、彼を庇ってきた。

 それが、今や自ら双子王子の前に立ち、群衆に囲まれているのだから、ルイーズとエドは驚かざるを得なかった。


「ソレンヌ嬢、今日は僕とカフェに行く約束をしていたの忘れちゃったの?教室まで迎えに行ったのに、いなかったから探したんだよぉー」

「え、あ。申し訳ございませんわ、ドナシアン殿下」


 ドナシアンは仔犬のように見えない尻尾を振って、ソレンヌの元へと走り寄った。

 ソレンヌは一瞬驚いたが、すぐにいつもの調子に戻り、申し訳なさそうに眉尻を下げて謝罪する。

 ドナシアンとソレンヌの違和感に気づいたのは、極一部の者だけだろう。

 ソレンヌの一瞬の驚きと、わずかな間。それを見て、ルイーズとエドは気づいた。

 本当は約束などしていなかったのだが、ドナシアンがソレンヌを助けに来てくれたのだと。


「カフェですか!?私も行きたいですぅ。ドナシアン様、私も御一緒して良いですか?」


 ラシェルは立ち上がると、ドナシアンの元へ向かい、彼の腕を取った。

 その時、レオポルドが間に入ろうと動いたが、ドナシアンがその動きを目で制した。

 周囲の動向に敏感なエドと、後ろで控えるサビーヌもそのやり取りに気づいたのだろう。

 エドはドナシアンの意図までは汲むことはできず、眉間に皺を寄せて不安そうに見つめていた。


「ごめんね、ラシェル嬢。そこのカフェは予約制で、人数も既に伝えてあるんだ。人気店だから急な変更は出来ないんだ」


 ドナシアンはラシェルの手から腕を抜き、申し訳なさそうに断った。しかし、金色の瞳はどこまでも冷徹で、周囲には聞こえない声で何かを口にした。


《お前の取り巻きを連れて直ぐにこの場から去れ》


 ラシェルにしか聞こえない声で、ドナシアンは告げる。

 ルイーズとサビーヌは、初めて見るドナシアンの態度に驚愕する。

 二人は、お互いに練習を重ねて読唇術が使えるようになったため、ドナシアンの言葉を理解したのだ。


「それなら仕方ないですねぇ。では、ドナシアン殿下、私達はこれで失礼致します」


 ドナシアンのストレンジは【言霊】。

 言葉に力を込め、相手を意のままに操ることができる、極めて危険な能力だ。

 その効果は瞬間的で持続しないものの、ドナシアンが公衆の面前でその力を使うのは初めてのことだった。


「ラシェル、いいのか?ラシェルが望むならその店に私が連れて行ってやってもいいぞ」

「僕達なら王族だから、予約しなくてもきっとその店に行けるよ」


 ラシェルが取り巻きの元へ戻ると、レナルドとルベンがすぐさま口を開いた。

 堂々と権力を行使しようとする彼らの言葉に、群衆は少しばかり嫌な顔をしていた。


「ううん、いいの。それより私、構内に戻りたくなっちゃった」


 ラシェルは生気のない目をしてそう言ったが、その様子に誰も気づかない。

 ラシェルとその取り巻きは構内へと戻り、野次馬と化していた群衆も散り散りに解散していった。


「ソレンヌ!」


 生徒たちが解散した後、残ったのはソレンヌ、ドナシアン、レオポルド、そしてルイーズ、エド、サビーヌの一行だ。

 エドが駆け寄り、心配そうにソレンヌを見つめた。


「エド、それにお姉様、サビーヌさんまで……お恥ずかしい所をお見せしてしまいましたわ。ドナシアン殿下、レオポルド様、助けて下さりありがとうございました」


 ソレンヌはルイーズ達の姿に気づき、目を丸くしたが、すぐに悲しげな顔を作りながらも笑顔を見せた。

 ドナシアンとレオポルドに向き直ると、感謝の言葉を述べてお辞儀をした。


「ソレンヌ嬢の役に立てたなら良かったぁ。いつも、僕が守られているからね」


 ドナシアンは、いつもの甘えん坊な笑みを浮かべた。


「俺は別に何もしてない」

「もっと他に言うことがあるでしょ」

「……無事で何よりだ」


 レオポルドは素っ気なく言ったが、エドがすかさず軽く突っ込んだ。

 それでも、レオポルドなりにソレンヌを心配していたことがわかり、エドも苦笑いした。

 二人の熟年夫婦のようなやり取りに、ソレンヌはおかしそうに噴き出し、ルイーズ達もつられて笑顔を見せた。


 一行はその後、生徒会室に向かい、できる範囲で手伝いをすることになった。

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