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32 比重の魔女



 人のにぎわう、マグネリア王国の王都の一角。

 赤いレンガで舗装された道を、若い女性が二人、連れ立って歩いていた。


 黒いコートに、茶色の髪と、黒い髪をまとめたその風貌は、一見すると只の町娘である。

 しかし、街並みを楽しむでもなく、人目を避けるように速足で歩く彼女達は、見る人が見れば訳ありとわかるであろう様子であった。


 ただし、誰も彼女達を気に留めない。

 何か、不思議な力が働いているかのように。


「本当にそれ、すごいのね」

「はい。周りに気が付かれずに歩けるお守りなので」


 シャラ、と音を立てながら、茶髪の女が首飾りを見せる。

 赤黒い宝玉を中心に飾る、黒いチェーンの、曰くのありそうな見た目のものだ。

 実際、宝玉は今もほのかに光を称えていて、なにか魔法の効力を発している様子である。


「ここです」


 茶髪の女の(いざな)うままに、黒髪の女は裏路地に入る。

 薄暗く、小汚いその通りの一角に、目的の場所はあった。

 看板に書いてある文字はこうだ。


 ――『迷える子羊亭』。


「あなたよくここに入ろうと思ったわね」

「紹介です!!! こんなところ、そもそも一人で歩きませんよ!」


『――あまり大きい声をださないでくれないか』


 ドアの近くから声が聞こえて、女二人はビクリと肩を跳ねさせる。


 きょろきょろと周りを見渡し、ようやくその声が、ドアの中心に光るひし形の緑色の宝玉から聞こえているのだと気が付いた。


 黒髪の女は――アイリスは、その淡い水色の瞳で、扉を見つめる。


『よく来たね、よく来てくれたね、迷える人の子よ。しかし、私に会いたいのであれば、もう少し声を下げることだ』


 その中性的な声に二人が頷くと、彼女達を出迎えるように、誰にも触れられていない扉がゆっくりと開いた。



   ~✿~✿~✿~


「私の名はヒルヴィストラウトリスクアリヴィラ=ルナ。私のことは、好きに呼ぶといい」


 不摂生で生気のない男。

 アイリスには、目の前の人物がそのように見えた。

 スラリと高い背丈、長い黒髪を、丁寧に五つに分け、全て三つ編みにしている。不潔な様子はないものの、使い古し過ぎて端切れのようなボロボロの黒いスーツに、なぜか上質な黒いビロードのローブ。青白い肌にクマが目立つその顔は、どうにも不健康で、大きな垂れ目の奥では、ギラギラと紫色の瞳が輝いている。


 黒髪に、紫色の瞳。


 アイリスはどうにも、二人いる妹のうち、自分に懐いている方の彼女を思わせるその色味と、目の前の人物の異質感に、思わず眉を顰める。


(こんな人を見て、私のヴィヴィを思い出すなんて)


 そう思う気持ちと、さもありなんと思う心の狭間で、アイリスはその場で立ちすくんでしまう。


 しかし、そんな彼女に構わず、声を上げる者がいた。

 もちろん、サヴィリア=サスペニアである。


「ねえ、座っていいかしら。こんなに歩くことなんてないから、疲れたわ」

「いいとも、いいとも。好きな場所に座るといい。私の膝の上でも、私の手のひらの上でも」

「奥の椅子を借りるわよ」

「いいとも、構わないとも。人が椅子というものを好む傾向にあるのは古今東西変わらぬようだ」

「変わらないと知っているなら、最初から勧めてちょうだい」


 その言葉に、目の前に居る黒髪の彼――彼女かもしれないが、アイリスは彼だと思うことにした――は嬉しそうに顔を歪め、次いで、スーツの懐からボロボロの手帳と万年筆を取り出した。そして、背を丸めながら、立ったままガリガリと何かをメモしている。


 アイリスがその様子を興味深く眺めていると、隣からため息が聞こえた。

 ため息の主は、男に構わず、カウンター奥の衝立の先にある商談スペースに向かい、素朴な木の椅子をアイリスに差し出してくる。

 アイリスは逡巡の後、自分の足がしっとりと疲れていることに気がつき、遠慮せずに歩みを進め、木の椅子に腰を落ち着けた。


 室内は、その辺りの小物店と変わらぬ形状をしていた。

 販売棚にカウンター、店内奥の商談スペース。

 ただし、壁は全て黒色で、カーテンは金糸に紫色、棚にはよく分からない薬品や、トカゲの足が漬けてある謎の瓶、魔法文字の刻み込まれたボロボロの宝箱、巻物がぎちぎちに詰め込まれた箱など、一般の商店では見ないような品が所狭しと置かれている。

 その奇妙な世界観に、アイリスは既視感を覚えながらも、思考を振り払う。


 こんなことを考えている場合ではない。

 彼女は、目的があってこの場に来たのだから。


 アイリスがそう思ったタイミングで、隣に腰を落ち着けたサヴィリアが、男に声をかけた。


「ね、もういいでしょう。こっちに来てよ」

「うむ。そうだな、そのほうがいいな、そうしようとも、待ちたまえ」


 サヴィリアの言葉に、ヒルヴィスはいそいそと手帳を閉じ、懐にしまいながら、彼女達の向かいの席に座る。

 ニコニコと微笑む青白い顔はほんのりと微笑んでおり、まあどうやら、突然の訪問は喜ばれているらしいと、アイリスは息を吐いた。


「あの。あなたは、魔女――なのですか」

「チガイマス」

「え?」


 静まり返った室内。

 机を挟んで向かい合きあう、二人の女性と一人の枯れ木男。

 アイリスが動揺しながらも真っ直ぐに相手を見据えたところ、見据えられた相手は、キョドキョドと目を彷徨わせている。


 どうしたものかと考えていると、ふわふわと浮かぶ雲のような何かが、茶器の載ったトレーを机に運んできた。

 黒いカップを三人それぞれの前に置くと、割と美味しそうな香りのする紅茶を注いで回っている。


『粗茶でスたい』


 ふわふわ浮かぶ雲は、それだけ告げると、部屋の奥へ去っていった。


「魔法の生き物……」

「チガイマスヨ」


 アイリスがサヴィリアに視線を投げると、サヴィリアは困ったように肩をすくめるばかりで、答えをくれない。

 仕方がないので、ヒルヴィスに視線を戻すと、ヒルヴィスは紅茶のカップをゆらゆらと揺らし、カップの中で揺れる赤い水面を見つめていた。


「魔女、まじょ、マジョ。魔法使い、呪術師、祈祷師、霊能者……様々な名前で呼ぶそれは、この星にただ漫然と存在することを、許されていない……私は、許されていない存在ではない……」

「違法滞在者?」

「チガイマス」

「……。その辺りのことは詳しくないから、今は横に置いておいてあげる」


 アイリスの言葉に、黒髪の男はゆっくりと顔を上げる。


 そこには、ただひたすらに答えを求めるような、色のない瞳があった。


 アイリスが十年前に王宮の庭で見つけたものと同じ色。

 人を人として認識しない、ここではないどこかから来た生き物の視線。


「素敵な来訪者様。貴方の、お名前は?」

「……アイ、リス」

「アイリス、アイリス、あいりす。花の名前だ、良き名、美しくも繊細な心を持つ女性の名称。金の髪に水色の瞳を持つその人ならば、かのケイトを()()()()()()クリスタの娘である可能性が」


 ヒルヴィスの右手が不意に動き、気がつくと、ふわりとアイリスの視界に金色が舞った。

 被っていた黒髪のかつらがなくなり、自身の髪が風で揺らいだのだと知ったときには、既にヒルヴィスに机越しに右の手首を握られている。


「――そう、あなたである可能性が生まれる。アイリス=フォン=ヴィンセント!」


 アイリスがヒルヴィスの右手に目をやると、そこには小さなミニチュア用のような、黒いカツラが握られていた。

 その造りは、アイリスが先ほどまで身につけていたものと同じで。


(大きさを変える、魔法!)


「ひ、比重の魔女……」

「そう呼ばれることもある。いや、私は魔女ではなく、だがしかし、今は私の名などくだらぬ、小さく、矮小な、つまらぬ、そう、些事にすぎない――お前は何を知りたい?」


 紫色の瞳が、枯れ木のような風貌の中、ギラギラと輝いている。

 隣でサヴィリアが、「ちょ、ちょっと、放しなさいよ!」と叫んだけれども、男が動じる様子はない。


 ガッチリと掴まれている自身の右手。

 しかしアイリスは不思議と、自分の右手を掴むその男に、恐怖を感じることはなかった。


 男が何をしたいのかよりも、己が問われているそれ自体が、彼女を揺るがしていたからだ。


 何を知りたいのか。

 アイリスが、求めているもの。

 ずっと求めてきたものが、きっと今、手の届くところにある。


『アイリス姉さまが私を拾ったのは』


 脳裏に浮かぶのは、かつて言われた言葉。


『姉さまのお母さま――第一王妃を、目覚めさせたいからでしょう』


 第一王妃を目覚めさせる。

 果たしてそれは、本当に、アイリスが求めるものなのだろうか。


「わ、私は……」

「欲しいものはなんだ。知識、知恵、魔法、人材、なんでも言うがいい。お前が私に協力すると誓うならば、なんでもしてやろう」

「……あなたは、占い師だと聞いたわ」

「占いも、する。人の知らぬ未来を、人の知らぬ法則と知恵に基づき高い精度で知ることもできる。しかし、それはあくまでも生命の作用に基づく帰結の分岐に過ぎない。私の力の一部でしかないものだ」

「その力の一部があるなら、あなたは、私の欲しいものを知っているのではなくて?」

「予測に過ぎない。予想、周辺知識からの帰結、お前の心の底からの望みを移したものではない。――けれどもそれをまず知りたいと言うのであれば、私はそれをお前に与えよう」


 アイリスの知らない未来を、アイリスの知らない法則と知恵に基づいて知った、その結果は。


「アイリス=フォン=ヴィンセントは、母であるクリスタ=フォン=ヴィンセントに会いたいと思っている。そうだろう?」


 そう、アイリスは、クリスタ=フォン=ヴィンセントに。


 お母様、に――。


「……違うわ」


 男の目が、大きく見開かれる。

 あの子と同じ、紫色の瞳が良く見えると、アイリスは思った。


 そう、アイリスの心に居るのは、きっともう、母ではないのだ。


『アイリス ネエサマ スキ デス』


 それを見て、地位も立場も全てを振り切って、このマグネリア王国に来てしまったのは何故なのか。


『アイリス様とヴィオレッタは、とてもいい姉妹なのですね』


 この国に来たアイリスが、若草色の瞳をした()()()()と居て、心地よいと感じるのは。


『おそらくヴィオレッタは、兄と結婚することになるでしょう。いえその、私にも、どちらの兄になるかは分かりませんが……弟はさすがにないでしょうし……。それでもし、アイリス様が受け入れて下さるなら、私と――』


 彼の提案を、受け入れてしまいそうになっているのは、彼の言葉の示す先に、アイリスが求めるものがあるからだ。

 そして、いまだに返事をためらってしまう理由は、そこに母クリスタが居ないことが理由ではない。


「私は知りたいの。両親に何があったのか。父と、第一王妃クリスタ、そしてその侍女ケイトの間には何があるのか。私の家族が――私の大切な妹が抱えているものを、私は知りたい」


 アイリスの言葉に、しばらく固まっていた男は、赤い唇をにたりと歪めた後、声を上げて笑い始めた。


「これはこれはこれは。なんとクリスタの娘が、ケイトの娘にすっかり籠絡されている! 恐ろしい因果もあったものだ!」

「あなたは占いを外したわ。そんなあなたに、私の欲しいものが手に入れられるのかしら」

「渡せるとも! いやいやいやいや、お前の知りたいその事実、それはこの世の魔女であれば誰もが知るその大罪のことである。知らぬ魔女などいるものか、知りたいというならば教えてやろう」

「条件は何」

「お前の子が欲しい」


 アイリスが目を見開くと、男はその手を掴む自身の左手に力を入れる。


「お前ならばできる。侍女ケイト、魔女ケイトフランチェスクアレシュビェナ=レイ、夫ヴィルクリフ=フォン=ヴィンセント。三人の人物を魂の底から籠絡し、共に魔女と人の間の子ヴィオレッタを生み出すに至った奇跡の女。あの女の娘ならば、きっと――」


 不可能を、超えられる、はず!


 そう男は、追い縋るように言葉を連ねる。


「私は私の魂を、これからのこの星の生命の系譜としたい。全ての原因たるクリスタの娘であるお前なら、きっとできる。私と共に、新たな生命の創造を――」


「お断りします」


 大きく目を見開いたヒルヴィスに、アイリスは晴れやかに笑う。


「ありがとう、ヒルヴィストラウトリスクアリヴィラ=ルナ。あなたのお陰で、私は自分を知ることができたわ」


 アイリスの中で、母に会うことも、すべてを知ることも、もはや最重要事項ではないのだ。


 かけらも揺るがないその笑顔に、紫色の瞳が揺れる。

 白い顔がほんのりと上気しているが、アイリスには、そこに(たた)えられた色を読み取ることができない。


「わ、私が、お前を逃がすと思っているのか」

「このままだと難しいかもしれないわね」

「ならば何故ここに来た。アイリス=フォン=ヴィンセント、お前はどうして――」

「あら。占い師でも、わからないことってあるのね」


 ガチャリ。


 と、大きな音がしたので、ヒルヴィスは目を丸くし、隣で息を呑んで様子を見守っていたサヴィリアは肩を落とす。


 アイリスは、自身がローブの左袖に隠し持っていた手錠が、魔法文字を輝かせながら無事にヒルヴィスの左手首にはまっている様子を見て、王族らしい優雅な笑みを浮かべた。


「私の妹とその周りに迷惑をかける存在なんて、要らないもの。お縄にかかってもらうわよ、比重の魔女さま」


 アイリス=フォン=ヴィンセントは、情報収集と、ついでに比重の魔女をこらしめるために、ここに来たのである。





ミルヒーは兄二人と違って行動が早い様子。


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